テディ=ベア
第七章 山田花子(仮)は実は恥ずかしがり


「誰?」
 思わずそう言った私は悪くないと思う。
 目の前に突如現れたのは、真っ青な上着に青みがかった白いボトムスをジョッキーブーツにインした、精悍な若い男の人。
 見上げるほど背が高い。
 青い詰め襟の上着には、肩飾りがついていたり、ボタンや袖の飾りやパイピングが金だったり、肩からロープみたいなのが垂れ下がっていたり、軍服に似ているけど全体的に厳めしいより煌びやかなデザインは、一言で言うなら王子様っぽい。それがまた目の前に立つ男の人には妙に似合っている。着慣れている感じもする。
 ぱっと見不細工じゃない。とびっきりのイケメンかと言われると微妙だけど、イケメンの範疇ではある。
 短めの濃い茶色の髪に、濃い茶色の瞳。ちょっと目つきが鋭くて、にやりと意地悪そうに笑っている。青い服を着ているってことは……。
「俺だ」
 聞いたことのある声。しかもよく聞く声。いやいやいや。まさか。
 ……うそでしょ! ありえん! クマ五郎はどこ行った!



 夜会当日、お昼を食べた後、ビディに引ん剥かれるようにお風呂に入れられ、問答無用でドレスを着せらる。最近ビディが私の扱いに慣れてきた気がする……。
 ん? 最後の調整をしたときよりも全体的にボリューミーになってやしないか。一段とドレス感が増してやしないか。これってプリンセスラインに近いような……。こんなにスカートは広がっていなかったはずなのに……。どちらかといえばシンプルなAラインに近いはずだったのに……。
 絶対に似合わない。日本人顔にこういうドレスが似合うわけがない。そしてボリュームアップした分、生地が重い。
 何が嫌って、ここにはくっきり映る鏡がない。霧の中かと言いたくなるような薄らぼんやり映る粗悪品ばかりだ。何が映っているかはわかるけれど、その細部までははっきりと映らない。まるで曇りガラスならぬ曇り鏡だ。
 肩を少し超えたくらいの髪が侍女によって面白いくらい器用に結われていく。元々色素薄めの青白いであろう顔を健康的な顔色に整えられ、なんだかんだと細かいところまで作り込まれた。もはや別人なんじゃないかと思う。目の前の鏡は正解を教えてくれない。
 しかも、胸にパットらしきものが三つも入っているなんて、泣ける。

 で、部屋を出て、応接間のような場所に連れて行かれたところに居たのが、クマ五郎そっくりの声を持つ妙に態度のでかい男の人だ。
「胸がでかくなってやがる。どれだけ詰めたんだ」
 ……この声にこの口の悪さ。間違いない、クマ五郎だ。
「クマ五郎、人になれたの?」
「当たり前だろう。人になれなきゃどうやって生活するんだよ」
「クマのまま生活してたじゃん!」
「……獣型の方が便利なんだよ色々」
 見慣れない男がクマ五郎……ないわ。私のもふもふ返せ。うぅ、泣きそう。
「ほら、言わなかったのは悪かったよ。帰ったらまた獣型になるから、鼻垂らすな。化けの皮が剥がれる」
 ずぴっと鼻を啜る。涙は出ない。侍女が紙を渡してくれた。これがティッシュじゃないんだよ。和紙っぽい紙なんだよ。しかも硬い。くしゃくしゃによくもんで、柔らかくしてから鼻をかむ。かみ終わったら侍女がすかさず鼻周りの化けの皮を直してくれた。化けの皮って……うぅ、絶対にクマ五郎だ。

 夜会には家令と侍女も同行してくれる。一緒にうちの馬車に乗り込もうとしたところで無駄に派手な青い馬車がやって来た。
「面倒だな」
「致し方ありません」
 テディと家令が面倒くさそうな顔をしているけど、今の私はそれどころじゃない。この見知らぬ男をクマ五郎とは呼べない。泣ける。
 ほら行くぞ、って出された手に肉球がない。爪に気を付ける必要もない。泣ける。
 手を取られ、背中に手を添えられ、促されるがまま歩き出しても、その腕にあったはずのもふい毛がない。泣ける。
「獣型の方を好む女も珍しい」
「だって、あのクマ五郎が好きだったのに。毛のないクマ五郎なんて、ただのハゲじゃん」
「……ハゲじゃねぇ。俺にそんなこと言うの、本当お前くらいだぞ。わかった、わかった、鼻垂らすな。不細工になるぞ」
 ほら来い、って抱き上げてくれる腕が硬い。もふくない。首に腕を回しても地肌しかない。もふい毛がない。でも、その抱え方も、抱えられたときの位置も、フィット感も、何もかもがクマ五郎と一緒だった。ただただもふくないだけで。
 そのまま無駄に派手な馬車に乗せられ、いつも通り膝に乗せられても、お尻がもふくない。ふかっとしない。でも、クマ五郎より長い両足の間に入れられて、左太股の上に座らされているお尻の位置も、お腹に回る腕の位置も、やっぱりクマ五郎と一緒だ。クマ五郎の方が明らかに短足なのに!

 どれだけあのもふもふに依存していたのかが、よくわかった。
 あのもふもふがあったから、安心していられた。
 もう一度ぎゅっと抱きついて、やっぱりクマ五郎と同じ感覚なのを確かめながら、もふもふ呟いていたら、テディがくつくつと笑っている。
「テディ、笑い事じゃない」
「お前、依存しすぎだぞ」
「わかってる。ってか、いまわかった。もふ依存だって」
「帰ったら十分もふらせてやるから、頑張って夜会に参加しろ」
「わかった」

 いつもの馬車の倍はあろうかという大きな馬車には、うちの家令と侍女だけでなく、元々この馬車に乗っていた二人の男の人も座っている。
 その二人が驚いているような気がする。もしかして……男の人の膝の上に載るのはレディにあるまじき行為だからか。そうだよね、膝抱っこはさすがに子供っぽい。そそくさとテディの膝から降りようとしたら、止められた。
「尻が痛くて踊れなくなるぞ」
 確かに。遠慮なく膝に乗っていることにする。
 どうしてか、テディの膝の上というのは、妙に居心地が悪い。クマ五郎の膝の上には安心しかないのに、テディの膝の上はなんだか落ち着かない。そわそわする。なんでだろう?
「殿下、そちらの女性は……」
「俺の相手だ」
 同乗している男の人のうちの一人がテディに声をかけた。テディの返事に、二人揃って今度ははっきりと驚いている。
 ん? 殿下?
「テディ、殿下なの?」
「聖職者はたいてい殿下って呼ばれるな」
「ふーん。特権階級だから?」
「そうだな」
 なぜか家令と侍女に哀れむような目で見られている気がする。なに? 思わず首を傾げると、テディが「ほら、中央が見えてきたぞ」と馬車の窓についている布をめくって外を見せてくれた。

 ……でっかい丸太小屋があった。ログハウスともいう。

 だが規模がおかしい。お城並みにでかい。バカでかい。日本のお城を丸太で作ったらこうなるだろうという姿をしていた。色々おかしい。五重の丸太小屋。どういうこと?
「もしやあそこが会場?」
「そうだ」
 ……私の思い描いていた夜会会場とは違う。よっぽどうちの領主の館の方がお城っぽい。
 そういえば、クマさんの集落もログハウスっぽかった。もしかしてここでは木造が特権階級の象徴なのかも。特に丸太造り。きっとそういうことだ。ここで私の中の常識と戦っても仕方がない。思い込み大切。思い込めないけど。



 つやっつやの五重の丸太小屋に到着した。
 近くで見るとえげつないほどの迫力がある。そもそも丸太小屋ってだけでも結構迫力があるのに、それが馬鹿でかい上に五階建てだ。日本の木造建築は繊細だったんだなあと思う。目の前の木造建築はなんとも豪快だ。
 思いっきり見上げていたら、テディに「口閉じろ」と注意された。開いていた?
 ほら、と差し出されたもふくない手に手を重ね、ゆっくりと歩いてくれるテディと一緒に会場に入る。
 クマ五郎よりもスタイリッシュになったテディに、お姫様のようにエスコートされるのはなんだかちょっと恥ずかしい。

 家令が招待状を受付の人に見せると、受付の人が顔を上げた途端、その目を剥いた。
「ででっ、殿下!」
 テディが片手を上げて叫んだ人を制し、何か言おうとする受付の人を無視して奥に進む。なんだか背後がざわめいているような気がする。
「テディって何者?」
「聖職者」
「それは聞いた。なんであの人テディを見てびっくりしたの?」
「滅多に顔を出さないから」
「聖職者も夜会に出るの?」
「ああ。義務だな」
「義務なのに滅多に顔を出さないの? ダメじゃんそれ」
「放蕩息子だからな」
「いい訳になってないし」
 両開きのこれまた馬鹿でかい木製の扉の前に立つと、これまたテディを見て驚いている係の人が、厳かに扉を開けてくれた。やたらと分厚い扉だ。重そう。

 明るい! 久しぶりに明るい。さっきまで仄暗かったのに、扉が開いた途端、いきなり強い光が目に飛び込んできた。目が眩む。
 歩き出そうとするテディの手を引いて止める。
「テディ」
「どうした?」
「目が眩んだ」
 ひょいと片腕に抱えられた。
「入り口にいると邪魔だ」
 そう言って中にずんずんと進んでいく。
 明るさに目が慣れた頃、周りの人たちがびっくりした顔でテディを見ていた。うわっ、抱えられている私もだ。
「テディ、もう見える」
 跪いたテディの腕からそっと降ろされると、周りのざわめきが更に大きくなった。
 社交の場で相手に抱えられるのは恥ずかしい行為だ。恥知らずって思われているだろう。思わず唇を噛んでしまう。あっ、これも恥ずかしい行為だ。俯きたくなるのをぐっと堪える。何をしても恥ずべき行為になってしまう。
「聖来、大丈夫だ。もっと顔を上げろ」
 跪いたまま顔を寄せたテディが耳元で小さく囁く。見慣れない男の人の顔がすぐ近くにあって妙に恥ずかしい。でも聞こえる声は聞き慣れたもの。
 耳にかかる息がくすぐったくて肩をすくめると、少しだけ見下ろす位置に顔があるテディが不敵に笑っている。クマ顔じゃないから表情がわかりやすい。ただ、なぜそうも偉そうなのか。
 立ち上がったテディをちょっと呆れて見上げていると、ざわめきが一層大きくなった。なにごとかと周りを見ると、男の人が近づいてくる。これまたテディ同様王子様然とした格好の、背の高い男の人だ。

 テディに比べると家令も執事もそう背は高くなかった。領民もだ。
 ここに来て、みんなの背が低いのではなく、テディの背が周りより頭一つ高いことに気付いた。近付いてくる人もテディと同じくらい背が高い。青い服を着ているということは……。
「クマ仲間?」
 思わず声が出たらしい。テディが隣で笑いを堪えている。
「セオドア、久しいな。お前が夜会に参加するなど、珍しいこともあるものだ」
「今シーズンは何度か参加するぞ」
「ほう」
「これは俺の相手。アストンの暫定侯爵、山田だ。これは俺の兄」
 膝を曲げて侍女に教わった通りの挨拶をする。緊張する。相手の身分がわからない。話しかけられるまで黙って俯いているに限る。テディがなんとかしてくれるはず。
 でもどうして山田で紹介されたのだろう。もしかして、花子が偽名だとバレるからか。
「これとはなんだ。セオドアの兄、アルフレッドだ」
 そうだ、テディの名前はセオドアだ。テディのお兄ちゃん。顔が見たい。
「お初にお目にかかります。アストン暫定侯爵、山田でございます」
 とりあえずテディに合わせて山田を名乗る。
「セオドアが膝を突くほどの相手か。今宵限りではないのだな」
 ものっすごく見られている気がする。膝を曲げ、礼をして俯いたままでいるつむじあたりに、視線が突き刺さっている気がする。
「ああ。今シーズンは全てこれと参加する」
「わかった。そのように取り計ろう。セオドアのことはテディと呼んでいるのだろう? 私のこともアルで良い」
 テディに促されて顔を上げると、テディ兄ににっこりと笑いかけられた。さすが兄弟、似てる。「では」とテディ兄が颯爽と踵を返した。

 タイミングを計らったかのように軽快な音楽が流れ出す。
「もういいぞ」
 テディの声に、曲げていた膝を伸ばし、笑いそうになっている膝を励ます。
 この曲を逃すと踊れない曲になってしまう。さっさと参加しないと。
「テディ」
「踊るか」
 最初の一曲を最後まで踊りきった。
 なんとかなったと思う。ちょっとタイミングが微妙なところもあったけど、テディが合わせてくれたし、一度も足を踏まなかったし、なんとかなってなくてもこれしか踊れないし。
「よし。帰るぞ」
「へ? もういいの?」
「アルに挨拶もしたし、一曲踊ったし。お前、他の男の相手したいか? 相手したそうなやつが近寄って来てるぞ」
「えーやだ。帰る」
 ほいきたとばかりに、ひょいと片腕に抱えられ、あっという間に会場から脱出した。素早い。

 入り口付近でうちの家令と侍女の姿を見付けた。従者用の待合室ではなく入り口で待機してくれていた二人を見た途端、なんだか妙にほっとした。
 テディに抱えられたまま、またあの無駄に派手な馬車に乗り込み、そのままクマシートならぬテディシートに座ると、思わずふうっと溜め息が出た。
 行きと同じく、二人の男の人も乗っている。
「疲れたか?」
「わかんない。あっという間に終わった感じ。すっごく緊張した」
「行ってみればなんてことなかっただろう」
「そうかも」
「ほら。寄り掛かって寝ていいぞ」
「ん」
 テディの胸にもたれ掛かり目を閉じる。
 うつらうつらしているうちに屋敷に到着していた。


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