テディ=ベア
第八章 山田聖来は本当は甘えたい


 夜会から戻ると、料理人が用意してくれた夜食をみんなで食べた。なんだかアウェイからホームに戻ってきたようでほっとする。
 侍女と一緒にお風呂に入って疲れた体を癒やす。温泉の素が欲しい。疲労回復するやつ。
 自室のリビングの長椅子で待機することしばし。気配もなくいきなりドアが開いた。だから、ノックしろってば。いつも通りビビりながらも、待ち兼ねていたクマ五郎に一目散に抱きついた。

 もふい。非常にもふい。やっぱりこれだよ。疲労回復のもふもふ。

 しかもサービスなのか上半身裸だ。もふさ倍増。クマ五郎のお腹に顔を埋め、ぐりぐりしながらクマ吸いする。たまらん。お風呂上がりだからほわっほわだ。
「お前、そのうち食われるぞ」
「クマ五郎、人食いじゃないって言った」
 ひょいと抱えられ、寝室に連れて行かれる。もふい。全てがもふい。
「お前さ、恋愛経験ないだろう」
 ……嫌なことを言う。前世はともかく、今世は恋愛している場合じゃなかったんだよ。色々。
「それがどうした」
 でっかい溜息が返ってきた。感じ悪い。これぞクマ五郎って感じ。
「寝るぞ。次の夜会は半月後だ」
「またログハウス?」
「そう。今夜のは王太子主催。次回は王妃主催、次は王主催、最後が王家主催、全部中央だ」
 ん? 王太子が央太子、王妃が央妃、王が央に聞こえる。というか、頭にそう浮かぶ。気のせい? 王と央の違いってなんだろう。単なる言葉の違いだろうか。

 抱えられたままベッドにころんと寝転がる。もふもふでふかふかでほわほわだ。
「王ってさ、何?」
「お前、そこからか?」
「私の知ってる王って、国の代表者っていうか、指導者とか支配者みたいな感じなんだけど、一緒?」
「一緒だな」
 一緒なら言葉の違いだけか。首都を中央って呼ぶくらいだ、王が央でもおかしくないのかも。
「そうだ、みんなの婚姻の儀を領主の館でやろうと思うんだけど、儀式ってなにするの? ビディは家族とか親戚の前で結婚しますって宣言するだけみたいなこと言ってたけど」
「それだけだぞ。あとは酒飲んで騒ぐだけだ」
「衣装とかないの? 儀式用の」
「平民はないな。貴族は正装するが、平民は新しい服を着るくらいじゃないか?」
「ふーん。次のドレス作るとき、ビディたちのドレスも作っていいと思う?」
「ジムたちのもか?」
「もちろん。今日のテディみたいな格好良さげなやつ」
「格好良かったのか?」
「格好良かったよ。なんか王子様みたいだった」
「そうか」
 鼻をぐりぐりされて口をぺろりと舐められた。照れたのか? 照れたんだな。お返しに鼻をぐりぐりして口をぺろんと舐めてやった。
 本当は菌がどうとかでペットにしてはいけないらしいけど、たまにするとぽん太のしっぽがぶんぶんになっていたから喜んでいたんだと思う。
「……お前、たち悪いな」
「ん? クマ五郎は嬉しくない?」
「誰と比べた」
 急に低い声を出されてびっくりした。
「へ? ぽん太だけど」
「ぽん太? 何だその間抜けな名は」
「失礼な。愛犬の名前です」
「は? お前、イヌんとこにいたのか?」
「え? イヌんとこって何? もしかして、イヌの聖職者もいるの?」
「いるぞ。そいつらのところにいたのか?」
「いないよ。クマ五郎に会ったあの日がここに来た初めての日。愛犬ってのは、犬を飼ってたの、ペットとして」
「……お前、それ俺以外に言うなよ。特に黄を纏う者には口が裂けても言うな」
 低すぎる声が元に戻って、なんとなく呆れたような顔をしている。クマ五郎の低めの声はけっこう好きだ。
「もしや、イヌって黄色者?」
「そうだ。黄色者の国がある」
「あれ? もしかして青色者の国が全ての国の頂点? だから聖職者?」
「よくわかったな」
 おうしょくしゃは最初から黄色者と頭に浮かんだ。せいしょくしゃは最初は青色者ではなく聖職者と浮かんだ。何となく思ったことを言ってみたら、当たっていたらしい。
「だからクマ五郎って偉そうなの?」
「まあな」
 なるほど。だから殿下なのか。殿下は王族の敬称だと思い込んでいた。
「聖来。お前、人型の俺にも慣れろよ」
「努力する」
「普通は逆なんだけどなぁ」
「だって、最初に会ったのがクマさんだったんだもん」
「聖地には獣型じゃないと入れないんだよ。だいたいお前どうやって入ったんだ? あんな奥まで。一般人のくせに」
「さあ。気付いたらあそこに居た」
「普通あんな奥までは入れないんだがなぁ」
「そうなの?」
「そうだぞ。だいたい聖地は位置を定めない。かげろうのようなものだ」
「なにそれ。そうなの?」
「ああ」
 なんでだろうなぁ、人は際までしか入れないはずなんだがなぁ、とぶつぶつ繰り返すクマ五郎の腕の中、もふい体にしがみつく。今日は疲れた。もう眠い。ぎゅっともふい塊に包み込まれる至福。もふ天国。



 あったかい。
 包み込まれるような、丁度いい湯加減のお風呂に入っているような、こういう温かさ、すごく好き。体がとろけるような、思考もとろけるような、柔らかい温かさ。
 ぽん太は温かかったなぁ。聖弥も温かかった。聖弥も小さいときは「ねーたん」ってくっついてきたのになぁ。きっとこの温かいのも、そのうちなくなるんだろうなぁ。
 さらりとした温かさが、頬を包み、目尻を拭い、額を滑る。
 しっとりとした温かさが、額に触れ、目尻に触れ、頬に触れ、最後に唇に触れて消えた。
 急に寂しくなって、近くにある温もりに擦り寄る。
 あったかい。本当にあたたかい。



 目が覚めた。すぐ側にある体温と毛布がぬくい。
 ここの毛布は、毛布というよりは大きな厚手のフェルトみたいな生地だ。あんまりふわふわしていないのが残念でならない。
 ベッドを抜け出して、カーテンもどきの布をめくり、歪んだガラス窓から朝日を部屋に招き入れる。この歪みながら揺らめく朝一番の光が好き。
 もう一度ベッドに潜り込もうとして、テディと目が合った。
「クマ五郎はどこ行った」
「どっちも俺だ。ほら、もう一度寝るんだろ」
 にやりと意地悪そうに笑いながら毛布をめくる半裸の男。恥を知るといい。人間の男と同じベッドで寝られるか。
 回れ右をしてリビングに続くドアを開け、長椅子に膝を抱えて座る。そのままゆっくり横に倒れた。
 びっくりした。リアル半裸。初めて見た。ちょっと叫びたい衝動。うわぁ。なんか見せられたこっちが恥ずかしい。
 うわ────────────────ぁ!
 頭の中で叫んでみた。声を出して叫ぶほどの根性はない。
 うん。でもちょっとだけすっきりした。すっきりしたのに、もだもだする。
 プール授業で男子の水着姿は見たことがある。前世の父親のだらしない半裸も見たことはある。今世の父親はかっちりした人だったから見たことはない。
 前世も今世も若い男の人の半裸を見たことがない。いや、ドラマでは見たことある。映画でもある。だがリアルではない。……よく考えると残念な前世だな。“前世の私”には微塵の後悔もなかったけど。“今世の私”はまだ十六歳なので今後に期待だ。
 こうして考えると、前世の私=美代子と今世の私=聖来は違うのかもしれない。前世が在る上での今世なのか、単に誰かの記憶を持って生まれただけなのか、そのあたりがよくわからない。
 誰にも聞けない疑問の答えが見付かることなんて、たぶん、ない。

 長椅子で丸まっていたら、いつの間にか側に来ていたテディにひょいと抱え上げられた。だから気配を消して近付くなって! 明るくてもびっくりするわ。
 どくどくする心臓を落ち着かせているうちにベッドに連れて行かれ、抱え込まれたそのあたたかさに、あっさり二度寝した。



 なんだかすっきりしない。二度寝の目覚めってどうしてこうもすっきりしないのか。
 そして、なぜ半裸の男に抱え込まれて目覚めねばならぬ。なに! この! じたばたしたくなるほどの恥ずかしさ!
 かつて一度たりとも経験したことのない恥ずかしさに、かぁーっと体温が上がる。半裸をまともに目に入れられない。抜け出そうとポンタみたいに足掻いても、がっちりと抱え込まれていて抜け出せない。自分の体温にのぼせる。息が上がって苦しい。心臓が無駄に騒ぎ過ぎだ。
 あまりの息苦しさに顔を上げると、テディと目が合った。その気まずさにますます顔に熱が集まる。
 鼻先をぐりぐりと押しつけてくるテディに、人の姿でそれはダメだと言おうとしたところで、ぺろりと舐める代わりにむちゅっとされた。
「どうした? びっくりした顔して」
 どうしたじゃない! キスだよ! 私のファーストキスだよ! 前世でも今世でも初キスだよ!
「今までもしてただろう?」
 クマ五郎とテディは違うんだよ! 同じだけど違うんだよ! ぺろりとむちゅは別物だよ!
「いいか、どっちも俺だ」
 うぅぅ、と唸っていたら、もう一度キスされた。はむって! むちゅっじゃなくて、はむって!
 おのれ! ファーストだけじゃ飽き足らずセカンドまで奪うとは! 許すまじ!
 げしげしとテディを蹴っていたら、その反動でベッドから落ちた。お尻から。どさって。尾てい骨がびりびりする。痛すぎて悶える。
 ベッドの上で声を上げて笑っている男! 許すまじ!
 反撃しようと勢い込んで立ち上がれば、ベッドにクマ五郎がいた。思わず抱きついた。
「クマ五郎、テディが虐める」
「どっちも俺だ」
 そう言って鼻先を押しつけてぐりぐりした後、ぺろりと口を舐められる。お返しにぺろりと口を舐めておく。ついでにもふい体に顔を埋めてぐりぐりもして、クマ吸いもして、テディの悪行のストレスを発散する。もふい。たまらん。安心する。
 クマ五郎から大きな大きな溜息が聞こえてきた。
 わかってる。クマ五郎もテディも同一人物だってことはわかっている。でもクマ五郎の方が安心する。テディはなんだか色々恥ずかしい。そこんとこわかれ!


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