テディ=ベア
第六章 クマゴローは実は寂しがり ラリーの予想通り、婚約者候補の一人だった公爵家のお嬢さんとやらが、ごねにごねているらしい。そもそも、婚姻の話が進んでいたわけでも、その前段階の婚約の話が進んでいたわけでもない。たかが候補者の一人でしかないというのに、何をごねているのやら。しかも、こちらから話を持って行ったことなど一切ない。勝手に候補者だと自称されていただけだ。
仕方なく、父親にヘナコとの婚姻を事前に知らせることにする。できれば夜会の開幕までは知らせたくなかったが、面倒なことになるよりはマシだ。
聖職者である俺たちの婚姻に縛りはない。逆に、ただの青色者であれば煩わしいほどのしがらみが付いて回る。その差は歴然とした力と血筋だ。聖職者の血は相手が誰であれ確実に息子に継がれる。稀に婆のように娘に継がれることもある。青色者は力と血を絶やさないために様々な手を打つ必要がある。
ただし、聖職者は聖地の奥まで入り込めるゆえに、かの地に捕らわれてしまう者も少なくない。
「アストン暫定侯爵と婚姻する」
「ほう。して時期は」
「今期夜会終了直後」
「なるほどな。フィリップとローレンスが駆けずり回っているのはそのせいか」
「先刻承知のくせに。わざとらしいぞ」
にやりと意地悪く笑う父親の顔は、もう見慣れたものだ。なぜか俺の前でだけは親としての顔すらかなぐり捨てて、全開で素を見せる。だから俺も遠慮なく素を見せられる。
「繁栄をもたらしそうか」
「そんなことはどうでもいい」
「ほう。惚れたか」
「ああ。あれは俺のものだ」
「本来であれば央妃となる者だぞ」
「やらねぇよ」
父親が面白いものを見付けたとばかりに目を輝かせる。
「まあ、あれも欲しがらんだろうな。あれはあれで心に決めた者が在る」
「へぇ。初耳だな」
「周到に隠しておるからな」
「誰だ?」
「侍女だ」
「は? そりゃ隠したくもなるな。男爵家か?」
「かろうじて子爵家」
「厳しいな」
俺たちの婚姻は、本来であれば何ものにも縛られないはずだ。それでも、婚姻相手を守るための体裁は必要になる。
「アストン侯の養女にしてやれ」
「……あれはまだ十六だぞ」
「生前の侯の養女だ。お前の特技でそれもなんとかしておけ」
お見通しか。仕方ない。ラリーの仕事が増えるだけだ。
「お前の件が片付いてからでいい。ローレンスには臨時手当を用意しておく」
さすがとでも言えばいいのか、父親に抜かりはない。姉妹となれば姉の補佐を妹がするのは自然なことだ。結局ヘナコは中央に関わらざるを得ないということか。
「お前と婚姻すること自体がすでに関わりだ」
人の思考を呼んだかのような父親の言い草にうんざりする。ヘナコは中央に関わらせたくない。だが、俺自身が中央の者だ。関わらずにはいられない。
「それと、グレネルの娘がごねているそうだな」
「ああ。ラリーの手に負えなくなってきているらしい」
「潰すか?」
「潰せるのか?」
「あれは派手にやり過ぎておる。同じ年頃の娘へ陰湿な嫌がらせをしているようだ。他家からも苦情が出とるわ」
身から出た錆か。
「そっちは頼んだ」
父親の執務室から辞すれば、俺の執務室付近でそのグレネルの娘が待ち構えていた。道理で臭いと思った。ここでは聖職者に配慮して消臭が徹底している。青色者の親を持ちながら、一切の配慮もなく香を撒き散らし、己が立ち入るべきではない場所にまでずかずかと入り込む。公爵家の娘としてあるまじき行為だ。グルネル公は生真面目な性格だというのに、その質を受け継がなかったのか。
公爵家の娘は獣型に怯んだのか、血の気の引いた顔で後退る。これが普通の娘の反応だ。ヘナコのように獣型の俺に飛び付いてくる方が珍しい。飛び付くばかりか、この腕に抱かれて安堵までするのはヘナコぐらいだ。
無性にヘナコの顔が見たい。ヘナコに触れたい。ヘナコをこの腕に抱きたい。
アホを視界から追い出し、急ぎアストンの屋敷に戻る。
「クマゴロー」
嬉しそうに駆け寄ってきて全力で抱きついてくるヘナコに感動すら覚える。腕に抱え上げてやれば、当たり前のように華奢な腕を伸ばして俺の首にしがみつく。微かなヘナコ自身の匂いが、鼻についたアホの臭いを上書きしてくれる。俺はお前だけでいい。
鼻先をぐりぐりとヘナコの鼻先に擦りつけ、その唇をぺろりと舐め取る。獣型では口づけができない。その代わりに唇を舐める。ヘナコがお返しのようにその低すぎる鼻を押してけてきて、ぺろっと俺の口を舐めた。こいつ、わかってやっているのか。色気の欠片もない無邪気な表情を見るに、何もわかっていないのだろう。まあいい。ここまで懐いたんだ、今はまだいい。
夜会の前日、明日に備えてしっかり眠らせてやろうとヘナコの部屋に行くと、相変わらず一目散に飛び付いてきて俺の腹に顔を埋める。腕に抱えてやり、寝台に座り、膝の上に座らせたヘナコに、聞き忘れていたことを切り出す。
「お前さ、ヘナコって嘘だろう」
「うん」
おいおい、あっさり認めるなよ。ある意味怖いわ。
アストン侯に婚姻証明を書かされる際、最後の抵抗とばかりに偽名を使ったらしい。偽名であることは隠しておくよう言えば、なぜわかったのかと首を傾げている。理由を説明してやると、他人事のように感心する始末だ。
「感心するな。気を付けろ。で、本当の名は?」
「キヨラ。ヤマダ・キヨラ」
ヤマダは偽名ではないのか。キヨラ、キヨラか。音の響きが確かにこいつに合っている気がする。
「それも隠しておけ。俺以外に知られるな」
「クマゴローはいいの?」
「お前の相手だからな」
「たかが夜会の相手でしょ。こないだから威張りすぎだよ」
夜会の相手の意味もわかっていないお前に言われたくない。
「ほら寝るぞ」
寝台に横たえてやり、再度腕の中に閉じ込めてやると、幸せそうな顔で微睡み出す。
「お前さ、キヨラはどこから来た?」
ふと思い付いたことを聞いてみれば、一瞬キヨラの顔が切なげに歪む。
「もう一回呼んで」
「ん? キヨラか?」
今度は宝物を見付けたような顔でふわりとその顔を綻ばせた。一体何に心を締め付けて、何に心を綻ばせたのか。
「クマゴローって何者?」
胡散臭いものを見るようなキヨラの顔を見ているうちに、ふと心配になった。まさかな。
「お前、ちゃんと俺の名前覚えてるか? 夜会でクマゴローって呼ぶなよ」
「テディでしょ。覚えてるよ」
どこか得意気な顔で愛称を呼ばれたことは嬉しい。嬉しいが、キヨラはその意味を理解しているのか。
「それは愛称だろうが。ちゃんと言ってみろ」
「……テディでいいじゃん」
やはりな。人の名を覚えられないとは思っていたが、まさか俺の名まで覚えていないとは。使用人たちを愛称で呼ぶのもそういうことか。
「さては覚えてないな。まあいいが。自己責任だぞ」
「何が?」
「テディって呼ぶことが」
「は? クマゴローが呼んでもいいって言ったんでしょ」
「呼んでもいいとは言ったが、呼ぶかどうかはお前次第だろう」
そうだけど、と呟くキヨラはどこか不満そうに唇を尖らせている。そんなに愛称で呼びたいなら、好きに呼べばいい。己の囲いが狭まるだけだ。
キヨラを囲う腕に力がこもる。キヨラは嬉しそうに笑いながら、その身を獣型の俺に預けてくる。獣型の俺にだ。手放せるはずがない。
「お前、いつか食われるぞ」
そう脅してやれば、俺が人食いなのかと呆れるようなことを言い出した。人を喰らうような生きものにお前は身を委ねていることになるのだが、わかっているのかいないのか。このアホさがたまらん。
「肉は食う。人は食わん」
「だよね。お肉もりもり食べてるよね。聖職者って肉食だったっけ。どうも果物とか木の実とか食べてる印象なんだよね」
楽しそうに見当外れなことを呟いている。俺の前でだけ、表情豊かに、いつもより声高に話すキヨラは、そのことに気付いているのだろうか。
キヨラの鼻先に己の鼻先を擦りつけ、ぺろりとその唇を舐め取れば、同じように鼻先を擦りつけて、小さく滑らかな舌で口を舐められる。
手放せない。それにはキヨラのことを知らねばなるまい。
「で、お前はどこから来た?」
「んー。信じてくれる?」
「偽りを言っているかどうかはわかる」
キヨラはほんの一瞬、迷うようなそぶりを見せた。だが、次の瞬間には意を決するように真っ直ぐに俺の目を見上げてきた。
「多分、ここではないところだと思う」
「こことは?」
「この世、かなぁ。たぶん地域とかそういう範囲じゃないと思う。私の知る限り、一角青兎なんていないし、青蔦も存在しない。私の住んでいたあらゆる地域において、それらを見たことがあるとは聞いたこともない」
世が違う? にわかには信じられないが、そうであれば辻褄は合う。
「聖地のことか」
「聖地って何?」
「聖地は青が採れる場所だ」
「青? 青って青色の青?」
「そうだ。俺たち聖職者はこの国では青色者とも呼ばれる」
キヨラの目が輝く。出会った頃はあれほど虚ろだった目に、今は驚くほど光が宿っている。
「もしかして、聖地も青地って呼ばれてる?」
「そうだ。青はこの国の保護色だ」
「保護色?」
「国を護る色のことだ」
「青色者が国を守る者って、国の保護色を守る者って事?」
「そんなところだ」
「じゃあ、あの聖職さんの集落にいた人たちはみんな青色者? っていうか、青色者って聖職さんなの?」
「そうだな」
次々と答えてやれば、疑問が解決したのか、すっきりと納得した顔を見せる。その頭を撫でてやると、嬉しそうに綻んだ表情を見せた。こいつは本当に可愛い。
「聖職者って偉いの?」
「そうだな。特権階級ではあるな」
「貴族とかそういうこと?」
「そうだ」
「そういえばさ、クマゴローって家族とかいないの?」
「いるぞ。両親に兄と弟」
「三人兄弟の真ん中?」
「ああ。放蕩息子だ」
妙に納得した顔になった。まあ、ここに滞在しているくらいだからな。
家に帰らなくていいのかと訊かれたが、明日は嫌でも顔を合わせることになる。近いうちに顔を見せに行くことを告げると、キヨラは「そっか。戻ってくる?」と声にも顔にも不安を滲ませて、上目遣いに見上げてきた。その表情に思わず息を呑む。
「あ、いやさ、自分の家に帰るのかなーって聞きたかっただけ」
「戻ってくるぞ。お前は俺の相手だからな」
慌てたようなキヨラの声に間髪入れずに返す。
その表情で、仕草で、俺が必要だと訴えてくるキヨラ。腕の力を強めると、キヨラの体から力が抜けて、ほにゃりと安らいだ表情を見せる。決して手放せない。
さらに、夜会の相手は一度限りかを確認するキヨラに、今度は俺が慌てて聞き返すと、他を探すのは面倒だから俺でいい、とほんのり頬を染めて何でもないことのように言う。その顔はダメだろう。可愛すぎるだろう。
夜会を面倒だと切り捨てるキヨラは本当に珍しい。貴族の娘にとって夜会は晴れ舞台だ。その為だけに生きているような娘が多いというのに。
よくよく聞けば、夜会そのものよりもドレスの仕立てに嫌気が差しているようだ。半日で終わるところを三日も掛けられたんだ、嫌にもなる。
「そういえばさ、私のドレスも薄い青だった気がするんだけど、聖職者じゃないのにいいの?」
「俺の相手だからな」
「ふーん。聖職者の相手だと青を着ていいんだ」
簡単に納得するキヨラのアホさ加減が可愛くて仕方ない。その隙だらけなところがどうしようもなく可愛い。
俺の正装を気にするキヨラに、明日になればわかると答えれば、「ふーん」といいながら、俺の胸に顔を埋め、とろとろと微睡み始めた。
明日、人型の俺を見て、キヨラは怯えるだろうか。後退るだろうか。できることなら人型の俺も受け入れてほしい。
常とは逆の思考に、思わずキヨラを抱く腕に力がこもった。