テディ=ベア
第七章 クマゴローは実は恥ずかしがり 用意されていた正装に着替え、応接の間でキヨラを待つ。しばらくするとキヨラの足音が近付いてきた。俺が立ち上がるのを見て、家令が勿体つけるようにゆっくりと扉を開けた。
キヨラが俺の姿を捉えた途端、その表情が抜け落ちた。わかっていたこととはいえ、その衝撃は予想以上に堪えた。
「誰?」
かすかに聞こえてきた尖った声に再び衝撃を食らう。自覚していた以上にキヨラに囚われていることを思い知った。
少し離れた位置で、無表情に俺を観察していたキヨラが訝しげに目を細めた。もしや、無意識にも俺がわかるのか? にやけそうになる口元を引き締めて「俺だ」と声を上げると、キヨラが大きく目を見開いた。
薄青のドレスを纏ったキヨラは、いつもの童顔が鳴りを潜め、綻びかけた花のような危うい色香を醸し出している。やり過ぎだ。キヨラの後ろに控えている侍女を見れば、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「胸がでかくなってやがる。どれだけ詰めたんだ」
思わず漏れ出た声を合図に、いつもの見慣れたキヨラに戻った。表情のあるキヨラが俺にとっては見慣れたものになってのだと改めて気付く。
「クマゴロー、人になれたの?」
「当たり前だろう。人になれなきゃどうやって生活するんだよ」
「獣型のまま生活してたじゃん!」
「……獣型の方が便利なんだよ色々」
キヨラが情けない顔で「うぅぅっ」と唸る。こいつは……どれだけ俺の獣型が気に入っているんだ。
「ほら、言わなかったのは悪かったよ。帰ったらまた獣型になるから、鼻垂らすな。化けの皮が剥がれる」
キヨラは涙を流さない。流せないといった方が正しいのだろう。侍女の涙を目にする度に、羨ましそうでいて悲しそうな顔をする。
おそらく泣けない理由があるのだろう。いつか、俺の前でだけは泣けるようにしてやりたい。
侯爵家の馬車に乗り込もうとしたところで、もう一台、バカでかい馬車が正面に着いた。
「面倒だな」
手配した覚えはない。誰だ? よりによって一番派手な馬車で迎えに来る奴は。
「致し方ありません」
王家の馬車から降り立ったのは、フィルとラリーだ。お前たち……俺を捕まえるついでにキヨラを見に来たな。
いまだぐすぐすと鼻を鳴らしているキヨラに、怯えぬようゆっくりと手を差し出せば、俺の手のひらを見て顔を歪めながらも、素直に細い指先を差し出してきた。息を詰めて小さな手を取り、そこに震えがないことを確かめる。華奢な背にそっと手を添えて、そこに怯えがないことを知って、悟られぬよう静かに息を吐いた。
ゆっくりと歩き出す俺の安堵を、キヨラはわかっているのだろうか。
「獣型の方を好む女も珍しい」
「だって、あのクマゴローが好きだったのに。毛のないクマゴローなんて、ただのハゲじゃん」
「……ハゲじゃねぇ。俺にそんなこと言うの、本当お前くらいだぞ。わかった、わかった、鼻垂らすな。不細工になるぞ」
全くわかっていなかった。そんなに獣型の方が好きか。次の発情期には覚えていろよ。
いつものように抱き上げて馬車に乗り込み、膝の上に抱えてやれば、何かを確かめるようにぎゅっと俺の首にしがみつき、「クマゴローと一緒だ」と呟く。耳元にかかる柔らかな吐息と一緒に「もふ、もふ」と不満そうな囁きも届く。
全ての仕草が可愛くてたまらん。思わず声を出さずに笑っていると、キヨラから「テディ、笑い事じゃない」と叱られた。キヨラに愛称で呼ばれると、それだけで心が浮き立つ。面倒だとしか思えなかった夜会も、キヨラが相手なら楽しみで仕方がない。
「お前、依存しすぎだぞ」
「わかってる。ってか、いまわかった。もふ依存だって」
「帰ったら十分もふらせてやるから、頑張って夜会に参加しろ」
「わかった」
動き出した馬車は、アストン家の家令と侍女、フィルとラリーが乗り込んでもまだ余裕がある。派手な上にでかい馬車はただでさえ人目に付く。よし、次からもこれで行こう。
ふとフィルとラリーに目を向ければ、目を丸くして俺とキヨラを凝視していた。無意識にだろう、俺の視線を辿ったキヨラがそれを目にした途端、顔を強ばらせた。小さな尻をもぞもぞと動かして、俺の膝から降りようとする。
「尻が痛くて踊れなくなるぞ」
中途半端な体勢で動きを止めたキヨラが再びもぞもぞと尻を動かしていつもの定位置に戻った。ドレスがしわにならないよう整えてやっていると、珍しく遠慮がちなラリーの声が聞こえた。
「殿下、そちらの女性は……」
「俺の相手だ」
間髪入れずに返してやれば、一層目を丸くしている。何をそんなに驚いているんだ?
「テディ、殿下なの?」
「聖職者はたいてい殿下って呼ばれるな」
眉間に薄く皺を寄せたキヨラを適当に丸め込んでいると、キヨラ以外の四人が示し合わせたかのように呆れた目をしていた。まじまじと見るなよ。こういうときは見て見ぬフリをするのが礼儀だろうが。
「ふーん。特権階級だから?」
「そうだな」
あっさり納得したキヨラに侍女が哀れむような目を向けている。家令までもがわざとらしく哀れんだ顔を作っている。二人を見て首を傾げるキヨラの気を逸らそうと、慌てて窓布をめくって「ほら、中央が見えてきたぞ」と教えてやれば、キヨラは窓から見える景色に釘付けになった。
家令に、お前いい加減にしろよ、と目配せすると、さてなんのことでしょう、とばかりに視線を逸らされた。この野郎。
フィルとラリーが声を出さすに笑い出し、家令は素知らぬ顔で澄ましてやがる。
「もしやあそこが会場?」
「そうだぞ」
キヨラはどうにも納得いかない顔で央宮を凝視している。飲み込めない何かを無理矢理飲み込んだような顔で小さくひとつふたつ頷いて、考えることを止めたらしい。何か気になるものでもあったのかと窓の外を眺めたが、特に目新しいものは何もなかった。
馬車から降りたキヨラが小さな口をぽかんと開けて央宮を見上げている。口を閉じるよう注意すれば、「開いてた?」とこてんと首を傾げながら今度は俺を見上げてくる。まったく。可愛くて敵わん。
キヨラの手を取り、キヨラの歩調に合わせてゆっくりと宮内に入る。受付で家令が招待状を見せると、確認作業をしている文官が顔を上げた。そいつがキヨラの隣に立つ俺を見た瞬間、バカでかい声で叫びやがった。うるせぇ。これだから文書方は。躾がなってねえ。文官共を片手で制し、キヨラを促し会場に向かう。
「テディって何者?」
「聖職者」
「それは聞いた。なんであの人テディを見てびっくりしたの?」
「滅多に顔を出さないから」
「聖職者も夜会に出るの?」
「ああ。義務だな」
「義務なのに滅多に顔を出さないの? ダメじゃんそれ」
「放蕩息子だからな」
「いい訳になってないし」
キヨラの呆れた顔が妙に可愛い。おそらく俺は、キヨラがどんな表情をしていようと可愛いとしか思えなくなっている。
会場に足を踏み入れた瞬間、中にいる者の視線が一斉にこちらを向いた。気にせず先に進もうとすると、キヨラが俺の手をくっと引いた。
「テディ」
そのかすかな声を耳にした者は多かった。息を呑むような気配がそこかしこでしている。
目が眩んだというキヨラを片手で抱え上げ、本来俺が居るべき場所まで足早に進む。周囲の視線が痛いほど突き刺さる。抱えているキヨラの体が強ばった。多くはただの興味本位だ。だが、中には悪意を含んだものもある。キヨラは敏感に感じ取ってしまったのだろう、かすかな震えが伝わってくる。
「テディ、もう見える」
再度小さく紡がれた声に、周りのざわめきが一層大きくなる。
抱えているキヨラを跪いて降ろしてやれば、唇を噛み、俯きがちになりながらも、キヨラは気丈にも顔を上げようとした。跪いたまま強ばりが解けないキヨラの耳元で囁く。
「キヨラ、大丈夫だ。もっと顔を上げろ」
キヨラはくすぐったそうに首をすぼめ、俺の顔を見て肩の力を抜いた。そうだ。そうやって俺だけを見ていればいい。俺の視線だけを感じていればいい。
アルの足音が聞こえてきた。立ち上がると同時にアルが視界に入ってくる。隣から「聖職仲間?」と聞こえてきて思わず笑う。こいつは本当に変わらない。
「セオドア、久しいな。お前が夜会に参加するなど、珍しいこともあるものだ」
貴公子然としたアルが、面白いものを見付けたかのように目を細める。
「今シーズンは何度か参加するぞ」
「ほう」
「これは俺の相手。アストンの暫定侯爵、ヤマダだ。これは俺の兄」
膝を曲げ優雅に挨拶するキヨラを見て、アルが表情を柔らげた。
「これとはなんだ。セオドアの兄、アルフレッドだ」
「お初にお目にかかります。アストン暫定侯爵、ヤマダでございます」
キヨラがそつなく挨拶をする。しっかりと身に付いている所作は美しい。
「セオドアが膝を突くほどの相手か。今宵限りではないのだな」
アルはじっとキヨラの頭のてっぺんを見ながら、わざと声に出して言う。俺も声に出して答える。
「ああ。今期は全てこれと参加する」
「わかった。そのように取り計ろう。セオドアのことはテディと呼んでいるのだろう? 私のこともアルで良い」
キヨラに顔を上げるよう促す。キヨラの目を見たアルがふと優しげな顔で笑った。身内にしか見せないアルの貴重な笑顔がキヨラに向けられた。その意味を知る者たちが、今まで以上に息を呑んでいる。
背を向けたアルに口の中で「ありがとな」と呟けば、同じように「おう」と返ってくる。耳のいい俺たちだからできる会話だ。
央太子の開会の声と同時に最初の舞踊曲が流れ出す。膝を折ったままだったキヨラに、もういいぞと声をかけると、この曲しか踊れないキヨラが焦ったように手を伸ばす。
「テディ」
「踊るか」
早くしろと言わんばかりにキヨラが素早く俺の懐に入り込んで、教えた通りに最初の姿勢を取る。
俺と対の青を纏い、アルに愛称で呼ぶことを許可されたキヨラは、会場中の注目を集めている。必死に踊るキヨラの目には俺しか映っていない。
キヨラの口元は侍女に教えられた通りの微笑みを維持している。上手く足を運べたときは目が笑っている。足がもたついたときは眉が少し寄る。そんなキヨラを見ているうちに自分でも笑っているのがわかった。俺が笑っているのを見たキヨラの体からいい具合に力が抜け、動きが滑らかになった。そうだ。俺だけを見ていればいい。
キヨラに人が近付かぬよう誘導しているうちに曲の終わりが近付いてきた。
曲が終わると同時にキヨラを腕に抱えて、とっとと会場を後にする。
入り口にはアストンの家令と侍女が待ち構えていた。二人に気付いたキヨラがほっとしたように頬を緩めた。これまた心得たかのようにフィルたちが馬車寄せに待機している。すかさず乗り込めば、馬車の扉が閉まると同時に車輪が回り出す。
キヨラの表情に疲れが見える。いつもよりしっかり抱えてやると、キヨラは安心したかのようにその全てを俺に預け、とろとろと微睡み始めた。