テディ=ベア
第六章 山田花子(仮)は実は寂しがり


 ここは身分による区別がはっきりしている。住む場所も、仕事も、出入りできるお店すら身分によって変わってくる。
 私の身分はなんだろう。
 ふと疑問に思って家令に訊けば、どうやら侯爵というそこそこ高い身分らしい。
 中央と呼ばれる首都にいるのが王家。その王家の血縁者が公爵家。その次が侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。聞いたことのある単語が並んだ。
 どうも王家は央家と頭の中で変換される。もしかしたら他の爵位も私の知る言葉とは少し違うのかもしれない。
 で、侯爵といっても女性にその地位は与えられない。基本は領地に与えられる爵位だが、その領地と爵位を維持するのは男性と決められている。
 私が持つ侯爵位は、今は暫定的に与えられているものらしい。
 だからか、と納得した。釣書が大量に舞い込む謎が解けた。私の再婚相手にはもれなく侯爵位がついてくる。ザ・逆玉。クマ五郎の言う通り、身ぐるみ剥がされてポイもありえる。



 ここの人たちは、夜は暗いのが当たり前だからか夜目が利く。LEDの恩恵を存分に享受してきた私は夜目が全く利かない。薄らぼんやりとした小さな明かりでも、彼らにとっては十分な明るさらしい。私にとっては圧倒的に不十分な明るさなのに。

 夜会を明日に控えた夜、クマ五郎がお風呂上がりにやって来た。薄らぼんやりとした明かりを持って。
 何度も言うが、気配を消すな。ノックをしろ。暗闇にぼーっと浮かぶリアルクマの顔はホラーでしかない。ただでさえ真っ暗で怖いのに。
 私が使っている客室にはリビングがあるというのに、クマ五郎はそこで待つということを知らない。平気な顔で寝室までやってくる。
 私を子供だと勘違いしていたようだったので、それならまあわからなくはないかなーとゆるく納得しかけていたのに、実際の年齢を知ってもそれまでと一ミリも変わらなかった。時々添い寝だってしてくれる。暗闇に一人で居るよりは断然心強い。でもそれって、女性としてはダメなんじゃないかなーと思う今日この頃。特にこの貞操観念のしっかりしすぎているここでは。
 まあ、今日も今日とて思いっきりしがみついておきながら何を今更って感じだけど。どうせ相手はクマさんだし。性別オスだし。

「お前さ、ヘナコって嘘だろう」
「うん」
「おい、あっさり認めるなよ」
「だって、エロ爺に婚姻証明書かされるときに最後の抵抗だと思って偽名使ったら、その名前で領地も継いじゃったみたいなんだもん。今更違いますって言えないよ」
「誰にも悟られるなよ」
「なんでクマ五郎はわかったの?」
「名前を呼ばれてから応えるまでに少し間があるんだよ」
「へぇ」
「感心するな。気を付けろ。で、本当の名は?」
「聖来。山田聖来」
 山田は本名だ。苗字が普通すぎるから、名前にこだわってみたらしい。たしかに聖来は可愛い名前だと思う。きよら、という響きも気に入っている。
 だがしかし、前世が四十路手前の昭和女に聖来という名前は眩しすぎる。きらっきらだ。ちなみに前世は美代子。子がつくと落ち着く。
「それも隠しておけ。俺以外に知られるな」
「クマ五郎はいいの?」
「お前の相手だからな」
「たかが夜会のパートナーでしょ。こないだから威張りすぎだよ」
 なんとなくクマ五郎に馬鹿にされたような気がした。そういうのは言わなくても伝わるんだからね。

「ほら寝るぞ」
 もふい腕に包まれて寝る至福。ぽん太は自分から私の腕の中に入ってくるくせに、しばらくするとじたばた足掻いて腕から抜け出ると、自分の好きな場所で丸くなって寝ていた。それが少し寂しかったけど、このもふい腕は朝まである。
「お前さ、聖来はどこから来た?」
 どうしてだろう、クマ五郎の「きよら」がちゃんと「聖来」って聞こえる。頭にはっきり「聖来」の文字が浮かぶ。
 久しぶりに呼ばれた名前に、じわじわとたくさんの感情が込み上げてきた。感情に溺れそうになる前に確かめておきたい。
「もう一回呼んで」
「ん? 聖来か?」
 やっぱり。ちゃんと聖来って聞こえる。日本人だって「きよら」という音から「聖来」という漢字を連想する人は少ないと思う。そもそもクマ五郎は漢字なんて知らないはずなのに、きよらの意味が聖来であることを理解しているってこと? 
「クマ五郎って何者?」
 あ、ちょっと待った。単に自分の名前だから、私の頭が勝手に「きよら」を「聖来」と自動変換している可能性もある。
「お前、ちゃんと俺の名前覚えてるか? 夜会でクマ五郎って呼ぶなよ」
「テディでしょ。覚えてるよ」
「それは愛称だろうが。ちゃんと言ってみろ」
「……テディでいいじゃん」
 テディが愛称の名前ってなんだっけ。まんまテディベアじゃん! って思ったことしか覚えてない。
「さては覚えてないな。まあいいが。自己責任だぞ」
「何が?」
「テディって呼ぶこと」
「は? クマ五郎が呼んでもいいって言ったんでしょ」
「呼んでもいいとは言ったが、呼ぶかどうかはお前次第だろう」
「そうだけど」
 もふい腕がぎゅっと抱き込んでくれる。これ好きなんだよね。もふもふに抱かれるって至福。鼻の先をもふもふにぐりぐりして、ほっぺた全体でもふさを堪能する。ぽん太のお腹でこれをやるとちょっと嫌がられる。
 クマ五郎もお風呂に入るようになったからか、クマ吸いしても最近獣臭がしなくなった。それはそれで惜しい。ぽん太みたいで癒やされたのに。
「お前、いつか食われるぞ」
「は? クマ五郎って肉食なの? ってか人食い? カニバ?」
「肉は食う。人は食わん」
「だよね。お肉もりもり食べてるよね。クマって肉食だったっけ。どうも果物とか木の実とか食べてるイメージなんだよね」
 クマ五郎が鼻先で私の鼻先をぐりぐりする。最近クマ五郎はよくこれをする。ぽん太と一緒だ。最後にぺろっと口を舐めるのも一緒。
「で、お前はどこから来た?」
「んー。信じてくれる?」
「偽りを言っているかどうかはわかる」
 嘘探知クマ。うさんくさー。
 でも……なんとなくクマ五郎は私が何を言ってもちゃんと聞いてくれるような気がする。信じるかどうかは別としても。
「多分、ここではないところだと思う」
「こことは?」
「この世界、かなぁ。たぶん地域とかそういう範囲じゃないと思う。私の知る限り、角の生えた青い毛の小動物なんていないし、自分で勝手にうねうね動く植物も存在しない。私の住んでいたあらゆる地域において、それらを見たことがあるとは聞いたこともない」
「聖地のことか」
「聖地って何?」
「聖地は青が採れる場所だ」
「青? 青って青色の青?」
「そうだ。俺たち聖職者は青色者とも呼ばれる」
 青色の人! なるほど。だからいつもクマ五郎は青い服を着ていたのか。聖職者と青色者。同じ言葉に聞こえるのに、頭に浮かぶ文字が違う。
「もしかして、聖地も青地って呼ばれてる?」
「そうだ。青はこの国の保護色だ」
「保護色?」
「国を護る色のことだ」
「青色者が国を守る者って、国の保護色を守る者ってこと?」
「そんなところだ」
「じゃあ、あのクマさんの集落にいた人たちはみんな青色者? っていうか、青色者ってクマさんのことなの?」
「そうだな」
 ようやく聖職者の謎が解けた。
 クマ五郎の脇と腕の間の至福スペースにすっぽりはまっている私の頭を、もう一方の肉球でぽんぽんと撫でられた。爪が当たらないように気を付けてくれていることは、ちゃんとわかっている。
「聖職者って偉いの?」
「そうだな。特権階級ではあるな」
「貴族とかそういうこと?」
「そうだ」
「そういえばさ、クマ五郎って家族とかいないの?」
「いるぞ。両親に兄と弟」
「三人兄弟の真ん中?」
「ああ。放蕩息子だ」
 だろうね。ここに棲みついているくらいだ。しかもクマ五郎も三人兄弟。子供三人率高いな。
「家に帰らなくていいの?」
「近いうちに顔を見せに行く」
「そっか。戻ってくる?」
 言ってから、自分で自分の言葉にびっくりした。戻ってくる? って、まるで戻ってきてほしいみたいじゃないか。
「あ、いやさ、自分の家に帰るのかなーって聞きたかっただけ」
 慌てて言い換えた。慌てたせいでなんだか意味不明な言い方になった。
「戻ってくるぞ。お前は俺の相手だからな」
 緩んでいたもふい腕に力が入る。もふい。このもふもふは何物にも代え難い。
「またそれ? 夜会のパートナーって一度限りじゃないの?」
「一度限りがいいか?」
「んー…そうだなぁ。他を探すのも面倒だし、クマ五郎がよければ次もお願いしたい。ってか、次もあるの?」
「あるぞ。社交のシーズンが始まるからな。明日の夜会を皮切りに、参加せざるを得ない夜会があと三つはある」
「面倒くさっ。その度にまたドレス作るの?」
「嫌か?」
「嫌だよ。あんなの一着あれば十分なのに。でもそういうわけにはいかないんでしょ」
「そうだな」
 また採寸から始まるのだろうか。次は三着纏めてお願いしよう。あれが三回繰り返されるのは嫌すぎる。ドレスを着られるのは嬉しいけれど、その前の段階が嫌すぎる。
「そういえばさ、私のドレスも薄い青だった気がするんだけど、聖職者じゃないのにいいの?」
 クマ五郎やクマさんたち以外に青い服を着ている人をみたことがない。青は聖職者だけの色なのかもしれない。
「俺の相手だからな」
「ふーん。聖職者のパートナーは青を着てもいいんだ」
 今回の私のドレスは薄い青だ。パステルブルーのようなきれいな色。腰のリボンやパイピングや刺繍は鮮やかな青でアクセントになっている。つい先日、最後の調整だと言われて着たばかりだから間違いない。
 シンプルめの細身のドレスは襟元も詰まっていて上品な感じに仕上がっている。マリー・アントワネットが着ていたような胸元がガバッと開いて、ボリュームたっぷりなドレスとは真逆だ。
「クマ五郎の正装ってどんなの?」
「青だ」
「それはわかるよ。どんな形?」
「明日になればわかる」
 そりゃそうだけれど。
 普段のクマ五郎は腰紐の付いただぼっとしたボトムスに、木のボタンのついたシャツを着ている。足元はサボみたいな靴。クマなのにちゃんと靴を履いているのがちょっと面白い。ズボンは濃い青で、シャツは白に近い青だ。遠目にはデニムと白シャツに見える。一見爽やかクマさんだ。
 クマさんの正装ってどんなだろう。タキシードみたいな感じかな。


前話目次次話
小娘視点のまとめ読み・次話