テディ=ベア
第五章 クマゴローは実は小心者②


 夜会の準備が始まると同時に、一度中央に戻る。ラリーにヘナコの名前が偽名である可能性を伝え、フィルには全ての婚約者候補を断り、婚姻の儀の準備に入るよう伝える。
「どういう風の吹き回しですか? 今まで逃げ回っていた婚姻を自ら進んで行うとは」
「相手が見付かったからだろうが」
「俺はてっきりセオドアは婚姻しないものかと思っていたぞ」
 そこまで驚くことか? 揃って目を丸くする二人に俺の方が驚く。
「俺だって相手がいれば婚姻くらいする」
「今までどんなご令嬢であろうと、これっぽっちも興味を示さなかったあのセオドア殿下が、ですか?」
「あいつら臭ぇんだよ。俺の嗅覚なめんな。おまけに頭空っぽだしな」
「確かに近寄らせもしませんでしたね」
「つまり、セオドアが見付けたお嬢さんは、臭くなく、頭が詰まってるってことか」
「そういうことだ。今期の央家主催の夜会には全てそいつと出席する。俺の仕立屋をアストンの屋敷に呼べ」
「ほう。いきなり青を纏わせますか」と半ば感心したように目を見開くフィルと、「相手はアストン暫定侯爵か」とにやりと笑うラリーの二人に宣言する。
「そうだ。青を纏わせたアストン暫定侯爵と、今期の夜会終了直後に婚姻する」
「婚約期間が短すぎやしませんか?」
「構わん。本音を言えば今すぐにでも婚姻したいくらいだ」
「それほどのお相手ですか」
「それほどの相手だ」
 フィルは面白いものを見付けたかのように目を輝かせている。フィルの生き生きした顔は久しぶりだ。
「だが、あの公爵家のお嬢さんだけは簡単にはいかんぞ」
 ラリーは口元をにやつかせながらも目は笑っていない。
「あれこそ俺の相手は務まらん。俺はアルの代替だ。アルに何かあったときには俺がアルの代わりを務めねばならん。俺の相手はその資質がなければ務まらん。あの女はその資質もないくせに欲だけが強すぎる。アホ共の筆頭と婚姻する気など毛頭ない」
「アストン暫定侯爵には欲がないと?」
「ないだろうな。そもそも俺の身分を知らん」
 心底驚いている二人が面白い。この二人がここまで驚くのも珍しい。獣型の身分を知らない者がこの世にどれほどいるだろうか。
「夜会終了まで知らせるつもりもない」
「は? 知らせなくてもわかるでしょう、普通」
「知らんだろうな。あれは彼方人だ」
 驚愕の表情から一転、鋭く目を光らせる二人は、心得たように頷く。ほう、二人とも彼方人を知っているのか。
「逃れた贄ですか」
「成る程な。そりゃあ、婚姻を焦りたくもなるな。逃がすなよ」
 さすが、としか言い様がない。中央でも一部の人間しか知らないことをよく知っていたものだ。しかも、ラリーは父親と同じことを言いやがる。彼方人じゃなくとも逃すかよ。



 ヘナコの体から全ての痣が消えたのを見計らって、夜会用のドレスの準備を始めた。
 俺専属の仕立屋は久々の大仕事だと張り切っている。この仕立屋、実は密偵だ。屋敷の奥にまで入り込める仕立屋は、屋敷に詰める者たちから言葉巧みに必要なことを聞き出すのにうってつけだ。
「旦那様が夜会にご出席なさるとは、今期の夜会はかつてないほどの賑わいとなりましょう。して、旦那様のお召し物はいかがなさいますか」
「俺のは今までのでいい」
「いい訳ないでしょうが。新調することで本気具合を見せつけてやりなさいよ」
 おいおい、化けの皮が剥がれてるぞ。ヘナコが着替えのために奥に引っ込んだ途端、態度が変わりやがった。俺のことを旦那様と呼んで誤魔化したことは褒めてやるが、どうして俺の回りには敬意を払わない者ばかりが集まってくるのか。
「それもそうだな」
「当たり前。完全に対になるような意匠にするわ」
「任せた」
「それにしても……可愛いわね」
「貸さんぞ」
「ケチねぇ。少しくらいいいでしょ」
 この仕立屋は、女にしては凜々しい顔立ちのせいか、ちまちました可愛らしいものを愛でる趣味がある。こいつの助手たちは全員そんな顔ばかりだ。見かけで選んでいるとしか思えない。
 貸さんと言った俺への当てつけなのか、ヘナコの採寸をちんたら一日かけて行い、意匠を決めるのにもう一日、ほぼ決まっているというのに色を決めるという名目でさらに丸一日、普通なら半日で終わるところを三日もかけやがった。程々にしておけばいいものを、ヘナコは心底うんざりしていたのだから逆効果だ。



 元々ヘナコの所作に見苦しいところはない。ただ、時々細部の違いが生じるようで、そこだけ重点的に侍女が正している。国によって細部が変わってくるのは仕方のないことだが、ヘナコの場合、どの国の所作とも微妙に違っている。ヘナコは一体どこから来たのだろうか。ある程度の階級の出でもなければこれほどの所作は身に付いていないはずだ。

 問題は舞踊だった。
 ヘナコの知る舞踊とは速度も足運びも異なるようで、何度足を踏まれたことか。ヘナコの軽さでは踏まれても痛くはないが、ヘナコが申し訳なさそうに体を硬くするため、さらに足が動かなくなるという悪循環に陥る。
 仕方なく腰を持って少し浮かせ、足運びだけ重点的に教えると、俺の足を踏まずに済むからか、徐々に様になってきた。しばらくすると腰を持ち上げずともなんとか足を踏まずに一曲終えられるようになった。
「ヘナコ、覚えるのは一曲だけにするか?」
「……いいの?」
 おいおい、ヘナコはお前だろうが。顔を侍女に向けたままヘナコに声をかけると、一瞬目を泳がせ、自分のことかと言わんばかりの顔で慌てて返事をする。やはり偽名か。
「最初の一曲はどの夜会でも同じだ。その一曲だけを覚えるか? 最初だけ踊れば後はなんとかなる」
 侍女の呆れた顔が目に入ったが知ったことか。ヘナコがほっと肩の力を抜いてほにゃりと笑う。
「よかった。一曲だけならなんとかなりそう」
 最初の一曲を誰と踊るか。ヘナコはその意味をわかっていない。あれほどの所作を身に着けておきながら、最初の曲を踊る意味を知らない。一体ヘナコはどんな環境にいたんだ?



 ヘナコは相変わらず明け方近くまでは眠れないようだ。
「目を閉じれば自然と眠れるだろうが」
「だって真っ暗なんだもん。目を開けてるか閉じてるかもわかんないよ」
 どうやらヘナコは目が悪いらしい。昼間はちゃんと見えるらしいが、夜になるとほとんど見えなくなるらしい。俺たちにとっては必要十分な明るさの燭棒も、ヘナコにとってはほんの僅かな範囲しか照らしていないらしい。
 おまけにヘナコは暗闇を怖がる。何か居そうで怖いらしい。子供か。
 だからなのか、寝入るまで側に居てやれば、睡薬がなくともあっさりと眠れるようになった。だが、悪夢を見るのは相変わらずらしく、起き抜けに疲れた顔をしていると侍女が心配している。
 俺が一緒に寝てやると悪夢は見ないようで、起き抜けの顔もすっきりとしている。さすがに毎日一緒では俺の身の一部がもたないため、侍女が様子を見て助言してくるようになった。

「ぅ……んっ」
 胸くらい揉んでもいいだろう。ヘナコの胸は揉まねば育たん。一緒に寝るときの俺へのご褒美だ。
 寝間着の上から柔々と揉みしだく。時々その頂きをかすめると、これがまたいい声を上げる。さすがに睡薬なしでは立ち上がった頂きを摘まめば起きてしまいかねない。そこまでしたら俺も抑えが利かなくなる。我慢するしかない。
 そもそも胸を揉むときは人型だ。獣型では爪で肌を傷つけかねない。寝間着の上から小ぶりな胸を揉むだけなのに、どうしてこうも俺の一部は張り切るのか。
 獣型に戻っても鎮まりきらない俺の股間に呆れる。ここまで欲情できる俺もどうかと思うが、ここまで欲情させるヘナコも考えものだ。発情期でもないのに発情したなんて話は聞いたことがない。俺に限ったことなのか、他の野郎でもこうなのか。
 この家の者に尋ねたところであてにならんだろうな。既に相手が決まっているうえ、あいつらはヘナコを崇めている。欲情するなんてことは天と地がひっくり返ってもない。そこは信用できる。だがアホ共は……どうだろうな。
 今夜もまた眠れそうにない。



 ヘナコが珍しく、領主の館には浴場があるのに、どうしてこの屋敷には浴場がないの? と控えめながらも強い意志の籠もった目で言った。初めてともいえるヘナコ自身の要求に、使用人たちが揃って浴場の手配に走る。
 その速度たるや、素早いなんてものじゃない。どういう段取りであればここまでの短期間で屋敷内に浴場が完成するのか。
 驚くほどあっという間に出来上がった浴場に、ヘナコは初めて使用人たちの前で満面の笑みを見せた。おまけに、小さく歓声を上げてはしゃいだ。侍女が目に涙を溜めている。家令たちも感無量といった面持ちで、はしゃぐヘナコを目を細めて見つめていた。

 浴槽の完成とほぼ同時に、家令と庭師の弟二人が屋敷の使用人に加わった。聞けば家令はアストン侯によって解雇された元使用人やその子供たちを、中央の下働きとして送り出していたらしい。中央の下働きならそれなりの給金がもらえる。侯爵家の紹介状があれば下働きの中でもそこそこの仕事に就ける。
 ヘナコが「ジムが領主になればいいのに」と言っていたが、俺も同じ意見だ。こういう者にこそ領知を任せるべきだ。いっそ家令も養子にするか。

 その家令が意外にも厳しさを見せたのは、ヘナコに貴族名鑑を覚えさせているときだ。ヘナコは物覚えが悪いわけでもないのに、人名が覚えられない。領知の位置関係や中央における役職についてはあっさり覚えるものの、その領主名となるとからっきしで、なかなか頭に入らないようだった。
 何度も家令に厳しく言い直されるうちに、ぶつぶつと呪詛のように呟き始め、仕舞いには食事時にまで呟くようになったため、またもや使用人たちから無言の圧力を受けた。
「ヘナコ、もう覚えなくていいぞ。飯が不味くなる。夜会の間俺の側から絶対に離れるな。受け答えは俺がしてやる」
 ヘナコの眩いばかりの笑顔を間近で浴びた使用人たちは、この上なく満足そうだ。頼むから俺にも敬意を払ってくれ。


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