テディ=ベア
第五章 山田花子(仮)は実は小心者 領主の館はたった一晩で驚くほど様変わりしていた。
なんと周辺住民も手伝ってくれたらしい。庭の雑草まで綺麗さっぱりなくなっている。
「ありがとうございます」
この感動と感謝を伝えたくて、みんなのやり方を思い出しながら平伏そうとしたら、クマ五郎によって阻止された。普段冷静沈着な家令や庭師もびっくりするほど慌てている。もしかして領主は平伏してはいけないってこと? まだここのルールがわからない以上彼らに従うしかない。あとで領主の感謝のやり方を教わらないと。
手伝ってくれた近所の人たちに、家令が準備が整い次第、読み書きをここで教えることを告げると、誰もが顔を輝かせて喜んでくれた。よかった。伝える家令も庭師も嬉しそうだ。
手伝いに来ていた人の中には庭師や料理人の家族もいて、改めて家令の家族と侍女の家族も含めて全員に集まってもらい、それぞれのご両親を教師として雇いたいとの説明を家令にしてもらう。雇用条件丸呑みですんなり決まった。
家令から領主の館の敷地内に使用人寮が何棟かあると聞いて、ひとまずそれぞれのご両親にはそこに住んでもらうことにした。その際、今住んでいる家より寮の方が造りも立派で部屋数も多いことが判明し、それなら家族も可ということにした。その場にいた全員がそれを聞いて平伏したのは本当に居たたまれなかった。いい加減やめてほしい。
家令は弟が二人の三兄弟、庭師は弟と妹が一人ずつの三弟妹、料理人には妹が二人のやっぱり三兄妹、侍女には妹と弟が一人ずつのまさかの三弟妹だった。全家庭三兄弟。子供は三人という決まりでもあるのかと思いきや、たまたまらしい。
庭師の妹と料理人の上の妹は既に結婚しているらしい。ここの結婚適齢期は十六歳から十八歳らしいく、うちの侍女はエロ爺のせいで行き遅れらしい。儀式は盛大にやるべし、と心に刻む。行き遅れの肩身の狭さはわかる。なにせ前世はオールドミスのいかず後家だ。今じゃ死語だろう。
職にあぶれているという家令の三男と侍女の妹の他に、料理人の下の妹にも領主の館で働いてもらうことになった。職にあぶれた者の大半は小作人としてシーズンごとに雇われる。ただし、報酬は小麦などの現物支給らしい。他にも日雇い労働や出稼ぎなど苦労が絶えない。
見習いの手当は家令たちの前の給料より少なくていいとのことだが、さすがにそれは安すぎる。彼らの両親も、住まいが提供されるので、給料は見習いと同じ額でいいと言う。さすがにおかしい。しかもよくよく聞けば、夫婦で一人分でいいと言うのだからびっくりした。それはもうブラックを通り越して搾取だ。
エロ爺の洗脳が解けていないのか、みんなお給料に関する感覚がおかしい。
結局、本人たちがそれでいいと固辞するし、私もまだここの情勢に疎い自覚があるため、あとは家令に任せることにした。
中央の屋敷にも人手が欲しい。侍女が二人増えたとはいえ、家令も庭師も料理人も一人ではなにかと大変だ。それも相談すると、家令の次男と庭師の次男は中央に出稼ぎに行っているらしい。ならば、ということで本人が希望するなら中央の屋敷で働いてもらえないかを打診してもらうことにした。
元領主であるエロ爺が貯め込んでいたお金は、エロ爺個人のお金じゃない。ちゃんと領民に還元すべきお金だ。
当たり前のことを言っただけなのに、なぜかものすごく褒められた気がした。だいたい、税金の無駄遣いはもとより、横領や着服は犯罪だし。前世納税者として有り得ない。
クマ五郎がよくできたと言わんばかりに、でっかい肉球で私の頭をぽふぽふしている。肉球の弾力よ。だが重い。クマ手重い。頭の上に置きっぱなしにしないでほしい。いくら高さがちょうどいいからって私の頭はクマ手置きじゃない。
中央の屋敷に戻ると、届いていた手紙らしきものを見た家令が顔をしかめている。くるんと端がまるまった厚手の紙はこれまた高く売れそうな上質紙だ。山のように届く釣書も上質な紙なのでちり紙交換で高く買い取ってもらえる。おかげでおやつのレベルがワンランクもツーランクも上がるのだ。棚ぼたラッキー。
「ああ、もうそんな時期か」
この紙いくらで売れるかな、もう一度フロランタンみたいなあの高級スイーツが食べたいな、と皮算用している私の横で、クマ五郎がうんざりした声を出した。
「ええ。こればかりは仕方ありません」
家令の説明によると、青みがかった上質紙は中央から届いた夜会の招待状で、領主の参加は義務らしい。いわば国からの召集令状だ。
「問題はお嬢様のお相手です」
家令が、ちらりとクマ五郎を見上げた。
「わかってる。だが面倒なことになるぞ」
「承知しております」
……二人で会話しないでほしい。私のパートナーのことでしょ? 家令でいいのに。だめなの? なら庭師は? だめなのか。知らない人は嫌なんだけれど……。
「この夜会のお相手は、それ相応の方でないとお嬢様を守り切れません」
「守られるほどの者じゃないけど」
「お前、ころっと騙されそうだからな。気が付いたら身ぐるみ剥がされてそのへんに捨てられてるぞ」
いつもならむかつくクマ五郎の悪口も、こればっかりは自分の事ながら頷ける。あっさりシカトされるようになった過去が辛い。
「そんな心配そうな顔するな。お前の相手は俺がなってやる」
なぜそこまで恩着せがましくなれるんだ。なってやるときたもんだ。クマさんが相手でもいいなら手っ取り早い。クマ五郎で手を打とう。
「なられてやろう」
そう言い返せば、呆れた顔をされた。クマ顔でもわかるほどの呆れ顔だ。
「俺にそんな事言うヤツはお前くらいだろうよ」
クマ五郎、お前一体何様だ? 聖職者ってそんなに偉いのか? 推定無職のくせいに。ああん。
「不細工な顔すんな。明日から侍女に色々習っとけ」
万が一のクマパンチを警戒しながら、侍女の背に隠れてしゃくれ顔で「ああん」を繰り返していたら、呆れた顔のままクマ五郎がすたこらさっさと食堂に向かった。私もしゃくれ顔のまま追いかけた。
夕食の席で料理人に今日の経緯を話すと、嬉しそうに笑ってくれた。年の離れた下の妹のことを心配していたらしい。
ちなみに家令は二十五歳、庭師は二十三歳、料理人は最年長の二十八歳、侍女は二十歳だ。思っていたよりもみんな若い。もっと年上かと思っていた。家令なんて妙に落ち着いているから余裕で三十は超えていると思っていた。
彼らの両親は引退するほどの年齢でもないのに、若ければ給料が安く済むという理由で代替わりさせられたらしい。なんというかもう、ケチもそこまで行くと病気だね。
ちなみに、みんなの年齢を聞いたあと、私も自分の年齢を明かしたら、思いっきり驚かれた。まだ成人前だと思っていたらしい。クマ五郎がなぜかドヤ顔で肉を食い千切っている。俺知ってたもーんって感じだ。
ここでは十五歳で成人とみなされる。十六歳の私は既に成人女性だ。日本じゃまだ選挙権もないのに。中卒で成人は早すぎる、としみじみ思う。
領地の経営改革のことは家令と庭師と料理人に任せて、出稼ぎに出ている家令と庭師の次男たちに手紙を出して、今の仕事が終わり次第屋敷に来てくれるよう、忘れずにお願いしておく。
夜会の準備がこんなにも大変だとは思わなかった。
ドレスの採寸に一日がかり、そのデザインを決めるのにまた一日がかり、色を決めるのにさらに一日がかり。ドレス一着決めるのに三日もかかった。
似たようなドレスを何度も何度も着替えさせられてうんざりする。
しかも判断を下すのがクマ五郎という理不尽さ。
「お前の相手が俺なんだから当然だ」
ということらしい。私の意見なんて聞いちゃくれない。まあ、ここでの色々を知らない私が口を挟む方が間違っちゃいるけど、むかつくものはむかつくのだ。
立ち振る舞いはクマ五郎にあっさり及第点をもらった。
中高一貫の学校では国際社会で活躍する人材を云々かんぬんで、欧米のマナーや日本の行儀作法の授業があった。それを侍女の言う通りにアレンジすればいいだけなのでお茶の子さいさいだ。
問題はダンスだ。社交ダンスも一通りは教えられている。だがしかし、ここでのダンスはワルツのような優雅なダンスではなく、飛び跳ねるように素早くステップを踏む激しいダンスだ。スローはほぼなくてクイックだらけ。激ムズ。
侍女に教わりながら、相手をしてくれるクマ五郎の足を踏みまくること五日。一度も踏まずに踊れるようになるまで十日。なんとか及第点をもらえるまでに二十日もかかった。たった一曲で。
あまりのへたれっぷりに、クマ五郎の提案で始まりの一曲だけを覚えることにした。その一曲だけでも踊っておけば、あとはなんとかなるらしい。
次に家令から叩き込まれたのは中央の偉い人たちの名前、各領地名と領主の名前、その特産物、などなど。悪気はない。悪気はないのに、何度教えられても右から左へと流れていく……。カタカナばっかりの名前なんて覚えられるわけがない。漢字プリーズ。
暗記するためにぶつぶつ名前を繰り返していたら、クマ五郎が呆れた顔で「俺の側を離れるな。なんとかしてやる」と言ってくれた。どうやら食事中にまで無意識に呟いていたようで、「飯がまずくなる」と嫌そうに文句を言われた。ご飯がまずくなるよりはフォローした方がマシだと思ったらしい。クマ五郎が食いしん坊でよかった。
夜会の準備に振り回されている間に、家令と庭師の次男たちが訪ねてきて、そのまま住み込みで働くことになった。庭師は執事となり、次男たちは従者兼庭師になった。うちの執事や従者は庭師も兼ねる。
なんとか、ようやく、多大な苦労の末、ことあるごとに平伏すのを止めてもらえて、食事は食べたい分だけ好きに食べてもらえるようになった。素晴らしい。
そしてついに、薄暗いかつての使用人部屋を改装してお風呂も作った。
領主の館にはあったお風呂がこの屋敷にはなかった。かまどの熱を利用して水を温めるらしい。これでたらい風呂とはおさらばだ。料理人がご飯を作り始めるときにお風呂に水を張り、かまどの熱でお風呂も温めるようにできているらしい。水もポンプ式の井戸から直接引けるようになっている。
大きめの浴槽にしてもらったので、毎日食事のあと侍女と一緒にお風呂に入り、続いてクマ五郎と家令たちが一緒に入っている。
最初は一応主である私が一番に入り、なぜか当たり前のように次にクマ五郎が入り、家令たちが入ったあと、最後に侍女が入っていた。追い炊き機能がないため、侍女が入る頃にはかまどの火も落ちてお湯が冷めてしまう。お風呂上がりに毎回侍女のくしゃみが聞こえてきて、男女別に一度に入ることを提案した。
遠慮する侍女を私の背中を流すという名目で丸め込み、お湯が冷める前に全員がお風呂に入れるようになった。
ここのお風呂は浅かった。浴槽の深さがふくらはぎまでしかない。それだけが不満だ。
体をお湯に沈めるという習慣がないらしく、湯船の中で寝そべって肩まで浸かる私を奇妙な目で見ていた侍女も、いつの間にか真似して肩まで浸かるようになり、時々小さな声で「ふぅぅ」と漏らしていたりもする。ちょっと可愛い。
「ねぇ、婚姻の儀って何をするのものなの?」
「互いの家族や知り合いを集めて、皆の前で婚姻の宣言をして、周囲に婚姻を認めてもらうもの、でしょうか」
「それ、領主の館でやれば? どうせ空いてるんだし」
ざばっと身を起こした侍女の美乳が羨ましい。おっぱいって浮くんだね。お風呂で寝そべってると胸がお湯に軽く浮いているんだよ。びっくりだよ。
「よろしいのですか?」
「よろしいですよ」
侍女、そこで平伏すとお湯に頭つっこむことになるよ。案の定つっこんでむせていた。
「ロブとティムにも使っていいって言っといて。あっ、なんなら合同にする? ガーデンパーティーっぽくして。ほら、掃除を手伝ってくれた近所の人たちも招待して、みんなでおいしいものたくさん食べて、おいしいお酒たくさん飲んで、盛大に、ぱーっと」
泣くなよ。うちの侍女ってば羨ましいくらい涙もろくて困る。