テディ=ベア
第四章 クマゴローは実は怖がり


 今やこの屋敷の夜警は俺の担当だ。
 獣型であれば、あらゆる感覚が人型とは比べものにならないほど鋭くなる。おまけに俺はその能力も無駄に高い。そのせいで婆にちょくちょくパシらされてるわけだが……。就寝中ですら容易に侵入者に気付けるため、適任ではある。適任ではあるが、毎夜当然のごとくこの俺が夜警を押し付けられるとはこれいかに。たまには代われよ。
 とっ捕まえたアホ共は、あえて罪状と身元を公表して、引き取り手を中央に呼び出しているせいか、さすがに懲りたようだ。
 しかしだ、俺がわざわざ目立つ獣型でこの屋敷に出入りしているにもかかわらず、しかも滞在していることも周知されつつあるというのに、おまけに俺自らがとっ捕まえているというのに、なぜヘナコ宛ての釣書が減らないのか。
 相変わらずヘナコは鬱陶しそうに釣書を紐でくくって屑として扱っている。なかなか手に入らない上質の羊皮紙もヘナコにかかればただの屑。しかも容赦のない家令はそれを屑屋に引き取らせて換金しているのだから浮かばれない。



 ヘナコの部屋から寝台の軋む音が聞こえてくる。
 侍女が言うには、悪い夢でも見ているのか、ヘナコはいつも顔を歪めて眠っているらしい。昼寝を起こしに行くと、小さく呻いてもいることもあるそうだ。
 ヨダレを垂らす直前の、ヘナコの歪んだ顔が頭に浮かぶ。

 再び聞こえてきた寝返りの音。ヘナコの様子を見に行くと、案の定、眠っていなかった。
 ひぃぃぃっ、と奇声を上げて、一目散に飛び付いてきた。なんだこれ、嬉しいだろうが。
 そのまま腕に抱えてやれば、細すぎる腕を俺の首に回し、弱々しくも全身でぎゅっとしがみついてくる。なんだこれ、可愛いすぎる。
 寝台に腰を下ろしてもヘナコはくっついたままだ。むしろ離されまいとして腕に力を入れている。燭棒を脇台に置き、しっかりと両手で抱きしめてやれば、強ばっていた体から徐々に力が抜けていった。
 ちょっと待て。この体勢はまずい。座位じゃねぇか。突き入れてぇ。互いの服に隔てられた凹の下の凸が疼く。
 もわっと邪な想像をしていたら、ヘナコがその顔を俺の胸にぐりぐりと擦りつけてきた。なんだこれ、凄まじく可愛い。発情期でもないのに発情しそうだ。間違っても人型には戻れねぇ。
 ヘナコは成人前だよな。成人前はダメだよな。体を調べたときのあの声、たまらんほどのいい声で啼いていた……。
 気付くとヘナコの体から力が抜けていた。
 そういえば……この寝間着にも睡薬が焚き込められていたか。獣型で人並みの睡眠を得るには、感覚を人並みに鈍らせる必要がある。俺の場合は鈍らせても縄張の異変に気付くくらいの鋭さは残るが、多少はマシになる。

 くったりと力の抜けたヘナコの体を寝台に横たえ、人型に戻り、その寝間着を剥ぎ取る。二度目ともなれば手慣れたものだ。出会った頃に見たこの奇妙な服は、寝間着にされていたのか。確かに着心地はよさそうだ。
 ヘナコの体を調べれば、随分と痣も消え、赤黒かった痣が、黄色や緑の治りかけの色に変わっている。あと少しで全て消えるだろう。
 ヘナコもその身に散る痣を気にしているようで、袖がめくれ上がる度に手首にある痣を隠そうとする。侍女が常に袖のあるものを用意し、侍女自身も袖のあるものを敢えて着ているおかげか、袖が短くなる時期であってもその不自然さに気付くそぶりもない。

 体の傷には気付いているが、心の傷には気付いていない。
 できることなら、気付かないまま癒やされることを願う。

 骨が浮き出るほどだった体は、賄い方のおかげで全体的に心なしかふっくらしてきた。だが、いかんせんまだまだ細すぎる。特に胸が足りねぇ。
 小さな胸をふわりと両の手の中に収める。
 弾力があるのに柔らかい。どんな物よりも柔らかい。捏ねるように、揺するように、揉むように、その柔らかで白く小さな胸を堪能する。
 その頂きを口に含もうとして我に返る。痣の治り具合を確かめたかっただけなのに、ついうっかり揉んじまった。思いっきり主張している己の一部を見てげんなりする。成人前の小娘になに発情してやがるんだ、俺。

 慌ててヘナコに服を着せ、獣型に戻り、ヘナコを腕に抱いて寝台に横になる。
 ヘナコが目覚めたら何を置いてもまずは歳の確認だ。先に婚約すれば手を出してもいいだろうか。いいよな。いい、いい。俺が許す。あの婆のくれた減摩薬が役に立つ。よくよく慣らさないと。待てよ、慣らしたところで収まるか? もう少し成長すればなんとかなるか。指一本であれだけぎちぎちなんだ、そもそも入るか? 入れるが。
「早く成人してくれ」
 思った以上に、己の声に切実さが滲んでいた。
 たまらなく欲しい。どうしても欲しい。何かを、誰かを、これほどまでに欲したことなど、これまで一度でもあっただろうか。俺にだけ懐くこいつが欲しい。誰にも渡したくない。誰にも懐かせたくない。自分でも驚くほど、その執着が恐ろしくなるほど、どうしてもこいつが欲しい。こいつだけが欲しい。
「ん……」
 ヘナコが寝返りを打って俺の胸に顔を埋めた。その肩を抱き寄せてやると、吐息のような微かな声が聞こえてきた。
「ん…もふ…、…もふ、い」
 うっとりと気持ちよさそうな顔。口元が綻んでわずかに開いている。その華奢な手のひらで俺の胸を撫で摩り、頬擦りまでしている。
 はぁぁぁぁ、人型じゃなくてよかったぁ。獣型でもヤバい。
 とりあえず何人かいた婚約者候補は全て断ろう。これまで何度も断っているんだ、今回は断固として断る。あいつらは臭くてたまらん。それに比べてヘナコの匂いはいい。
 ふうっと小さく息を吐いて顔を上げたヘナコの鼻先に、ぐりぐりと己の鼻先を押しつけたら! ヘナコが俺の鼻先をぺろっと舐め返してきた!
 はぁぁぁぁ、本当に獣型でよかった。
 わざとなのか? 起きてるのか? まさか俺、誘われた? どうなんだ?
 ……寝てるよな。そうだよな。睡薬嗅いだら朝まで起きないよな。
 一瞬人型に戻り、ヘナコに口付ける。舌を絡めたい衝動に耐え、あれこれしたい欲望を抑え込み、歯を食いしばって獣型に戻った。これ以上はまずい。色々まずい。



 夜が明ける。うっかり一晩中ヘナコの寝顔を眺めてしまった。
 うなされることなく、穏やかな顔で眠るヘナコを見ていると、俺の腕の中でだけは穏やかに眠れるのではないかと勘違いしそうになる。いつか睡薬なしでも穏やかに眠れる日が来るといい。願わくば俺の腕の中で。
 もぞもぞと身じろいだヘナコの瞼が、ゆっくりと開いていく。ぱちぱちと二度ほど瞬きをして俺の姿を確かめている。こいつ可愛いなぁ。
「起きたのか。お前、寝言うるせぇよ」
 あの後も色々妄想をかき立てられるような寝言を言いやがって。おかげで俺は寝不足だ。半ば八つ当たり気味に言えば、ヘナコの頬がむうっと膨れた。
 もそもそと寝台から抜け出たヘナコが窓布をめくる。
 曙光に照らされたヘナコは、まるで消えゆく朝霞のように頼りなく見えて、俺の中のどこかがざわめく。
 ヘナコはしばらくの間、静かに朝の光を眺めていた。再び寝台に戻ってくると、俺の腕にしがみつき「もうちょっと寝る」と、いつもよりゆったりと呟いた。
 腕の中に入れてやれば、満足そうな顔をして、ふうっと小さく息を吐く。それが妙に艶めいていて、獣型でよかったと、一晩で何度も思ったことを駄目押しのようにもう一度思った。
「なあ、お前ってさ、歳いくつ?」
「ん、十六」
 嘘だろ、まさかの十六歳。まさかの成人。なんだそうか。成人していたのか。そうかそうか。
 ……待て。これで成人? ……小さすぎるだろう色々。胸は揉んで育てよう。
 ヘナコに歳を聞き返され、十九だと答えると、驚いた顔になる。ああ、獣型は歳がわかりにくいからな。あの婆でさえ獣型だと毛並みがいいからか歳を誤魔化せる。
 なぜかヘナコに暦の確認をされた。さんざん確かめた上で、どこか戸惑いを残しながらも、何かに納得したような顔で目蓋を閉じた。

 こてんと眠ったヘナコをしばらく眺め、その寝顔が安らかなのを確かめたあと、屋敷の見回りに行く。
 人が動き始める時間に、わざと音を立てながら庭木に爪痕を残す。庭師と賄い方が事細かにその位置を決めている。全てが的確な位置であることに気付いてからは、言われた通りに爪を研ぐ。あいつらはどうしてこうも優秀なのか。

 朝食の準備が調ったというのに、珍しくヘナコが食堂に顔を出さない。
 仕方なしに呼びに行けば、寝ぼけ眼でぼーっとしているヘナコを嬉しそうに眺めている侍女がいた。扉の影に立つ俺に気付くと、なんとも意味深に笑う。この侍女も相当だな。
「ヘナコ様。お目覚めはいかがですか」
 侍女が静かに声をかけながらヘナコに近付いていく。ふわぁーっと小さな声を上げながら腕を上げてゆったりと伸びをするヘナコを、侍女は目を細めて存分に眺めたあと、そっと主の背を支えて朝の支度を手伝い始めた。
 先日、ヘナコに拒まれなくなった、と侍女が心底嬉しそうに話していた。たしかに、今も侍女がヘナコの死角から声もかけずに触れても、ヘナコは平然としている。それが妙に悔しくて、ヘナコに声をかけないまま踵を返した。


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