テディ=ベア
第四章 山田花子(仮)は実は恐がり 前世の記憶があったせいで、可愛げのない子供だったと思う。
子供らしいことが何ひとつできなかった。
口調は子供らしいのに、出てくる言葉がまるで子供らしくない。
体は幼いのに、その態度はちっとも幼くない。
笑えばいつだって愛想笑いで、子供らしい無垢で無邪気な笑顔なんてできなかった。
甘えようとすれば、そこにはいつだって媚びが隠れていた。
子供の我が儘なんて、顔色を窺いながらするものじゃない。
教わる前に知っている言葉。
教わる前に知っている使い方。
最初の頃こそ目を輝かせていた両親は、いつしか奇妙なものを見る目に変わっていった。
気付いた時には遅かった。今更知らないふりはできなかった。
両親が、最初は愛してくれた両親が、必死に愛そうとしてくれた両親が、育ちゆく我が子を愛せないと知ったとき、二人ともひどく怯えた。己を責め、互いを責め、二人の関係は私を中心にこじれていった。
どうにもできなかった。
笑えば笑うほど、甘えれば甘えるほど、我が儘を言えば言うほど、子供らしく振る舞おうとすればするほど、二人との距離は開いていった。
中高一貫の寮のある学校に入学したい、と言ったとき、二人とも戸惑いながらもどこかほっとして見えた。弟の存在も大きかった。
弟は子供らしい子供だった。
自分のせいでも相手のせいでもなく、私が異常なのだと、弟の存在をもって両親は知った。
どうしても、二人を親だとは思えなかった。記憶でしかない前世の親は親だと思えるのに。
それがどうしようもなく悲しくて寂しかった。
小学校では友達もできなかった。子供は大人以上に敏感だ。
虐められるでもなく、放っておかれた。誰もが関わりたくないと思っているようだった。
家から離れた学校に進学し、寮住まいとなり、初めて息が吸えたような気がした。
人当たりよく、いつも笑顔で、愛想よく振る舞いながら、自分に害が及ばないよう周りを誘導する。
十代前半の子供相手に、それはとても簡単なことだった。
でもそれは、酷く孤独なことだった。
一緒にいる友達はたくさんできた。
心を許せる友達は一人もできなかった。
そして高校に進み、その入学式に決意した。
少しずつでもいい、素の自分を認めてもらおうと。
なにもわかっていなかった。なにも見えていなかった。
結局、自分に都合良く考えていただけで、自分しか見えていなかった。
あっさり友達はいなくなった。使えない私は必要ないらしい。
たった一言、たまには自分でやってみれば、と課題の丸写しを拒んだだけで。
今度はあからさまに無視され、さりげない嫌がらせが、半年も経てばえげつない嫌がらせに変わり、学校でも寮でも居場所が徐々に狭まっていき、気付けばどこにもなかった。
もういいかなって。どうか来世は記憶なんて持って生まれませんように、って。そう思っていたところだった。
あの日、わけのわからない森の中で、クマさんに出会った。
その後、わけのわからない屋敷の中で、使用人の四人に出会った。
彼らは素のままの私を、なんの抵抗もなく受け入れてくれた。
挙げ句に感謝までしてくれる。私の力ではないのに。単なる偶然の産物なのに。
それがどれほど嬉しかったか。
ここがどこかもわからないまま、この先どうなるかもわからないまま、帰りたくないと思うほどに。
「どうした。眠れないのか?」
「ひぃぃぃ──────っ!」
ノックしろ! ロウソクもどきの明かりを顔の下から照らすな! 急に話しかけるな! 気配を消して近づくな!
怖いわ。怖いわ。怖いわ! ちびるかと思った。
諸悪の根源なのに、あまりの恐怖にクマ五郎だとわかった途端、一目散に抱きついた。怖かった。お前のせいで怖かった。びっくりしすぎて吐きそうなくらい怖かった。
袖無しの服を着ているクマ五郎のもふい腕にひょいと抱えられ、もふい首に腕を回して小猿のようにしがみつく。本当に怖かった。死ぬほど怖かった。
だいたいここにはちゃんとした照明がない。ロウソクみたいな頼りない明かりが薄らぼんやり辺りを照らすというよりは影を浮かび上がらせるだけで、影の後ろに何かが潜んでいそうで物凄く怖い。
ぎしりと音を立てながら、クマ五郎がベッドもどきに腰を下ろした。サイドテーブルにロウソクもどきをことりと置くと、クマ五郎はしがみつく私をちゃんと抱きしめてくれた。もっふりとした腕で。
もふもふの毛の感触とクマ五郎の体温に恐怖心が和らぐと、今度は羞恥心が湧き起こる。どうしよう。怖さのあまり思わず抱きついてしまった。どうやって離れよう。離れた後が気まずい。
クマ五郎の鎖骨のあたりにおでこを押しつけ、ぐりぐり悶々と考えているうちに、いつの間にか寝落ちした。
……目の前には茶色のもふもふ。
前世でも今世でも、記憶にある限り誰かと一緒に寝たことはない。初添い寝がクマさんとはこれいかに。
なんともいえない気持ちになった。初添い寝がクマ……。
「起きたのか。お前、寝言うるせぇよ」
……なんだろう、この残念な感じは。
前世でも今世でも嬉し恥ずかし記念すべき初添い寝なのに。開口一番悪口。
あー……でも、なんだかすごーくぐっすり眠れた気がする。生まれて初めてなんじゃないかと思うほど、すっきりと目覚められた。
もそもそとベッドから抜け出て、カーテンと思しき布を無造作にめくると、歪んだガラス窓から歪んだ朝日が入り込んでくる。
窓にガラスが入っているのは金持ちの証拠だ。クマさんの集落では板の窓だった。雨戸かと思ったら違った。木の窓扉だ。開けると虫が入ってくること間違いなし。
歪んだガラスを通って入る歪んだ朝焼けの光が、壁や床を揺らめきながら照らしていて、それがなんだかすごく綺麗に見えた。
もう一度ベッドもどきに潜り込み、そこにある茶色いもふもふにしがみつく。
なんだろうこの安心感。ぬいぐるみを抱いている気分だ。大きさ的には私の方が抱かれている感じだけど。
「もうちょっと寝る」
もふい腕が抱き込んでくれた。たまらん。微かな獣臭さにかつての飼い犬を思い出す。前世で飼っていたのはポメラニアンだ。もふもふ加減がぽん太そっくり。
「なあ、お前ってさ、歳いくつ?」
「ん、十六」
一瞬、クマ五郎が息を呑んだような気がした。一体いくつだと思っていたのか。
「クマ五郎は?」
「俺は十九」
……は? いや待て、私の知っている十九歳とここでの十九歳は違うのかもしれない。犬の十九歳はお爺ちゃんだ。クマの十九歳はおっさんかもしれない。このおっさんくさいクマ五郎が十九歳。ないない。
「あのさ、一年って何日だっけ?」
「は? 三百六十五日だろうが」
「そうだよね。じゃあさ、一日は二十四時間?」
「そうだけど……お前、寝ぼけてる?」
「クマ五郎って生まれてから十九年生きてるって事だよね」
「お前だって生まれてから十六年生きてきただろうが」
どうしよう。私の知っている十九歳と同じだ。
言葉が通じているということは、一年も一日も私の知る感覚と同じということになる。あーでも、言葉が通じていても、同じ意味とは限らない。なにせ聖職者の謎がいまだに解けていない。
それにしても、人とクマさんたちの年齢の数え方が同じとは……。ええー……絶対にクマ五郎は中年だと思ってた。だってクマ五郎じじむさいし。ヒグマの年齢なんて見ただけじゃわからないし。
十九歳性別男とこの状況はどうなんだろう。
……別にいいか、クマさんだし。性別オスだし。もふいし。もふがなくなる、と、困る、し……。
二度寝の目覚めは微妙だった。
どうして二度寝の目覚めはもったりするのか。私だけかな。二度寝の幸福感のピークは寝落ち直前だ。あとは爽快感が目減りしていく一方だ。
隣にあったもふい存在が消えている。なんでだろう、ちょっと寒い感じがする。寒くないのに。
ふわぁーっと伸びをして、侍女が用意してくれたお湯で顔を洗い、ワンピースもどきに着替える。パジャマ代わりはここに来たときに着ていた部屋着だ。寝るときくらいは自分の好きな服で寝たい。ネグリジェは勘弁。
この世界のワンピースはドレス寄りなので動きにくい。公爵家ともなると来客用の服を用意しておくらしい。急にお泊まりしたりとか、お茶をこぼしたりとか、そのための着替えなんだとか。その誰もが着られるように比較的すとんとした形のワンピースをとりあえず着ている。侍女が丈を調整してくれたものの、そもそもロング丈だから足に纏わり付くし、だぼっとしているのに体を思いっきり動かしたらどこかが破けそうな危うさがある。予備の服だからってエロ爺がケチったせいだと思う。
先日ようやく用意できたと渡された靴は、パンプスっぽいデザインだった。
侍女が履いているのはサボっぽいデザイン。サボの方が歩きやすくていいのになー、と思いながら履いてみると、細かく採寸されただけあって、ジャストフィットで驚くほど歩きやすかった。
さすがオーダーメイド。若干ダサいのは仕方ない。
朝食を食べ、今日は家令と庭師と一緒に領地に向かう。明日は家令と料理人ペアだ。それぞれの家族を雇うための雇用説明会を開催するのだ。
みんなで行けば一度で済むのに、必ず誰かが留守番をしなければならないせいで二度手間になる。
なにせ戸締まりは内側からしか鍵がかけられない仕様だ。裏口もテラス窓の鎧戸も、どこもかしこも開口部は内側からしか鍵がかけられない。家に誰もいなくなることを想定していない造りだった。金持ちの家ってみんなこうなのかな。庶民には理解できない防犯事情だ。