テディ=ベア
第二章 山田花子(仮)は口が悪い


 次から次へと舞い込む再婚話が鬱陶しい。
 誰も彼もが財産目当てだとわかるのは、一度も会ったことのない奴らばかりだからだ。そもそも面識があるのは、この屋敷の使用人と口の悪いクマさんだけだ。
「お前さぁ、一応見るだけ見れば?」
「なぜそこにいる」
 テラス窓を豪快に開け放って、大量の釣書を捨てるために足で押さえながら束ねていると、いつの間にか口の悪いクマさんが人の家の庭でぬくぬくと日向ぼっこをしていた。
 家令はエロ爺が行っていた事業の確認を、侍女たちは無駄に広い屋敷の掃除を、庭師は無駄に広い庭の手入れを、料理人は食材の買い出しに行っている。みんなそれぞれ忙しいので、一人暇な私は釣書という名のゴミをせっせと纏めていたのだ。
 あれ以来、なぜか毎日やって来ては、お茶とお菓子をもりもり食べて帰っていくこのクマさんは、ここをカフェかなにかだと勘違いしてんじゃないかと思う。金払えよ。

 たった五人しかいないこの屋敷では、みんなで同じものを食べて、みんな揃って休憩して、交代で休みを取ることを提案した。おやつも一緒に食べる。
 彼らは放っておくと働いてばかりいるため、晴れた日はみんな揃って庭で休憩することにした。侍女が毎日うきうきとお茶の用意をしてくれる。
 本来であれば使用人など到底口にできないと彼らが口を揃えた高級菓子はさすがにおいしかった。最初のうちは遠慮していたうちの従業員たちも、一口かじればその美味しさに感動し、感激のあまり揃いも揃って涙目になっていた。どれだけケチだったんだ、エロ爺。おやつくらい食べさせてやれよ。
 ちなみに食事も、わざわざ私の一人分だけを別に作るのも、別の部屋に用意するのも面倒だろうと、みんなと同じものを、みんなと一緒に食堂で食べると言ったら、最悪の事態が発覚した。
 味のない野菜屑のスープに、硬くて不味い握り拳ほどのパンがたったひとつ。よくこれで今まで生きてこられたね、っていうほどカロリーが地を這っていた。
 今すぐ当主と同じ内容の食事を全員分用意するよう料理人に頼むと、その場でみんながだーっと涙を流した。いい大人が揃いも揃って泣く程ひもじかったらしい。よくぞ耐えたよ、本当に。



 また来やがった。誰よりも先にクマさんがお茶の席に着いているとは……図々しいにもほどがある。ここは行きつけのオープンカフェじゃない、人んちの庭だ。不法侵入で訴えるぞ!
「聖職者ってそんなに暇なの?」
「わざわざ顔を見に来てやってるんだ、もっと喜べ」
 その言い方。恩着せがましいことこのうえない。来てくれなくていい。呼んでない。しかもおやつの時間を狙って来るな。
「見に来なくていいし」
「可愛くねぇ」
「可愛くなくて結構。無駄に毎日来ないでよ、クマ五郎!」
「俺はセオドアだって何度言ったら覚えるんだ? テディと呼んでもいいと言っただろう。馬鹿なのかこいつ?」
 うちの家令に話しかけるな。家令も首を傾げるな。
 だいたいテディって、テディベアか。そのままじゃないか。しかも可愛くない。テディベアは愛らしく可愛いものであって、バカでかいリアルヒグマじゃない。
「絶対に呼ばない! どこからどう見てもクマ五郎のくせに!」
「お前、無駄に元気いいな。な?」
 侍女に同意を求めるな。侍女も頷くな。
「お前さぁ、狙われてるってわかってる?」
 クマ五郎は大げさに溜息をつきながら、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。どういうことだ?
「地位も金もある。しかもまだ若い女。おまけに未通。無駄に広い屋敷に男がたった三人。格好の獲物」
 指折り数えて、最後に獲物とか言うな。リアルクマが言うとリアルすぎるわ。だいたい、恥ずかしげもなく未通とか言うな!
「だから俺が来てやってるんだろうが。聖職者が通う家を狙う馬鹿はいない」
「へ? 聖職者ってそんな偉いの?」
「は? お前聖職者が何かも知らねーの? 大丈夫か、こいつ。アホだろう」
 おい家令、いま頷きかけたな。
「いいか、よく聞け。聖職者は国を守るものだ。ちゃんと覚えられたか?」
 ……やっぱり。おかしいと思った。それ自衛隊だし。聖職者じゃないし。ここでは自衛官、もしくは警察官のことを聖職者と呼ぶ。納得。あれ? 警察官が人身売買してもいいの? だめだろう、それ。
 言葉が通じるのに意味がイコールではないってこと? もしかして、字が違う? 音が同じなだけで、聖職者じゃなくて、制職者とか? 正職者とか? まさか、聖地も私が思う聖地じゃない? そうだよ、おかしいよ。角の生えたウサギとか、あのうねうねの植物とか。どう考えても真っ青な森は聖地というよりは魔境とか魔界とかそっち方面だ。
 ここでは私の常識が通用しない。ひとつひとつ確認しないとおかしな事をやらかしかねない。面倒くさい。引きこもろう。
 本当もう、ここどこだろう……。



 家令はジェームス。庭師はロバート。料理人はティモシー。侍女はブリジット。私は山田花子(偽名)。
 花子はなぜかへナコと聞こえる。おそらくみんなの名前も本当は少し違う発音なのだろう。私の知っている名前に聞こえているだけなのかもしれない。
 庭師の妻のキャサリンと料理人の妻のマーガレットの二人は侍女見習いだ。今は通いで来てもらっている。
 婚姻証明書を提出しても、婚姻の儀がまだだと同居はできないらしい。その儀式もせずに襲われそうになった私って……。そもそも嫁は競り落とすものではないらしい。だよね。
 逆に儀式をしていないから、世間的には私の貞操は守られていると理解されるらしい。それゆえ大量の釣書が送りつけられてくるというわけだ。それって、処女を公表されているようなものだから、恥ずかしいったらない。個人情報は保護してほしい。
 侍女一人でこの屋敷の管理は無理だと思って、庭師と料理人に、できれば二人の奥さんに侍女として働いてもらえないか訊いてみてほしい、と相談したら、いきなり平伏されてビビったのなんのって。
 ここでは職業選択の自由がない。ほとんどの職業は世襲制だ。例えば庭師が結婚して子供ができたとき、一人は庭師の後を継いでこの家の庭師として雇ってもらえるが、それ以外の子供は跡継ぎのいない家に養子に入るしかない。ところが妻も侍女となれば、更にもう一人、この家の侍女として雇ってもらえる。なんとなく武家社会に似ている制度だ。
 しかも、侍女のブリジットに結婚後も侍女を続けてもらえないかと打診したら、ものすごく驚かれた。普通は結婚と同時に問答無用で解雇されるらしい。エロ爺など退職金も出さないと豪語していたとか。最低だ。できれば続けてもらいたい、子供ができても続けてほしい、おばあちゃんになっても側にいてほしい、とお願いしたら、なぜか感激されて泣かれた。彼女は羨ましいほどよく泣く。
「別に何人子供ができてもみんなこの家で雇うし、別の仕事がしたければ精一杯協力するから」
 雇用主として当たり前のことを言っただけなのに、四人は揃って平伏した。
 ひれふす、といっても土下座とは少し違う。両手と両膝を床に突き、頭を下げて項垂れる姿は、イスラム礼拝スタイルだ。どうやらこれが最上の感謝の礼らしい。



 今日も今日とて不法侵入クマは、「うめぇ」ともりもりお菓子を食べている。
 そりゃおいしいだろう。料理人が朝食の後片付けもそこそこに、長蛇の列に並んで買ってきてくれた、いま話題のスイーツだ。それなのに、わざわざ並んだ割には、若干ぱさぱさしていて、素材の風味が生かされていない普通のマドレーヌだった。花を模した形が可愛いとウケているらしい。意味わからん。味で勝負しろ。そこで、当家のグッジョブな料理人がアレンジして焼き直したら各段においしくなったという逸品だ。心して食え。ちゃんと味わえ。金払え。
「お前、さっさと婚姻した方がいいぞ」
「大きなお世話」
「仕方ないなぁ。俺がここに住んでやるよ」
「は?」
 いま何かおかしなことを言われた気がする。
 ちょっと待て家令、どうして家の中にクマ五郎を案内するんだ? ちょっと待て侍女、どの客室にするか家令と相談するんじゃない。庭師も爪研ぎ用の木を教えなくていい。料理人も追加の買い出しに行かなくていいから!

「ふわーぁ、やっぱ自分大好きな金持ちのベッドは寝心地いいなぁ」
 どうしてこうなった。
 なぜ当たり前のようにクマ五郎が朝食の席にいる。昨日ちゃんと却下したよね。一応私ってこの家の当主だよね。どうしてみんな揃ってへらへら笑って誤魔化そうとしてるんだ。
「おはようさん」
「ねえ。クマ五郎さ、昨日の夕食の時はいなかったよね?」
「ん? ああ、荷物取りに行ってた」
「そのまま自分んちに帰りなよ」
「俺、流れの聖職者なんだよ」
 やっぱり聖職者って聞こえる。聖職者じゃなければなんだろう。そもそも流れの聖職者ってなに? 住所不定聖職者ってこと? つまり無職ってこと?
 聖職者が自衛官か警察官だとしても、流れってなに? 私にとって「せいしょくしゃ」という言葉は聖職者以外に考えられないから、聖職者って聞こえるだけ? もう意味わからん。何度聞いても頭に浮かぶ文字は聖職者だし……。
 まあいいか。聖職者に興味はない。
「おい、寝ぼけてるのか? ちゃんと起きてるか? おはようと言われたら、おはようと返すんだぞ」
「……おはよう」
 なに満足そうに笑ってやがる。

 みんな揃って朝ご飯を食べる。誰かと一緒に食事をするなんてあまりに久しぶりすぎたせいか、本音を言えば、最初はものすごく戸惑った。
 この家の従業員たちは当主よりも多く食べてはいけないと思っているらしい。とはいえ、日々だらだら過ごしている私と忙しく働いている彼らの食事量が同じであっていいはずがない。だから、毎回毎回彼らにおかわりを勧める。もっと食べろ、私もおかわりするから、ほらこれ食べて、あれも食べて、と具体的に指示しないと彼らは遠慮して食べないのだ。本当に面倒な人たちだ。
「なぜおかわりしてる」
 クマ五郎にはおかわりを勧めていないにもかかわらず、用意された自分の分以上に、スープもパンも自らおかわりを装ってもりもりもりもり食べている。食べ過ぎだ。「肉が足りねぇ」じゃない。最初からお前のメインはみんなの二倍だ。
「俺がこの量で足りると思うか?」
 遠慮しろ。うちの従業員たちにもその図々しさを分けてやれ。
「ほらみんなも、クマ五郎に負けずにおかわりしないと。ジムもロブもティムも、もう一杯スープをおかわりして、メインももっと食べて、残したらもったいないし、待て、クマ五郎はそこまでだ。あっほら、パンもふたつずつ追加して。ビディはスープをもう一杯、メインは、もういいの? パンをもうひとつ……は多いなら私と半分こしよう」
 毎食これだ。勝手に食べたいだけ食べてほしい。

 ここでの常識では、使用人は結婚と同時に使用人部屋を出て、あらたに家を借りるなり買うなりしないといけないらしい。彼らがいなくなれば、独身の使用人がいないこの無駄に広い屋敷で私は独りぼっちの夜を迎えることになる。この無駄に広い屋敷は夜の学校と同じくらい怖い。絶対に嫌だ。
 しかも、そうなると夜は交代で夜警をすると聞いて、新婚なのにそれはない、って思ったんだよね。それならいっそみんなこのままここで暮らせばいいじゃん。ほら、家賃タダだし。ダメかな。わがままかな。
 彼らに、結婚しても、子供ができても、できればここに住み続けてほしいんだけど……と恐る恐る提案したら、また四人が揃って平伏した。何度やめるように言ってもやめない。みんな頑固だ。ここに住んでほしいというのは私のわがままであって、感謝されることじゃない。何度そう言っても平伏すことをやめない。頑固者たちめ。
 この屋敷は家というよりはマンションに似ている。各部屋にお風呂も洗面もトイレも完備されているのでプライベートは確保されている。
「夫婦で客室一部屋だと狭いから、改装して二部屋繋げば?」
「十分でございます」
 家令がさらに身を低くして平伏すから、もう黙ることにした。いっそお尻を下げた土下座スタイルの方が楽なんじゃないかと思う。
 たしかに、薄暗くてベッドしか置けないような狭い使用人部屋に比べたら、客室のリビングと寝室、風呂・トイレ付きは快適だろうと思う。たとえお湯を手動で運ばなければならないタライ風呂やぼっとん便所だったとしても。彼らに子供ができたら改装すればいいか。
 ちなみに私も客室に住み着いている。エロ爺が暮らしていた当主の部屋を使う気はない。断固ない。

 その当主の部屋に棲みついたのがクマ五郎だ。その部屋のベッドが一番大きいという理由らしいが、納得しかねる。
 クマ五郎が一緒に住むことは、家令曰く「大層心強いこと」だそうで、彼にそう言われると黙るしかない。実際に、屋敷に忍び込もうとしたアホがクマ五郎によってとっ捕まる、という事件が頻発しているため、反論もできない。ぐぬぬってやつだ。


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