テディ=ベア
第二章 クマゴローは口が悪い


 しばらくは昼下がりに顔を出すだけで精一杯だったアストンの屋敷に、ようやく腰を落ち着けるだけの余裕ができた。己の蒔いた種とはいえ、父親がここぞとばかりにあれもこれもと押し付けてきやがった。しばらくとんずらしてやる。

 俺が奔走している間、ヘナコは使用人たちの待遇を大きく変えたらしい。
 家令がそれはもういい笑顔で「ヘナコ様に一生付いていきます」と報告してきた。それまで行き場のなかった忠誠心を思う存分ヘナコに捧げるつもりらしい。侍女に庭師、賄い方までもが口を揃えて同じことを言うのだから驚きだ。
 おまけに、ヘナコから愛称で呼ばれたことをそれはもう喜んでいる。主人が仕える者を愛称で呼ぶのは信頼の証だ。ヘナコの場合はそれをわかっているのかいないのか。おそらくわかっていない。喜んでいる彼らには言わないが。

 同時に、徐々にヘナコの異常性もわかってきた。
 この娘、すんなり物が食べられないらしい。たしか公爵領で用意した果実は二つ三つ食べていたはずだが、もしや調理された物が食えないのか。それとも、毒の心配でもしているのか。
 賄い方が言うには、匙でこれでもかと確かめるらしい。まるで何かが混ぜられているかのように、それはもう執拗に小さな粒のひとつひとつをよくよく見てからでないと口にできないらしい。
 当初、賄い方は酷く侮辱されたような気がして、しばらく観察していたらしい。観察していくうちに、一通り確認したあとは、ひと匙ひと匙大切そうに口に運んでいるのを見て、もしや過去に何かを混ぜられていたことがあるのではないかと思い当たった。
 おまけに、どうも量を食べられないらしい。出されたものは時間がかかってもきちんと最後まで食べ切るのだが、消化しきれず嘔吐していたことが発覚したらしい。
 賄い方はほとんど表に出ないヘナコの表情をじっくりと観察し、匙を口に運ぶ速度や仕草で適量を見極め、食べ切れる量まで減らすことで、嘔吐することはなくなった。
 だが、その量が問題だった。到底人が生きていくのに必要な量だとは思えないと言う。
「ですから、我々もお嬢様と同じ量だけを食べることにしました」
 すると、ヘナコはすぐさまそれに気付き、彼らにおかわりを勧めるようになった。勧めた手前、自分も少しだけおかわりする。賄い方が毎日ひと口ずつヘナコの食べる量を増やしているらしい。
 焼き菓子などの甘い物は好むようで、ほんの微かにだが表情が緩むらしく、用意してやれば「みんなも一緒に」と、自分たちも誘ってくれるのだと、賄い方の顔がほころぶ。
 焼き菓子ならある程度は食べられると知った賄い方は、せっせとうまいと評判の焼き菓子を買い集めては、午前と午後の二回、お茶と一緒にヘナコに食べさせている。食べる回数を増やすことで全体量を増やしているらしい。そのおかげか、ヘナコの顔色が随分とよくなってきた。

 また、予想を裏切らず、アストン家には釣書が山のように届いているらしい。
 それをせっせと纏めて紙屑として扱うヘナコが面白い。目を通すこともなく、鬱陶しいとばかりに力任せに上質の紙束を紐でくくっているヘナコは、その表情は薄いながらも、よくよく見れば嫌そうな顔をしている。一人の時にはそれなりに表情が現れるようだ。



 一足先に茶の席に着いていた俺を見付けた瞬間、ヘナコは薄くはあるが嫌そうに顔をしかめた。その表情の変化に家令たちが目を見張っている。ヘナコは俺にだけ表情を見せる。
 毎日顔を出す俺に、ヘナコは吐息のような微かな声で嫌味を言う。
「聖職者ってそんなに暇なの?」
「わざわざ顔を見に来てやってるんだ、もっと喜べ」
 一瞬、呆気にとられたようにぽかんとした後、今度はわかりやすく嫌そうに目を細める。ころころ変わる表情が面白い。
「見に来なくていいし」
「可愛くねぇ」
「可愛くなくて結構。無駄に毎日来ないでよ、クマゴロー」
「俺はセオドアだって何度言ったら覚えるんだ? テディと呼んでもいいと言っただろう? 馬鹿なのかこいつ?」
 あえて家令に話しかけると、ヘナコは無表情で家令をちらりと見た。さっきまでの表情はどこに消えたのかとでも言いたげに、家令がわずかに首を傾げた。
「絶対に呼ばない! どこからどう見てもクマゴローのくせに!」
 ヘナコが俺に向き直ると、再びその表情が不機嫌そうに歪み、囁くようだった声が、静かに会話する程度にまで大きくなった。ヘナコにとっては大声のつもりなのだろう、語尾に力が入っている。だいたいクマゴローってなんだよ。俺のことか?
「お前、無駄に元気いいな。な?」
 侍女に話を振ってやれば、しっかりと声を出したヘナコが嬉しかったのだろう、彼女は何度も頷きながら感動している。
 それにしてもこの娘、俺がわざわざここに通っている意味に気付いてないな。
「お前さぁ、狙われてるってわかってる?」
 ヘナコはきょとんとした顔で小首を傾げている。理由を説明してやれば、顔が強ばり、なぜか赤らむ。なんだ? まさか未通が恥ずかしいのか? 未通は婚姻前の女にとって誇れることであって恥ずかしいことではないはずなんだが……こいつの感覚はよくわからんな。
「だから俺が来てやってるんだろうが。聖職者が通う家を狙う馬鹿はいない」
「へ? 聖職者ってそんな偉いの?」
 ぽかんと小さく口を開けて、まるで理解できていない顔で見上げてくる。このアホ面可愛いな。
「は? お前聖職者が何かも知らねーの? 大丈夫なのか? こいつ。アホだろう」
 家令に振ってやれば、ヘナコはアホ面のまま家令に目を向けた。表情のある顔で己を見つめられた家令は、嬉しかったのだろう、訳もなく頷きかけて、慌てて取り繕っている。
「いいか、よく聞け。聖職者は国を守るものだ。ちゃんと覚えられたか?」
 妙に納得した顔をするヘナコに、使用人たちが呆れている。やはりヘナコは聖職者の意味を知らない。
 彼方人がどこから来るのかは判っていない。あの後も中央に保管されている文献を片っ端から調べたが、結局詳しいことはわからず仕舞いだ。
 ヘナコは納得したような顔をしていたかと思えば、どこか訝しむように眉間にかすかな皺を寄せ、そのうち考えを放棄したのか、諦めたのか、何かの結論に達したのか、妙に達観した顔になった。本当にこいつは面白い。根が素直なのだろう、子供のように表情がころころ変わる。



 騎士団から、アストンの屋敷に忍び込もうとする輩が後を絶たない、との報告が上がり、当初のさらに倍にまで人員を増やしたにもかかわらず、隙を突いて屋敷に忍び込むアホがいるらしい。その無駄に高い潜入力を騎士として生かせば実力で成り上がれるだろうに、アホはアホのまま食い詰めていくのだろう。アホだけに。
 今は家令たちが交代で敷地内の警護に当たっているが、さすがに体が持たないのではないか、とも報告されている。驚いたことに彼らは、そこらの騎士より剣術も体術も優れている。そうでなければこの屋敷を守れなかったらしい。必要に迫られて覚えたらしく、正統とはいえないが十分に強い。侍女までその心得があると聞いて驚いた。まあ、侍女の場合はアストン侯の魔の手から逃れるためだったらしいが。
「お前、さっさと婚姻した方がいいぞ」
 大量にあった釣書から気に入った奴でも見付けたかと思えば、「大きなお世話」と返ってきた。だよな。全く目を通してなかったもんな。
 騎士は敷地の中に入ることはできない。
 どうすっかなぁ。俺なら敷地に足を踏み入れた時点でとっ捕まえることができる。俺なら昼間寝ていても支障はない。とりあえず差し迫った仕事は片付けてきた。しばらくとんずらしてやろうとも思っている。
「仕方ないなぁ。俺がここに住んでやるよ」
 ヘナコが「は?」とかつてないほど大きな声を出した。それでも普通に会話する程度の声の大きさだが。
 家令がこれを逃すかと言わんばかりに、部屋に案内しようとする。本当に体力の限界だったらしく、敬意もクソもない。侍女も心なしか安堵しているように見える。庭師がわざと爪痕をつけるよう、外からよく見える木を何本か指し示し、賄い方は追加の食材を買いに出掛けた。
 揃いも揃って素早く行動するこいつらは、本当にぎりぎりだったのだろう。
 ヘナコの側に侍女を残し、男同士相談した結果、俺の部屋は主の部屋に決まった。まあ俺もそのつもりだからいいが、お前たちもそれでいいのかと確認したところ、ヘナコが幸せになれるのであれば、と口を揃えた。この短期間でよくぞそこまで慕えるものだ。
 ヘナコは俺には距離を取らず、表情が驚くほどころころ変わり、俺の前だとよく食べるらしい。端から見ても、ヘナコは俺にだけ懐いているように映るらしい。聞けば聞くほどだらしなく頬が緩みそうになる。徒人には表情のわかりにくい獣型でよかった。そもそも、あれは俺のものだ。俺以外に懐くのは許さん。



「しばらくアストンの屋敷に滞在する」
「そうやって常に居場所を知らせてくだされば、我々だってうるさくは言わないんですよ」
「お前を捜し回るのが俺の仕事じゃないんだぞ」
 一度中央に戻り、フィルとラリーに今後の予定を伝えると、珍しく穏やかに返された。今まで予定を言ってなかっただろうか。
「いきなりふらりと姿を隠すから、放蕩なんて言われるんですよ」
「隠したつもりはないんだがな。まあいいだろ? それで俺を担ぎ上げようとしたアホ共が大人しくなったんだから」
「アホらは次の標的を見付けたぞ」
「わかってる。それもあって滞在するんだよ」
「無能共は暇なんですかね。もう少し仕事量を増やしても良さそうですよ」
「無能に任せられる仕事なんかねぇよ」
 夜も更けた頃、アストンの屋敷に戻れば、家令たちが出迎えてくれた。ヘナコは既に部屋に籠もったらしい。用意された夜食を食べ、しばらくは俺が夜の警護をする旨を伝えると、遠慮するどころかあっさり「お願いします」と言い置いて、さっさと各自部屋に引き上げていった。
 あいつらはヘナコには最上級の敬意を払うが、俺に払うつもりはないらしい。この屋敷の使用人たちもなかなか面白い。

 翌朝俺の姿を見付けたヘナコがこれでもかというほどむくれた。面白いくらい思いっきりむくれていて、その表情に俺の中のどこかが満足する。本当にこいつは面白い。


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