テディ=ベア
第一章 クマゴローは性格が悪い③


 翌朝、アストンの屋敷に顔を出して、滞りなくあの娘が暫定侯爵となったことを伝えると、家令ばかりか、侍女に庭師、賄い方にまで感謝された。
 驚いたことに、この屋敷にはたったの四人しか使用人がいなかった。何かの間違いかと思えば、アストン侯の指示らしい。仮にも侯爵家の屋敷だぞ。普通ここまでケチるか?
 騎士団に屋敷周辺の警護を強化してもらう必要がある。今まで何事もなかったのが信じられん。しつこいようだが侯爵家だぞ。

「娘の様子は?」
「最初のうちは気が動転していらしたのか、なかなかお眠りになれないご様子でしたが、明け方になりようやくお休みになりました。今も客室でお休みになっていらっしゃいます」
「そうか。それを知ってるってことは、お前も寝てないんだろう? 休んでいいぞ」
 侍女は感謝を言うばかりで部屋を辞そうとはしない。
「どうした?」
「実は、お嬢様のお体に……」
 声を潜める侍女に、わかっているとばかりに頷く。
「ああ、痣があるんだろう?」
「はい。おそらく殴る蹴るの暴行を受けていらっしゃいます。御髪も無造作に切り取られたようでして……整えてございます」
 侍女によくやったと頷けば、今度は家令が声を上げた。
「もしやお嬢様は人が苦手なのではないかと存じます」
「どういうことだ?」
「私共が近付きますと、無意識なのでございましょうが後退りなさいます。手の届かない離れた位置から視界に入り、ゆっくりと近づき、手が届く手前までは大事ないご様子ですが、手の届く範囲に入りますと、お体が震え、後退り、距離を取ろうとなさいます」
「私が触れることも最初は怯えていらっしゃいました。しばらくすると慣れて頂けたのか、怯えることはなくなりましたが、いきなり触れようとするとかなり驚かれます。ですので、声をおかけしてから触れるようにしております」
 暴行のせいか。たしかにあれほどの痣の数だ、柔な子供の心など容易く壊れるだろう。
「この短い間によく気付いたな」
 そう労うと、家令と侍女が顔を見合わせた。
「逆でございます。この短い間でこうまではっきりとわかるほどの怯えでございます」
「おそらく、お嬢様はご自分ではお気づきになられていないのではないかと存じます。不意にお体に触れてしまった際、私の手を払い除けたご自分のなさりようを大層驚かれ……」
「謝られでもしたか?」
「はい。それはもう懸命なご様子で」
 侍女ばかりか家令までもが痛ましげに顔を歪める。彼らであれば、あの娘を任せても大事にはならないだろう。
「葬りの儀は最少人数で行う。どうせ参列者も少ないだろう」
 俺の知る限りアストン侯と親しくしている家はない。
「かしこまりました。我々だけでも十分かと存じます」
 この家令は……本当にアストン侯への忠誠心がない。しかもこの俺にそれを隠そうともしねぇ。
「骸はすでに騎士団が運び出しているなら、この屋敷での仮葬りを葬りの儀としてもいいぞ」
「ではそのように」
 あっさりと家令が認める。本当にこの家令は……。アストン侯がそれだけの仕打ちをしてきたということか。
「しばらくは屋敷の周りを騎士団が警護するが、その後はどうする?」
「お嬢様のご判断にお任せ致します」
「そうだな。しばらくはあれの様子を見るか。一度中央に戻って諸々の手配をしておく。昼前には戻る」
「かしこまりました」
 家令と侍女の最敬礼に見送られた。

 中央に戻る道すがら、ヘナコは人型ではなく獣型の方が平気なんじゃないかと思えてきた。獣型の俺に触れられることにビクつきはしたが後退ったりはしていない。
 いつも通り己の執務室に忍び込むと、待ち構えていた父親の補佐にとっ捕まったうえ、父親の執務室に強制連行された。
「なんだよ、今忙しいんだよ」
「俺だって忙しいわ。誰のせいだと思ってるんだ。一晩で侯爵領が宙に浮いたと騒ぎ出した輩がおるぞ」
 思わず舌打ちがでた。
「どこが漏らした?」
「文書方だな」
「ってことは、暫定侯爵が小娘だということも漏れたか」
「漏れとる漏れとる。次男坊三男坊らの釣書を用意し始めとるわ」
「面倒くせぇ」
「お前が始めたことだ。最後まで面倒見ろよ」
 父親の面白がりようが癪に障る。人払いされた部屋には父親と俺しかいない。本当に面倒くせぇ。思いっきり舌打ちしてやった。行儀が悪いぞ、と父親からからかい混じりに叱られる。
「しばらく獣型でアストンの屋敷に出入りする」
「そうか」
「アストンの屋敷、使用人が四人しかいないって信じられるか? うち一人は侍女だし。騎士団に警護の強化を頼む」
「四人って、たったの四人か?」
「家令、侍女、庭師、賄い方の四人」
 父親が驚くより呆れている。曲がりなりにも侯爵家だろ、と俺と同じことを呟いている。
「……警護の件はわかった。通常の倍でいいか?」
「頼む。あれじゃあ襲ってくれと言わんばかりだ」
「話には聞いていたが、そこまで渋いとはな」
「ああ。おかげで使用人たちからは、忠誠心の欠片も感じられねぇ」
「だろうな。むしろよくやったと褒めるべきだろう、たった四人であの屋敷を管理していたとは……」
「屋敷で行う仮葬りだけで終わりにするらしい」
 父親の心底呆れた顔が面白い。そこまで忠誠心がないんだよ、あの家の使用人は。領知でもそうなんだろうな。こりゃあ、立て直しに苦労するだろう。
「して、暫定侯爵となる娘は?」
「それがなぁ。身元が割れねぇんだよ」
 父親の目が鋭く光る。一見人当たりの良さそうな父親は、裏では口も悪けりゃ腹も黒い。そうじゃなきゃやってられないんだろうな、色々。
「やはり間諜か」
「それはないな。聖地の奥で見付けたんだ。俺じゃなきゃ入り込めないほどの奥地でだ」
「……お前、それを先に言え。どう考えても贄じゃないか」
 珍しく茫然とした父親に言われ、薄々勘付いていたとはいえ、改めて事の重大さが身に沁みてきた。
「やっぱり? 逃がしちまったよ、俺」
「……逃がしたものは仕方なかろう。最後まで面倒見ろよ。彼方人など作り話だとばかり思っておったわ」
 聖地には時々どこからか贄が紛れ込む。聖地の主養分は彼ら彼方人だといわれている。彼方人がどうやって聖地に現れるのかは判っていない。やはり過去に一度逃れた贄がいたらしく、その伝承が僅かに残っているだけだ。
「だが、逃れた彼方人は栄華をもたらすともいわれている。まあ、それも胡散臭い言い伝えってやつだが」
「伝承なんて大抵偽りだろうよ。都合のいい綺麗事しか書かれてないし、書かないだろうが」
 父親は「まあな」と笑いながらも「逃すなよ」と目を光らす。逃すつもりはねぇ。あれは俺のものだ。

 父親の執務室から己の執務室に戻り、獣型に姿を変える。人型から姿を変えるには、一々着替えなければならないのが面倒だ。獣型の方が二回りほどでかくなるから服が破ける。逆に獣型から人型になるときは服がだぶつくだけで済むが、とても人前に出る気にはならんだらしない見た目になる。



 アストンの屋敷に戻れば、侍女に付き添われたヘナコが広間でぼんやりと突っ立っていた。
 ふと見えたヘナコの運命。面白い。こいつは自分以外の記憶を持って生まれている。しかも生を受けた世とは異な世で終を迎える。異な世……ってことは、やはりヘナコは彼方人か。
「起きてるか? 様子を見に来てやったぞ」
 少し離れた位置から軽い調子で声をかけると、ヘナコは無表情のままつかつかと歩み寄り、俺の脛あたりに自分の足を擦り付けている。
「何してるんだ?」
 一体何の挨拶だ? さらに一生懸命足を擦りつける。何となく怒っているような気はするが……。もしかして毛繕いか? 掻いくれているとか? 靴を履いたまま? 足で?
「別にそこは痒くないぞ?」
 どうも違ったらしい。小さな足をまじまじと見たところでわかるわけもない。一体何がしたいんだ?
 ふと視線を上げてヘナコの顔を見れば、さっきまでの無表情とは違い、「何しに来たんだ」と言いたげな目で俺を見ていた。
「お前、最後に俺に笑いかけただろう? アストン侯に売ったのに。他の侵入者と違って逃げなかったし。間違って迷い込んだだけじゃないかって周りからも言われてなぁ。様子見に来てやったんだ」
 昨日父親のところに出向き、それまでの経緯を簡単に説明して了承を得る際、もしやその娘は迷い込んだだけではないか、と父親のみならずその補佐たちにまで指摘されていた。極々たまにいるのだ、運悪く迷い込んでしまう者が。
 ふとヘナコを見れば、今度は「誰だお前」と言わんばかりに睨んでいる。面白ぇ。いきなり表情が現れるようになった。
「俺は聖職者だ。最初に俺が連れて行ったところは聖職者の集落だ。お前がいた森は聖地。聖地に入り込んだ輩は犯罪奴隷として売られても仕方がない。それが聖職者の収入源でもあるしな」
 ヘナコの背後に控える侍女が訝しげな顔をする。いいんだよ。俺はただの聖職者だ。まだ何も言うな。
「アストン侯がお前のことを犯罪奴隷としては届け出なかった。だからこれからも普通に暮らしていけるはずだ」
 娘が面白いほど嫌な顔をする。そうか、こいつはアストン侯の伴侶になったと思い込んでいるのか。
 ふとヘナコの視界に家令が入った。その途端、ヘナコの表情が抜け落ちる。
 面白ぇ。俺にだけ表情を見せるのか。なんだこれ、すげぇ面白ぇ。絶対に誰にもやらねえ。これは俺のものだ。


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