月影奇譚
第三章 因んで26 金と銀と水晶
ひと月なんてあっという間に過ぎる。期限が短い仕事が舞い込んできたこともあるし、自分からも仕事を多めに入れた。一方の世界では神扱いでも、もう一方の世界では地道に稼がないと生きていけない。
結局タロンには会えないままだ。会えないのか、会わないのかもわからない。考えると自分の独り善がりだったのかと、恥ずかしさと情けなさと悲しさが入り交じって、頭も心もぐちゃぐちゃになりそうで、考えないようにしている。黙々と働く。とにかく働く。
ちなみに、眠りの香がすごく効いたと翌朝控えていた女性に話したら、快く分けてくれた。害も中毒性もないらしく、「この先もご入り用でしたら用意いたします」とも言ってもらえた。さすがに、おいくらですか、とは訊けず、医者のおばあにこっそり訊けば、「もらっておけばいいのよ、ほほほ」と優雅に笑われたあと、「眠れないならもっと早く言いなさい」と叱られた。ずっと顔色が悪いと心配されていたのに、なんだかんだと誤魔化していた。
「どうするか決めたの?」
訪ねてきたお隣の奥さんの心配そうな顔に、情けない思いで首を横に振る。
「決められなくて」
「うちのことは心配しなくていいのよ、あなたさえよければ家族になりたいって思っているんだから」
ぐっと胸にこみ上げる。こんなふうに言ってくれる人は、この先二度と現れないだろう。
「いいのよ、ほかに好きな人がいても。諦められなくても」
「それじゃダメだと思うんです。ちゃんと自分でけじめをつけないと」
「つけられそうなの?」
心配そうな顔をさせてしまうことが申し訳ない。
「わかりません」
本当にわからない。
そもそも、タロンに対する思いがどれほどのものなのかがわからない。けれど、何かが劇的に変化した瞬間だけは憶えている。
タロンに初めて立ったまま見下ろされたとき、ひき込まれた。
その瞬間だと思う、自分の気持ちが大きく変わったのは。あの瞬間に惹き込まれた。あの瞬間、タロンが男の人なんだとはっきりとわかった。
「やっぱりおかしいですよね、陽の生きものは陰の生きものとは相容れないはずなのに……」
「そうね、それほど強い想いなんだと思うわ。本来惹かれないはずのものに惹かれたんだもの、そう簡単なことじゃないと思う」
否定しないでいてくれることが、ただただ嬉しかった。
「私、どっちにしてもここに居たいんです」
だから、つい本音が出た。
「だったら……」
「だからこそダメなんです。ずっとお付き合いしていきたいからこそ、ダメなんです。きっと私は、一生忘れないから……」
タロンと過ごしたあの穏やかな日々を忘れることはない。
泣きたい思いで吐露すれば、お隣の奥さんが、ふっ、と小さく息をつくように笑った。
「そうね、確かにそうかも。いつかどこかで何かの拍子に、そんな思いを抱えるあなたを恨んでしまうかもしれない。だったらいっそ、このままの方が親しくいられそうね」
家族だからこそ、ままならない思いを抱えてしまうこともある。
「ごめんなさい。でも、本当はすごく嬉しいんです。家族にって言ってもらえて、すごく嬉しかったんです」
泣きそうだけれど、笑う。お隣の奥さんも笑ってくれた。
お隣の息子さんにはすでに話してある。京御所の帰り、じゃんけんで勝った兄が助手席に乗り込んだ軽トラックの荷台で、情緒もへったくれもなくどうしても無理なことを伝えた。そのとき、兄と同じ仕草で頭をぽすぽす撫でられた。「後悔しないように精一杯がんばれ」と応援してくれた。どうしてこの人を好きにならなかったのだろう、そう思ったところでどうしようもなかった。
「次は少人数なんでしょ?」
「年寄りの代表と兄と、付き添いに医者のおばあの四人だけです。もうあとは結果を知らせるだけだからって」
ここの年寄りたちはどうしろとは言ってこない。私の思うようにすればいいと言ってくれる。だからこそ、ここに居たい。それを年寄りたちもわかっているから、何も言わないのかもしれない。
「私も行くわ」
意を決したような声に驚きながらも嬉しくて思わず身を乗り出した。
「いいんですか?」
お隣の奥さんなら気心も知れているから心強い。
「早速医者のおばあに掛け合ってくる。本当は最初から行きたかったのよ」
善は急げとばかりに、あっという間に珈琲を飲み干して出て行った。
と思ったら、肩を落として戻って来た。
「宮中の作法、わかるかって訊かれたわ……」
あっ、と思わず声が出た。そうだ、医者のおばあはなぜか宮中の作法にも精通している。幼馴染みが侍医だったことと関係しているのか、王家に連なる者だからか、独特な宮中の言葉も当たり前に使える。なんというか、大和言葉ふうなのだ。私に対する言葉に違和感はないけれど、ふとした物の名前などが一瞬理解できない。「かんばせ」や「おぐし」と言われて即座に「顔」や「髪」と変換できない。
「次は東御所で京御所よりは楽だから、これから徹底的に教え込むって……」
「じゃあ……」
「私も行くわ」
今が冬の入り口でよかった。繁忙期ならこうはいかない。
「よろしくお願いします」
頭を下げると、お隣の奥さんが「まかせて」と笑いながら胸を張った。
兄とじっくり話し合い、タロンに会えない以上どうしようもなく、第一王子の意向を確認した上で、彼が廃太子となることを認めているのであれば、第一王子と縁を結ぶことにした。
正直なところタロン以外なら誰でも一緒だ。ならば、できるだけ相手の迷惑になることは避けたい。私の存在と王家の存在の意味を考えれば、こうすることが一番適切だろうと結論付けた。
おそらく、御所のどこかの離れでひっそり暮らしていくことになるだろう。きっとただ存在していればそれでいいはずだ。必要に応じて月の力を使うことになるだろうけれど、それも王家が判断してくれるならその方がいい。利用されるかもしれない不安は、きっと誰と縁を結んでもつきまとう。
今でも兄が私の特使の代行をしてくれており、この先も兄が続けていく。兄はそれを条件に王家との縁を結ぶつもりでいる。
「兄はそれでいいの?」
「俺それ以外できないから。いまさらどこかに再就職とか無理だし」
兄にとっては切実なことらしい。表情が物語っている。王家からの報酬はそこそこいい。
「万が一生きるに困っても、俺一人遊んで暮らせるくらいの資産はある」
以前見せてもらった兄の通帳の額では一生は無理だ。
「実はな、絶対に外では内緒だぞ」
そう言って教えてくれたのは、本当にせこく狡い手だった。
これまでいた世界での金と銀の価値が月向こうの世界では逆転する。プラチナやそのほかの金属の価値は変わらない。銀だけがほんの僅かに月の力を蓄えるためかなり高価で、金の価値が極端に低いらしい。ほかにも同じ理由で水晶の価値が元の世界よりも高い。私たちのブレスレットにはまっている石も加工されていない水晶の原石らしい。
せこい兄は、月向こうの世界で金を買い集めては、元いた世界で積み立てている。
「それって、犯罪じゃないの? ここに住む人たちはそれを取り締まるためにいるんじゃないの?」
「年寄りたちに教えたら真似してる。今じゃみんなそこそこ小金持ち」
聞かなかったことにしよう。
おまけに年寄りたちは、あっちとこっちで年金の二重受け取りをしているらしい。
「何それ、ずるくない?」
「税金も保険料も二重納付だけどな」
それもそうか。そうだ、携帯電話や生命保険なども二重に契約しなければならない。もしかしたら光熱費もかも。うわぁ、最悪。
「あ、でも私、月向こうからは税金とか保険料の請求書とか、光熱費の請求とか、なんにもきてないけど」
「お前神だから。神に納税の義務はない。こっちの光熱費は俺が支払ってる」
それって、国民でもないってことじゃ……。悲しくなるから考えるのはやめよう。
三日後に迫る東御所行きは、平服でいいことになっている。
今回も医者のおばあがワンピースを用意してくれた。お見合いの時のワンピースも今回も、彼女が若い頃に一度か二度着たきりだそうで、クラシカルなデザインが逆に新しい。折をみては手入れをしていたらしく、大切な物を貸してもらうことに恐縮すれば、さすがにもう着られないから代わりに着てもらえて嬉しいのだと、目を細められた。
「それにほら、いざお金に困ったら『月輪姫が着たワンピース』って言って売ればいいのよ」
医者のおばあの冗談に、お隣の奥さんが「それはいい」と声を上げて笑う。
月向こうの世界のマスコミが、私の存在をかぎつけた。国も王家も沈黙を守っているだけに、報道合戦が加熱している。こうなるのは時間の問題だったとかで、仰々しく隊列を組み、警察官を総動員しての厳戒態勢、王族同様、全てが青信号に変えられた道を移動しているのだから、わからない方がおかしい。
さすがに報道協定が結ばれているらしく、門の内側までは入ってこない。なにより表と裏門以外から入り込もうとすると、神奈尾の住人以外は次元の狭間に落ちてしまうという、かなり怖いことになるらしいく、警察官が周りを囲んで二十四時間体制で警備しているのは、それを防ぐためらしい。おかげで、ここはいつも通りのんびりしている。
ただ、王族同様、顔出しはしないため、移動中もあのベールの帽子を被ることになった。車の乗り降りの際にはすでに被っている必要があり、無駄に広いツバをドア枠にぶつけないよう、帽子を被ったまま乗り降りの練習までしている。正直アホくさい。両手でツバをぎゅっと抑えてしまえばいいのに、それは下品だからやってはいけないらしい。
ちなみにお隣の奥さんも医者のおばあも純金積み立てをしていた。私も始めた。