アンダーカバー / Undercover
第一章 始まり09 コルア国
コルアの首都にはおそらく二時間もかからないうちに到着した。
なにせノワが張り切った。ひそかに乗船拒否にむっとしていたらしく、背後から大きな飛行船が近付いてきた途端、急に速度が上がった。吐くし。
シリウスが「みんながついて来られない!」と注意すれば、「みんなの飛行船の速度上げて!」とわがままを言う始末。
シリウスがみんなに知らせ、吐き気を抑えながら、「ポルクス隊の飛行船、ノワについて来れるほど速くなーあーれー」とアホみたいに唱えた。
一瞬にして速度が倍以上に跳ね上がった飛行船は危険極まりないはずなのに、シリウスが言うにはみんな楽しんでいたとか。
コルアの首都は王様の住まうお城がある。王都だ。
見えてきたのは山の頂上に築かれた、何かで見たことがあるような要塞都市だった。幾重にも壁が張り巡らされ、山そのものが街で、街そのものが山のようにも見えた。
壁で囲われた都市の中心にあるお城の正面広場に次々着地する小さな飛行船。今回は特別にここに着陸が許可されているらしい。広場に繋がる八方の道路には人がこれでもかと押し寄せている。
二人乗りの飛行船は、地面に近付くと中から一人が飛び降りてロープを引きながら停船位置に誘導している。完全に着陸した途端、膨らんでいた風船部分が萎んで自動的に折りたたまれ、コックピット上部に収納されると車のように四方に窓がついた長方形の箱に戻る。
上空で旋回しながらそれを眺め、全ての飛行船が箱に変わったところで、ノワが降りた。
さすがにノワより上の存在がいないからか、王様までもが前庭に出迎え跪いていることをシリウスが教えてくれた。当然シリウスたちも跪いている。後頭部しか見えないので、どれが王様かわからない。
なんの気なしに、ハゲている人もいるんだなぁ、と思った瞬間、それが国王だ、という残念なお知らせがシリウスから届いた。
ノアの「もういいけど」の声をシリウスがポルクス隊長に伝えたのか、隊長が何か声を張り上げると、一斉に起立し敬礼される。それもまたノアの「だからもういいってば」の声に、全員が気を付けの姿勢になった。その整然とした動きは武の国といわれるだけのことはあり、マスゲームのように壮観だった。
お城というからヨーロッパの塔がたくさん生えているようなお城をイメージしていたのに、実際はアメリカのホワイトハウスと国会議事堂を足して二で割ったような、どことなくクラシカルな雰囲気の近代的な建物だった。霊獣の塔と同じような石でできている。大理石っぽくも大理石ではないような白っぽい石。
内部もテレビで見たことがある国会議事堂に似ているような気がする。なんというか、あまり違和感がない。廊下には絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアのような照明器具、広い階段や手すりも見知ったものだ。
よくわからなくなる。砦でもずっと思っていた。
別の世界だとは聞いていた。けれど、別の国だといわれた方が違和感はない。着ている服も現代的なスーツというよりは、少しクラシカルな紳士服や、ドレスというよりは踝までの豪華なワンピース。髪型も全体的に男性はショート、女性はロングが主流らしい。メイドのような人が着ているのはまさしくクラシカルなメイド服。映画で見た、現代より少し古い時代の欧米風だ。
どう考えても別の世界だとは思えない。それとも、人類がいる世界では似たような歴史や文化が生まれるのか。
大帝国ではどうだったかを思い出そうとしてもおぼろげなシルエットしか浮かばない。痛みと苦しみと恐怖と不安に苛まれていた日々は、周りをちゃんと見ることすらできていなかった。
ふと半歩前を歩くシリウスを見上げる。その色を見るとやっぱり別の世界だと思う。瞳の色はさておき、暖色系の髪の色は有り得ても、寒色系の髪の色は有り得ない。それとも私が知らないだけで有り得たのだろうか。
王様との顔合わせは応接室みたいな場所で行われた。
相手は武の国というわりには脂肪を纏った王様と、おそらく補佐官だろう人。対してこちら側はポルクス隊長とシリウス、羽コンビだ。ノワは小さくならず羽ヒョウのまま、どことなくつんつんしている。
当たり前のように誰一人座らない。一人だけ座っているのがものすごく嫌だ。ノワは素知らぬ顔でみんなの周りをゆったり歩き回っている。威嚇か? 威嚇なのか? 王様が面白いくらいびくびくしている。
『色々いたたまれないんですけど……』
──こういう場では我慢しろ。
シリウスのすげない声にがっかりする。どうでもいいから座ってほしい。しかもだ、シリウスは私の通訳という立場上、傍らで跪いている。本気でいたたまれない。
──今、後見人の話になっている。
『未成年だって誤魔化せたの?』
──あー……あのな、この国では成人女性は足を出さないんだ。足を出すのは未成年である証拠だ。
思わず制服のスカートの裾に目がいく。膝丈は十二歳くらいまでらしい。十五歳だとふくらはぎくらいまで隠すらしい。聞いてないし。
『この国の人間じゃないから知らなかったとは思わないの?』
──そこは隊長が丸め込んだ。王は昔から隊長に逆らえない。
なるほど、うちの弟もなんだかんだと兄に丸め込まれていた。
──兄弟がいるのか?
『うん。兄と私と弟。三人とも年子だったの』
ともに仕事人間だった両親は子供を三人欲しがった。考えた末、年子で三人続けて産み、まとめて一気に育て、三人の子持ちにしては早々と母は仕事に復帰した。父が幼馴染みだったこともあり、互いの両親が近所に住んでいたからこそできたことらしい。
なんだかさっきから場の空気が悪い。
ポルクス隊長から怒りのオーラが出ているような。王様が怯えているような、心なしかシリウスが怒っているような。
『なに?』
──バカ王が聖女と第一王子の婚約を内密に準備していた。
『なんで?』
──聖女を他の国に取られたくないから、らしい。
この国は大帝国との国境にあるせいで、常に戦場となる国だ。そのせいで後方に控える国よりもずっと貧しい。聖女が他の裕福な国を滞在国としてしまわぬよう、先手を打とうとしたらしい。
『とりあえず、会ったことない人との婚約でっち上げられて怒ってるんですけど、って伝えて』
──王子だからそこそこ金持ちだぞ。
『貧乏国の金持ちって、裕福な国の普通じゃないの?』
──そう言うなよ。
ポルクス隊長がざまあみろみたいな顔をしているのはなんだろう。
──自分が後見人になることをサヤが了承していると自慢中。
『ちなみに第一王子ってどんな人?』
──年齢はサヤの倍。小太り、小心者、そのくせ威張りたがり、隠れて弱い者いじめをするようなヤツ。
『最悪じゃん。いじめられたの?』
──子供の頃散々。
『なにそれ。敵認定。いざというときはたとえ未来の王様であっても見捨てます』
シリウスが頭の中で笑っている。シリウスが嫌っているのはよくわかった。
──王位は第二王子が継承する。
『第二王子とは仲良かったの?』
──二人でいつも第一王子に仕返ししていた。
第二王子もいじめられていたのか。うちは兄が私や弟をいじめたりはしなかったなぁ。年子だったからか、いつもひとかたまりで遊んでいたような気がする。喧嘩するのはコントローラーの奪い合いぐらいか。
『ポルクス隊長もそうだけど、長男が王様になるんじゃないの?』
──国王のほかに、連合国の要職に就く者も出さないといけないんだ。連合国での立場の方が重視される。
『まさか、第一王子が連合国の要職に就くの?』
──いや、閑職だな。そういう場合用に肩書きだけが偉そうな職が用意されている。
『王様たち知ってる……わけないか。つまり他の国も色々あるってこと?』
──そういうこと。
『なんでシリウスが知ってるのって、そっか、さすが諜報員』
──いや、隊長がぺらぺら話すんだよ。ポルクス隊はみんな知ってる。
『まあ、情報の共有って大切だもんね』
何かでそんなことを言っていたような気がする。この場合そんなひと言で片付けていいのかはわからない。それだけ仲間を信用しているというだろう。そういうことにしておこう。
──自分のことなのに何言っているかわからないから不安だろう?
『まあね。でもいざとなればノワたちと一緒に逃げるし』
どうにも面倒なことに巻き込まれそうになったら逃げることにしている。人の住んでいない島かどこかで適当に暮らしていけばいい。世界地図を見せてもらった日の夜、そう話し合った。
砦にいるときに、ノワたちのようにみんなにも私の言葉がわかるようにしたいと提案したら、ノワにこっぴどく却下された。
言葉の知識は私が元いた世界の知識でもある。それは善くも悪くもこの世界を変えてしまうから、安易に話せるようにするべきではない、と強く言い含められた。
歴代の聖女たちも言葉は通じなかったらしい。
ノワやブルグレも本来ならば聖女や乙女には関わらない。私がイレギュラーだったから、なんだか気になってしまったとか。私にとっては僥倖というものだろう。
僥倖……合ってるよね、使い方。微妙に違うかな。もう辞書で調べることもできない。
聖女は孤独だ。私はまだシリウスがいてくれるから平気なだけで、そうじゃなければ言葉が通じないのをいいことに利用し尽くされるだろう。
──やはり、たとえ聖女の降臨が囁かれていたとしても、どこか人のいないところで暮らした方がよかったか?
『どうかな。あのまま一人でいたら、きっと生きようって思えなかったんじゃないかな。だから、砦に連れてきてもらってよかったって思う。この先一人になっても、生きていけるって思えたから』
「わしが一緒にいてやると言ったじゃろうが」
「あんたね、繋がってるんだから一人じゃないでしょうが」
ふんぞり返ったブルグレと、いつまでもつんつんが抜けないノワの声に、思わずへらっと頬がゆるむ。
「うん。三人がいてくれるからまだがんばれそう」
「がんばんなくてもいいわよ。適当に生きていけるだけのことはしてあげるから」
「やった! 好待遇じゃん、私」
「霊果食べてれば生きていけるでしょ」
いや、それだけじゃ生きていけないよ。
ノワは「なによ、わがままね」と嫌味を言いながらも、つんつんがマシになってきた。
シリウスを見れば、目だけで笑っていた。
眉間の皺がなくなったシリウスの目はそれまでよりずっと優しい。力の制御もかなりできているようで、逆に今までできなかったこともできるようになったらしい。
すぐそばで努力している人を見て、自分もがんばろうと思えるようになったのはここに来てからだ。それまでは「がんばるなぁ」と眺めるだけで、完全に他人事だった。恵まれていたことが今更わかっても遅い。
帰りたい。
そう思うのは「帰れない」とわかっているからだ。「帰れる」とわかっていたなら、もっとこの世界を楽しんでいる。それこそアトラクションを楽しむように存分に。
──サヤ、このまま城に滞在するか?
『しない。いじめっ子がいる場所にはいたくない』
根っからのいじめっ子は、ナチュラルに人をいじめるから始末に負えない。本人にその気がないのが本気で迷惑だ。そんなヤツが近所にいた。子供の頃からそんなヤツだと思って付き合っていたから平気だったものの、ある程度大きくなってから出会っていたら絶対に近付きたくないタイプだ。
まあ、私もナチュラルにやり返していたのでどっちもどっちだ。
「ポルクス隊長のところでお世話になりたいです」
声に出して言う。名前を呼ばれたポルクス隊長がわざとらしく満面の笑みを見せて、なにやら大袈裟な声を上げている。
──サヤ、もう一回隊長の名前を呼べ。いいか、今だ!
「ポルクス隊長」
王様がショックを受けたような顔をしている。王様の後ろに控えている人は渋い顔をしている。
『なんだったの?』
──くだらないことだよ。これでサヤの後見は隊長に決まったな。
『そうなの? なんでノワは笑ってるの?』
「くだらない兄弟の張り合いにあんたがいい様に使われたから」
なんとなく想像できてアホくさくなる。
ひとまず私たちはポルクス隊長が与えられている居住区で数日過ごすことになるらしい。そのあとは、すでに聖女の降臨が発表されているために、連合主要国から次々と聖女への挨拶が来るだろうとのことだった。おまけに霊獣も一緒にいるせいでそれなりの規模になるらしい。なんだか色々がんじがらめになりそうで不安しかない。
急に傍らに跪いていたシリウスの目が真剣さを帯びる。
──サヤ、サヤは自由でいいんだ。とりあえず後見という形で隊長がつくけど、それはサヤに自由を与えるために必要だからなんだ。そうじゃないと、さっきサヤが考えていた通り、いいように利用されかねない。隊長はこれでも連合国では力もあるし顔も利く。隊長が間に入って上手く片付けてくれるよ。俺はサヤと繋がっているから嘘吐いてないことはわかるだろう?
『大丈夫、そこは信用してる。シリウスが騙されるってよっぽどだと思うから』
──それでもな、俺もまだまだ未熟だから、隊長が自分にすら嘘を吐いてたらわからないかもしれない。
『嘘吐いてそう?』
──吐いてないと思うが……吐いたところで隊長の利になるようなこともない。おそらく、だが、副長の足を治してくれたお礼だろう。あれ、隊長を庇っての負傷だったらしい。
『そうなの?』
──そうらしい。
ポルクス隊長の居住棟に移動する道すがらの雑談は、雑談というにはそれなりに重要な内容だった。
ノワは小回りが利く猫の方が屋内では歩きやすいだろうに、乗船拒否を根に持っているのか頑なに羽ヒョウのままだ。おかげで威圧感が半端ない。
ブルグレは勝手知ったるなんとやらで、先に行ってしまった。
人払いがされているのか、進む先々には人っ子一人いない。ポルクス隊長が先頭に立ち、いつの間にか扉の外に控えていたポルクス隊の諜報員たちを背後にひきつれ、道中そこかしこで合流してくるポルクス隊員たちがそれに続き、まるで何かの行列のようになっている。
しかもだ、みんなの足並みが揃っているせいか、かすかな足音がメトロノームのように一定速に聞こえる。その中に混じって彼らより細かなリズムを刻んでいる自分の足音が不協和音を奏でているようで情けない。しかも、みんなより私一人の足音の方が大きく聞こえるのが素人くさくて泣ける。
おまけにこの廊下に敷かれた絨毯には中途半端に滑り止め機能がついているせいか足を取られる。何もないのに何度もつまずいてしまい、仕舞いにはシリウスに子供のように抱えられてしまった。情けなくて恥ずかしくて悔し泣きしそうだ。
──気にするな。誰も気にしていない。
気にするよ。隣でノワが笑いを堪えているし。スカートなのに片腕で子供抱きだし。女の子なのに……。
──一応な、サヤが未成年であることをこれで知らしめているんだよ。そこかしこから視線を感じるから、それなりに見られているはずなんだ。実際色んな思考が飛び交っている。
『そうなの?』
──そうなの。
「聖女を賢いおっさんが囲い込んでいるってよからぬ噂がちらちら聞こえていたらしいわよ」
『えー ……なんか面倒だね』
──まったくだよ。
ブルグレの偵察の成果なのか、ノワもお城の内情をそれなりに知っている。
実は婚約話も事前にこっそり知らされていた。これが優しいイケメン王子ならアリだったかもしれない。が、陰険王子はない。まあ、優しいイケメンなんてそう滅多にいないだろう。イケメンは大抵難がある。兄弟たちの周りを見ていてつくづくそう思った。触らぬイケメンに面倒事なし、だ。