アンダーカバー / Undercover
第一章 始まり
10 ジェームの花飾り


 お城のすぐ隣の敷地にあるポルクス隊長の居住区は、辺り一帯見渡せるほど広々とした庭を備えた、いわば豪華三階建てリゾートホテルだった。
 案内された部屋は三層吹き抜けのメゾネットタイプ。どうやら一番いい客室らしく、ベージュ系でまとめられた上品で豪華な室内に、思わず「うわー!」と声を上げてしまった。

『貧乏国でも王様の兄ってお金持ちなんだね』
──隊長個人というより、王家の所有だけどな、ここ。
『そうなの? 賃貸ってこと?』
──賃貸? 金を払っているわけでも借りているわけでもない。

 つい庶民感覚で考えてしまう。まあそうだよね。王様たちが所有しているものが実質誰のものかなんて正直どうでもいい。
 私の失礼な思考に、つっこむでもスルーするでもなくきちんと答えてくれるシリウスは真面目な人だ。

 ポルクス隊長のだだ広い居住区は、ポルクス隊以外はたとえ庭であっても立ち入り禁止の機密ゾーンだ。お城のメイドさんたちも立ち入れないことを盾に、聖女は城に滞在すべきだ、と主張する王様たちとかなり揉めたらしい。
 情報漏洩については聖女は言葉も文字も操れない、聖女の世話についてはポルクス隊から女性隊員を連れて来ている、と王様を丸め込んだらしい。
 実際に警護の面からもここが一番安全らしく、諜報員たちはメイドやボーイ教育も受けている。これまでも最高レベルの警護が必要な人はここの客室に泊まっていたらしい。
 そもそも、今お城には聖女の降臨を祝おうと各国の使者がわんさか押し寄せている状態だ。そんな場所に聖女を滞在させるのは愚の骨頂だ、とポルクス隊長は小馬鹿にしたように鼻で笑ったとか。
 最後にシリウスに言われて私がポルクス隊長の名前を呼んだことで、ポルクス隊長に軍配が上がった。

──ここにあるものは全てサヤ個人が所有するものだと思っていい。服も靴も宝飾なども、全て聖女に贈られたものだ。
『貰っちゃっていいの?』
──趣味が合うかは知らんぞ。

 そのシリウスの含んだ言い方に不安を覚えながら、案内されたクローゼットを開けば……そこにはひらっひらのワンピースがこれでもかと詰まっていた。
 誰だよ、ロリータ趣味なのは。

──王妃がな、好きなんだよ、こういうの。
『ごめん、私は好きじゃない』
──だと思った。一応俺たちが用意したものもあるはずなんだが……。

 案内してくれていた女性隊員さんがクローゼットの中に入っていった。
 クローゼットのくせに私の部屋より広い。確実に六畳以上はある。それでもまだ四分の三ほどは空いていて、客室なのにこの広さは無駄じゃないかと思う。どれだけ滞在する気なのか。それともお金持ちはここが埋まるほどの着替えを持ち歩くものなのか。

 どうやら一番奥に押し込まれていたらしいシンプルなワンピースを女性隊員さんが何枚も手にとって見せてくれた。
 見た瞬間、一気にテンションが上がる。こっちはすごく好きな感じだ。思わず満面の笑みで頷けば、見せてくれている女性隊員さんもにこにこしている。
 ど派手なアイドルのステージ衣装みたいなワンピースを奥に押しやって、手前に上品なワンピースが並べられる。これは着てみたい。全体的に白やパステルカラーでシンプル、さりげない刺繍や飾り、布の織り方が変わっていたり、派手すぎないリボンがついていたり、袖や裾が少しだけふわっとしていたり、どれもこれもが激しく好みだ。

 自分の今までの感覚と彼らの感覚が同じようでほっとする。
 ひらっひらが当たり前じゃなくて本当によかった。ここではそれが普通だとでも言われたら、軍シャツを何枚か失敬して人の住んでいない山奥か島に引き籠もる。

 真面目にそんなことを考えていたら、シリウスの眉間に皺が寄った。

『みんなが買ってくれたの?』
──まあな。ほとんどは隊長が出してくれたけど。特に治癒された者たちがお返しにって。

 たいした傷じゃなかったのに。

──サヤほどじゃなくとも治癒の力を持つものもいるんだ。傷の表面を塞ぐ程度で完治するわけじゃないが、治癒代はかなり高い。それをサヤは完治させているんだ、本来ならひと財産築いている。

 命の力を使っているのであれば、そうなるのも当然な気がする。普通の人は千年なんて寿命を持っているわけじゃない。

『貰っていいの?』
──貰ってくれ。みんなの気持ちだ。
「ありがとう」
 声に出す。通じなくても気持ちは伝わるのか、お茶を用意してくれていた女性隊員さんたちがにっこり微笑んでくれた。その際、右手で胸のあたりを一度押さえるような仕草を見せた。

──感謝や尊敬を伝えているんだ。

 同じように返そうとしてノワに止められる。

「聖女はね、そうね、言うなれば神や天使みたいなものなのよ。それに感謝されたら困っちゃうでしょ。あなたの場合、言葉は通じないんだからたくさん言葉にして伝えればいいの。態度に出しちゃダメだけど」

 部屋に入った途端猫サイズになったノワは、ソファーの上でまったり寛いでいる。
 先に部屋に入っていたブルグレは、用意されていた果物を貪るように食べ散らかしている。時々ノワに運んであげているのを見ると、怒るに怒れなくてなんだか悔しい。

「なんか、面倒くさいね」
「でも文句も言い放題よ」
 一理ある。実際に大帝国では態度に出さず文句を言っていた。

 こんな豪華な部屋なのに、やっぱりお風呂はない。妙に広々として椅子まで置かれたシャワーブースがあるだけ……シャワーじゃない打たせ湯だった。打たせ湯ブース。せつない。
 トイレは便器というよりも家具みたいだ。壁に取り付けられた肘掛け椅子に穴が空いているような形で、下部は板で覆われており、用を足して立ち上がると何かの薬剤が噴射され、渦を巻いて穴の中に吸い込まれていく。どんな仕組みなのかはわからない。今までとそう変わらない感じだ。むしろ匂いなどは瞬時に消えるので今まで以上かもしれない。



 そこからの日々はもう面倒くさいのひと言に尽きた。
 食事は三度。
 朝食は部屋に用意されるのでゆっくりできる。ただ、昼食や夕食は常に誰かと一緒だ。おそらく昼餐や晩餐会と呼ばれるような催しなのだろう。人に見られながらの食事は気が滅入る。
 スプーンもナイフもフォークも見知ったものと似たような形で、一通り教えてもらった使い方もたいして変わらない。
 箸がほしい。そう思うたびにシリウスに「はし?」と脳内で聞き返される始末だ。毎日ナイフとフォークは疲れる。二股のフォークは何気に使いやすかったものの、豆みたいなものを掬うことができないので、いちいちスプーンに持ち替えなければならないのが面倒くさい。

 口に合わないうえに人に見られながらの食事に辟易する。
 日に日に部屋で食べる朝食はしっかりと、ホールのような場所で食べる昼食や夕食は手がつかなくなっていく。

──サヤ、食事の量が減っているとみんなが心配しているんだが……まあそうだよな。

 お昼前に迎えに来てくれたシリウスは、最後まで言わずとも思考を読んだのか、同情するように目を細めた。

──聖女様は何がお気に召さないのかしら、とまあ、そればかり考えているな。
「やっぱり?」

 そうなのだ。最初の頃は残念そうにワンピースを見ていた王妃様の視線が、日を重ねるにつれ恨みがましいものに変わっていく。それがもう……何よりも耐え難い。

──最近では、一体何がいいのかしら、あんなみすぼらしい格好、とまで思っているからなぁ。
「みすぼらしくないよね、むしろ品がいいと思うんだけど……」

 まあ確かに、装飾過多な王妃様のど派手なドレスと比べたらみすぼらしく見えるのかもしれない。

──王妃以外の評判はいい。
「だよね。さすがに彼女のご機嫌を取るためだけにあの服は着たくない。むしろ私の評判が落ちる」

 諜報員たちが選んでくれたものだ。ハズしていないに決まっている。
 どう考えてもあのひらっひらのステージ衣装が私に似合うとは思えない。あれじゃあ、コスプレを通り越して罰ゲームだ。

「ノワ笑いすぎ」
 ソファーの座面を前足でたしたし叩きながらノワがアホみたいにウケている。何を想像したのやら。感じ悪い。

──あと三日耐えろ。そこで一段落するから。すでに隊長が手を打っている。

 すでに十日以上経っている。あと三日かぁ。正直キツイ。
 午後から行われる各国の使者からの挨拶にこれまた肩がこる。意味もなく笑ってはいけないとノワに諭され、無表情でただじっとお行儀よく座っているだけのある意味拷問タイムだ。
 つい愛想笑いをしてしまいそうになり、ズルをして食事の時も面会の時も「それなりに見えるようになーあーれー」と小声で唱えているほどだ。
 私の通訳兼護衛として付き合わされているシリウスもさぞや疲れているだろう。

 だから部屋にいる今、貴婦人が座っていそうな長椅子にお行儀悪く寝そべっていても大目に見てくれってなもんだ。
 ブルグレの「行儀が悪い」という小言は聞こえないふりだ。

 その面会や食事の席で、色んな肌の色と既視感を覚えるようなさまざまな服を着た人を見た。
 見たことがあるようでないデザインの服や姿。髪の色さえ違えば、元の世界によく似ていた。
 呼吸さえままならなくなるほどぎゅっと心が締めつけられる。望郷の念にかられるとは、こういうことかもしれない。

 見上げた客室の天井は手の込んだレリーフで縁取られている。豪華すぎて私には毒だ。
 息が詰まりそう。

 不意にシリウスに身体を起こされた。ローテーブルに腰掛けるお行儀の悪いシリウスに、お尻が曲がるよ、と言おうとして、祖父母たちの顔が浮かんだ。
 テーブルと長椅子に挟まれ、シリウスの両足でできた小さな囲いの中に自分の両足が収まっている。

──ほら。

 ころんと右手の手のひらに転がってきたのは、あのマーガレットに似た花がモチーフの小さなアクセサリー。繊細な白銀の花びらに包み込まれるようにサファイヤみたいな石がついている。光を受ける青の深さに目を細める。

「かわいい」
──だろう? さっきちょっと用があって街に出たときに見付けたんだ。サヤが好きそうだと思って。
「貰っていいの?」
──貰ってくれ。

 嬉しくて一気にテンションが跳ね上がる。ありがとう、と叫ぶように言えば、見上げたシリウスが目を細めた。

 どこに付けようか悩む。そもそもどうやって付けるのだろう。後ろにはピンではなく平たいボタン電池のような突起があるだけだ。

──付けたいところに押しつけると留まるようになっているんだ。服でも肌でも髪でもどこにでも留まる。

 なにそれすごい。
 どこにしようかと散々悩んで、耳たぶにくっつけてみた。きゅうっと軽く吸い付くように留まる。
 一瞬驚いたように目を瞠ったシリウスは、次の瞬間には嬉しそうに笑った。

──ああ、よく似合ってる。かわいいな。

 なぜ普通の顔してしらっと言える。かわいいとかかわいいとかかわいいとか! 言われたこっちが恥ずかしいわ!

 初めて男の人に言われた。顔がものすごく熱い。顔だけじゃない、全身が熱い。どうしてくれよう、このときめき!
 目の前のシリウスまでもがつられるように顔を赤らめ、あたふたしながら部屋を出て行った。
 迎えに来たはずじゃ……。

「あんたたち、見ているこっちが恥ずかしいわ」
「じゃあ見てなきゃいいでしょ」
 ノワとブルグレのにやけ顔が一気に熱を冷ましていく。

 この羽コンビは毎日毎日ベッドやソファーでだらだらだらだら過ごしている。そばにいてくれるのはすごくありがたい。けれど、さすがにだらだらしすぎだと思う。面倒くさい面会や食事には一切付き合ってくれない。

「その花飾り、指や首元にも付けられるから」
「あ、なるほどねぇ。色んなとこに付けられてすっごい便利」
「女の子にあげるプレゼントの定番ね。付ける場所によって意思表示にもなるの」
「どんな?」
「教えなーい」
 教えてよ。ケチ。

 耳に咲いた花に触れる。ピアスみたいにキャッチがあるわけでもないので落としてしまいそうで心配になる。
「絶対に失くしたくないなぁ」
「どんなときでも私から離れないでーって呪文でも唱えてみれば?」
 ノワの面白がるような声に、その場ではなく洗面所に籠もってこっそり唱えた。



 そこからの三日間、王妃様の目がとんでもなく怖かった。
 シリウスから貰ったアクセサリーを昼食時にそのまま耳につけていたら、瞬きしてる? と訊きたくなるほど凝視され、うっかり目が合ったら呪われそうな眼力に、ひたすら下を向いていた。
 あまりに怖かったので、夕食時はまとめ髪の後ろ、王妃からははっきり見えない位置に付けることにした。すると今度は、視線で殺されるかと思うほど鋭い目でちらちら見られる。
 開き直って耳に着け直したらやっぱり凝視される。怖い。
 いっそ外しておけばいいとわかってはいても、どうしても外す気にはなれず、なるべく耳が目立たないような髪型にしてもらっている。にもかかわらず、必ず王妃様に凝視されてしまう。

『やっと終わったよー』
──よくがんばったな。これでしばらくはゆっくりできるはずだ。
『シリウスも毎回付き合わせてごめんね』

 ようやく最後の夕食が終わったところだ。ポルクス隊長が言うには、これが今回最後の晩餐会らしい。前後左右をポルクス隊に囲まれながら部屋に戻る。
 彼らの歩調は私の歩調に合わされている。最初の一回だけ、私の歩調の幼さを演出する意味でわざと合わせなかったらしい。

『それにしても、あれ本気で怖いよ』
──次はジェームを散らしたドレスにすればいいのかしら、と考えていたぞ。
『ジェーム?』
──その花の名前だ。
『彼女のことだから、さりげない感じじゃないんでしょ?』
──ああ。今日のドレスのようなものを想像している。

 今日の王妃様のドレスは大輪の花飾りがそこら中にくっついている煌びやかなドレスだった。あの大晦日の国民的音楽番組の大トリかってくらい、ど派手なドレス。まあ、なぜか彼女には似合っているからそれはそれでいいと思う。が、私には絶対に似合わない。

──そもそもそれはこういう場で身に着けるほど高価なものじゃないんだ。
『でもかわいいよ』
──そうだが……あれは誰からの贈り物なのかと誰もが気にしている。
『いいじゃん、黙っていれば。誰に貰ったかなんて言いふらす必要ないと思うし』
──そうだが……次はもっと聖女様に見合った高価なものにするよ。
『なんで? これすごく気に入ってるけど』

 ちらっと見上げたシリウスは、周りに人がいるせいか無表情のままだ。その無表情のまま一瞬だけ見下ろされる。

 言われてみれば聖女としてはそうなのかもしれない。なんだかよくわからないうちにこんな状態になっているものの、相手は王様と王妃様、どこかの国の偉い人たちだ。それにふさわしい格好をしなければならないのだろう。
 かといって……、あのステージ衣装はどう考えても嫌だ。用意されていたアクセサリーもとにかく大ぶりでこれでもかと輝いていた。

『今度こういうことがあったら、耳を隠す髪型にする』
──そうだな。

 私には似合っていても、聖女には似つかわしくないのだろう。
 ようやく部屋に戻ってきた途端、互いに顔を見合わせながら、同時にため息を吐いた。

 私と聖女、別者と考えた方がいいのかもしれない。
 ついこの間までは厄災を肩代わりする者として忌み嫌われていたのに、今度は聖なる者としてちやほやされる。その真逆の変化についていけない。