アンダーカバー / Undercover
第五章 存続78 解放
アトラスの冬は長い。一年の半分は冬といってもいい。おまけに、日はとても短く、一日のほとんどが夜だ。逆に夏は日が沈まない。
連合本部のある沿岸部より、私たちの家のある旧王都の方がより夜は長く寒い。アトラスが質のいい光石を求めたのがわかるほど、冬は昏く寒い。
「オーロラって初めて見た」
こんなにも美しいものがこの世にあるのかと、目にするたびに感動が熱を帯び、吐息が寒さに白く煙る。
アトラスの冬は厳しくも美しい。満天の星も、オーロラも、ダイアモンドダストも、風に舞い上がる粉雪も、厳しさが作り出す絶景は私の心を奪ったままいつまで経っても返してくれない。
寒さを忘れるほど魅入れば確実に凍死するんじゃないかと思うほど、アトラスの冬は凍てつく。
「デンジャラス・ビューティー」
うっかり頭に浮かんだまま呟いたら、一緒に眺めていたブルグレに容赦なくおでこを蹴られた。色々台無しにしたらしい。すまん。
雪深いわけではないけれど、一度降った雪は融けない。
雪かきはスコップでやるものだと思っていたら、ここではホウキみたいな道具で掃くのだ。地面に触れても融けることのない粉雪は、パウダービーズクッションの中身みたいに軽くてふわふわしている。踏みしめると、くく、くむむ、と表現しようのない独特な音で鳴るのだ。初めて聞いたその音が面白くて、家の周りを飽きるまで歩き回った。ちなみに、うちの周りはノワのひと吹きで雪かきが終わる。
アトラスに拠点を移した軍人たちは張り切って訓練に勤しんでいる。ノワの樹海がいい訓練場だ。聖女の家がゴールになる。たどり着けるのは今のところポルクス隊だけだ。ポルクス隊長が引退を考えるほど、過酷な訓練らしい。
仮眠室とキューブハウスを行き来しながら、毎日、という感覚を取り戻しつつあった。日常、と置き換えてもいい。生活のサイクルが出来つつあった。
不思議だと思う。人はどこにいても、どんな状況でも、毎日同じような行動を繰り返していると、いつの間にかそれを生活だと認識する。
一度認識すると、あっという間に身体はそのサイクルに馴染んで、時間は上滑るように流れていく。
本当にあっという間に時は流れ、厳しくも美しい冬が終わりを迎え、待ち望んだ春の芽吹きを目の当たりにし、時の流れをしみじみ感じたりするのは、私が前を向いたからかもしれない。
「春の訪れをこんなに待ち望んだことないかも」
「冬が長いからなぁ。アトラス歴の一年の始まりは春だったんだ」
シリウスが懐かしそうに目を細める。アトラスに移り住んで、シリウスはそれまでよりずっとリラックスできているようだった。
「そうなの?」
「そのくらい、春は待ち遠しい特別なものだったんだよ」
住んでみるとそれを実感する。本当に冬が厳しいから、寒さがじれったいほどゆっくりと和らいでいき、短かった昼が少しずつ明るさを取り戻し、逆に長すぎた夜が少しずつ遠慮し始める。
いつ降ったのか忘れるほど長く存在し続けた雪がようやく融け始め、融けた雪の下から小さな緑の芽を見つけた時の感動は、それこそ生きる喜びにも似て、自ずと自然に感謝したくなる。
生きていることを実感するような春の訪れは、私というこの世界では異質な存在さえ自然の一部だと思わせるほど、心を浮き足立たせた。
そんなそわそわと落ち着かない心を持て余しながら、それでも毎日春の気配を見付けてはシリウスに逐一報告した。砦とはまた違う春は、初めて目にするもの多かった。報告のたびにシリウスも嬉しそうに聞いてくれるので、一層張り切って春を探し回った。
浮き足立っているのは私だけじゃない。ポルクス隊長がぴりぴりしている。何事かと思えばアルヘナさんが妊娠したのだ。ようやく安住の地を見付けた野生の獣のように、アトラスという安心して住める地に引っ越してきた途端、ポルクス隊長は長年の夢であった我が子を切望し、アルヘナさんがそれを叶えた。
だったらもう少し浮かれてもいいようなものなのに、ポルクス隊長はアルヘナさんが心配で落ち着かないらしい。
「過去に二度、子供を失っているんだ」
しかも悪意でだ。妊娠中のアルヘナさんが狙われた。連合軍の切っ先に立つポルクス隊長を恨む者は多い。
「大帝国?」
「そうだ。もう子は望めないと言われていたんだ。それがサヤの加護を得て叶った。二人ともあえて言葉にはしないがサヤに心から感謝している」
私の力が誰かの力になる。新たな命を生む。
それは、治癒するよりもずっと嬉しい知らせだった。
ポルクス隊長夫妻だけじゃなく、ここ数年、連合加盟国全体の出生率が上がっているらしい。
停戦中であることが大きい。できればこのまま平和が続けばいい。それには乙女の存在が不可欠なのに、その存在はいまや風前の灯火だ。
「乙女の存在はわりとどうでもいい。今や次期皇帝との繋がりがある。彼が在位している間は話し合いで解決できることの方が多いはずだ」
そうだったらいい。停戦は大帝国にもそれなりの富をもたらしている。軍事に特化していたとはいえ、人々の生活はここ数年で豊かになっている。不満を漏らしているのは軍事産業の中心にいる者たちだけで、それらは次期皇帝に反旗を翻そうとしている者たちでもあり、乙女が命力を奪うターゲットでもあった。
また、ファルボナの独立に伴い光石の値が上がり、戦時にそれまで以上の資金が必要となることもわかっている。そう簡単に仕掛けられない状況になりつつある。
ポルクス隊が今一番注視しているのはファルボナだ。ファルボナの一部を不当に占拠しようと企む者が後を絶たない。
現状、ゾル族のオアシスとバザールの間に連合軍とファルボナ軍が合同演習という名目で砦を築いている。
ファルボナ軍を率いるのはネラさんとルウさんだ。まだまだ有志の集まりにも似た、軍とは言えない集団だけれど、元々傭兵が多いファルボナだ、身ひとつで戦地を生き抜いてきた猛者が多い。
時々シリウスと一緒にその様子を見に行っている。
彼らは聖女という存在を前にしても動じなかった。あるがままを受け入れる寛容さと、己以外を信じない狭量さを併せ持っていた。
そんな彼らをまとめるネラさんの手腕は見事なもので、ワイヤーアクションのような身のこなしで彼らを実力でねじ伏せ従わせていた。
「ネラさんのあれ、能力じゃないの?」
「力じゃないんだよ、純粋に肉体を鍛えて培われたものだ」
腕や顔など、見えるところに生々しい傷痕のある猛者たちと並ぶネラさんには一切の傷痕がない。傭兵は常に最前線で戦う。傷痕のないネラさんの実力がどれほどのものか、今になって初めて理解できた。シリウスが欲しがるわけだ。
シリウスが手放しの賛辞を贈るほど、ネラさんの身体能力は高い。そのネラさんに鍛えられたルウさんもめきめきと力を付けている。
それは、その先のことに繋がっていくようで、その先は決して平穏だけじゃない気がして、漠然とした不安を抱かずにはいられない。
ファルボナは今、そんな混沌とした状況の中にあった。
聖女であることはこの世界では絶対で、けれど私の中では曖昧で、何をどう考えても私自身は非力だった。
聖女の力は不可抗力で得た力だ。自分自身の努力で得た力ではないからか、どうしても軽く考えてしまう。簡単に考えてしまう。
「聖女は気まぐれでいいんだよ。サヤがやりたいことだけやればいいんだ」
「贔屓してもいいのかな」
「いいんじゃないか? 少なくともノワはサヤを優遇しているだろう?」
そこで納得できてしまうのもどうかと思う。それでも、ノワが私を特別扱いしているのは間違いない。私とドヤ顔の立場が逆だったとしても、ノワは私の味方になってくれた気がする。
「出来上がったファルボナの砦を加護してもいいと思う?」
「いいんじゃないか?」
「シリウスは嬉しい?」
「嬉しいと言うよりは、助かるな」
「総長として?」
「総長として。あとはネラとルウの友人としても」
ああ、そうか。友人を助けるためならなんの抵抗も感じない。ファルボナのため、と大きく考えるからいけないのだ。ネラさんとルウさんのため、と考えれば、力を使うことは当たり前だと思える。
「でもさ、聖女に贔屓されてるってことで危険に巻き込まれない?」
「今のあの二人ならそれを逆手にとって上手く立ち回るだろう」
言われてみればそんな気もする。
アトラスに戻るときにノワに訊いてみた。ファルボナに来る度に、ノワは噴火のその後を必ず確認しに行っている。
「そうねぇ、私もここに関わっちゃったからなんとも言えないけど、でも、やっぱり関わったことを悔いてはいないのよね。もっとやり方はあったんじゃないかって思ったりはするけど」
以前、私もそう感じたことがある。ネカくんやギエナさんに血を与えたときだ。
「でもね、結局はやってみなきゃわかんないじゃない? だったら、やるかやらないかだけはきっちり決めた方がいいと思うのよ。やらないなら何があってもやらない。やるなら何があってもやる」
そこが一番難しいのに。
「でもまあ、私もそんなに一生懸命考えてやってるわけじゃないわ。ダメだったらしばらく引き籠もればいいのよ」
その妖獣思考が羨ましい。その妖獣兼霊獣がにたりと笑う。
「いいじゃない、いざとなったらあなたも妖女よ」
嫌すぎるお誘いだ。全力でお断りしたい。
そして、忘れたくても忘れられず、けれど、私の中ではすっかり過去の人物と化していた「中田ほのか」がこの世界から消えた。
その朝、これまでにないほど爽快に目が覚めた。あまりの爽快感にぐうっと全身を伸ばし、「んわーぁ」と奇声を上げたくらいだ。
かつてないほどの解放感に首を傾げる。
自分の意識が世界中に解き放たれたような、そんな大きすぎる感覚だった。
「あら、思ったよりも早かったわ」
その軽いノワの声で、ようやく何が起きたのかを理解し、その事実に自分がなんの感慨も抱いていないことに少なからずショックを受けた。
何も思わなかったのだ。それどころか味わったこともないような解放感に酔いしれたのだ。
「私って、やっぱり薄情なのかな」
「そう? 私には当然の感覚だと思うけど」
「俺もそう思うな」
シリウスも起きていたのか。
「あなたが抱える罪悪感って元の世界に基づくものでしょ。ここでは今あなたが感じたことが全てよ」
人一人の存在が無くなったというのに、悼むわけでもなく、悲しむわけでもなく、ましてや嘲るわけでもなく、かといって喜ぶわけでもない。本当に何も感じないのだ。むしろ憑き物が落ちたみたいにすっきりしている。
「ノワが思っていたよりも早いの?」
「早いわね。あとひと月は保つはずだったのに」
「何かしたってことか?」
「そうかもね」
シリウスが急いで支度をしている。いつの間に起きたのか、ブルグレがシリウスに窓を開けさせ飛び出していった。
同じように慌てて支度をする。ノワだけが暢気にあくびをしていた。
なかなか情報は得られなかった。
乙女の存在が消えた瞬間、彼女個人の情報が忽然と消えたのだ。「乙女」が存在したことは記憶に残っている。けれど、「中田ほのか」が存在したことはきれいさっぱり消えているらしい。覚えているのは私たち四人だけ。私の加護を持つポルクス隊たちや羽リスたちすら、彼女自身を憶えてはいなかった。
ぞっとした。
私もきっと同じように消えるのだ。
──その時は俺も一緒だ。
緊急会議に出ているシリウスから声が届いた。
傍にいないのに、その存在をすぐ隣に感じた。
「私は憶えてるわよ。あなたたちの子供も憶えているわ」
ノワの存在。私が肉体を得ていたこと。この世界にシリウスとブルグレが存在すること。
「よかった、って思っていいんだよね」
少しでも不安を薄めたくて訊いたのに、ノワの答えはいつも通り素っ気ない。
「どっちもどっちね」
でた、ノワのどっちもどっち。
確かにどっちもどっちだ。不運であり幸運であり、どっちもどっちだ。
「生きるってきっとそういうことよ」
悟ったようなノワの声に、そういうことか、と強引にぎゅうぎゅう押し込んでお腹の底に落とす。
「なんなの? さらっと納得しなさいよ」
「えー。だってなんか、そんなもんかなぁって無理矢理丸呑みした感じなんだもん」
ノワが舌打ちした。猫の舌打ちとは器用な。
「あのね、私猫じゃないから」
「そういえばさ、その姿に擬態しているってことは、人の姿にも擬態できるの?」
ノワが心底嫌そうな顔をした。
「あんたってホントうんざりするほど人間至上主義よね。同じ姿になる必要があるなら、あなたが私の姿になりなさいよ」
ああ、と自分にため息を吐きたくなった。言われないと気付けない。
確かにそうだ。人間を中心に考えるから、人の姿になれないか、なんて考えてしまうのだ。
「元々私はこの姿よ。ここではそれを再現してるってだけだから。人の姿になる必要がどこにあるのよ」
なんとなくガルウに擬態したのかと思っていた。
「違うわよ。ガルウは私がつくったの」
「は? え、なに? 遺伝子操作したってこと?」
「そんな大袈裟なもんじゃないわよ。色々交配してみたのよ」
うわぁ。なんかちょっと……うわぁ。
そう思いながらもどこかで理解できるような気もした。私も同じ立場だったら、きっと同じことを考える。
「今はもう淋しくないから」
「ん。ならいいけど」
それでも淋しいだろう。自分と同じ存在がいない孤独はどれほどのものか。
その時、大袈裟に言えば天啓のようにぱっと閃いた。
「ねえノワ。私が死ぬとき、存在が消える前に私のこと食べていいよ」
「いいの?」
そこで目を輝かせるのが、ノワのノワたる所以だ。
「うん。ノワになら食べられてもいい」
どうせ死んだとしても元の世界に戻れないなら、ノワの一部になるのも悪くない。万が一残った死体がいいように利用されるくらいなら、ノワの糧になりたい。
きっとノワは私の私たる部分だけを食べて、肉体は残るだろう。いつかの果物のように。
その抜け殻となった肉体は大地に還して、霊樹を育めばいい。
──俺も食っていいぞ。
頭に響いたシリウスの声に、ノワと顔を見合わせて笑った。
「まだまだ先の話ね」
「あっという間かもよ」
「そうかしら」
「そうじゃない?」
そうかもね、と小さく呟いたノワは執務室の長椅子の上でぐうっと伸びをして、くたっと伏せた。
「で、いいの?」
「なにが?」
「憑き物のこと」
「んー……いいも何も、もう私の中では終わったことなんだよね。今思うと、私の中ではあの結婚式の日で終わってた気がする。そのあとうだうだ悩んで、でもそれが彼女の生き方で、そこに私が関わらないならもういいやって思ったせいか、自分でもびっくりするくらい今はなんとも思わないんだよね」
そう、とノワが漆黒の目を細めた。
「わかるでしょ、平気なフリしてるわけじゃないって」
「うだうだした甲斐があったわね」
嫌味か。いつもなら威嚇してくるノワが柔らかに目を細めた。
「あなたも少しは強くなったのね」
「鍛えられましたから」
「シリウスにね」
「ノワにだよ!」
しれっとシリウスのせいにしようとして。どう考えてもノワにだろう。
「あれが最後に何したか、知りたい?」
「わかったの? 知りたい」
身を乗り出して言ったら、ノワが驚いたように身体を起こした。
「あらやだびっくり」
おばちゃんか。ノワの目がまん丸だ。
「あなた本当に強くなったのねぇ。ちょっと前なら聞きたくないって逃げたのに」
「だよね、自分でもびっくりする」
「どういう心境の変化?」
どういう……なんだろう、単純にもう自分とは関係ない存在だとしか思えないというか……。繋がっているノワがわからないくらい、自分でもよくわからない。
「んー……どうでもいい感じ? どうでもいいから逆に野次馬根性的好奇心で知りたい感じ? ゴシップ的な?」
「あー、なんとなくわかる気がするわ」
間違いなくノワやシリウス、ブルグレの存在が大きい。彼らが揺るがないから、自分も揺るがずにいられるのだと思う。
あとは、あの日感じた多幸感かもしれない。あの時、絶対の安心を感じたからかもしれない。
私はずっと、ずっとずっと、絶対的な存在が欲しかったのだと思う。血の繋がりのような、絶対的な存在。
「聞いてももうなんとも思わないってわかってるから聞ける感じ?」
「なんだか哀れね」
私のこと? 思わずノワを見る目が細まる。
「違うわよ。あの女よ。最後まであなたに自分の存在を刻みつけたかったみたいなのに」
「なんで私に関わろうとするんだろうね。嫌いならほっとけばいいのに」
「たぶんね、妬ましかったのよ、あなたのこと」
「んん? 妬むって羨ましいってこと?」
私のどこに羨ましがられる要素があったというのか。
「でも大切にされてるでしょ、あなたって」
あー、と声を上げたまま、後の言葉は続かなかった。
それは紛れもない事実だ。私はそう思っている。間違いなく大切にされていた。実の両親にも、家族になってくれた親兄弟祖父母にも、私は大切に守られ育まれてきた。
確かに私は幸福だった。
それを本当の意味で理解できたのがこの世界に来てからだというのが悔やまれる。もっと感謝を伝えておけばよかった。たとえ私の存在が無に還るとしても。
「ここでも、聖女というよりあなた個人を大切にしてくれる人たちがいるでしょ、それがね、許せなかったみたいね」
「えー、でもそれって別に彼女に許してもらう必要なくない?」
「そういうところがイラッとしたんでしょうね、あの女にしてみれば」
悪口か。
「褒めてるのよ」
悪口だな。ノワがにたにた笑っている。
「で、誰が好きだったの?」
「陰険な幼馴染み」
「あー……由貴は無理だな。あれは無理だ。あいつ自分でも『人を好きになる気持ちがさっぱりわからん』って言い切ってたもん。軽くサイコ入ってたもん」
「でもあなたは気に入られてたんでしょ?」
「気に入られると弄られるは違うよ」
むしろ私は全力で避けていた方だ。晃と仲がいいから避けきれなかっただけで。
「彼女から見たら、そうだったのよ。切っ掛けを作りたいのにあなた、のらりくらりと躱していたでしょ? それが余計に腹立たしかったのよ」
なんとなく、晃のことが好きだったのかと思っていた。確か、軽い感じで「紹介して」と言われたのも、由貴ではなく晃だった気がする。まずは晃と仲良くなって、由貴への足掛かりにしようとしたのか。よりによって由貴とは。また難しいところを……。しかも彼女は由貴の好みじゃないし。由貴は私みたいにうだうだ悩むヤツをギリギリまで追い詰めるのが好きなのだ。絶対に関わりたくない。
「あー……なんか不思議。本当になんとも思わないや。なんで今まで全力で排除しようとしてたんだろう。必死すぎて自分でも引く」
「そうみたいね。完全に他人事ね」
「なんでこんなにすっぱり気持ちが切り替わったのかなぁ」
「シリウスのおかげじゃない?」
「だよねぇ。シリウス以外どうでもいいやって思い切ったら、本当にどうでもよくなった」
こんなに簡単なことだったとは思わなかった。ものすごく覚悟のいることかと思っていた。気付けばいつの間にか乗り越えていたような……。
そうだ、自転車に乗れたときと似ている。晃が後ろで支えていたはずなのに、必死にこぎながら振り返ると、晴と晃がはらはらした顔で自転車の後を追いかけていた。それを見たときと同じような感覚だ。あれ、私一人で乗れてるじゃん! みたいな。懐かしいな。その後何度転んでも、なかなか上手く乗りこなせなくても、一度一人で乗れたことで芽生えた自信はとてつもなく大きかった。
「しみじみ哀れね」
「ノワはどっちの味方なのさ」
「私は誰の味方でもないわよ。だから、哀れだなーって私くらい思ってあげないと浮かばれないでしょ」
呆れ混じりのノワの声は、後半になるにつれ含みを見せた。
「ねえ、ほかにもなんかあるの?」
「それを調べに行ったんでしょ、ブルグレ自ら」
「羽リスたちの報告は?」
「彼女個人を憶えてないから、力の判別ができないのよ」
「どういうこと?」
「あの赤の男の纏っている力が誰のものなのか、それを調べに行ったの」
もしそれが彼女の力なら、消滅を覚悟して加護を与えたってこと?
「そうなるわね」
それって……。ノワがすっと目を細めた。ブルグレ諜報員、早く帰ってきて!