アンダーカバー / Undercover
第五章 存続
74 変化


 上空からアトラスを気が済むまで眺め、全員姿を隠して大帝国側の国境付近をじっくり観察してから砦に戻ると、シリウス共々執務室に呼ばれた。
 呼び出された理由に覚えがありすぎて、職員室に呼び出されたような気分で顔を出せば、厳しい顔のポルクス隊長が待っていた。
 大きな机の向こうで腕組みして座っているポルクス隊長の前に、シリウスと二人立たされている。最初の頃は私が座ってポルクス隊長が立っていたのに……と過ぎし日を思った。今じゃすっかり逆だ。
「アトラスに何かしたかと訊かれている」
 シリウスの無表情っぷりがいつも以上にすごい。
 国境付近の大帝国軍がざわついていたのはすでに確認済みだ。
「えーっと、なんで?」
 首を傾げる。わざとらしかったかもしれない。シリウスは完璧な無表情だ。
「うちの隊はなんともないが、大帝国からアトラス領内から排除されるとの問い合わせがきている」
「えーっと、排除って?」
「なんとなく、立ち入りたくない気がするらしい。かつてのアトラスを彷彿とさせると」

 ぱん! と勢いよく手を叩いたポルクス隊長がわかりやすく苛つきながら席を立ち、会議用の大きな机に移動し座った。私たちも遠慮なく座る。
「怒ってる?」
「下手な芝居はいいらしい」
 シリウスが簡潔に説明すると、途端にポルクス隊長の機嫌がころっと直った。

 それにしても大帝国からの問い合わせが早い。こっちが関係していないとわかっているからだとしても迅速かつ直接的な訊き方だ。最前線ではあるもののこの数年でそこそこ関係は築けているのかもしれない。

「なんでポルクス隊長ご機嫌なの?」
「俺の領地なら連合国の領地になる」
「なにそのジャイアニズム」
 シリウス自身もそう思っているからこそ、大帝国の人間だけが排除されたのか。
「アトラスって独立国だったよね」
「そうだな」
「じゃあ、シリウスの領地だって独立国でいいんじゃないの?」
「そう思っているが……ああ、ポルクス隊が排除されないのはサヤの加護を持つからだろう」
 そっちか。
「現状、俺自身が連合国の人間だ。所領も連合国に属するのは仕方がないだろう」
 それもか。
「だから、サヤの領地にすればよかったんだ」
「そうはいっても、シリウスだって准聖人なんだから、准聖人としての領地ってことにすればいいじゃん」
「その理屈は神殿にしか通用しない」
 めんどくさいな。
「じゃあ、ノワの領地にすれば?」
「人が住めなくなる」
 たしかに。それこそ神域になる。聖地巡礼には事欠かないかもしれない。グッズとか売り出せば儲かるかも。肉球マークの御札とかお守りとか。
 邪なことを考えている間に、シリウスはポルクス隊長となにやら話を進めていた。シリウスがはっきりと顔をしかめ、眉間に刻まれた皺の深さを見る限り、どうもよからぬことをポルクス隊長が提案しているようだ。

「聖女宮殿ごとの移設を提案されている」
「ええーいいよ、あの真ん中のキューブハウスだけでいい」
 とはいえ、あの家の所有権はどうなっているのか。勝手に私たちのもの発言してしまった。
「是が非でも聖女宮殿を建てたいらしい」
「なんで?」
「そうすれば、聖女宮殿に仕える者たちも一緒に移り住むだろう?」
 どんだけ奥さん大好きなんだよ。ポルクス隊長を睨めば、ものすごくいい笑顔で頷かれた。
「ついでに、領地の端でいいから本部も移せないかと」
「えー……シリウスの領地だからシリウスの好きにすればいいと思うけど……メキナじゃダメなの?」
「メキナには毎年多額の借地料を払っている」
「え、じゃあ、この砦もコルアにお金払ってるの?」
「いや、コルアには払っていない。防衛に繋がる陸海空の基地は無償だ。この砦もコルアの防衛を兼ねる」

 ボウェスの海軍基地やほかの基地も基本的に設置国の防衛も兼ねているから借地料は発生しない。直接的な防衛に繋がらない本部だけが払っている。基地を抱える国は防衛面で仕方がないとはいえ不満を持たないわけでもないらしい。

「本部の移設にかかるお金より、メキナに払うお金の方が大きいってこと?」
「ああ、本部は移動可能なんだ」
 なんと、本部はキューブハウスの集合体で、移動はもとより、必要があれば変形も可能らしい。
「できるだけ借地を少なくするために限界まで縦に積んである。あれ以上は荷重の関係で無理なんだ」
 びっくりしすぎて口が「は?」のまま閉じなかった。そんな私を放置して、ポルクス隊長が何かを話しかけている。とりあえず口は閉じた。

「宮殿の移設はさすがに無理ですよ。あれ、メキナの歴史建造物でしょう」
 シリウスがそう返すと、ポルクス隊長が腰を浮かせ、唾を飛ばす勢いで何かを捲し立てている。
「わかりましたよ。宿舎も研究施設も移せばいいじゃないですか」
 意気消沈と意気揚々。シリウスとポルクス隊長のテンションの違いが面白すぎる。
「そのかわり、我々は我々だけで暮らします。聖女の世話は一切不要、私一人で十分です」
 それに大きく何度も頷いた。ここで思いっきり主張しておかないとまたずるずると誰かしらの手が生活に入り込む。

 渋い顔のポルクス隊長が何かを言う度に、シリウスが反論している。必要なときだけエニフさんとデネボラさんに来てもらうとか、仮眠室で十分とか。今度はポルクス隊長の眉間に皺が刻まれた。
「あまりにしつこいと家ごと隠しますよ」
 それにポルクス隊長が小馬鹿にしたように反論している。まあ、私が迷彩化したところで私の加護を持つポルクス隊は見破れる。
「霊獣が隠します」
 今度こそポルクス隊長は口を噤んだ。シリウスもそのまま黙り込んだ。しばらくの睨み合いの末、ポルクス隊長が折れたのか、渋い顔で大きく息を吐きながら椅子の背に身体を預けた。
 ちなみにノワはそんなことしない。そんな面倒なことをするくらいなら、ノワの住処に逃げたほうが早い。シリウスの黙り勝ちだ。



 その数日後、私たちはメキナに移動した。
 アトラス領について公式発表するのかと思いきや、暫定的とはいえ元々シリウスの領地なのでわざわざ再度念押しする必要はないらしく、シリウスも本部も沈黙している。
 それに対し、神殿は公式にアトラス領主について聖女の宣言が成され、霊獣がそれを認めていることを発表している。実はこれが肝らしい。第三者からの発表。
 大帝国から反発があるかと思いきや、これまた沈黙している。私の単純脳は、結婚式の準備が大詰めだからだ、との答えを弾き出したけれど、どうやらそういうことではないらしい。

「皇帝が伏せった」
「結婚式まであと少しだよね」
 すでにひと月を切っている。
「治癒の力を持つものが民間からも内密に集められている」
 トップシークレットなのになぜ知っている。ここはポルクス隊を褒めるところか、ブルグレ精霊隊を褒めるところか。
「両方だ。少し前にサヤが色を変えた新人と組ませて潜り込ませた」
 新人数名の最初の試練らしい。色を変えた分安全なうえ、羽リスたちも付いている。前に腕を治癒した金色の青年が率いて潜入しているらしい。
 ちなみに、子供の頃に十分な栄養をとれずに育つと、色が少し抜ける。黄色ではなく金色に見える彼は、もしかしたら薄茶色を持つ山間部を移動する少数民族の迷い子ではないかといわれている。彼もまた、任務の合間に自分の家族を探しているらしい。

「ヤバそう?」
「今日明日ということはないが、一年後となると難しいだろう」
 本当にもう、あのドヤ顔は何をやっているのか。だからといって、どうにかする気はない。が、もやもやはする。
 あの皇帝のことだ、自分の命を引き延ばすためなら治癒の力を持つ人たちの命力を限界まで使わせかねない。本人が納得しているならいい。もしそうじゃなかったら、と考えるとものすごく腹立たしい。秘密裏に、しかも民間から集められているなら、そうじゃない可能性の方が高い。
「サヤの思うとおりにすればいい」
「シリウスならどうする?」
「俺か? 俺なら何もしない。そもそも俺はサヤほど優しくはない」
 私だって優しいわけじゃない。単に小心者なだけだ。自分が傷付くことをできるだけ避けたいだけだ。
 そこまで考えて、はっとした。
 もしかして、シリウスの言う優しさは自分にも向けられるべき優しさなのか。

 本部の執務室で移転準備をしているシリウスを見れば、薄く笑っていた。

「かわりに俺が優しくしてやる。だからサヤ、自分の、自分だけの最善を尽くせ」
 自分だけの最善。誰かのためじゃなく、自分のため。それはわがままや押しつけにならないだろうか。もしかしたら私は、人としての最悪を選択するかもしれない。
「自分が最善だと思ったことを他人がどう取るかは関係ない。結果は誰かが決めるものではなくその時のあらゆる条件に委ねた、いわば霊獣の気まぐれだ」
 その時のあらゆる条件に委ねたもの。霊獣の気まぐれ、という慣用句が心の端っこで気になった。

 シリウスから渡された書物を木箱に収める。建物ごとの移動とはいえ、割れ物や振動で崩れそうなものは木箱に詰めておく。動いちゃダメよ、の呪文を唱えようとしたら、シリウスが「このくらいは」と笑うから、仕事の合間に一緒に木箱に詰めていくことにした。気分転換に丁度いいらしい。

 本部の移動は乙女たちの結婚式の後、秋の初めと決まった。冬になる前に終わらせたいらしい。すでに地下水確保のためにボーリング調査が始まっている。ダウジング能力を持つ人がいるらしい。
 新たにキューブハウスを購入し、研究所も場所を移す。これは極秘になるので宮殿の中庭にある私たちの家が移動した後、そこにキューブハウスを入れ、秘密裏に引っ越し作業を始める。こっちは時間がかかるそうで、来春に移ってくる予定だ。
 本部の移設と同時に宿舎も移動する。宿舎もキューブハウスなので簡単だ。

「せっかく聖女宮殿改装したのに、勿体ないね」
「神殿に改装費上乗せで売れた」
「何に使うの?」
「学校や色々だ。いまや聖女と付けばなんでも有り難がられる」
 便乗商法は勘弁してほしい。
「そこは神殿が取り締まっている。すでに聖女石鹸の類似品がいくつも摘発されている」
 ここには警察という機関がない。各国の法を取り締まるのは、その国の軍と神殿、各領内に領主が管轄する自警団だ。国によって同じ案件でも法の違いがあるため、連合軍は一番厳しい規律の中にある。当たり前に権力者の私刑が横行する世界だ。法は時の権力者によって常に塗り替えられる。

 本部には各国との連絡係、いわば大使みたいな人たちが常駐している。これまではメキナに滞在しながら本部に顔を出していたけれど、アトラス移転後はそういうわけにもいかなくなる。彼らのための宿舎も用意する必要があり、各国と連携しながらアリオトさんを中心に話を詰めている最中だ。

 国境の砦は連合軍の陸軍基地となり、現陸軍基地にはコルア国軍が詰めることになるらしい。海空軍基地は現状維持となる。おそらく数年後にはアトラスに移設されるだろう、とシリウスが無表情で話していた。
「嫌なら断ればいいのに」
「そういうわけでもないんだ。基地ができればそれだけ人も集まる」
「神殿からも色々言われてるんでしょ?」
「とりあえず、メキナ神殿の長が単身でも来るそうだ」
 こんな常夏からあんな極寒に行って大丈夫なのだろうか。メキナの神殿長はかなりの高齢だ。
 アトラスはコルアよりも北に位置する。夏は白夜となり、冬はコルア以上の極寒地だ。

「なんか、ものすごい勢いで世界が変わっていくね」
「サヤは大袈裟だな」
 シリウスがふっと吐息混じりに笑う。
「大袈裟じゃないよ。何もないところにあっという間にたくさんの建物ができるなんて、私にとっては現実的じゃないもん」
 生活していたそのままがそっくり別の国に移動するのだ。しかも空を飛んで。
「あれがアトラス最後の遺産だ」
 キューブハウスはアトラスで生まれたらしい。だから、アトラス周辺で多く見かける。

 シリウスは平気なのだろうか。
 元々、シリウスの故郷で静かに暮らせたら、と思っての引っ越しだったはずなのに、いつの間にか事が大きくなっている。私たちだけのつもりがたくさんの人を巻き込んでいる。
 彼の中の思い出が穢されてはいないだろうか。

 シリウスの大きな手が頭の上に置かれ、くしゃくしゃと髪を乱す。
「考えすぎだ」
「ちょ、ホコリまみれの手で頭撫でないでよ」
 それは失礼、とシリウスが朗らかに笑う。
「俺たちの家は、王城があった場所に移す」
 ん、と小さく相槌を返しながら渡された本を木箱に詰めていく。ノワにホコリを払ってもらってから作業すればよかった。手がホコリで薄ら汚れている。
 ノワとブルグレはアトラスの偵察に出掛けている。
「本部は沿岸部に、その周辺に関連施設が配置される。かつて王都と呼ばれた区域は立ち入り禁止にする」
「私たちは、そこに立ち入らせてもらってもいいの?」
「家族だからな」
 その言葉はゆっくりと私の中に沁み込んできた。