アンダーカバー / Undercover
第一章 始まり07 力の制御
見せてもらった世界地図には大陸がひとつしかなかった。あとは大小の欠片のような島がその周りに散らばっている。
長方形の地図の真ん中にあるのは、への字型や間延びしたΩ字型にも似た大陸。頂点のあたりから大帝国と連合国に分かれていて、国土は連合国の方がやや広い。
だからなのか、戦争をしかけてくるのはいつだって大帝国側らしい。
連合国は暖色系の色を持つ人を排除していない。移民の受け入れも行っている。
逆に君主制の大帝国では寒色系の色を持つ人は排除される。どちらの国も肌の色はさまざまなのに、髪と瞳の色ではっきりと区別される。
大帝国にいた半年もの間、寒色系の色を持つ人を見かけたことがなく、シリウスに出会うまでこの世界は暖色系の色を持つ人しかいないのかと思っていた。
ここはコルア国。Ω字型の頂点下部にあたる、常に陸の戦場となる国だ。それゆえに、基本的に街は山の中腹より上につくられ、平地には何もない。上空からは日本でも見たことがある段々畑がそこかしこできれいな模様を作っていた。
首都もやはり小高い山の頂上にあるらしい。
ここ数日、この国というか、世界についてをシリウスから教わっている。
なぜか毎回執務室に連れて来られ、大きな会議用のテーブルにシリウスと並んで座っている。その向こうには立派な机に座る偉い人。おそらく監視と観察を兼ねているのだろう。
しかも初日は二人とも立ったままか跪くかの二択で、いい加減うんざりして、ここでは聖女として扱うことを禁止した。思いっきり命令してやった。直後に羞恥で悶えた。
偉い人からは、監視というよりも好奇心ゆえにじっくり観察したいという、ちょっとストーカーじみた視線を感じる。ちらっと目を向けるたびにばっちり目が合う。目が合うたびに口角を上げて笑い顔が作られる。ストーカーじみた、ではなく、そのもの、かもしれない。もしくは、世にも珍しい聖女を目の前に置いておきたいコレクターか。
シリウスも特に否定しないので、そんなところだろう。
「シリウスってさ、目、悪いの?」
──なんでだ?
「目つき悪いから」
シリウスが一瞬、ぐうっと言葉に詰まったような顔になった。タイミングよく見ていたのか、偉い人が、ぷっ、と吹き出し、それを睨みつけるシリウスの眉間の皺が一層深くなった。
シリウスはいつも眉間に皺が寄っているせいで、精悍というよりは強面だ。
せめて眉間の皺がなくなれば男らしいとも言えるのに。笑うと途端に優しい顔になるから、いつも笑っていればいいと思う。
──この砦に目が悪い者はいないな。
ああ、なんとなくわかってしまった。そりゃあ、眉間に皺も寄るだろう。
霊獣の塔では眉間に皺が寄ることもなかったから、もっと印象が柔らかだった。おまけによく笑っていたように思う。砦に来てからは笑顔どことか表情が消えた。それもきっと原因は同じだろう。
「コントロールできないの? 聞こえたり聞こえなかったりって」
──できない。常に聞こえる。自分の思考は向けたものにしか伝わらないが、周りの思考は無秩序に聞こえてくる。
「それ、すごく大変だよね」
──もう慣れたな。一時は気が狂いそうだったが、ここには仲間に対して裏表があるヤツもいないからまだ楽なんだ。騒音だと思えばいい。
なんの感情ものっていない「気が狂いそう」という言葉は、あまりに淡々としていたからこそ、とても重く響いた。
ふと思い付いた瞬間、そのまま言葉になっていた。
「ねえ、できると思う?」
──できるのか?
「やってみる」
偉い人が何をするのかと椅子から立ち上がり近寄ってきた。さっきまでは書類のようなものを見ながら全身で聞き耳を立てていたくせに、ついに我慢できなくなったのだろう。
何を言っているかはわからないはずなのに、なんとなく伝わるものがあるのか、偉い人は大きなテーブルを回り込み、少し緊張した面持ちで立ち上がったシリウスから少し距離を取った、全てがよく見える位置を陣取った。
「力をコントロールできるようになーあーれー!」
立ち上がり、腕を伸ばし、シリウスの眉間に血の珠をくっつけて、恥ずかしさに悶えそうになりながら「呪文」を唱える。
すでに彼らには呪文で通ってしまったので、もう呪文でいい。語尾がこれじゃないと効果が出ないところだけはなんとかしたい。切実に!
──サヤの声以外は伝わらないようになーあーれー。
なぜ真顔で唱えられる。恥ずかしくないのか。そう思っているうちに、シリウスの目が大きく見開かれていく。
「どう?」
──うそだろう、聞こえなくなった。
「本当に? すごくない? 私!」
──すごいな。頭の中が静かだ。死体の中にいるようだ。
そのたとえはどうなんだろう……。そういう経験があるということか。触れないでおこう。
偉い人が興奮しきりのシリウスの肩をちょいちょいと指先で突いている。
シリウスが何かを答えると、偉い人の目が零れ落ちそうなほど見開かれた。そして、優しい目になり、シリウスの肩をこれでもかと叩いている。痛そうに顔をしかめるくせに、シリウスは叩かれていることが嬉しそうで、まるで仲のいい親子に見えた。
「それ、繋がってるからできたことだからね。本来は聖女であっても他人の力に干渉はできないわよ。そのおっさんにもそう伝えておいた方がいいわ。あと、あなたと聖女が繋がってることも、そのおっさんには知らせておいた方がいい」
開け放たれていた窓から猫サイズの羽ヒョウがひょっこり顔を出した。
「自分に向けられた意識は伝わるようにしておきなさいよ」
──なぜノワの声は聞こえるんだ?
「何言ってるの、繋がっているからでしょ。私の真名も知ってるでしょうが」
納得したシリウスが、「自分に向けられた意識は伝わるようになーあーれー」とまたもや恥ずかしげもなく真顔で唱えた。頼むから語尾は変えてくれ。
そして、ノワに言われたことを偉い人に頭の中で伝えたのだろう、偉い人の顔が途端に険しくなる。
しばらく二人は脳内会話をしているのか無言だった。がたいのいい軍人二人が無言のまま真顔で向かい合っている様は、端から見ていると一触即発かと思うような雰囲気だ。
「さすがおっさん、うちのちっこいおっさんと違って賢いわ」
そのちっこいおっさんはどこだ? いつもなら自分の悪口にはすっ飛んで来るのに。
思わずきょろきょろとあたりを見回す。
「ブルグレは?」
「首都の偵察中」
「なんで?」
「あなたのこと利用しそうな人は事前にわかっておきたいでしょ」
「そっか、このままここにいるわけにはいかないもんね」
それをすごく淋しく思う。シリウスから借りているワークシャツの袖をいじいじとかまってしまう。
三人いる女性隊員さんが服を貸してくれようとしたもののの、どれも中途半端にサイズが合わなかった。逆にシリウスのワークシャツは大きすぎて、袖をこれでもかと捲って着れば、膝丈のワンピースみたいでちょうどいい。女性隊員さんが貸してくれたきれいな組紐でウエストを結んでいる。
予備のブーツはどれもサイズが合わず、ローファーのままだ。ソックスは踵のない作りなので足の大きさは関係なかった。ただ、本来は膝下丈のはずなのにニーハイになってしまうのが悲しい。人種の違いなのか、ここにいると短足さが目立って仕方がない。
下着類は胸の部分の生地が厚く、アンダーをヒモで調節するキャミソールみたいなものと、ぴたっとしたボクサーパンツだ。女性隊員さんたちが真新しいものを分けてくれた。
ありがとうしか言えなくてすごく申し訳ないのに、こんな物しか用意できなくて、と逆に謝られてしまう。
シリウスを通してお互いに「申し訳ない」の応酬をしているうちに、お互いなんとなく笑い出してしまい、なんとなく仲良くなった。それでも、「聖女様」という一線を越えてくることはない。
──サヤ、コルア王との面会のあと、どうするか決めてるか?
『決めてない。どこかでひっそり生きていこうって思ってるけど……』
シリウスがそれを頭の中で偉い人に伝えたのだろう。さっきからずっと二人は声に出していない。声に出さない方がいいのかと思い頭の中で答えた。
──サヤはまだ未成年だよな?
『ここの成人って二十歳?』
──いや、十六だ。
『なら成人してる。今十七歳のはず』
頭の中で話し合っている二人の表情だけが微かに変わる。ちょっと面白い。
──いいか、十五歳ってことにしておく。で、聖女は後見を隊長に定めたと王に伝える。
『二歳もサバよむの?』
──二歳くらいわからないだろう。こっちもそう言い張る。隊長の後見が王に認められると、この砦に出入りできる。ここから少し先には隊長の家もある。俺もそこに住んでいることになっている。
「シリウスも?」
──俺の後見人も隊長なんだ。
この砦の人たちは二十日の連続勤務で、まとめて五日の休暇がもらえる。
ちらっと偉い人に目を向けたら、わざとらしい笑顔が作られた。
「さっきから笑い方が胡散臭いんだけど」
──そう言ってやるな。精一杯の愛想笑いだ。
なぜかシリウスの後頭部が、スパン! と偉い人に叩かれ、小気味いい音がした。後頭部を押さえるシリウスが、こんにゃろーって顔して偉い人を睨んでいるのに、偉い人は横を向いてすっとぼけている。
「隊長さんにも思考って伝わってるの?」
──いや、そんなことないはずなんだが……昔から勘がいいんだよ。家には隊長の奥さんがいるから、何かと相談に乗ってくれるはずだ。そこでは聖女ではなく普通の女の子として扱ってもらえ。
「いいの?」
──サヤはそうしたいんだろう? 本当は首都の方が安全なんだが、霊獣がいればなんとでもなるだろう。
何度も頷いた。声にすれば嗚咽がもれそうで、頷くことしかできなかった。
『ありがと、ありがとう、シリウス』
──あと、ノワはサヤに頼んで翼を隠してもらえ。そうすれば猫に見えるだろう?
羽ヒョウの目がまん丸になった。
「いいの? 私も一緒で?」
──隊長の奥さんに思いっきりかまい倒される覚悟だけはしておけよ。
なんとなくシリウスの表情が情けない。
ノワがちらっと見上げてくる。ずっと一緒にいてくれるならずっと一緒にいてほしい。この世界で本当の意味で信用できるのはきっと繋がっている彼らだけだ。
「その翼って隠せるの?」
「やってみて」
笑わないでよ、と声をかけてからしゃがみ込み、黒猫の背に広がる翼にそっと触れる。「翼が見えなくなーあーれー」と唱えたら、あっけなくしゅるっと翼が消えた。
「あなたって、本当にすごいわね」
「私的には微妙なんだけど」
しみじみ感動しているらしき羽ヒョウが言うには、翼が何かに覆われているように感じるらしい。翼自体が消えたわけではなく、保護膜で覆われているような感覚だとか。
触れている場所には変わらず翼の感触がある。視覚的に消えているだけで、物理的に消えているわけではないらしい。ということは、翼を隠したまま飛ぶこともできるはずだ。
と考えたところで閃いた。
「ってことはさ、これ、偵察するときに唱えたら絶対に見付からなくない?」
それにシリウスが目を剥いた。
──サヤ、試してみろ。
せっつくような声が頭に響く。ほらとばかりに手が差し出され、つかまればぐいっと上に引かれ、勢いのままに立ち上がる。
「だから、繋がってるからだってば。シリウスは隠せるけど、他の人は無理よ」
「ふーん。まあ試しにやってみるよ、えっとじゃあ、みんなから見えなくなーあーれー」
シリウスの手を左手でしっかり握り、半信半疑でそう唱えたら、しゅるっとシリウスが消えた。偉い人が目を剥いている。ここまで目を見開いている人を見るのは初めてだ。瞬きもしない。
──どうなんだ? ああ、見えないのか。
「隊長! 頭の中で叫ばないでください!」
余程うるさいのか、聞こえてきた声と同時に私の頭の中にも響く。
偉い人はゆっくりと瞬きした後、何度も瞬きを繰り返している。残像でも見えるのか?
「サヤ、隊長にもできるか試してみろ」
「無理だと思うわよ」
シリウスがノワの否定を伝えたのか、まあそう言わず、とばかりに偉い人が必死に手を差し出してくる。つい勢いに押されて左手で軽く握れば、強い力でがっちり握り返された。
あっ、と思ったときには大袈裟なほどびくっと震え、硬直していた。
──サヤ? 大丈夫か?
その声に、頭をもたげかけた恐怖がすっと沈んでいく。
目の前には青緑の髪と期待のこもった青緑の眼差し。握る手の強さは強引なものじゃない。
大丈夫、この人は大丈夫。
ふうっと細く長く息を吐く。うっかりトラウマが発動するところだった。心の中でシリウスに感謝すると、心配そうな目がふっと緩んだ。それに肩の力がふっと抜けた。
「みんなから見えなくなーあーれー」
しゅるっと偉い人の身体全体が白く霞がかかった。かなり怖い。ホラーだ。ノワまで顔を引きつらせている。
「中途半端ね」
──これはこれで特定されないから使い道はありそうだが……かえって目立つな。
「完全に幽霊なんですけど……あ、そっか。もしかして……」
思い付いてもう一度唱える。
「迷彩っぽくなーあーれー」
しゅるっと白い霞が透明に変わる。身体が透けているように見える。
こういうのはなんと言ったか、たしか光学迷彩だったか。昔の映画でこんな感じの敵が登場したような。
偉い人がしきりに自分の身体を触っている様子は、近くにいるとそれなりにわかっても、少し離れてしまえばわからなくなりそうだ。輪郭が景色とダブって見える。
──すごいな。サヤ、すごいな!
感動しているらしき透明のシリウスが興奮のあまり何度も肩を叩く。シリウスだとわかっているから平気だけど、わからなかったらホラーだ。おまけに地味に痛い。
──ああ、悪い。
二人の手を取って、「元にもーどーれー」と唱えると、途端に姿が現れる。目の前にはがたいのいい男が二人、子供のように目を輝かせていた。
「ホントやるわね」
感心したようなノワの声にまんざらでもない気分になった。へへっ、と照れ笑いした。