アンダーカバー / Undercover
第四章 喪失
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 連合国中がファルボナの支援に乗り出した。

 聖女自らが被災地支援していることを受け、真っ先に動いたのは神殿だった。私たちと入れ替わるように現地入りし、今も各避難所で炊き出しや水の補給、物資の配給を行っている。これがかなり有難く、そこに削られていた人員が全て復旧作業に当たれるようになり、作業効率がぐんと上がった。おまけに費用も神殿持ちだ。

 今やファルボナ上空に連合軍の銀と神殿の黒い飛行船を見ない日はない。
 少し前までは飛行船はとても珍しかったのに、と上空を見上げながらぽつっと呟いたダファ族長夫人の独り言をブルグレが同じだけ静かな声で教えてくれた。そこにどんな思いが込められているのかを考えると、足が竦むような気がした。

 各国からはファルボナ支援の聖女献金が届いている。
 聖女が動く──善くも悪くもそれが重要なのだと改めて感じた。

 ただ、基本的に部族間では物々交換で成り立っているファルボナの民にお金を配ることは、この急場どころか隊商が復活しない限りこの先もあまり意味を成さない。
 施すという行為が様々な感情や軋轢を生むことは、ネット社会が教えてくれた。
 現に、配給の列に避難民じゃない者が紛れているらしい。しかも子供を列に並ばせ、見付かると子供のせいにするあたり、かなり悪質だ。ファルボナには誇り高くない民もいる。当たり前か。
 逆に誇り高い者は、水を分けてもらえるだけでもありがたい、とそれ以上の支援を受けないのだ。
「支援って難しいんだね」

 当初の支援は物資でも一段落した後はお金が一番の支援だと思っていた。それはきっと日本の流通が優秀だからだ。
 そもそも、私には圧倒的に経験が足りない。支援したこともされたこともない私が支援のなんたるかを理解することは難しい。想像したところで、一番の支援はお金だ、と思う程度だ。

「必要なものを確認して、こちらで購入したものを光石と交換するのが彼らの誇りも保てる一番無難な方法だろうな」
 ファルボナの人たちはこれまでの経験から光石にそこまでの価値があるとは思っていないだろう。いくら建前とはいってももやもやしそうな気がする。万が一ファルボナ産光石が適正価格以上に跳ね上がってしまえば、後々面倒なことにもなりかねない。

「あのさ、国や人同士だから面倒な感情を生むことになるんじゃないの? 聖女からの支援ってことにすればそこらへん有耶無耶にできそうな気がするけど」
 執務室の長椅子に張られているファブリックを眺めながら話す。考えながら話すときは視線に意識が回らないせいか、どこか一点をじっと見てしまう傾向がある。家族に指摘されて気付いたクセだ。

 ふと顔を上げると、机に両肘をついて顔の前で手のひらを合わせ、親指を鼻の先に当てながら考え込むシリウスがいた。神頼みでもしているかのようだ。

 噴火からひと月ほどが経ち、ファルボナ南部でも火山灰が落ち着いてきた。
 偵察に行ったノワがそろそろ避難解除してもよさそうだとの判断を下した。そのノワはちょくちょくファルボナに飛んでいる。雨期の前に火山灰をできるだけ吹き飛ばしてしまいたいようだ。

 最南端のオアシスは、灰と噴石と地震で壊滅的らしい。灰はノワが吹き飛ばせばなんとかなっても、噴石や地震によって倒壊した建物は人の手で修復していくしかない。
 現場を見たポルクス隊長とレグルス副長は、一度更地にして新たに建て直す方が早いと判断している。
 ただ、オアシスは無事だ。
 今後必要なのは住居を始めとした生活に関わるあらゆる物資だ。現地でネラさんとルウさんが必要な物をリストアップしている。

「聖女からか……」
 そう呟いたシリウスが、席を立ち執務室から出て行った。開け放たれたままの扉の向こうでアリオトさんとエニフさんに「聖女支援」について話している。
「本当は霊獣支援がいいんだろうけど、ノワは嫌がるよね」
 シリウスに続き、声をかけながら控え室に顔を出す。

 どちらかといえば聖女信仰が強い連合国とは違い、ファルボナは完全に霊獣信仰だ。それは、過去に聖女がファルボナから力を奪ったことが関係しているのか、身近にガルウの存在があるからか。
 霊獣は絶対の最高神だ。聖女はその下にあり、人と直接関わってきたからこそ、絶対に手が届かない霊獣よりも、手が届くかもしれない聖女への信仰が強い。
 信仰というと宗教臭いけれど、どちらかといえば自然信仰に近い感覚だと思う。

「嫌がるだろうな。聖女主体でノワは姿を現すに留めた方がいいだろう。それだけでもすごいことだ」
 シリウスが軽く振り向きながらそう返してきた。

 ノワは基本的に人と関わらない。ここにいても私とシリウス以外の人間とは積極的に関わろうとしない。
 それがノワのスタンスだ。それはノワと一緒にいる以上最も尊重すべきことだ。

「んー……姿現すのもこっちから言うことじゃないよね。一度やったら次もやらなきゃいけなくなっちゃうし」
 自分の身を振り返ると反省すべき点が多すぎる。間違いなく私はファルボナだから動いた。後先など考えていなかった。一度動いてしまえば、次も動かざるを得なくなる。それをノワにまで強いることはしたくない。そもそも、強いたところで動くノワでもない。

「となると、聖女支援だな」
 私たちの会話をシリウスがみんなに伝えると、二人ともあっさり納得した。最初からノワを人の都合で動かそうとは考えていないのだ。
 アリオトさんが席を立ち、控え室に設置されている伝声管に向かって何かを話している。

 聖女支援の基準を明確にする必要がある。その辺りはアリオトさんが粗方まとめてくれるらしい。今回のように国単位ではどうにもできないような規模に限られる、とのことだ。
「支援って難しいなぁ」
 しみじみ思った。
 人とは適度な距離を保ちつつ、手を伸ばしても届かない存在でいなければならない。だからこそ、神殿は聖女の配偶者であるシリウスに准聖人の称号を与えたのだろう。

「ん? ってことはさ、シリウスが支援すればいいんじゃないの?」
「それだと連合加盟国以外に支援できなくなる」
 そっか、シリウスは連合国の人でもあった。
 別に准聖人として動くなら国は関係ないんじゃ、と思うのは、私が複雑に絡み合う諸事情を理解していないからだろう。その意味では、国に左右されない聖女の立場は便利と言えば便利だ。
 まあ、対外的なことは専門家(アリオトさん)に任せておけばいい。さっき彼が呼び出したであろう人の来室と同時に、シリウスは執務室の扉を閉めた。

「ノワ遅いね」
「ファルボナの帰りに住処に寄ってくると言っていたからいつもより遅くなるだろう」

 霊果の補給か。霊果を一定期間以上ノワの尾ポケットに入れたままにしておくと精霊が生まれる。それを世界中に宿して回るのがノワの仕事だ。ノワが自分でそう決めている。
 今回はブルグレも一緒だ。比較的安全で長く宿れそうな場所を二人で考えながら宿していくらしい。

 私とシリウスにも精霊を宿してみようかとノワが提案した際、ブルグレが怒り狂って大反対した。私とシリウスはブルグレのお手付きらしい。「ほかの精霊を宿すなど言語道断じゃ!」と目を潤ませながら訴えるブルグレを見て、ノワはげらげら笑い転げていた。時々ノワがクズい。



 シリウスと一緒にノワの背に乗って噴火した山の周辺からファルボナにかけての偵察に行く。
 今回は後ろにポルクス隊長とレグルス副長、ネラさんとルウさんらポルクス隊数名と学者たちを乗せた飛行船が続いている。

「ほら、あの断崖絶壁の割れ目が塞がってるでしょ?」

 溶岩や火砕流は主に外海側に向かって流れていた。ファルボナ側には三割といったところだ。山脈とファルボナの間にある大地の裂け目のおかげで、溶岩も火砕流もファルボナの地には届いていない。

 その裂け目がノワの言う通り概ね塞がっていた。そこに流れ込んでいたはずの水源は山脈側にあったはずだ。

「もしかして、ファルボナに水が流れる?」
「どうかしら。水脈がどんな風に変化しているかわからないからなんとも言えないわね。それに、水が流れたところで大地に浸み込みずらいのよ、ここの土地」
「そうだけどさ、そういうのって時間をかけて改善されていくんじゃないの?」
「どのくらいかかわからないわよ」
「雨期に水没する地域に流れ込む可能性もあるってことか?」
 考え込むように黙っていたシリウスがノワに訊いた。
「そうね、そうなる可能性もあるわね」
「ドヌのオアシス再建は待った方がいいか?」
「どうかな。オアシスは生きてるから、戻りたがってるんじゃない?」
 その通りだ。
 ファルボナ最南端のオアシスにはドヌ族が暮らしていた。ドヌのオアシスは少し高台にあるから水没することはなさそうだけれど、山からの水がどう流れ込んでくるかわからない以上、本格的な再建は待った方がいいかもしれない。
 復旧作業は被害の少ない地域から行われている。

「どちらにしてもあそこは族長とも話し合って一旦更地にする予定になっている」
「だったら数年はテント生活で様子を見た方がいいかもね。水脈が変わってオアシスが涸れる可能性もあるし、増える可能性もある」

 もしかしたら、山から流れ込んだ水が溜まって、大きな湖になるかもしれない。川ができて、ナイル川の氾濫のようなことになるかもしれない。それとも、噴火の影響はあの裂け目より向こうだけで、ファルボナは何も変わらないかもしれない。

 ファルボナの大地は、それまでと同じくらい赤茶けていた。所々に生えている木々が灰を被っていない。ノワが火山灰を吹き飛ばしてくれたおかげだ。
「実は灰もね、裂け目に落としてあるの」
 何でもかんでも外海に流せばいいというわけでもないらしく、上空の火山灰は外海側に吹き流したものの、大地に降り積もっていた灰は裂け目に落とし込んだらしい。
「やり過ぎると外海から風にのってボウェスに流れ込みそうだったのよね」

 外海の一部に流れ込んだ溶岩や火砕流がどんな影響を及ぼすかもわからない。外海だからいい、というわけでは当然ない。何もかもが上手くいくことなんてない。浅学の私には何もかもが難しいことに思えてしまう。

「あなたってホント図々しいわね。人ごときが自然をどうにかしようって考えること自体、おこがましいって気付かないの?」
 ノワの苛立った声に、頭をがつんと殴られたような気がした。全身がかっと熱を持つ。身体の真ん中がぎゅっと縮こまる。
 身体は心より正直だ。自分が間違っているときほど、相手の指摘が正しいときほど、それを否定したくなるときほど、身体が強く反応する。

「自然に起きることは自然に任せるしかないの。私のしたことは余計なことなんだから」
「だが、ノワも自然の流れに沿ったやり方しかしていないだろう?」
「そうだけど。それでも、関わってしまったから」
 ノワの声に後悔が滲んでいた。

 私にとって、人間中心で考えるのはごく自然なことだ。ノワが自然中心で考えることと同じくらいに。
 ノワは葛藤したのだろう。
 私はそれに気付きもしなかった。ノワが人間に手を貸してくれることを喜んでさえいた。一番尊重しなければならないところを蔑ろにしていた。
 いつもの浮遊感とは別にじわじわと胃がよじれていくような気がした。後悔に押し潰されそうだった。

「ごめん。本当にごめん」
 喉に何かが引っかかっているようで、声が少し嗄れた。そんな自分が腹立たしかった。もう一度「ごめんなさい」と今度はしっかり声に出した。
「自分で決めたことだから、あなたが謝る必要はないわ」
「でも、根本的に考えが違うってこと、わかってなかった」
 ずっと一緒にいるのに、わかっているつもりでわかっていなかった。

 大地に落ちた火山灰を人の代わりに吹き飛ばすのはまだしも、上空の灰を吹き飛ばすことはノワにしかできない。もしかしたら、熱を持った灰を冷ます意味もあったのかもしれない。

「大地に落ちた灰だってそうよ。人の手でやれば時間がかかって、間違いなく全てを処理する前に雨期を迎えていたわ」
 本当なら、ファルボナの大地の一部は火山灰が混ざった土地になるはずだった、ということだろうか。
 確か、鹿児島は桜島の火山灰が大地に混ざって、そのおかげでサツマイモがよく育つようになったと聞いたことがある。シラス台地だ。水捌けがよくなるんじゃなかったっけ? 記憶が定かじゃない。
「そこの土地はそうだったみたいよ。あなたの記憶が正しければ」
「たぶん正しいはず。授業で習った覚えがあるもん」
「それがファルボナでも同じかどうかはわからないんだろう?」
 シリウスに訊かれ、情けなく頷いた。

 もっとたくさんのことを勉強すればよかった。ただ漫然と授業を受けていた。根本的なことを知ろうともしないまま上澄みの知識だけを詰め込み、受験に備えた勉強だけをしていた。

「学者たちに話してみよう。地震や噴火についてはサヤの方が知っていることもあるだろう。こういうことは数百年単位でしか起こらないんだ。前回の地震も三十年以上前になる」
 同じ地球なのに、そんなにも違うものなのか。それだけノワの住処が重要な役割を果たしているということか。この大陸の形そのものに意味があるのか。

 火山の周りを旋回する。外海側は山が焼け焦げていた。まだ溶岩が真っ赤に燻っているところもある。単純に熱い。硫黄臭い。最初から火山灰を避けるよう呪文を唱えてあるものの、さっきからずっと喉に違和感がある。

「あまり長くいない方がいいわ」
 そう言いながらノワは高度を上げ、内陸へと戻った。