アンダーカバー / Undercover
第四章 喪失67 災害
お腹の底に重く響く爆発音、足元から震え上がる地鳴り、たとえようもない重低音が継続的に轟き、断続的に大地が揺れる。
ネカくんが精霊を宿した翌夕、ファルボナの南に連なる山のひとつが大規模噴火した。
タイミングがよかったのか、考えられるあらゆる対策を終え、各オアシスでの避難状況を確認して回り、災害対策本部があるダファのオアシスに到着したのは噴火のほぼ直前だった。
ノワの導きか、単なる偶然か。
「あなたの思考、ものすごくバカっぽいわね。自然も薄っぺらく思えるわ」
だからノワさん、思考をディスるのはやめてください。
つまりただの偶然か。なんにせよ、誰一人巻き込まれることなく避難できてよかった。
噴火の数日前からガルウが動物たちを追い立てている光景を何度か遠目にした。今思えば、ガルウが動物たちを避難させていたのではないかと思う。ガルウが神聖視される理由がわかったような気がした。
避難場所のひとつとなったダファのオアシスの周りには、テントがいくつもいくつも立てられている。
その瞬間、誰もが息を呑み、遙か遠くに真っ赤な火柱が立ったのをただ呆然と眺めていた。
ここからはだいぶ離れているのでそこまでの衝撃や振動はない。それでも大地は揺れ、爆発音が轟き、大気がぴりぴりと肌を刺した。災害に慣れないこの世界の人たちは、為す術もなく恐怖に顔を歪めていた。
私自身はニュース映像で何度か見たことがあるせいか、多少は気持ちに余裕がある。もしかしたらそれは、ここで暮らしている当事者じゃないという薄情な理由からかもしれない。
ノワの「あら、噴火するわよ」の気の抜けた声に、シリウスが一斉に伝令を飛ばした。
急いでテントから出ると、澄み切った空の彼方に、ちょうどマグマと黒煙が噴き上がる瞬間が見え、少し遅れて爆発音と地鳴り、地震が伝わってきた。
噴煙のせいなのか、月も星も見えない夜は深い海の底のようでいて、遠くの山だけが赤く燃えていた。まるで映画を見ているようで現実味がない。
聖女が共に在る。
ただそれだけでファルボナの人たちは希望が持てるらしい。
軍シャツにカーゴパンツ、ブーツを履いて、頭からすっぽり薄布をかぶり、各避難所で炊き出しを行う。聖女といえども手伝えることは手伝う。ポルクス隊のみんなはそれを知っているので、当たり前のように用を言いつけてくれる。
初めは戸惑っていたファルボナの人たちも、ポルクスレディたちと一緒にダファの族長夫人やその嫁たちが炊き出しを手伝っているのを見て、自然と手伝う手が増えていった。
エニフさんが着替えと一緒に持ってきてくれたギエナさんの組紐を腰に巻いているのも彼らを安心させるようだ。
避難しているのは四つの部族だ。ここに避難している人だけでも総勢一万人を超える。家畜はその五倍以上だ。
ノワは時々姿を隠して巨大化し、シリウスを乗せて上空を飛んでいく。偵察と火山灰を吹き飛ばしに行くのだ。二人が同時にいなくなるとあって、肩にブルグレを乗せた私の警護がすごい。
どのくらいで灰がおさまるのか見当もつかない。シリウスからダイレクトに伝えられる噴火の様子は凄まじい。直接頭に響く重低音と絶え間なく続く地鳴りは、たとえようもない恐怖の音だった。
三日経った今でも噴火がおさまる気配はない。山の周辺はどんな状態なのか、ノワですら大地の裂け目から先には近付けないらしい。
避難所には簡易トイレやシャワーがいくつも設置され、それなりに清潔は保たれている。それでも、毎日シャワーが使えるわけではないので、久しぶりに鼻がマヒった。
元々遊牧民ということもあってか、避難している人たちにそこまでの悲壮感はない。
どこか楽観的なのは、ファルボナ人の気質なのかもしれない。もしくは、誇り高くそれを表に出さないだけなのか。
男たちはどっしり構えて今後について話し合っていたり、女たちは時々笑い声を上げながら炊き出しを行っている。子供たちは周りの大人たちが不安を見せないからか、元気よく駆け回っている。噴火直後は驚きと恐怖で泣き叫んでいた子も、三日も経てばけろりとしたものだ。
問題は精霊たちだ。地震と同じで噴火もダメらしい。
ポルクス隊のみんなの肩には羽リスたちがしがみついている。軍シャツやカーゴパンツのポケットに様々な道具が入っているからか居心地が悪いらしく、みんな肩にしがみついている。
ネカくんに宿る精霊は、頭の中を巣と決めたのか、髪の中に潜って出てこないそうだ。ノワが言うにはそのままシャワーも洗髪もできるらしい。植物に宿っているときも、雨が降ろうが、風が吹こうが、雪が降ろうが、肉体を得ているわけではないから平気なのだとか。
「裂け目が埋まりそうだわ」
「ノワ! 気配なく話しかけるのやめて! びっくりするわ」
「繋がっているのに気配を感じないあなたが間抜けなだけでしょ」
それ、前にシリウスにも言われた気がする。忍者じゃないんだから、姿を消した人の気配に気付けるわけがない。
蔑みの視線を突き刺して、姿を隠した陽炎状態のままノワがシリウスのところに向かった。ノワがシリウスに顔を向けただけで、シリウスはノワに気付いた。軍人すごい。振り返ったノワの心底馬鹿にした目が心を抉る。
イラッとして炊き出しのスープをぐりぐりかき混ぜていたら、ダファの族長夫人に「サーヤ」と声をかけられ、首を横に振られた。静かにかき混ぜろという無言のプレッシャーに手元の速度を即座に落とした。
炊き出し用のテントから一歩外に出ると灼熱が待っているはずなのに、火山灰の影響か日射しが薄く、噴火以降過ごしやすい。風向きによってかすかに硫黄の臭いと火山灰が辺り一帯を漂う。
噴火した山は、晴れた日に都内から見える富士山くらい遠い。それなのに、東京よりも空気が澄んでいるうえに遮るものがない平野だからか、臭いも灰もここまで届く。それほど大規模な噴火だということかもしれない。
赤茶けた土の上が日増しに薄らと灰色のベールに覆われていく。
赤茶けているということは、鉄分が多いのだろう。だからきっと作物が育たない。これに火山灰が混ざるとどんな土に変わるのか。少なくともなんだかの変化はあるはずだ。よい方向に変わればいいけれど、火山灰が何かの役に立ったと聞いたことはない。ニュースで見る限り迷惑以外の何ものでもなかったはずだ。逆に今まで育っていた主食の芋が育たなくなる可能性もある。ファルボナの芋はファルボナ以外では育たないはずだ。
噴火は七日かけてゆっくりと勢いを落とし、八日目には遠目にも白い煙が上がるだけになった。
「もう大丈夫ね。とりあえず思う存分吐き出したみたいね」
ノワはあたかも火山に意思があるかのように言う。
ノワが火山灰をできるだけ外海に吹き流してくれたおかげで、被害は最小限になっているはずだ。霊獣がこれまで人のために動いたという記録はない。
「ノワ、ありがと」
「あなたに礼を言われる覚えはないわ」
「んー……、人間代表?」
「あなたが代表? 図々しいわね」
罵りながらも黒猫がふくらはぎに頭を擦りつけてきた。照れちゃって。
私たちはそれから五日後、派遣されていた連合軍の半数をファルボナに残し、メキナに戻った。
戻る直前、ダファの族長夫人が自分のサークレットをくれた。それは、忠誠を示す行為だ、とシリウスが頭の中で教えてくれた。
いつ死ぬともわからないから、とも。
それは、二度と会えないかもしれないことを示唆していて、ぐっと胸にこみ上げてくるものがあった。
確かにダファの族長夫人はここでは高齢に入る。私が知る死に近い年齢よりもずっと若いのに。
私の加護も治癒も寿命は延ばせない。その終わりが安らかであることを祈ることしかできない。
「ここの平均寿命ってどのくらい?」
「七十を超えるとき、親族中で祝うらしいわ。あなたが知る百歳と同じ感覚じゃない?」
メキナに戻って来て、気持ちに余裕があったと思っていたのが間違いだったと知った。気付かないうちに気を張っていたせいか、戻って来た途端どっと疲れが出て聖女のくせに寝込んでしまった。
自分で疲労回復しようとしたのをノワに止められた。
「疲れたときはちゃんと休みなさい。二三日寝てれば治るんだから。どうせまたすぐに披露宴があるんでしょ」
ファルボナの災害は、海を挟んだ隣のボウェス国に影響を与えたものの、それ以外の影響はなく、予定されていた披露宴も中止になったりはしない。
シリウスたちはファルボナの後処理で忙しく、ここ数日は仮眠室に泊まり込んでいる。ネラ&ルウさんは餅は餅屋ということでファルボナに残った。私は邪魔にならないようノワと一緒に家でお留守番だ。ブルグレたち羽リスは汚名挽回とばかりに戻って来た途端張り切ってポルクス隊と行動している。
大きなベッドに一人で寝ていると不安になる。
普段忘れようとしていることがここぞとばかりに浮上してこようとする。
「聖女のおかげだって報道がすごいわね」
「そうなの?」
「ほら、披露宴の最中に地震が起きたとき、力を使ってみんなを落ち着かせたでしょ」
「そうだっけ。でも落ち着いてって言っただけだよ」
「それがね、あのとき地震に動揺した人全てに届いたのよ」
そんなに大きな力を使ったつもりはない。かさかさと乾いた音を立てながら黒猫ノワがベッドに広げられた新聞の上を移動する。新聞といっても日本の新聞のように大きくなく、その半分くらいの大きさだ。印刷はインクではなく、紙に文字を焼き付けているようで、本も書類も文字が書かれるのは片面だけだ。
「そんなに大きな力なんて必要ないのよ」
「それが『おかげ』なの?」
「それがおかげなんじゃない? 人ってわりとそういうところがあるわよね」
どういうところだろう。神頼み的な何かか。
「ファルボナでも聖女自ら炊き出しを行ったってかなり好意的に書かれているわ」
ほかで役に立たなかっただけなのに。下ごしらえも味付けもできなかったから、鍋をかき混ぜることと器に装うことを任されていただけだ。
「それが嬉しかったんでしょ。だから、あのサークレットをくれたのよ」
額に入れられ、壁に飾られたサークレットを眺める。
私には、この世界の人たちが無条件で聖女を敬う気持ちがわからない。理解できるけれど共感や同感はできない。
「力あるものに対する畏怖は生きるもの全てが持つものよ」
「怖いってこと?」
「怖いだけじゃなくて、敬う気持ちもそこに含まれるのよ。強さに憧れたりするでしょ?」
強くもない、何もできない、ただ生きているだけなのに、どうしてそんな人間に憧れたりするのだろう。
「あなたの意思に関係なく力があるからよ」
相変わらず厳しいひと言だ。そのひと言が私を正気にさせてくれる。私に憧れているわけではなく、力に憧れているだけ。それにほっとする。
「あなたってホントへたれねぇ」
「一般人だもん」
「生まれたときはみんなただの人よ」
「えー、違うよ。生まれたときからお金持ちとか、生まれたときから王族とか、そういう家柄的なものってあるじゃん」
「それってそんなに関係ある?」
「あると思うよ。やっぱり育ちがいいと品があるもん」
披露宴に行く先々で目にする人たちには気品がある。中には隠しきれない陰険さを醸し出している人もいるけれど、そんな人でさえ仕草のひとつひとつが上品に見える。育ちとは残酷だ。生まれ持った品格というものが間違いなくある。
ダファ族長夫人もそうだ。凜とした立ち振る舞いは自然と尊敬を集めていた。
「あ、でもお金持ちだから品がいいわけじゃないのはわかるんだよ。なんだろうなぁ、やっぱ家柄?」
「そうね、生まれながらそういう環境にいるのと、学んで身に着けたのでは違うわね」
「自然とそう振る舞えるのと、意図してそう振る舞ってるのって、なーんか違うんだよねぇ。きっと上品な人はどんなときでも上品なんだと思う」
私は学んで身に付けた方だからか、いざというときに化けの皮が剥がれる。一般人として生きていくにはそれなりに誤魔化せても、身分を持って生きていくにはまるで足りない。
「あなた時々ドレスの裾踏んで躓きそうになるの、ちょっとみっともないわよ」
「バレてる?」
「シリウスが上手く支えているから周りには気付かれてないけど、あなたの顔を見ればわかるから隊のみんなにはバレてるわよ」
素知らぬ顔をしていたつもりなのに。もう少し裾を短くしてもらえばいいのか。そういう問題ではない気がする。丈が床すれすれのスカートなんてそれまで穿く機会なんてなかった。
あーあ、あと数回で披露宴も終わる。次は──。
「乙女の結婚式ね」
嫌なことをはっきりと。
「保ちそう?」
「なんとかね」
これが現実だよなぁ。落ち着く暇がない。
「乙女がいなくなったら、きっと停戦協定って破棄されるよね」
「そうかもね」
「メキナにいられるのも今のうちってことか」
それにノワが、そうねぇ、と気のない返事をした。
「どこにいても一緒?」
「大差ないんじゃない?」
「砦って夏は快適なんだけど、冬は死にそうなほど寒いんだよなぁ」
「ここは一年中暖かいものね。ああ、そうだ。第二皇子、失脚したわよ」
は? 今さらっと何を言った?
「失脚? 第二皇子って、大帝国の?」
「そう。しくじったのよ。ポルクス隊が潰した組織との繋がりがバレちゃたってわけ」
やっぱり潰したのか。こわー。ってことは、わざとバレるようにしたってことだ。こわー。
「城から出されたみたいよ」
「追放とか放逐ってやつ?」
そうそう、とノワの声が軽い。本当にどうでもよさそうだ。
「大帝国も色々揉めてるねぇ」
「いつの間にかファルボナが独立しているせいで弱い者イジメできなくて、停戦しているもんだから領土増やすって名目でストレス解消できなくて、血気盛んなアホ共を宥めたり、不穏の芽を片っ端から摘み取ったり、まあ、色々大変みたいよ。あそこの皇帝、心労でダウンしかけてるし」
大変そうだ。主にあくどい方向で。
「このタイミングでの王位継承ってどうなの?」
「帝位継承ね」
そこはどうでもいい。
「乙女が消滅してすぐに今の皇帝が死んじゃったら、大帝国荒れるわよー」
ノワが楽しそうに言う。
「それって連合国っていうか砦とコルアにとってよろしくないんだよね」
「ファルボナもそれなりに攻められるでしょうね。とりあえず領土が欲しいアホは少なからずいると思うわよ」
えー……。関わりたくない。
「あなたが考えてる通り、乙女がやったことにして治癒するのが一番穏便ね」
「そんなこと考えてないよ!」
「私を騙そうなんて百年早いわ」
関わりたくない。それでも、最小限の関わりで済むなら、と考えてしまうのがことなかれ主義の悪いところだ。放っておけばいいのに、いざとなると突き放せない。
「あなたのそのことなかれ主義って、みんな持ってるものなの?」
「人によるんじゃない? 万人に共通するもんじゃないと思う。ただ、人は一人じゃ生きられないってよく聞くセリフだった。でも、一人で生きてる人もいると思う」
結局私もシリウスに頼って、ノワに守ってもらっている。たとえ力があっても、私は一人じゃ生きていけない。
「仲間がいるってことは悪いことじゃないわよ」
「ノワもそう思ってる?」
ノワはそっぽを向きながら、まあね、と呟いた。照れ屋さんめ。まだ疲れが残っているから威嚇はやめて。
「少し寝る」
「今日はシリウス帰ってくるわよ」
「本当?」
「あなたがまた大帝国に勝手に行くんじゃないかって苛々してるわ」
あれは本当に反省してるから二度と勝手には行かない。
「ってか、よくわかったね」
「あなたね、命力の繋がり侮らない方がいいわよ」
まさか、どれだけ離れていても思考が筒抜け、なーんてことはあるまい。
ノワがにたりと笑った。
目が覚めたらベッドに腰掛ける軍服の背中があった。
考えるまでもなく身体が動く。後ろから抱きついて、おかえり、と声をかける。振り向いたシリウスが手元の書類をサイドテーブルに置き、目元を緩ませた。
「勝手には行かないよ」
「そうしてくれ」
「でも、治癒した方がいい?」
「そうだな、どっちでもいい」
身体の向きをベッド側に向けたシリウスが珍しいことを言った。
「どっちでもいいの?」
「それが世の流れなら、なるようになるだろう」
「もしかして、疲れてる?」
身体を起こせば、そのまま腕の中に閉じ込められた。お疲れだ。もう一度「おかえり」を言う。
「一人で寝るのは嫌だな」
「ブルグレが一緒じゃなかったの?」
「あいつ、いびきかくんだよ」
かなりお疲れだ。シリウスは元々深く眠らないよう訓練されているというのもあるけれど、ストレスが溜まると睡眠がさらに浅くなる。ブルグレの寝息すら気になるほどに。
「そうか?」
「そうだよ」
「そうか。サヤが居ないからじゃないのか」
「そうだったら嬉しいけどね。どっちかといったら、ノワが居ないからじゃない? ノワが一緒だと無意識に守られてるってわかるから、ちゃんと寝れるんだよ」
あー……、と唸るような声を出しながら、シリウスは納得したようだった。
「明日は本部に来られそうか?」
「うん。もう十分休ませてもらったから」
「無理はするな」
「でも淋しいんでしょ?」
「サヤもだろう?」
小さな笑いが二人の間でふっくらと綻んだ。