アンダーカバー / Undercover
第四章 喪失64 繋がり
「かつての聖女は、ファルボナから力を奪って自分の、愛する者? に与えたのよ」
「ちょっと待って、聖女って奪えないんじゃないの?」
思わず身を乗り出しすぎてベッドからずり落ちそうになり、隣に座るシリウスにすかさず支えられる。
「そうね、言い方が悪かったわ。ファルボナ中の力を集めてアイスルモノに与えたのよ」
いやいや、言い方を変えたところで力を奪ったことに変わりない。おまけに「愛する者」の言い方がのもすごく雑だ。愛が微塵も感じられない。
そもそもだ、恋は口にすると胸の高鳴りとときめきを感じるのに、愛は口にすると一気に陳腐で嘘くさくなる。愛は心に秘めてこそじゃないかと思ってしまう。
ノワが小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。人の思考を読んであからさまに馬鹿にするのは本当にやめてほしい。恥ずかしさを通り越して打ちのめされる。脳内には脳内で。マナーですよ、ノワさん。
「変わるのよ。力は意思に左右されるんだと思うわ。力の方が聖女に使われたがったのよ」
理解できずに頭を悩ます。私は自分が思うよりも莫迦かもしれない。力に意思はないはずなのに、力の方が使われたがった、とは理解に苦しむ。
シリウス共々急いで夕食とお風呂を済ませ、アトラスについてノワの仮説を聞くためにノワの部屋に集合した。
その出端を膝かっくんのごとく挫かれた。
アトラス消滅の仮説を聞くために集まったのであって、かつての聖女のロマンスを聞きたいわけじゃない。
「たぶん繋がっているわよ」
ノワの巨大ベッドに一緒に腰掛け、腕を組んで難しい顔をしているシリウスを見れば、思考の海を漂っているのか、少しだけ眉間に皺を寄せながら一点を見つめ、静かにゆっくり瞬いている。
巨大ノワの足元にちょこんと寄りかかっているブルグレまでもが、いつもとは違って口を閉ざしたまま考えに耽っている。
わかっていないのは私だけなのか。ひとまず続きを聞こうと姿勢を正した。
「あなたのね、独立宣言をしにファルボナに行ったときの思考に答えがあったの。あの一瞬、ファルボナに残っていた僅かな力があなたに集まろうとしたのよ」
もうなんの話をしているのか全くわからない。
思い出すのは、わけもなく苦しかったことと身体の震えだけだ。そのとき何を考えてそうなったのかも憶えていない。
「あの時、私って何を考えてたの?」
「シリウスの寿命ね」
あ、と思ったときにはかたかたと震えていた。隣に座るシリウスに肩を引き寄せられる。その大きな身体に腕を回してしがみつく。
考えないようにしていることだ。絶対に考えたくないことだ。考えてしまうと生きていけなくなりそうで、思い詰めた挙げ句何かしでかしそうで、自分でも怖くて仕方がない。その欠片も考えたくない。
「だから、さっさと繋がるようシリウスに言ったのよ。私が抑えられるのも限界だったから」
一瞬首を傾げかけ、もしかして、と顔を上げる。見下ろす耳の先を赤くしたシリウスが私の思考に頷いた。
「ノワに言われたから……したってこと?」
「ノワに言われたからじゃない。俺の意思だ」
「でも言われなかったら聖婚式までしなかったんでしょ?」
まあな、と呟くシリウスから、ノワに視線を移す。なぜドヤっているのか。いつもなら破廉恥を叫ぶちっこいおっさんまでドヤっている。
「まさか、寿命も繋がったの?」
「そのとーり!」
だからなぜちっこいおっさんがドヤるのか。おまけに誰のモノマネだ? なんだか懐かしい気がするのは気のせいか。
思考が脇道に逸れかけたのを、シリウスの声が防いだ。
「本来、力のあるもの同士の結婚は互いの真名を知り、なんというか、心と身体が繋がると、力そのものが繋がり合い、ひいては命力が繋がるんだ」
つまり、真名を教えあって性行為をすると二人の命力がひとつになるってこと?
なにそのファンタジックな設定。性行為が思いっきり大事なことだから、この世界の人は禁欲的なのか。それでも、キャバ嬢や売りをする女の人がいるってことは、能力持ち以外はそれなりなのか。
「そういうことだ」
千年もの寿命を受け取るなんて、凄まじい決意だと思うのに、どうしてシリウスはそうも平然としていられるのだろう。
「教えといてよ」
「言ったらサヤは拒んだだろう?」
間違いなく拒んだ。私自身が千年も生きるだなんて未だに半信半疑なのだ。想像すらできないくせに、とにかく嫌で仕方がない。明らかに人という枠から外れている。
そんなことにシリウスを付き合わそうとは思わない。一緒にいられる間だけ、その間だけを生きようと思っていた。あとは時が流れるまま、ノワやブルグレと一緒に長すぎる余生を過ごせばいい、と。
巻き込まれた私が、シリウスを巻き込むことなどあってはならないはずだ。巻き込みたくないと思いながらもどこかで巻き込まれてほしいと願う浅ましさまで、きっと見透かされていたのだろう。
抱きついたままのシリウスの体温がじわじわと私の中に侵食してくる。私の体温もシリウスに侵食していく。繋がるとはこういうことなのかもしれないと思うくらいには、彼の体温にいつも癒やされてきた。
「いいの?」
「いいからしたんだ。体温を感じてきたのはサヤだけじゃない」
ここで照れないでほしい。こっちまで照れる。
なんだか力が抜けた。いつの間にか震えも止まっていた。シリウスに寄りかかり、肩を抱かれたまま頭の中を整理しようとして、諦めた。今は考えるよりこのぬくもりを存分に享受したい。
「普通はね、力を持つもの同士の結婚であっても真名は教え合わないそうよ。特に王家では絶対に教え合わない」
「軍でも真名を教え合わないよう呼びかけている」
ノワの説明にシリウスが補足した。
軍人の場合は危険と隣り合わせだからこそなのだろう。それでも、繋がり合いたいと思う人だっているような気がする。ああ、だから、禁止や命令じゃなく呼びかけなのか。うっかり盛り上がった勢いで後先考えず真名を教え合いそうだ。あ、だからこの世界の人たちは奥ゆかしいのか。そりゃあ、慎重にもなる。
王家の場合は暗殺か。王妃を暗殺すれば王の暗殺も成功する。危険が倍になる。だとしたら、王家に生まれたシリウスが真名を名乗るのは相当な覚悟だ。
「霊獣や聖女、精霊の真名を知り得てしまったのだから、人である俺が真名を名乗るのは当然だ」
さも当然とばかりのシリウスを見て、霊獣信仰の強さを知った。軍人のシリウスですらそうなら、一般の人はどれほどだろう。彼らが簡単に名前を教えようとする私を止めたのはそこに繋がるのかもしれない。
となると、やっぱりシリウスにとってはするときの決意が肝心だったということか。カタブツのシリウスが聖婚式の前にする意味をもっとよく考えるべきだった。
「これでも悩んだんだ。悩んだが──」
そう言ってシリウスは私を真っ直ぐ見下ろした。肩を抱く手に力が込められた。
「サヤがいて、ノワとブルグレがいて」
顔を上げてノワとブルグレに視線を移し、そして、再び見下ろしてきたシリウスは笑っていた。
「この先何があっても、ただ楽しそうだとしか思えなかったんだ」
シリウスは純粋な、何も含むもののない無垢な笑顔を見せた。
私の中に次々生まれるどんな感情も言葉にはならなかった。それなのに、自分でもわからないこの湧き上がる感情の全てがちゃんとシリウスには伝わるのだ。それはとてつもなく幸せなことだと思う。
「サヤだけじゃないんだ。俺もサヤに出逢って、ようやく生きていることを思い出したんだ」
申し訳なさ以上に嬉しさを感じる。きっと申し訳ないなんて思うこと自体が間違っている。シリウスが自分で決めたことだ。
もしも立場が入れ替わったとして、私が同じ決意をしたなら、シリウスには申し訳ないと思うよりも喜んでほしい。一緒に生きていけることを喜んでほしい。
シリウスがいなくなったあと、一人で生きていくものだと思っていた。ほかの誰かを好きになることはないと思っていた。だから、シリウスを失ったときのことを考えるのは嫌だった。
「そういうものみたいよ。縁結びみたいなものね。そこまで執着するから、命力が結び繋がるわけ」
執着って……もっとほかに言い方はないのか。そう思いながらも、嬉しくて笑いたくなって、ほっとして泣きそうになって、感動に嗚咽が漏れそうになって──。色々なことがいっぺんに起こって、軽くパニクった私はさぞかし滑稽だったのだろう。ノワもブルグレもシリウスまでもが声を上げて笑い出した。
「大丈夫か?」
「笑いながら言われても……」
妙に恥ずかしくなってシリウスの胸に顔を隠しながらも、みんなの笑い声につられてしまう。
「ただね」
とノワの声が低く響いた。その途端、ノワの部屋を満たしていた弾んだ空気が掻き消えた。
「先の聖女の場合、それは一方的なものだったんじゃないかと思うの」
「え、つまり繋がらなかったってこと?」
「あなたが答えを教えてくれてたのよ。意思疎通ができなかったら、聖女を同じ人として見られるか、ほかにも色々。あなたが悩んでたことが答えね。シリウスみたいに完全な形で思考が読める霊力持ちは滅多に現れないわ。あなたは本当に運がよかったのよ」
それは、聖女の想いが受け入れられなかったということなのか。言葉が通じずとも誰かを愛し、その誰かの死に際に力を使って一方的に命力を与えた、ということだろうか。
あくまでノワの仮説だとしても、それはちょっとどうなの、と思わなくもない。
「優しくされたら言葉が通じなくても好きになるものじゃないの? 私にはわからないけど」
ノワの質問に大いに悩む。
もし、私だけが呼び出された状態で、最初から優しくされたり、たとえ辛い状況下に落とされたとしても、誰か優しくしてくれる人がいたら、言葉も通じず何もわからないくとも、その優しさに縋りつきそうだ。愛するかはわからないけれど好意は持つだろう。
とりあえず私ならそんな場合でも好きになる相手は選ぶ。ただ優しくされたくらいで恋が芽生えたりはしない。……と思う。自信はない。依存はしそうだ。
うーん、客観的に振り返ると、私も初めて優しくしてくれた人がシリウスだった。辛い状況から救い出してくれ、あらゆるものから守ってくれ、好きという感情よりも先に依存や執着が芽生えた気がしなくもない。始めから無条件な好意はあった。結果だけ見れば恋が芽生えたりもしている。うーん。
「ただ、その代償が自分の命だと思わなかったんじゃないかしら」
「どういうこと?」
「ファルボナの力を集めたのはおそらく精霊よ。精霊は力の大きなものに惹かれるわ。代償さえもらえるなら願いに応える」
ブルグレを見れば、黙ってひとつ頷いた。
つまり、力に意思があるわけじゃなく、力を集めた精霊の意思ということか。
「だったら、精霊は人の願いにだって応えられるんじゃないの?」
「人が持つ力なんて微々たるものよ。精霊は人の上にある存在なのよ。同じ力の量でも、人と聖女じゃその密度が違うの。重さが違うのよ」
ここで物理っぽいたとえを持ち出さないでほしい。ふわっと掴み所のなかった力が、一気に現実のものとして掴みかかってくる。
「おそらくアトラスがファルボナからもらい受けたのは、聖女に作られた男の肉体よ」
「肉体? 肉体って、えー……そういうこと?」
「そういうこと。そんな大きな力を人が受け止められるわけないわ。死なない死体のできあがりよ」
聖女がアンデットを作り出したというのか。
「で、生きる死体の命力が尽きたとき、関わった全てが消滅したってわけ」
いきなり終わった。アトラスでのあれこれはどうなった?
「細かいことはわからないわよ。今話したのだってそうかもしれないってだけで、そうだったわけじゃないわ」
えー……確かに仮説だけど、なんだかそれっぽい気もするけれど、うーん……。
「私的には三十点」
「厳しいわね」
「なんか、んー違和感? がある」
「そうね。でも結果はたぶんそうなのよ。聖女が姿を消し、聖女の代わりとなる肉体が残されているはずよ」
「なんで?」
訊いた私に、ノワの目が言い渋るように細められ、何かを嫌悪するように鼻の頭に皺が寄った。
「血がね、使われていたんだと思うの。アトラスの国境に」
「それが侵しがたい何かってこと?」
「たぶんね。聖女の血は本人から離れると使えないけど、聖女に近い人間の血だったらって考えると辻褄が合うのよ」
「聖女が加護みたいなバリア張ったとかは?」
「あなたなら、一国を覆うような大規模な加護を張れると思う?」
たぶんそこまでの規模はできない。しかもノワに教わってなんとか小規模ながらも張れるようになったわけだから、何も知らなかったならできるはずもない。力の使い方すらわからないはずだ。私が唯一わかっていたのは血で治癒ができることくらいだ。それだって大帝国で無理矢理引き出された力だ。
「あなたが入れられていたあの箱もね、元々はもっと前の降臨するものが似たような目的で作ったのよ。あの内側、命力がダイレクトに塗り込められているから」
命力──つまり血が塗り込められているってことか。うわぁ、そんなスプラッタ仕様の中に半年もいたのか。知らなかったとはいえ、そりゃあ生きる気力もなくなる。うえぇ。顔が引きつる。鳥肌モノだ。
どうやって塗り込めたんだろう。血は空気に触れると黒くなって使い物にならなくなるから、血塗れの手で直接壁に塗り込んでいったってこと? いぃぃー……痛そうだしその執念が怖い。
好きになった人をあの中に閉じ込めておけば、時が止まったような感じになるのか。好きな人を閉じ込めておくってどうなの? 聖女とか聖人って病んでる人が多いの? それとも病んでいくの? 今の私には全く理解できない。あ、私の場合はノワが抑えてたってことか。あー……。
「シリウスはどう思う?」
「正直わからない。今の話を聞いていて、なるほどと思えど、その一端すら俺は知らなかったんだ。何かそれに繋がりそうなことすら記憶にない。徹底的に隠されていたとしか思えない」
「徹底的に隠すような何かってことは、異常なことだからってこと?」
「そう考えるとノワの仮説も否定できないだろう?」
もしシリウスと私の命力が繋がっていなかったとして、いざシリウスが死ぬときに私はどうするだろう。ノワもブルグレもいなかったら……シリウスの命を長らえようとするだろうか。しそうだ。しそうだけれど……。
「聖女の寿命が千年もあるってどうやって知ったんだろう」
「サヤだってエニフたちと単純な意思疎通はできているだろう。そもそも年を取らなければある程度は想像できる」
それもそうか。だとしたら、やっぱり願ってしまうだろうか。
「あーでも、きっと私と同じように考えるわけじゃないから、私があれこれ考えたところで仕方ないのかなぁ」
「そうね。根本的な欲求は似通うだろうけど、それを取り巻く思考までは私たちが考えたところで本人じゃない限りわからないわね」
だとしても、心から愛する人が逝くときは誰だって逝かないでと願うだろう。一人にしないで、と。
「それか一緒に逝こうとするか……あ、だから、聖女の命が代償になったってこと?」
「たぶんね」
「逝かないで」と「一緒に逝く」の両方が叶えられた結果、アンデットが残された。それが本当だとしたらやりきれない。精霊たちよ、空気読んでよ。
「わしは空気読む」
「ブルグレは私の言葉の知識があるから読めるんだよ。なかったらどうしたと思う?」
「力をもらえるなら、考えるまでもなく両方叶えそうじゃ」
ブルグレの苦渋に満ちた声が真実味を増す。
ブルグレは善くも悪くも食べ物や力に貪欲だ。それは精霊としての本能なのだろう。