アンダーカバー / Undercover
第四章 喪失
61 組紐


 今、ファルボナの組紐が熱い。
 リリヤン編みのような細い組紐をさらにミサンガのように編み込んだファルボナの組紐は、部族によって組み方や色の組み合わせが異なり、二段階で糸が編まれることで様々な紋様が生まれ、一目見てどの部族の物かがわかるようになっている……らしい。
 何度説明されても私に見分けは付かなかった。聖女フィルターのせいだ。思考が途中で停止したようにそのパターンを読み取れない。

 聖女が聖婚式で身に着けたということで、まずは各国の王家周辺で流行りだした。それが一気に広がり、ついに偽物が登場するほどの一大ブームを巻き起こしている。
 それによって、ファルボナ女性の仕事が増え、バサールで客引きをする女性が少なくなってきたと聞いて、ほっとしたのも束の間──。

 聖女の組紐がザァナ族のものだと知れるとザァナ族に依頼が殺到したという。ところが、ザァナ族はすでに散り散りになっているらしく、ザァナの族長からルウさんのお父さんのところに話が持ち込まれ、ギエナさんがそれらを一手に引き受けている、という羽リス情報を聞き、嫌な予感がして急遽ファルボナに飛んでみれば、ギエナさんは過労で倒れる寸前だった。

「これ、私の力がまだ残っていたから倒れなかったってだけで、そうじゃなきゃ……」

 顔色が悪く目の下のクマが酷い。出産のときですらここまでじゃなかった。ルウさんに怖い顔をされながらもギエナさんは心配ないとばかりに笑っている。
 血の珠で触れると、疲労なら一瞬で回復するはずなのに、少し時間がかかった。それほど限界に近かったということだ。

「ほかに手伝える人いないの?」
「その部族の組み方をほかの部族が行うことは禁止されている」
「元ザァナ族の女の人たちは?」
「一度部族を離れたものがどんな顔して戻れる?」
 ザァナ族が散り散りになっているということは、水のタンクがあって定住できる場所が見付かっても、部族の存続には繋がらなかったということか。
「ならギエナさんだってザァナ族から離れた人じゃん。族長一家は?」
「族長一家に女手は残っていないらしい」
 だから甥の嫁のギエナさんなのか。苦肉の策なのか、それとも、当然と思われているのか。あの出産のときのことを思えばあまりいい想像はできない。

 ふと見たシリウスの渋面を見れば、報酬の何割かは族長一家に持っていかれているだろうことが簡単に想像できた。
「八割だ」
「八割がギエナさんの取り分?」
「二割が取り分」
 なにそれ。安定の搾取っぷり。
「ごめん、私のせいだ。あの時のノリで軽々しく腰に巻いたから……もっとよく考えればよかった」
 それなのにギエナさんはにこにこしている。久しぶりに会えたことを喜んでくれる。
 聖婚式で私がギエナさんの組紐を身に着けたことに、彼女は「誇らしい」と涙さえ流して喜んでくれた。だから余計に、そう思ってくれたことが覆るような事態にはならないでほしいと願う。
「たった一人の作り手だということは相手側も承知しているらしい。どれだけ時間がかかってもいいという条件で引き受けたそうだ。ただ、早く届けたい一心で彼女が無理をしていたらしい」
 どうして上手くいかないのだろう。

 族長一家は、一族を出たのに作らせてやるのだからありがたく思え、という態度だったらしい。ルウさんのお父さんはなんとか報酬の半分をギエナさんに渡すよう訴えたものの、相手にされなかった。
 一緒に部族を抜けてここまで来た女の人二人は、拘束時間のわりに賃金が少なすぎて手伝えないのだ。自分の内職の手が空いたときは手伝いに来てくれるらしい。彼女たちにも彼女たちの生活がある。特に今はまだ生活基盤を整えることに必死だ。

「だったら作らなくてもいいのに」
「喜んでもらえればそれでいいらしい」
 欲が無さ過ぎる。そんなきれいな心を持つ人からお金を巻き上げるなんて許せない。
「サヤ、彼らは一族を出ているんだ。ザァナの組紐の権利を持つのが族長なのであれば、仕方のない面もある」
 シリウスの諭すような声音に、思わずむっとしてしまう。間違ってはいない気がしても、やり場のない怒りが顔に出てしまう。だからといって、何もしない人が八割も持って行くのはおかしいと思う。せめて半分は寄越せと思う。
「じゃあさ、今ルウさんたちは何族になるの?」
「元ザァナ族。それ以外はない。ここに居るからといってゾル族になれるわけでもない。ルウの子供たちはゾル族としてネラが後見することになる」
 一族から抜けるというのは、思った以上に重いことだったのかもしれない。だから、どれだけ搾取されても我慢に我慢を重ねていたのか。
 思わずシリウスを見れば、黙ってひとつ頷かれた。

 ネラさんとルウさん、その二人の父親たちがシリウスを交えて話し合っている。

 私とシリウスはノワの背に乗り、ネラさんとルウさんはビュンビュン丸に乗って、ノワの超高速でファルボナに飛んできた。

 ファミナさんはギエナさんの傍らで組紐作りを手伝っているようで、ギエナさんだけじゃなくファミナさんにも疲れが見えた。
 ファミナさんに近付き、そっと血の珠で触れる。ゆっくり糸が緩むようにファミナさんの顔から力が抜けていった。私の加護があってもなお疲れて見えるなんて、どれだけ二人ともがんばっているのだろう。
 二人は宿の切り盛りをして、さらに組紐まで作っているのだ、疲れもする。
 糸を編むというのだろうか、組紐だから組むでいいのか、そのメインの作業は一族の女にしかできないけれど、それ以外の作業は手伝えるらしい。本来は同族の女の子たちが手伝って、組み方や色合わせを覚えていく。女にしか許されない仕事なのだ、とノワが教えてくれた。
「どっちにしてもいきなり大量の依頼が来たことで、どこの部族でも組紐用の糸が足りなくなっているみたいね」
 ノワの説明にブルグレも頷いている。
 だとしたら、忙しいのも稼げるのも今だけということになる。継続的に安定して稼げるようにならないと、生活が安定することもなければ改善することもない。

「これの糸って何からできるの?」
「このあたりにしか生息しない虫からね」
「蛾の幼虫とか?」
「違う。地中に棲むうねうねした生きものが吐き出す繊維よ」
 うねうね……蛇かな。蚕とか蜘蛛とかの虫じゃないのか。
「ぶっといミミズみたいな生きものじゃ。雨期の後、地表に出て、うげぼっ、と繊維の塊を吐き出す」
 ブルグレの「うげぼっ」の声が妙に生々しくて、ぶわっと鳥肌が立った。聞かなきゃよかった。
「吐き出した繊維をしっかり乾燥させて、紡いだり染めたりで準備に半年はかかるのよ。準備を乾期のうちに終わらせて、雨期のときに組んでいくのがこれまでの習わし。そのほとんどがファルボナで消費されてきたようね」
「家族に作っているだけみたいなもん?」
「そうね。部族を示すものでもあるから、基本的に部族内で使われることが多いみたい。あとはあなたが貰ったみたいに、最上級のお礼にもなるのよ。作り手がわかるようにも組まれているから」
「だったら、部族の外に出していい物なの?」
「それはまた別の組み方があるみたい。ザァナ族が作ったというだけの、なんの意味も持たない組紐になるらしいわ。一応、バザールなんかでもお土産として売られているみたい」
「ノワ詳しいね」
「今そこで同じことをシリウスも説明されているのよ」
 なるほど。

 連絡もなく突然来たのに、ファミナさんもギエナさんも歓迎してくれる。とりあえずお土産にとマヌカの果実酒と神殿から貰った薬を数種類持ってきたらすごく喜んでくれた。
 頂き物を人にあげるのはすごく気が引ける。相手が大切な人なら尚更だ。ほかに自分で用意できるものがないのがすごく残念で悔しい。

「あなたね、治癒することがどれだけすごいことなのか、もう少し自覚した方がいいわよ。普通は疲れ程度で治癒なんてしないから。そんなことしていたらそれこそ国が傾くわよ」
 傾国の聖女か。悪くない。
 ノワがにたりと笑いながら言った。
「この場合の傾国に美人という意味は含まれないわ」
 ひどい。なんて言い草だ。
「私ってこの世界的に不細工なの?」
「さあ。人の見た目に興味ないわ」
 そこは興味がなくとも「そんなことないわよ」くらい言ってくれてもいいのに。
「嘘はよくないわ」
「やっぱり不細工なの?」
「不細工ではないわよ。たぶん」
 たぶんを強調しないでほしい。シリウスはきっとかわいいと思ってくれているはずだ。
「そりゃーあなた、あばたもえくぼよ」
 なぜ思考を一刀両断されねばならぬ。口に出してからにしてくれ。

「それにしても、思ったよりも繁盛してないわねぇ」
 ノワがネラさんの宿を見渡しながら呟いた。
 そうなのだ。組紐がこれだけ騒がれているわりに、宿泊客は以前とそう大差ない。今日はたまたまだと思いたいけれど、宿泊客がいない。もっと連合国から人が来ているかと思った。
「さすがに足を運ぶまではいかないみたいね」
「また余計なことして人が詰めかけるようになったら迷惑だよねぇ」
 本当はものすごく宣伝したい。
 元々ゾル族のオアシスはバザールから近いせいで通過されがちなのだ。
「色んなことが急激に変わるのはよくないと思うわよ。今は男二人の収入も安定しているし、それぞれに収入もある。暮らし自体はかなり向上しているじゃない。着てる物もいい物に変わっているし。変化は外にあって、内はたいして変わらないってのがいいんじゃない?」
 ノワの言う通りだ。

 自分が思っている以上に聖女の影響力が大きくて、それが今は怖い。それを多少なりともコントロールできるようにならないと、きっと意図した通りの結果にはならない気がする。かといって、コントロールできる気もしないから、余計なことはしない方がいいという結論にしかならない。ある程度はシリウスたちが裏でコントロールしてくれるだろうけれど、それに頼り切るのもどうかと思うし……。
 世の中の王様やお妃様って大変なんだなぁ、とつくづく思う。

「私もノワみたいに自由に生きたい」
「シリウスがあなたのヒモになれば自由よ」
 ほかに言い方はなかったのか。そもそもヒモは私の方だ。
「あのねぇ、治癒の対価としてシリウスがあんたの面倒を一生みてもおかしくないのよ。そのくらい、あなたの治癒ってすごいことなの。あなたのいたところでだって、最先端や特殊な治療には高額の医療費がかかるでしょ? それと同じよ」
 何かで聞いたことがある。子供の心臓移植には億のお金がかかるって。確か日本ではなかなかできないから海外での移植になって、治療費以外に家族の滞在費や病気の子供を移送するための専用チャーター機の費用もかかるからだとか。違ったかな。そんな話を聞いたことがある。
「それと同じようなことを、あなたはホラー珠でちょちょいとやっちゃってるわけ。この間の神殿の男の子なんてまさにそれじゃない」
 前にも言われた気がするけれど、まるでピンとこない。ちょちょいとやっちゃっているからだろうか。
「あなた、その辺の意識が鈍くなっているようね。普通なら目を背けたくなるような怪我でもなんてことなく治癒してるでしょ」
「そうかなぁ。んー……そうかも。苦しくなくなったからかなぁ。最初はグロい傷がすごく怖かったのに、今はなんか平気なんだよね。慣れたんだよきっと」
「慣れていいことじゃないわ」
 自分では冷静になったつもりだったのに。
「冷静と鈍感は違うわよ」
 だからといって、怪我で苦しんでいる人の前で「うわぁ」みたいな表情も声も出してはいけない気がする。
「あなた、『うわぁ』なんて思ってもいないじゃない」
「なにも真似しなくても……似てないし」
「似せようなんて思ってないわよ、失礼ね」
 言われてみれば、うわぁ、とも思わなくなった。私の力でできるかどうかしか考えてないような。ちぎれてなくてよかったとか、繋がっててよかったとか、早くしないと失血死しそうだとか。
 あー……なんか、確かに異常かも。
「外科医ってこんな気持ちなのかな?」
「人を人として見ていないことが外科医ならそんな感じなんじゃない?」
 ノワの嫌味な声に、思わず目を見開いた。
「私ってそうなの?」
「その瞬間はそうよ。完全に物体として見ているわ」
「うわぁ、そうかも。うわぁ、私最低。なんか、えぇぇ……」
 なんだかもう人として終わってる。ショックだ。すごくショックだ。指摘されなければ自分では気付けなかったのもショックだ。
「まあ、狼狽えて動きが鈍るよりはいいけど、あんまりあからさまだと、ますます聖女は人じゃないって思われるわよ」
「うわぁ、気を付ける」
 端から見ると、その瞬間の私は冷静というよりも、無機質な、すごく冷たい目をしているような気がする。それもあって畏れられているような……うわぁ、本当に気を付けよう。

 人を癒やす行為は少なからず「人を助けた」という喜びがあってもいいはずなのに、私の中にあるのはそれよりももっと薄い、ただ「よかった」という感情だけだ。しかも、治ってよかった、ではなく、治せてよかったという、自分の行為に対する安堵しかない。
 人を人として治癒していないからなのか。私の本来の性質なのか。この力をどこかで受け入れていないからなのか。最後の説が濃厚だ。未だ私はこの力を受け入れていないのかもしれない。だから、上手く使いこなせないのかも。

 ノワに意見を求めようとしたら、ぷい、とそっぽを向かれた。どうでもいいらしい。