アンダーカバー / Undercover
第四章 喪失58 回収
なるほど、アリオトさんの実家だから融通が利くのか。お城を実家と言っていいのかはさておき。
応接室というよりは貴賓室だと思われる周りとは少し離れた建物に案内され、完全に人払いされた。廊下にも窓外にも屋根にも、全てを取り囲むようにポルクス隊が配備されている。
ここにいるのは、大帝国の第一皇子と祝福の乙女、聖女に准聖人、霊獣に精霊たちだけだ。
大帝国からの入国は、当然ながら連合国同士の入国以上に厳しい。事前申請に総長の許可、国境の砦での検問、さらに飛行船の場合連合空軍の検問を通過する必要がある。どれかひとつでも欠けると、たとえそこに次期皇帝が乗船していようとも容赦なく撃墜される。内海からの入国は認められていない。
優美な肘掛け椅子がふたつ並びで対面するように置かれている。間にテーブルはない。まさに密談という言葉がお似合いの配置だ。
すでに大帝国側は席に着いていた。私たちの入室と同時に第一皇子が席を立ち跪く。乙女は微動だにしない。ちなみにシリウスの准聖人は乙女より上の立場だ。私はどうでもいいけれど、シリウスには跪けと言いたい。シリウスもどうでもよさそうなのは棚に上げておく。
相変わらずの真っ赤なドレスは、跪く赤の男の色よりも濃く深い。あの煌びやかな部屋の中では気にならなかった派手派手しさが、貴賓室のシックなインテリアの中では毒々しい。
それでも、二人並ぶと乙女の深紅と赤の男は対に見える。きっとシリウスの濃紺を纏う私もシリウスとは対に見えるのだろう。
私の着席のあと、シリウスが第一皇子に席を勧める。少し近すぎると感じる距離に自然と背が背もたれに傾く。
膝に乗るノワを見て顔をしかめる正面の乙女に、膝の上の黒猫が鼻を鳴らした。私も鳴らしたい。
「聖女から説明されたと思うが──」
そのシリウスの声を皮切りに、第一皇子とシリウスが言葉を交わし合う。シリウスの言葉を聞いている限り、ほぼ正確に乙女から話が伝わっているようで安心した。
彼女にしてみれば惑わしていることを知られるのは嫌だろうに、そこもちゃんと話していたようで、素直に偉いなと思った。
「話、信じてくれたんだね」
それに、ふん、と鼻を鳴らして応える乙女に、第一皇子が咎めるように小さく何かを告げた。
酔っぱらったブルグレ解説員がシリウスのポケットの中で爆睡中だ。ノワに解説を頼むしかない。ノワが仕方なさそうに肩に乗った。肩に乗る必要はないだろうと思いつつ、解説してもらう立場上口を噤む。口を噤んだのに耳元で思いっきり鼻を鳴らされた。
猫を肩に乗せる私を見た乙女が、失礼じゃないの! と言わんばかりに顔をしかめている。
こう言ってはなんだが、この場に猫がいる不自然さに、いい加減霊獣だと気付かないものなのか。色も黒いのに。
──気付かないだろうな。大きさが変わるとは思わない。翼もない。第一皇子すら気付いていない。
『え、だってコルアでノワの猫パンチ見たよね?』
──普通に猫を飼い慣らしたと思っている。猫が人に懐くのは珍しいから驚いてはいた。メキナ神殿の長は気付いていたが、特に何も言わなかったな。霊獣とはそういうものだと勝手に理解していた。
えー……それだと私がものすごく礼儀知らずなヤツだと思われていそうだ。
シリウスを見れば、目が伏せられた。せつない。
「こちらとしては──」
仕切り直したシリウスに、第一皇子が一瞬乙女に目をやって、再びシリウスを見据え、話し始めた。何を話しているのか、乙女が驚いている。
「あら、第一皇子が乙女を娶るんですって」
耳元でノワが囁いた。
なにその急展開!
「そうか。だが、嫡子はどうする。乙女は子を残せない」
シリウスの声に第一皇子が少しだけ驚いた顔になる。乙女は放心したままだ。乙女にとっても予想外の展開なのだろう。
「子供を残せないのがネックみたいね」
こそこそする私とノワをそっちのけに、第一皇子が少し身を乗り出しながらシリウスに何かを訊いている。
「そうらしい。これ以前も子を残したとは聞かないだろう?」
皇帝というくらいだ、日本の天皇と同じでこれまで男系男子で相続してきたのだろう。皇帝となるはずの第一皇子に子供ができないのは問題になる。
──ノワ、彼女はどれくらい存在を維持できる?
それにノワが「いいとこ五年ね」と頭の中に答えを出した。
シリウスもノワも声にしなかった。乙女自身に知らせるつもりはないのだろう。
シリウスが指先で何かの仕草をした。
それに第一皇子が一瞬目を見開き、ゆっくりと瞬いた。
「サヤ、彼女から力を回収しろ」
力を纏ったシリウスの声が聞こえた瞬間、乙女から蒸気のような煌めきがぶわっと一気に立ち上った。煌めきが彼女の頭上で一度大きく膨れ上がる。そして、それが今度は光の束となって私に向かって来た。
第一皇子も乙女も目を瞠っている。
私はわけもわからず、自分の中に収束していく閃光を、ただ呆然と眺めていた。
「え、なに? 私何もしてないけど? なんで勝手に戻って来たの?」
僅かに散った力の欠片を羽リスたちが回収している。自分の身体を見下ろせば、光を吸収し、かすかに発光していた。痛みがあるわけでも、熱を持っているわけでもない。何も感じないまま、全ての光が私の身体に染み込むように消えていった。
「あなたは相変わらずシリウスの誘導で力を使うのね」
ノワの呆れたような囁きに、思わずシリウスを見上げる。
『知ってたの?』
──ノワから聞いていた。いざとなったら俺がやるつもりだった。
ノワが私の肩から床に降りると同時に羽ヒョウへと姿を変える。これ見よがしに翼を広げているのが嫌味っぽい。
霊獣の登場に乙女が青ざめる。ノワはがしっぽの先から霊果をひとつ、戦慄く乙女に差し出した。
「食べなさい。サヤの力を返してくれた代わりにあげる」
霊獣が日本語を話す驚きよりも恐怖が勝るのだろう。仰け反る乙女がしきりに、助けて、の視線を送ってくる。
席を立ってノワから霊果を受け取り、彼女に渡す。
「これ、命の源だから。霊果って言えばたぶん第一皇子もわかると思うけど、言わない方がいいかもしれない。ライチみたいな味だから。皮剥いて食べて」
「今?」
「今。霊果って鮮度が大切らしいから、早く食べた方がいい」
あからさまに嫌そうな顔をする乙女が、ノワのしっぽの先と霊果を見比べている。
「ああ、果物みたいなものだから。霊獣のしっぽの肉じゃないから。たまたまそこにポケットみたいなものがあるだけだから」
ノワが、ふん、と鼻を鳴らした。今鼻を鳴らすのはやめて。乙女が大袈裟なほど、びくっ、と震えた。座っている椅子が、がたん、と歪な音を立てるほどびびっている。
段々面倒になってきた。
代わりに皮を剥こうとして硬くて剥けず、情けなくもシリウスに剥いてもらう。
「食べて。中田さんのためだから。そこは信じて」
つるんと剥かれた中身が私の言葉通りライチに見えたからか、乙女は怖々と口を開いた。そこに霊果を丸ごと入れる。若干抵抗されたものの、無理矢理押し込んだ。
「はんでふぃふぃほ?」
「噛んでいいかって訊いてるわよ」
嫌そうなノワの解説に頷いた瞬間、乙女はものすごい勢いで口を動かし、慌てたように飲み込んだ。ほぼ丸呑みだ。
「そんな慌てなくても」
「得体の知れないもの食べろって言われて暢気に味わって咀嚼できるほど神経太くないわ」
そんなものかなぁ。暢気に味わって咀嚼したうえに、味のダメ出しまでした私は神経が太いのか?
ふと、赤の男に渡されたショートブレッドは食べる気にならなかったことを思い出した。
そんなものかもしれない。納得した。私はわりと繊細にできているはずだ。
「じゃあ、帰ろっか」
彼女の命にタイムリミットを付けたのは間違いなく私だ。その罪悪感を直視しなくて済むよう、シリウスが誘導し、ノワが霊果を与えることで、少しずつ逸らしてくれた。
もうこれ以上はいい。これ以上は関わりたくない。
「はあ? 待ちなさいよ! こんなとこに呼び出して変なもの食べさせてハイさようならって、何様のつもりなのよ!」
えー……呼べって言ったのはそっちなのに……。思わずシリウスを振り返る。
「あとはなんとかなるのだろう?」
シリウスが第一皇子にそう話しかけると、第一皇子が何かを返した。それに乙女がむぐっと口を噤んだのを見て、これ幸いと黒猫になったノワを小脇に抱え、とっとと部屋の扉を開ける。
部屋の外に立っていたデネボラさんとエニフさん、アリオトさんに終わったことをジェスチャーで伝えたところで、シリウスが背後に立った。
「サヤ、一人で行動するな」
「王様たちにお礼言わないとね」
せっせと足を繰り出し、超高速で歩く。競歩だ。ここで捕まったら間違いなく面倒なことになる。察したのか、先導するデネボラさんもいつもよりずっと早足だ。後はレグルス副長とアリオトさんに任せる。休暇中なのにごめんなさい、と心の中で謝った。
マヌカのお城はどことなく雰囲気が学校に似ている。華美な装飾は一切なく、所々に絵画や彫刻、花がさり気なく飾られている。モザイク模様の床に敷かれた絨毯が足音を消す。淡いグレーの石壁、丸みを帯びた天井。学校というよりは教会かもしれない。
案内されたそこは談話室らしく、みんなそれぞれ適当にかたまりながら、果実酒片手に楽しそうに笑っていた。アルヘナさんが一番のご機嫌さんだ。
気の抜けた光景に緊張が緩んだ。全身に入っていた力がすとんと落ちるように抜けた。
腕から飛び降りたノワが、テーブルに山のように盛られたフルーツの前でお座りしている。早く来い、と言わんばかりに振り返られた。それに応えたのはシリウスのポケットに入れられていたブルグレで、下僕のようにせっせとノワに果物を運び出した。口に運ぶたびにしょぼくれていく。どうやら酔っぱらったことを怒られているらしい。
歓談室と続き間になっている小部屋に通されると、王様たちがいた。
二人ともファルボナの民との面会が初めてだったらしく、ファミナさんとギエナさんが呼ばれ、歓談していたらしい。
私たちと入れ替わるように二人は談話室に戻った。
改めてマヌカの第一王子を紹介された。王子というには立派な紳士だ。ステッキを持つ姿が様になっている。王子はなんとなく少年から青年のイメージがあるせいか、紳士王子に感動した。いい。紳士王子すごくいい。隣に立つお妃様も上品な貴婦人だ。
お礼にとシリウスに確認し、王様と王妃様の悪いところを治す。内臓系はわかりにくいけれど、それなりに力を使った気がするから、二人ともどこかに病気を抱えていたようだ。
「サヤ、第一王子は腰を痛めている」
「そうなの? おしゃれでステッキ持っているわけじゃないの?」
数年前に事故で腰を痛めたらしい。以来杖を手放せないとか。杖を頼っている感じが見られないせいか、紳士だからステッキを持っているのかと思い込んでしまった。そう見られないようにしているのかもしれない。
治癒したら杖を放り出す勢いですごく喜ばれた。いつの間にか控えていたアリオトさんにまで感謝の仕草をされた。誰よりもお妃様が喜び、涙を流しながら感謝の仕草をしてくれた。
その姿がエニフさんに重なった。デネボラさんの足を治癒したとき、デネボラさん以上にエニフさんが感謝してくれたのを思い出した。次々と運ばれてくるか怪我人の治癒に忙しくて、はっきりと覚えているわけじゃないけれど、常に私について怪我人の治癒を手伝ってくれていたような気がする。
──エニフは生涯サヤに尽くすと決めている。
『そんな大袈裟な』
──大袈裟にもなるだろう。デネボラにとって片足を失うことは生きる意味を失うに等しい。エニフですら尻込みしたデネボラの傷に、サヤは躊躇なく触れ治癒したんだ。エニフにとっては感謝してもし足りないだろう。
シリウスはあの時いなかったのに、まるで見たかのように言う。
──デネボラから一部始終を伝えられた。サヤが自らどれほどのことをしてくれたか。デネボラはみんなにも伝えた。だから、ポルクス隊は聖女に忠誠を誓うんだ。レグルス副長だけじゃなく、デネボラも救ったサヤに報いようとするんだ。
やっぱり大袈裟だと思ってしまう。医師に命に関わる病気を治療されたとして、心から感謝しても忠誠を誓うまではしない。
「医療技術の違いね。ここではあなたの世界よりずっと病気や怪我で命を落とす人が多いのよ」
その声に振り向けば、口の周りを果汁で汚したノワがいた。ノワにしては珍しい。思考が伝わったのか、しきりに口の周りを舐めている。
「あなたがさっき治癒した国王夫妻は二人ともいわばガンね。一番の原因は過労。第一王子の腰が治ったんなら、退位してのんびり暮らせば寿命までは生きられるわ」
寿命までは、という言い方に引っかかりを覚える。
「たとえあなたが治癒しても、その人の持つ寿命までは大きく変わらないのよ。せいぜい数年延びればいい方。突発的なものはともかく、病気や怪我によっては、なる人はなるような生き方をしているのよ」
過労が病気の原因であれば、その原因を取り除かない限り病気は再発するということか。
ノワの言葉をオブラートに包んでシリウスがアリオトさんにこっそり伝えた。心得た顔のアリオトさんに、もう一度感謝の仕草をされた。
退位なんてたとえシリウスでも口出ししていいことじゃない。ましてや聖女や霊獣が口にすればそれは強制になる。
言葉が通じなくてよかった。初めてそう思った。
胸を撫で下ろすと、足元のノワがふくらはぎに頭をぐりぐり擦りつけていた。ノワもうっかりしたのか。
「少し酔ったのかも。サヤが調子付く気持ちが初めてわかったわ。自覚ないのね」
さり気なく貶すのはやめてほしい。
酔っぱらいのご機嫌さんたちを乗せた大型飛行船がゆっくりとメキナに向かう。
治癒のお礼にと、果実酒と果物、日持ちするドライフルーツや瓶詰めをたくさんもらった。ごちそうしてもらい、場所を貸してもらったお礼の治癒だったのに、さらにそのお礼をもらうのはなんだか申し訳ない。
アリオトさん一家は久しぶりの帰郷だったらしい。そのまま休暇明けまでマヌカで過ごすことにしたようで、帰りの船内にその姿はない。
「ねえ、第一皇子に何かの仕草してたでしょ? あれなに?」
「ああ、手信号だ。軍にいると習うものだ」
「連合国と大帝国の手信号って同じなの?」
「共通のものがある。それを使って乙女の寿命を知らせた」
「それで?」
「それだけだ。あとは大帝国が考えることだ」
「もしかして、乙女が消えたあとに再婚すればいいって考えてた?」
「考えていたな。仕方ないだろう、あそこは男児が必要なんだ」
なんだかなぁ。乙女の気持ちは無視か。
「いや、乙女もまんざらでもなさそうだったぞ。私が王妃に! と感極まっていた」
えー……驚いて放心していたわけじゃないのか。私の運命やいかに! が頭の中をぐるぐるしているのかと思っていたのに。
なんだかなぁ。第二皇子の立場がない。いいのかなぁ。修羅場ったりしないのかなぁ。まあ、余所の国のことはどうでもいいか。
「結婚式に呼ばれたら行くか?」
「行くわけないし」
「あら、乙女は私の幸せ見せ付けてやる! って思ってたわよ」
えー……どうでもいい。勝手に幸せになってくれ。
「名指しで招待する気だったわよ」
ノワの声が酔いのせいか少しうわずっている。
「じゃあ、体調不良で寝込む」
なんだかすごく疲れた。これでもう二度と会わずに済むことを思えば、ようやく肩の荷が下りた気がする。
私がんばった。何度も怒りがこみ上げたし、何度もイラッとした。全部丸ごとのみ込んで、気付かないフリをした。うん、私がんばった。
「あのさ、ちょっと抱っこして」
シリウスの困ったようで心配そうな、それでいて渋い顔にめげず、膝の上に乗って抱きついた。
癒やされる。
しょうがないな、と頭の上から小さく声が落ちてきた。背中に頼もしい腕が回った。ノワも私の膝の上で丸くなった。ブルグレが肩の上によじ登ってきた。
これまたとっぷり癒やされる。
余命五年。
それを聞いてもなんとも思わなかった自分が少しだけ嫌になった。