アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁
50 鉄壁


 夕食には少し早い時間に始まった親善パーティーは、コルア国内の有力者が招待されている。
 メインゲストは大帝国第一皇子、第二皇子、祝福の乙女の三人。ホストはコルア国王夫妻だ。

 少し遅れて会場入りしたスペシャルゲストとなる聖女の周りは、何人たりとも入り込めないよう、映画で観たボディーガードさながらにポルクス隊ががっちりガードしている。生で見る軍服集団のクールさはスクリーンで観る以上にぞくぞくする。
 唯一表立って挨拶できたのはホストであるコルア国王夫妻だけで、メインゲストたちも、陰険王子も鉄壁に阻まれた。事前に知らされていたらしく、思いっきり乙女が睨んでいる以外に混乱はない。
 ここまで鉄壁に守られている理由が、乙女に会いたくない、という個人的感情なのが心苦しいというか情けないというか。

 コルアの第二王子だけはこっそり鉄壁の内に招き入れられ、シリウスから直接紹介された。以前会したときには気付かなかった、軍人のようなしっかりした体躯と理知的な目を持つ好青年だった。シリウスの目が和んでいる様子に、二人の仲のよさが窺い知れる。
 二人は久しぶりの再会だろうに、二三言葉を交わすだけであっさり離れていった。

『もっと話せばいいのに』
──いいんだよ、お互いの近況は大体わかっている。顔を合わせるだけで十分だ。
『そんなもん?』
──そんなもんだ。

 会場に流れる旋律はどこかの民族音楽のようで、クラッシックにも似た調べがゆったりと会場を満たしている。
 にもかかわらず、会場入りした瞬間からポルクス隊の鉄壁を物ともせずに突き刺さってくる凄まじく強い視線に気圧されて、ゆったり生演奏を聴くどころではない。シリウスの腕に情けなくしがみついている。

『もうやだあの視線、怖すぎる』
──なんとか隙を突いて警護を突破しようとしている。

 親善大使としてこの国に来ているのだから、私のことよりそっちを優先しろ、と声を大にして言いたい。

『突破されそう?』
──うちの隊をナメているのか?

 滅相もございません。そう思いながらも不安が拭いきれない。
 突き刺さる殺人的視線を意識の中からせっせと追い出しながら、鉄壁の隙間から見え隠れする人たちにせめてもと聖女スマイルで応える。
 彼らにとって聖女はどんな存在なのだろう。ただ同じ空間にいるだけで喜ばれる、なんだか不自然な存在だ。
 おいしそうな食べ物も用意されていたというのにどうしても口にする気になれず、なんとか義理を通せるだけの時間を会場で過ごし、ようやくポルクス隊長の居住区に戻れた頃にはお腹がぐうぐう鳴っていた。

「今日の警護は何がそんなに不安だった?」
 ようやくありつけた食事の席で何気なく訊かれた。
 エニフさんたちは疲れ切った私を気遣って、食事を用意したらすぐに退室し、ノワは布団ラグの部屋に籠もってまったりしている。
 全ての料理がテーブルに並ぶ、シリウスと二人きりの食事に、マナーを忘れてお腹が欲するまま次々と口に運んでいく。

「警護自体に不安はないよ?」
「だが抜かれるんじゃないかと不安だっただろう?」

 お肉はシンプルに塩で焼いただけにしてくれている。たぶん鳥の肉。表面はぱりっと香ばしく、中はやわらかくジューシーだ。

「んとね、ああいうとき大抵何かしらのアクシデントがあるものなんだよ」
「なぜ?」
「なぜって言われても……そういうもんなんだよ、ストーリー的に」
「また芝居の話か?」
「そう。現実はそんなことないんだって安心した」
 ポルクス隊がどうこうという話じゃない。単に私がびびりなだけだ。
 実際何度か向かってきたらしい。周りがそれと気付かないうちに自然と距離が取られているという警護のスマートさはさすがだ。私もシリウスから実況されなければ、誘導も自然で気付かなかった。
「万が一もあるから気を抜く必要はないが、必要以上に身体に力が入っているといざというときに動けないぞ」
 それを一般人に要求するのは酷というものではなかろうか。

 デザートは桃と洋梨の間のような果物だった。まったりと甘く瑞々しい。

「サヤは一般人とは言い難い」
「体力的には一般人だよ」
「夫が軍人なんだ、サヤは基礎体力をもっと付けた方がいい」
 意味がわからなくて首を傾げかけ、意味がわかった途端、顔が火を噴いた。鼻血が出そうだ。
「なんで急に……」
「聖婚式が終わったら手加減しないからな」
 人目のないところでならキスしてもいいと言うから、昨日さっそくしまくったのが原因か。
 もう嬉しくて嬉しくて、唇だけじゃなく頬や瞼や鼻先、額や顎に至るまで気持ちを込めて啄んだ。啄み疲れて寝落ちするくらい、キスしまくった。
 やり過ぎたらしい。今日は少し控えよう。これ以上ないほど熱った顔を手のひらでぱたぱた仰ぐ。
「別に構わん。その代わり後で覚えておけということだ」
 思いっきり怒ってますが。別にディープなヤツじゃなかったのに。

 食後のお茶をカップに注ぎ、シリウスに差し出す。

「サヤ」
 受け取るシリウスは色々我慢しすぎてお怒りだ。声が地を這っている。
「黙ってればわからないのに」
「顔に出るのはサヤだろうが」
「考えすぎじゃない? 慣れればそのうち出なくなるってば」
 サヤには無理だな、と言いながら優雅にお茶を飲むシリウスは、元々育ちがいいからか、あらゆる仕草がこのうえなく上品だ。しかも、こうして気を抜いているときほどより上品に見えるのだから、軍では敢えてラフに見せているのだと気付かされる。私もそれなりにしつけられたはずなのに、所詮庶民だからか、元来の性格か、イマイチ上品になりきれない。優雅さが圧倒的に足りない。

「いいか、俺以外の直近護衛を許す気はないが、万が一俺以外の時に今日のように必要以上に身体を寄せるなよ」
「あれはちょっと怖かったから自然とくっついてしまっただけで、シリウス以外にあんなことしないよ」
 ふむ。お怒りの原因はそれもか。やっぱり我慢しすぎだ。
「今日する?」
「するか!」
 一瞬ぐっと詰まりましたが。ストイックも大概にしないといつか爆発する。たぶん。
 覚えてろ、と言ったはずのシリウスは、結局我慢できなかった。私は基礎体力の必要性を実感させられた。



 翌日、リムジン飛行船でのんびり帰路に就く。
 いつの間に呼んだのか、ビュンビュン丸に布団ラグが積み込まれている。ノワは姿を隠した巨大サイズでその辺を思いっきり駆け回ってから戻るらしい。

 三日後にもう一度親善パーティーが開かれるため、ポルクス隊長と数名がコルアに残る。
 ついでだからとシリウスに休暇を与えられたエニフさんは、恐縮しながらも砦に向かった。別れ際、デネボラさんと目一杯いちゃいちゃしてきてください、と伝えてもらったら、ものすごく色っぽい顔ではにかまれた。

 U字型のソファーにだらしなく座りながら、エニフさんのエロかわいい顔を思い出し、隣に座り何かの書類を見ているシリウスに話しかける。
「エニフさんたちって結婚式しないの?」
「結婚式は王家に連なるものしかしない」
 一般人は自宅に身内を招いて紹介がてら食事するだけらしい。軍人は所属先に届けを出して終わりだ。新婚旅行もない。
 式といっても聞いている限り教会などでする挙式ではなく、国民へのお披露目を兼ねたパレードのようなものだ。
「エニフさんが産休に入ったらどうしよう」
「サヤも産休に入ればいい」
 我慢が限界突破したせいか、シリウスはついに開き直った。

 今朝、極力無表情を装っていたら、その不自然さで思いっきりバレた。
 シリウスの「サヤは俺のだ文句あるか」という開き直った態度に、私は大いに感激し、ポルクス隊長は満足げに大笑いし、エニフさんはにっこり微笑み、年頃の娘さんがいるアリオトさんは複雑そうな表情を見せた。
 ちなみにノワは我関せず、小うるさいブルグレは偵察中で不在だった。

「私って本当に子供できると思う?」
「できるんじゃないか? ノワがそう言っただろう」
「もしできなかったら?」
「どうもしない。特に跡継ぎが必要な身でもない」
 それだとアトラス王家の血が絶えてしまう。
「国がないんだ、血だけが残っても仕方ない」
「再興とか考えないの?」
「考えたこともない」
 穏やかな表情を見る限り本心のようだ。
「本心だ」
 宙ぶらりんなのはシリウスも同じか。

 私たちは切り花みたいだ。根元をぷっつり切られて、ただ咲くことしかできない。上手くすれば次に繋がる種を残せるのかもしれないけれど、誰も切り花に種なんて期待しない。ただきれいに咲くことしか期待しない。

「だったら、精一杯咲けばいい。俺が咲かせてやる」
 開き直ったシリウスがヤバイ。ずきゅんどころかずどんと胸にきた。まじまじ見ても、はにかむどころか堂々としている。それにまたときめいた。
 興奮しすぎて鼻水が垂れた。シリウスが無言で差し出してくれたハンカチをありがたく受け取る。

「あのさ、今更だけど、なんで私?」
 聖女という「うまみ」があったとしても、中身は興奮して鼻水を垂らすような女だ。シリウスのようなハイレベルな男が相手にするような女じゃない。
「サヤは始めから俺の力に嫌悪がなかった」
 そりゃそうだ。あの状況下でシリウスの能力は私にとって天の助けにも思えた。
「これまで一度も読まれることを厭うたことがない」
「妄想読まれて泣きたくはなるよ」
「それでも気味悪がったりはしないだろう?」
 まさかそれだけ?
「それだけがどれほど貴重か、サヤにはわからないだろうな」
 笑いながら言われた。
 正直わからない。わからないから思うのは、私のほかにもいるだろう、ということだ。 
「少なくとも俺が知る限り、サヤのほかにはメキナ神殿の長くらいだ。ああ、あとはノワとブルグレ」
 どれほど親しくても嫌悪感や不快感が消えることはないらしい。
「それこそ開き直ればいいだけなのにね」
「サヤほど開き直れないだろう、普通は」
 普通じゃなくてごめんなさいね。鼻周辺を拭ったハンカチを返そうとしたら拒否られた。やっぱり?

「それで上手くいかなくなったことある? むしろ色々わかる分上手くいきそうだけど」
「上手くいく以前にそういう対象からは外される」
 まあ確かに、好きな人に自分の思っていること全部を知られるのは恥ずかしい。それ以上にわかってもらえる充足感は何ものにも代え難いのに。
「そういうところだ」
 目を細めたシリウスの口元に笑みが浮かぶ。
「は? どういうところ?」
「サヤはただ恥ずかしいとしか思わないだろう?」
「普通恥ずかしいでしょ」
「普通は恥ずかしさよりも気味が悪いと思うもんだ」
 気味が悪い。思ったことないな。恥ずかしいとは常に思っている。まあ、開き直ればそれもまた一興だ。よからぬ妄想をこれでもかと見せ付ける楽しみもある。
「そんな風に思うのはサヤだけだってことだ」
「バカにしてる?」
「喜んでいる」
「変態っぽいね」
「変態で結構」
 だったら、と思っていたことを訊いてみる。

「シリウスだって気持ち悪くないの? 私なんてこの世界の人と同じ生きものじゃないかもしれないのに」
 訊いたところで答えはわかっている。一度だってそんな目で見られたことはない。
「サヤが思っている通りだ。そんな風に思ったことはない。サヤは俺たちと同じ人だ」
 聖女への畏れの中に、異物に対する恐れが含まれていることを肌で感じる。
 誰に言われたわけじゃなくとも、聖女に向けられる視線に混じる恐れは、大帝国で感じていた恐れと同じだ。聖女と厄災の乙女は、そういう意味では間違いなく同じ存在だ。
「気にするな。俺だけじゃなく、サヤが大切に思う者たちは皆、サヤを自分と同じ一人の人間だと思っている」
 隣に座るシリウスにもたれた。どれだけ体重をかけても一ミリもブレない。

 堅苦しいこの世界で生まれ育ったシリウスが、ノワの言う「夾雑物」である私の存在を受け入れてくれることがどれほど貴重か、シリウスだってわかっていない。
 シリウスが当たり前に私を人として扱うから、周りの人も私を人として扱ってくれているだけなのに。

 もし私がこの世界で生まれ育っていたら……やっぱりシリウスの能力を気持ち悪いと思うのかもしれない。
 誰だって頭の中では変なことを考えている。私はそれがある程度許されるユルい世の中で育ったから、変なこと=悪いこと、だとは思わないだけだ。ここでは隠しておきたい変なこと=悪いことを知られるから、気味悪がられるのかもしれない。距離を置きたくなるのかもしれない。
 そもそも、この禁欲的な世界で育ったからこそ、えげつないこと考えている人だって少なからずいるはずだ。愛をオープンに叫べないなんて、どれだけ不健全な妄想を抱えていることか。
 一度でも誰かを本気で好きになったら、純粋なんかじゃいられない。どろっどろの愛憎劇が繰り広げられているに違いない。そりゃあ、思考を読まれたら困るだろう。毒されていない純粋な少女に恋愛感情を抱くようなシリウスでもない。
「その通りだから困ったものだな」
「やっぱり!」
「私のエロ妄想なんて爽やかなもんでしょ」
「破廉恥が爽やかに結びつくことはない」
 どうでもいいアホな会話に、ここ数日で溜まりに溜まったストレスが癒やされていく。
 与えることができないはずの乙女なのに、ここまで私にストレスを与えてくるとはどういうことか。
「次はメキナに親善訪問するつもりだぞ」
「うそでしょ……」
「あれのサヤへの執着は少し異常だ。痴情がもつれたとしてもあそこまでの執着はそうそうない」
 私だってあんな殺されそうな視線を向けられたことは今まで一度もない。逃げ回っているから余計に執着されるのか。だからといって会おうとも思えないのが、私の器の小ささでもある。
 彼女も彼女だ。嫌っている相手なんて放っておけばいいのに。まさか、イジメ足りないのか。これ以上されてたまるか。
「来るの?」
「それはメキナ王が判断することだ」
「えー……来るなら逃げる」
「そうなったら、ネラのところに行くか? ああ、だが運が悪いと雨期に重なるな」
 そもそも、逃げなきゃならない時点で運は最悪だ。
「あ、雨期だとノワは一緒に行かないかも。ノワ雨嫌いだし」
「だったら砦にでも行くか」
「そうだね、エニフさんもデネボラさんと一緒にいられるし」
「その前に聖婚式だな。それにも出席できないか考えていたぞ」
「それは阻止して」
「承知」
 軍人っぽくぱりっと言われた。ずきゅんときた。
「ひとしきり悶えたいのでしばらく放っておいてください」
 小さく笑いながら手元の書類に視線を落としたシリウスを、悶えながら何度も盗み見た。