アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁
49 密約


 その外界から紛れ込んだ転移装置は、直径一メートル、厚さ十センチほどの円形状で、他に類を見ない物質でできているらしい。たったひとつしかないスイッチに触れると、どんどん光が強くなり、その上に人が転送されてくるという、よくわからない仕様だ。動力源等々どうなっているのか。

 どこにそんなものがあったか──。

 当時のことを思い出すも、自分の足元がどうなっていたかなど、どれだけ記憶をさらっても出てこない。出てくるのは大聖堂みたいな空間と出てこなくてもいいドヤ顔だけだ。

 破壊の密約が交わされたところで、すぐに実行できるわけではないらしい。
 現皇帝は禁忌とされた乙女の呼び出しを行った挙げ句、その乙女を持て余し放逐しようとしているのだから、破壊なんて認めるわけがない。実行は第一皇子が即位した後となる。
「呼び出したものの手懐けられないとは。愚かな」
 息子の前でその親父をディスるとはシリウスも剛胆な。親父をディスられた息子は苦笑いしていた。
 シリウスと赤の男は世代的に感覚が近いのかもしれない。乙女の呼び出しなど前世代的だと考えているような、そんな感じがする。

 そんな現皇帝だから、最悪現乙女を排除して新乙女を呼び出しかねない。次に呼び出された乙女は間違いなく厄災の肩書きを押しつけられるだろう。
 そこは第一皇子が阻止するらしい。
「私も手懐けられてるの?」
「サヤの後ろにはノワがいる。手懐ける以前の問題だな」
 違うだろうな、と思いつつも訊いたら、思いっきり呆れられた。それはノワに感謝すべきなのか。軽く牙を剥かれた。
 もしノワの存在がなかったら──私も彼女と同じだったかもしれない。自分よりも上の存在がいたからこそ、歯止めがかかって暴走せずに済んだのかもしれない。目立たずひっそり、とか言いながら得意になって力を使っていたくらいだ、間違いなくやらかしていただろう。
「感謝しなさいよ」
 そう言われると反発したくなるのはなぜだろう。だから威嚇しないでよ。



 何かひとつのイベントがあると、中二日空くのがこの界隈の常識なのか。私が参加しなかった晩餐会の三日後にピクニック会談が行われ、さらにその三日後に親善パーティーが開催される。
 今日はその親善パーティーの前日に当たる。コルア王からの懇願に近い招待はさておき、シリウスが参加するから私も参加することにした。ポルクス隊が乙女からの徹底ガードを約束してくれた。

 ちなみに、コルア王妃から連日行われている乙女とのティーパーティーに聖女も参加してもらえないかとの懇願が何度も届いているらしい。エニフさんがいい笑顔で握りつぶしていたとシリウスが教えてくれた。あのコルア王妃が助けを求めるほどの何かが起こっているらしい。知らぬが仏だ。

 今はシリウスがポルクス隊長とアリオトさんとの打ち合わせと称してポルクス隊長の居住区に集まり、みんなでだらりと休憩中だ。さすがのポルクス隊長も乙女の女王様っぷりに「うちはあの聖女でよかったなぁ」としみじみ呟いていたとか。「あの」が何を意味するのか、非常に興味がある。

「サヤの場合はむしろこちらが勝手に金をかけているだけだ。サヤ自身が無理難題を言うわけでもない。扱いやすいと言えば扱いやすい」
「身の程を弁えていますので」
「身の程なぁ。なあサヤ、神殿から聖女に治癒の依頼が来ているが、どうする?」
 その後ろに陰謀が隠れているようで嫌だ。聖女に治癒させてやるから金寄越せ的な悪巧みが透けて見える。
「サヤはどうしてそういうところに気付くんだ?」
「サスペンスものをよく観てただけ」
 シリウスの小さなため息に何を察したのか、ポルクス隊長が笑う。

 祖母二人はとにかくテレビ好きで、暇さえあればテレビを見ていた。特に二時間枠のサスペンスドラマが好きで、夏休みや冬休みになると、どっちの家に預けられていても昼間の再放送を一緒に観ていた。崖っぷちでの懺悔シーンなんて定番中の定番だ。あとはくたびれた中年刑事とか。キャスティングを見ただけで真犯人が誰かわかるのもある意味醍醐味だ。今でもアイキャッチのBGMが耳に残っている。
 思わず口ずさんだら、シリウスに不思議そうな顔をされた。なんでもない、と笑う。

「聖女の治癒が必要な人がいたら羽リスたちが教えてくれるってことで。精霊信仰にも繋がるからそれでいいんじゃない?」
 シリウスの通訳を聞いたアリオトさんが小さく頷きながら何かを返している。ポルクス隊長は興味なさそうだ。エニフさんもそれに加わり意見を言っている。
 エニフさんは私の秘書のようなものなので、今や副長ズと同等の地位らしい。通常であれば身分の高い女の人には何人もの補佐役がつく。私の場合エニフさんだけなので、その分お給料をはずんでもらっている。手が足りなければポルクス隊から女性隊員さんたちが来てくれるので、今のところ問題はない。
「そういうところでもサヤは金がかからないな」
「いいじゃん。節税だよ」
「いずれ清貧が持て囃されそうだ」
「いいことじゃないの?」
「どっちもどっちね」
 でた。ノワのどっちもどっち。

 なぜかノワは私とシリウスの間、僅か十数センチの間にみっちり挟まれて満足そうだ。時々ノワは隙間好きになる。

「自分で選んでそうするのはいいと思うけど、強要されるのはどうかってことよ。信仰が絡むと自分で判断しないうちにそれがいいことだと思い込んじゃうでしょ」
「聖女様が清貧を重んじているから私たちも当然そうするべきだ、みたいな?」
「そう」
「じゃあ、もう少しお金使ったほうがいいの? えー……でも欲しいものって特にないんだけど」
 大抵のものは揃えてもらっている。今着ているワンピースだって王室御用達の仕立屋さんに作ってもらったオーダーメイドだ。十分贅沢だと思う。清貧ではない。そもそも清くない。働くわけでもなく衣食住を保証してもらっているのに、これ以上何を望めというのか。
 何も思いつかないうえに、あまり欲張るとあとが怖い。

「聖女は怖いもの知らずでもよさそうなもんだが」
「聖女にだって怖いものはあるよ」
 ノワとかノワとかノワとか。
 冗談だから。しゃーってするのやめて。もしかして、しゃーってするの楽しいの? 冗談だってば。猫パンチは本当にやめて。
 ノワとのやりとりにシリウスが笑う。このところ激務だったから、リラックスしている姿にほっとする。

 今回の親善訪問はあくまでもコルア国に対するものだ。一応初の親善訪問ということでシリウスが総長として顔を出しているだけで、連合本部としては基本的に関与しない。私はシリウスの婚約者として同行しているはずなのに、思いっきり聖女の方が前に出ている。

「そういえばさ、聖婚祭って大帝国にも招待状出すの?」
「すでに出してある。第一皇子の参列が決まっている」
「一人だけ?」
「今のところそう聞いている」
 次期皇帝か。

──惜しくなったか?
『まさか。でも婚約者候補がいないなら、連合国からってのも考えられる状況だなぁって思って』
──まだその段階じゃないだろう。今こちらから輿入れしたとして、針のむしろだ。

 シリウスから「針のむしろ」なんて言葉が出たことに驚く。似たような慣用句があるのだろう。シリウスがどんな言葉で話しているのか、それを知ることができないのはもどかしい。

「サヤ、散歩でもするか」
 うんともすんとも言わないうちに庭に連れ出された。ここに来て初めて、エスコートとしてじゃなく手を繋がれて歩く。
「慰め?」
「いや、俺がしたいだけだ」
「なんだか最近素直だね」
「破廉恥娘に毒されてきた」
 それは誰だ。断じて私じゃない。
「サヤ、辛いか?」
「それはどの意味で?」
「あらゆる意味で」

 ゆっくり並んで歩く。そよぐ風の爽やかさが夏の終わりの日射しを和らげている。爪先で小石でも蹴りたい気分だ。美しく整えられた庭に小石は見当たらない。

「マシになってるよ。ここで生きていくことは受け入れられそうだし、自分の立ち位置とかにも気を付けようって思えたし、あそこまできっぱり相容れないってわかったら心底関わりたくないし」
 そこまで言って、それでも、と思った。
「やっぱり殺してもいいとは思わない。できればシリウスも関わってほしくないってのが本音かな」

 彼女が連合国内にいるときに暗殺されることはないだろう。それこそ大帝国の思う壺だ。乙女が死んだのは連合国のせいだと賠償請求されかねない。もしくは代わりに聖女の身柄を引き渡せとか。

「サヤはどうして……」
「ドラマかぶれなだけ」
 テレビ好きな祖母たちは刑事ドラマも好きだった。あとは医療系と法律系。恋愛ドラマは鼻で笑っていた。
「俺も赤の男には関わってほしくない」
「関わらせたくせに」
「怖がる必要がないことをわかってほしかっただけだ」
 たぶん、私の力の余剰分を羽リスたちなり私なりが奪ってしまえば、シリウスたちはそれほど待たずに済むのだろう。けれど、それは私にとって殺人と同じことのようで気が咎める。

 この世界にいる方が幸せなら、死ぬことで元の世界に戻る可能性はきっと彼女を絶望させる。知られればなんとしてもこの世界で生きようとするだろう。そうなったとき、今以上に関わってくるのは本気で勘弁してほしい。
 殺してほしいとまでは思わなくても、私の力が彼女を生かすと知った以上、直接力を奪われることだけはなんとしても阻止したい。それなのに、そのせいで彼女が死ぬというのは受け入れがたい。
 結局、綺麗事を並べて自分の手を汚したくないだけだ。
 彼女を殺せば元の世界に戻れるなら躊躇なく殺す、そう思っていたのに、いざとなると絶対的に心が拒む。殺したところで戻れないなら尚のこと関わりたくない。

「誰しも自分の手は汚したくないものだ」
「シリウスも?」
「俺の手は汚れきっている」
 繋がった手が少し持ち上げられた。離されてたまるかと力を込める。
「でも私、この手に救われたんだよ」
 今まで生きてきて一番好きな手だ。この手に繋がれていると一番安心する。

 大きな手のひらに長い指、ごつくて、少しかさついて、柔らかさのない軍人の手。人殺しの道具を扱う冷酷さと、私に優しく触れるあたたかさを持つ手だ。

 ふと目の端にかすかな光が入り込んだ。気になって目を凝らせば、足元のジェームの花に小さな煌めきが揺れていた。
「もしかして、これが精霊の赤ちゃん?」
「ああ、そうかもな。そういえば、昔これと同じ小さな光を捕まえたことがあるんだ。捕まえたと思った途端消えてしまって……触れると消滅するのかもしれん」
 思わず二人でしゃがみ込む。煌めきがふるっと揺れた。
「力を与えたら精霊になると思う?」
「どうだろうな。そっと手の中に閉じ込めたつもりだったが、手を開いたら消えていたんだ。当時かなり落ち込んだ」
 かすかな煌めきに伸ばそうとする左手をシリウスに掴まれた。
「やっぱダメかな?」
「ダメだろう。そもそも扱いがわからないんだ、ノワかブルグレに確認してからの方がいい」
 それを聞いて気付かされる。

 今ここにいるのが私だけなら、後先考えず煌めきに触れ、力を与えていただろう。こういう積み重ねが思い上がりや後のトラブルに繋がっていくのだ。浅慮を正してくれる人がいるかいないか、その違いはすごく大きい。

 じっと見つめていた小さな煌めきから傍らに跪くシリウスに視線を移すと、優しい目に見下ろされていた。とろけるような甘い視線とまではいかず、周囲の警戒や理性の方が勝っている。それでも、軍人のシリウスにしたら十分甘い視線だ。

 ここでキスくらい……そう思った途端に立ち上がるのはどうしたものか。しかも私はしゃがんでいたせいで足が痺れて無様によろめく始末だ。甘くない。甘さが足りない。
「いいかサヤ、一見誰もいないように見えるが、少なくとも護衛が十数人潜んでいる。そんな中破廉恥なことができるか?」
 破廉恥じゃないし。スキンシップだし。
「何もないのに手を繋いでいるだけでも十分破廉恥だ」
 いまどきは小学生だってキスくらいしてるよ。園児だって手くらい繋ぐよ。婚約者とキスして何が悪い。
「そういうことは人目のないところでするものだ」
「人目がなかったらしてくれるの?」
「しない」
「けち」
「サヤは顔に出るだろう」
「出なかったらしてくれるの?」
「サヤは出るからしない」
 顔に出て何が悪い。好きな人とキスできた幸せをまき散らして何が悪い。
「聖婚式まではしない」
「シリウスが人でなしになるから?」
 困ったような目を見て、私の方か、と気付いた。聖女は清楚であるべきなのか。違う、聖女に限らず、だ。
「そういういことだ」
「一途ってことで手を打たない?」
「俺は打つが、神殿も民衆も打たないだろうな」
 神殿うざー。
 聖女だって生きてるのに。聖女は虚像(アイドル)じゃない。みんなの愛だけじゃ生きていけない。愛する人からの愛だけで十分だ。

 シリウスの「もういいか」みたいな目はどうにかならないものか。妄想にまでケチを付けるとはどうしてくれよう。
「いいかサヤ、俺はサヤが頭の中で考えていることがわかるから許容できるが、わからない者から見たら何もないところでにたにた笑う不審者だぞ」
 許容とか、にたにたとか、不審者とか、婚約者に言っていい台詞じゃない。
「ってか、私ってにたにた笑ってるの?」
「そこまではっきりじゃない。はっきりじゃないからこそより不審だ」
 何もないところでの薄ら笑いは不審を通り越して不気味だ。変質者っぽい。
 いや、環境が現代日本ならそこまで変じゃない。平和な世の中、ふわっと笑っている人なんてそこら中にいる。問題は、ここで、ということだ。平和とは言いがたいここには意味もなくふわっと笑っている人はいない。実際いなかった。特に日本人は意味もなく笑う民族だ。笑って誤魔化そうとする民族とも言える。
「わかったか?」
 素直に頷くしかない。
「人目のないところで接吻までだ」
 思わず抱きついたら怒られた。

 遠くから聞こえてきた声に振り向けば、アリオトさんが駆け寄って来る。走るアリオトさんを初めて見た。走り方が軍人らしく上体が揺れずかっちりしている。内勤と聞いていたけれど、やはり軍人に変わりはない。
 シリウスから三歩ほど手前で止まり、敬礼したアリオトさんは、シリウスの頷きに応えるように二歩前に進んだ。
 シリウスに何を言ったのか、いきなりシリウスの眉間に皺が寄った。シリウスに答えるアリオトさんも不機嫌さを隠そうともしない。
 シリウスが私にわからないように話すときは、確実にあの散財女王がからんでいる。
「その散財女王が城下に出たいと言い出した」
「自分の存在をアピールしたいとか?」
「サヤもそう思うか? 精霊たちもそう言っているらしい」
「精霊たちって、え? どうやって聞いたの?」
「簡単な手信号を教えた」
 羽リスたちを手懐けたのか。すごいなポルクス隊。
「でも、コルア王が許可すれば別にいいじゃないの?」
「最高の警備をお願いしたい、だそうだ」
 思わず黙り込んだ。それは暗にポルクス隊に警備しろということか。シリウスが頷いた。コルア国軍に失礼じゃなかろうか。それにもシリウスが頷いた。
「連合本部直属の軍人は全て聖女の警護に就いている、と断ったら、聖女様もご一緒に、だそうだ」
 それはどう取ればいいのだろう。

 ふと見ればブルグレが飛んできた。久しぶりに見るブルグレに頬が緩む。
「あのクソがお前さんを食おうとしとるぞー」
 クソとは口の悪い。私ですら何度も思いかけてやめたというのに。
 必死に飛んできたブルグレを胸の前に手を広げて受け止める。勢い余ってみぞおちに頭突きされた。うげふっ、と人に聞かせられない音が出た。ブルグレめ。
「ちゃんと説明して」
「お前さんの力を食らうつもりじゃ」
「食らうって何? 奪うってこと?」
「食らうんじゃ。あやつはお前さんの力を口から吸い込んで奪っておる」
 本人が聞いても顔をしかめそうな摂取方法をブルグレが必死の形相で伝えてきた。そこは知らないままでもよかった。
 口からすうっと精気を吸い取る妖怪が脳裏に浮かぶ。なぜか半分顔が崩れて白い着物を着ている。そんな幽霊画みたいなものを何かで見たことがあったような……。
 見上げたシリウスの顔に嫌悪か浮かんでいた。その二割くらいは私の妄想に対するものっぽい。
「三割だ」
 割増された。

 聖女は体調不良ということになった。ポルクス隊長の居住区の厳戒態勢も割り増しされた。