アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁46 事前準備
聖婚式の衣装がゴージャスすぎて腰が引けに引ける。
そんなところまで必要か? と思うほど、体中を測定されたのはシリウスが婚姻届を出した直後だった。ポルクス隊の女性隊員さんたちが監修してくれると言うから任せておいたら、仮縫いとして見せられたのは、細身のドレスに薄手のマントのようなガウンのような打ち掛けのような……とにかく前開きのどんだけ長いのかというくらい袖も裾も長い羽織り物だった。
西洋と東洋が融合したような絢爛豪華な衣装は、うっとりため息をつきたくなるほどに美しい。薄い水色の地に繊細な刺繍が青で描かれ、様々な青の宝石が鏤められている。近くで見ると青のグラデーションなのに、少し離れてみると紺が前面に出てくるのはシリウスの色に合わせたからだろう。
ゴージャス以前にものすごく重い。おまけに、あまりに美しすぎて完全に衣装負けしている。完敗だ。
「軽くなーあーれー」
アホ呪文が虚しい。
そんなアホ呪文を喜んでくれたのは、何重にもセキュリティチェックされた仕立屋さんたちで、実は重すぎて持ち運ぶのすら大変だったことをブルグレ解説員が教えてくれた。その重い衣装を羽織る私の身にもなってほしい。
ちなみに彼女たちは仕立て終わるまで警備の関係から連合本部ビルに軟禁状態だ。聖婚式から披露宴までの全ての衣装を仕立て終わるまでは家に帰れないらしい。それほど急いでも二年はかかると聞いて、申し訳なさから土下座したくなった。
エニフさんや今日のためにわざわざ砦から来てくれたポルクスレディたちの満足そうな顔に色々諦めた。諦めの気配を察したエニフさんの笑みが途端に深まる。何を企んでいるのかと思いきや、これまたゴージャスなコック帽を見せられた。それだけは勘弁してくれと下手くそなティアラの絵を書いたら、ポルクスレディたちの目が妖しく光った。
「お前さんの下手くそな絵でも完璧に理解する彼女たちは優秀じゃ。『そうよね、聖女様だけの装いというのも必要よね』とか盛り上がっとるぞ。お前さんが宝飾を拒むからこうなるんじゃ」
私は断固としてジュエリーを身に着けないことにしている。唯一はシリウスから貰ったジェームの花飾りだけだ。シリウスにも要らないと言ってある。ドレスと同じでキリがなさそうで嫌なのだ。
だからって羽織り物にこれでもかと宝石を鏤めなくてもいい。それがどれほど夜明け前の空みたいに美しくても。
「シリウスもあのコック帽を被るのかな。それ絶対阻止したい」
もう一枚、下手くそなシリウスの似顔絵の頭に王冠を描いた。うっかりするとコック帽にサークレットを取り付けた形になりそうで、できるだけわかりやすくミルククラウンを描く。
ポルクスレディたちが謎の盛り上がりを見せている。頼むよ、ドレスは諦めるからコック帽はナシの方向で。
「ナシの方向じゃ」
「助かった……」
私の衣装がこんなにゴージャスなのに、シリウスの衣装は軍服だと聞いて、ずるい! と散々エニフさんにジェスチャーで訴えたら、シリウスも聖女とお揃いの羽織り物を着るのだと聞いて溜飲が下がった。ただ、聖女よりは地味なマントらしい。ずるい。
何着のドレスを着ただろう。まだ半分だと聞いて白目をむきそうだ。
現実逃避から窓の外を見れば、重そうな灰色の雲がどんよりと低く垂れ込め、梅雨にでも入ったのかここ数日じめじめと雨が降り続いている。
アホ長い羽織り物は聖婚式に着るだけで、晩餐会だのなんだかんだの衣装はまた別になる。開催される数だけドレスが必要だと聞いて、早々に匙を投げた。
最初はひそかに楽しかった。ポルクスレディたちが監修しているだけあって私好みなのは間違いない。ちょっと浮かれてお姫様気分を味わえたのは最初の三着くらいで、それ以降はルーチンワークになった。しかも今でさえ十分豪華なのにこの後さらに細かな装飾が追加されていくと聞いて気が遠くなりかけた。
「づがれだー」
「着用済みのドレスは聖女の館に展示されるそうじゃ」
「観光の収入源かぁ。いっそのことレンタルすればいいのに。がっぽり稼いでみんなで豪遊しようよ」
ブルグレの鼻息が荒くなった。精霊のくせにがめつい。私も聖女のくせにケチくさい。
まさか、本来羽リスたちと同じように清らかな存在だったはずのブルグレがこんなおっさん根性丸出しな存在に成り果てたのは、私が言葉の知識を与えられたからなのか!
ブルグレにげしげし首筋を蹴られた。あ、違った。ブルグレは最初から食い意地の張ったおっさんだった。知識以前の問題だ。
「わしは力ある精霊なんじゃ。だから趣深いんじゃ」
趣深い……またそれっぽい言葉を。どんな意味だ。ディープってことか。つまり変態ってことだな。
また蹴られた。痛いし。
──サヤ、終わったか?
『たぶん。みんな後片付けしてる』
朝も早くから広々とした会議室を男子禁制にして仮縫いが行われること三日目。
途中ちょこちょこ軽食をつまみながらの長丁場も三日目になるとすっかりへとへとだ。着ると脱ぐのふたつの行為しかしていないのに、ここまで疲れるとは思わなかった。
蹴りを入れてくるブルグレをわしっと掴んで放り投げていたら、会議室の両開きのドアの外から声がかかり、エニフさんがそれに答えながら扉を開いた。
迎えに来てくれたシリウスを見た途端、泣きそうになった。
「あんなドレス着てみんなの前で見世物になるのやだー」
誰だよ、聖女が絶世の美女とか言い出したヤツ。絶対に後ろ指さされて笑われる。豪華すぎるドレスを試着するたびに自分の影が薄くなっていくようでメンタルがごりごり削られた。もはや瀕死だ。優しくして!
「美人に見えるようになーあーれーって唱えればいいじゃない」
思わず抱きついたシリウスの後ろにいたノワが意地悪く、けけ、と笑う。猫の姿でその笑いは化け猫っぽいからやめてくれ。
「それはそれで惨めでしょーが」
「めんどくさいわね。どんだけ自意識過剰なのよ。誰もあんたなんか見てないわよ」
嘘だね。世の中の女子たちの容赦なく厳しい視線を知らないからそんなこと言えるんだ。疲れすぎて思考がネガってる。
シリウスがひょいと抱き上げてくれるから、子供抱きだろうが何だろうがもういいやとしがみついた。お姫様抱っこと子供抱きの間のような抱き方で運ばれたのはプライベートスペースのソファーで、そこにはファミナさんが作ってくれたのと同じ芋料理が並んでいた。
「どうしたのこれ?」
「ネラの奥方に作り方を聞いておいたんだ。サヤはこれならたくさん食べるだろう?」
うー……シリウスが優しい。すかさずつまみ食いしているブルグレや意地悪いノワとは大違いだ。
「あんたバカじゃないの。なんであなたが我慢して周りに合わせる必要があるのよ」
「なんでって……なんで?」
「うわー、あなた聖女でしょうが。なんで連合国で聖婚式なんてしなきゃなんないのよ」
「だってシリウスが総長だから……」
あとはファルボナの独立が上手くいくかどうかがかかっている。ポルクス隊長のしたり顔が浮かんだ。あのタヌキオヤジめ。
「ファルボナはすでに独立したわ。しかも聖女がそう宣言して私が認めているのよ、覆るわけないでしょ」
「ノワ」
シリウスの咎める声にノワがふんと鼻を鳴らした。
「シリウスもね、言いなりになりすぎなのよ。あなたがトップなんだからもう少し自分の意見言ったっていいでしょ」
「そういうわけにもいかんだろう」
「あなたがそうだから、このバカにしわ寄せがくるんでしょうが!」
このバカとは私のことでしょうか。もう少し言い方ってものが……。
「いい? 二人の結婚なんて私が宣言すればそれだけでこの世界に認められるの。聖婚式だかなんだかしらないけど、これ以上このバカを不安定にさせないでちょうだい!」
ノワが私の味方してくれた。ちょっと感動。
「味方とかどうでもいいわ! 毎日毎日うじうじうじうじ! ウザイのよ!」
味方じゃなかった……。感動が返品されてきた。
「あんたがうじうじしているせいで毎日毎日雨続きじゃない! 私雨嫌いなのよ!」
思いっきりヒスったノワの言葉に首を傾げる。梅雨じゃなかったのか。というか、この雨は私のせいなのか?
「ちょっと待てノワ! サヤの感情で天候が左右されるのか?」
「は? そんなわけないでしょ! 私のイライラのせいよ!」
灰色の空にぴかっと稲妻が走った。うそでしょ……。
「なんか、ノワすごくない?」
「すごいのよ私! 何度も言ってるでしょ!」
さすが霊獣だ。できないことはないと言っていたのは伊達じゃなかった。ただ、自分でコントロールはできないらしい。ダメじゃん。
翌日、ノワの怒りの稲光の意味を真に理解したメキナ神殿の長が連合本部に乗り込んできて、聖婚式の縮小を訴えた。メキナ神殿は霊獣、聖女、精霊信仰全ての総本山だ。そこの神殿長の訴えは無碍にはできない。私もシリウスも自分の身可愛さに口を閉ざした。縮小バンザイ。
「まんまと縮小ムードだね」
「あのじーさん、聖女に思いっきり恩を感じてるからね」
ノワの機嫌が直ったせいか、数日ぶりに青空が広がった。シリウスは聖婚式の縮小に向けての会議に入った。
「あのじーさん、コルアにも連れて行けばいいわ」
「なんで?」
「たぶん役に立つわよ」
「そうなの?」
そういえば神殿的に乙女の立場ってどうなんだろう。
「乙女は精霊の下ね。大帝国では聖女と乙女が同列のように扱われるけど、大帝国に在っても神殿はそのへんかなりシビアよ」
正直どっちか上とか下とかどうでもいい。実際ノワとブルグレは友達以上の存在で自分より立場が上とか下とか関係ない。乙女の立場なんて本気でどうでもいい。聞いてみただけだ。
「あ、ってことはさ、うちら的にはノワ、私、ブルグレ、シリウスになるんだ」
「そう。シリウスは下僕ね」
ノワと一緒にうひゃうひゃお腹を抱えて笑っていたら、会議が終わったシリウスが怒りのオーラを纏って執務室に戻ってきた。慌てて寝そべっていたソファーから立ち上がる。
「調子にのりましたごめんなさい」
「わかればいい」
くそぅ。実際は私よりシリウスの方が上だ。うひゃうひゃ笑い続けているノワがむかつく。
「各国への披露は中止される。聖婚式、パレード、メキナでの晩餐会のみになる」
「やったー!」
思わずバンザイしながらシリウスに駆け寄る。
「よかったな」
「シリウスもよかった? あ、ドレス無駄になるね」
執務室の長椅子にシリウスを座らせ、用意されている冷えたお茶をコップに注いで渡した。喉が渇いていたのか一気に飲み干したシリウスにおかわりを注ぐ。
ここでは冷めたお茶を飲むのは下品だとの考え方がある。そんなの無視して冷たいお茶を飲み続けていたら、いつの間にか連合本部で冷たいお茶を飲むのが流行っていた。今では執務室にも冷たいお茶が常備されるほどだ。
「ドレスはこれからも着る機会があるから無駄にはならん。それより、ファルネラたちを招待できなくなりそうだ」
シリウスの隣に腰をおろす。ノワは向かいの肘掛け椅子に飛び乗って、猫みたいに後ろ足で耳の後ろを掻いている。ブルグレはお出かけ中だ。
「なんで?」
各国周りがなくなったせいでメキナでの晩餐に各国要人を全て招待する必要があり、収容人数を考えると人選はかなり厳しく、となるとファルネラさんたちは支援されているという立場上はじかれてしまう。
「そこをなんとか。聖女の友人ってことでごりごりねじ込めない?」
「難しいな。それをすると後々ネラたちが危うい」
そうだよねぇ。世の中いい人ばかりじゃない。聖女がらみの悪巧みに巻き込まれかねない。聖女に悪意を持つものが制裁として彼らに危害を加える可能性もある。いくら聖女が信仰の対象だとしても、サイコパスのような存在を思えば絶対はない。きっと反政府勢力はどこにでも潜んでいる。
「晩餐会を三日間ほど開いて招待客を増やすという手もある」
「えーそれは嫌かなぁ。じゃあさ、私たちが個人的に晩餐会を開くのは?」
シリウスから微妙な笑顔を、ノワからは馬鹿にするようなあくびを頂戴した。
それだとファルボナ独立を各国に印象付けるには弱いらしい。
そもそもファルボナ代表は族長の中から選ばれるべきで、ファルネラさんやボナルウさん一家の招待はまた別の話になる。ファルネラさんのお父さんがファルボナ代表となるにはオアシスの規模からいってかなり弱い。やはり最大のオアシスを持つダファ族長が代表となるのが自然だ。
「つまり晩餐会を三日開けばいいってこと?」
「開催期間は七日になる」
「なんで?」
「中二日空けないと準備が間に合わん」
めんどくさー。
おまけに招待客の宿泊をメキナ王家にも依頼しなければならなくなるため、事前にメキナ国王との会食が必要となるとかなんとか。
「聖女の館でいいじゃん」
「足りない。一国から何人来ると思う? 代表者一人に少なくとも二十人が付き従う。多ければ五十人以上が来る」
政府関係者とか護衛とかか。
たしかに私が砦からコルアに行ったときも、ポルクス隊の半分が同行した挙げ句、コルアからもかなりの人数が迎えに来ていた。
「だからこっちが訪問した方が楽だったのか」
「そういうことだ」
オリンピックとかサミットとか、そんなレベルになるのかも。もしかして国の要人以外に聖女見たさの国民も押し寄せるとか?
「そうなるな」
「私が行った方が楽なのね」
「そうだな」
嫌なんだけどなぁ、と思えば、だろうな、とシリウスは理解を示しながらもひどく疲れて見えた。
聖婚式までまだ半年もある、と思っているのは私だけで、準備する方にしたら、もう半年しかない、なのかもしれない。ここにきての変更はかなりの混乱になるのかも。
「当初の予定でいいよ。がんばる」
自分の立ち位置がまだよくわからない。何ができて何ができないのか、何をするべきなのか否か。ひっそり生きていくことが不可能なのはわかった。この力を持つ意味がわからないのは相変わらずだ。ノワでさえ未だわからないなら、私がわかることなんてきっと一生ない。
「ようするに、自分がどう生きるかなんだろうなぁ」
「一生の難問だな」
「だよねぇ。とりあえず、シリウスが困らないようがんばる」
今の私に「一生」を考えることはできない。せいぜい数年先が精一杯だ。
そもそも、自分のためにというのは案外難しい。だったら、誰かのためにという方がわかりやすい。何かあったときにその誰かのせいにしないよう、誰かのためであっても自分で考えて選んでいく。それはそれで難しいけれど、何もかもを自分中心に考えるよりは、まだできそうな気がする。
さっき「シリウスもよかった?」と聞いた瞬間、ほんの一瞬、シリウスの表情が抜け落ちた。だから、慌ててドレスの話で誤魔化した。
私のわがままは通る。それは私だからじゃなくて、聖女だから。そこを勘違いしそうになる。
シリウスが連合国のトップにいるのに自分のわがままを通そうとしないのはそういうことなんじゃないかと思う。なんだかんだ言いながらもそのトップを降りないのは私のためだ。
この世界に来た最初の苛酷な半年とは一転、今は毎日穏やかだ。
それはシリウスがあらゆるものから守ってくれているからであって、そのシリウスを困らせるようなことだけはしたくない。
「シリウスは下僕だからいのよ。あなた聖女でしょ」
けけ、と笑うのは本当にやめた方がいいです、ノワさん。
「私って聖女なんだろうけどさ、やっぱ好きな人を困らせたくないっていう女心だってあるんだよ。好きな人のためならがんばれるのが女ってもんだよ」
「それは男も同じだな」
「それは霊獣だって同じよ」
けけ、とノワの真似して笑ったら、飛びかかられたあげく猫パンチをお見舞いされた。なぜだ。