アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁
41 独立宣言


 ファルボナの独立は密やかに、けれど確実に成立した。

 ファルボナ首長国連邦。
 アラブと同じ国名なのは、私の頭が勝手にそう当てはめているだけだ。実際には、なんとかファルボナなんとかかんとか、という別の音に聞こえる。

 こういう感傷は私らしくないと思いながらも、みんなが聞いている音を意味のある音として聞くことができないのは、人の輪から外されているようで少し淋しい。
 お前はこの世界の人間じゃないと突き付けられるようで、自分からこの世界の人間じゃないと逃げていたツケを払わされているようで、両極にある思いを持て余してしまう。

「聖女の名の下に、ファルボナ首長国連邦の独立をここに宣言します」
 私はこれを言うために聖女としてファルボナに来た。

 ノワに教わった通り、言葉に力を込めての宣言は、精霊たちが世界中に届けてくれるらしい。

 それなのに、だ。
 急ごしらえにしては立派な壇上の上、姿を隠したノワが足元でにひにひ笑っていた。瞬時にやられたことを悟る。
 よくよく考えれば、私の言葉がこの世界の人に通じるわけがない。うっかり乗せられて思いっきり高らかに宣言してしまったじゃないか。ノワめ。
 シリウスの、がんばったな、的な視線が心を抉る。

 私の宣言で異常に盛り上がっているファルボナの人たちに申し訳ない。ただ調子にのって無駄に格好つけて叫んだだけだったかもしれない。

 羞恥を聖女スマイルの下に隠し、粛々と独立宣言書に署名し、私の署名だとわかるよう印を捺す。
 染料を少し分けてもらって拇印を捺してやった。周りのみんなはよくわからない顔をしていたけれど、間違いなく大帝国にいる祝福の乙女にはわかるだろう。この世界に拇印の習慣はない。
 そして、今この世界に聖女より高い位にいる「人」はいない。連合国総長よりも、大帝国皇帝よりも、祝福の乙女よりも、聖女の位は上だ。
 絶対王者。聖女に逆らえる人はいないはずだ。
 だから、さっきの妙に張り切った宣言は、聞かなかったことにしてほしい。できれば事実だけを残し、記憶からは消してほしい。そこのところよろしくお願いしたい。



 三日間続いた族長会議が終わった。

 本当に寝ずの三日間で、初日後半から参加したファルネラさんがテントから出てきたとき、くたびれたおっさんになってよろめいていた。その他同様。軍人として鍛え上げられているはずのレグルス副長までもがくたびれていたのを見て、中で何が起こっていたのかが非常に気になった。

「男同士のガチり合い」
 最近ノワの言葉のチョイスが微妙で困る。ガチり合いってなんだ。

 そのノワは、「アーン、ポーン、ターン!」というフランス語っぽい謎の捨て台詞を吐いてどこかへ飛んでいった。意味はわからなかったものの、なぜかイラッとした。私が忘れている確実によくない意味の言葉をわざわざチョイスしているようで、それがいちいち癪に障る。ノワとの口喧嘩はしないに限る。

「男同士のガチり合いなのに、シリウスは抜けてよかったの?」
「婚約者がいる男は夜に一度帰されるんだよ」
 ファルボナでは嫁争奪戦が激しいらしい。男女比が六対四になるらしく、一人の女性に婚約者が複数いるのは当たり前で、婚約者の家に通うことは何よりも優先されるらしい。むしろ通わない男は婚約者を名乗れないとか。

 三日間続いた寝ずの族長会議の後は、丸一日の休息を挟んで、会議と同じ三日間のお祭り騒ぎへとシフトする。今はその準備で大わらわだ。

 将来有望な若者が集まる族長会議には、その嫁になりたい娘たちも祭りの準備にかこつけて集まり、その娘目当ての男たちも何かと理由を付けて集まり、いわば集団お見合いパーティーのような状態になるらしい。人が集まれば隊商も集まり、小規模なバザールが出現する。
 一通りシリウスと一緒に聖女スマイルを振りまけば、持ちきれないほどの食べ物がタダでもらえた。聖女って素晴らしい。
「むこうも聖女が食べたと宣伝するつもりだ」
 そうだろうな。タダより高いものはない。次からは気を付けよう。

 彼らと同じように大きな布で全身を覆い、ギエナさんに貰った腰紐を結んだ姿を、ファルボナの人たちは宝物のように喜んでくれる。
 聖女が自分たちと同じ格好をしている。ただそれだけで、涙を流す人もいる。
 腰紐に吊り下げているのは、ファルネラさん一家から貰ったハート型の光石だ。自分で磨いてなめらかにし、針金のようなものでぐるぐる巻いて作った大きなチャームは、ほんの少しだけ光る薬品に浸してもらい、ほんわり光るようにしてもらった。
 それが彼らは気になるようで、視線がそこに集中する。見られるたびに嬉しくてわざと揺らして見せびらかしてしまう。



 食べきれないほどの食べ物を連合国のみんなで分け合い、こっそりファルネラさんを誘って、飛行船でのんびり屋台料理をつまむ。衛生面と味の濃さに目を瞑れば中々おいしい。お腹が警告を発しないことを切に願う。ここでの下痢は致命的だ。

「ファミナさんの揚げ芋が食べたい」
 自分で作っても、ファミナさんが揚げたようにからっとほっくりとはいかなくて、今食べているものもそれと比べると何かが違って、あの絶妙な揚げ加減はファミナさんならではで、つまり途轍もなく恋しい。あれぞまさにフライドポテトだった。
 なぜか私の言葉を伝え聞いたファルネラさんが苦笑いしている。
「ネラの奥方は決して料理が上手いわけじゃないらしい」
「えー! ものすっごくおいしいのに! っていうか、ファミナさんの料理、すごくおいしかったけど」
 単純に好みの問題なのだろう。ファルボナではそれほどでもないのかもしれないけれど、私にとっては今まで食べたものの中で一番口に合う。塩やスパイスの加減が絶妙なのだ。
「ネラもそう思っているらしいが、周りからの評価は低いらしい」
 もしかして、それがファミナさんの自信のなさに繋がっているのだろうか。

 ファルボナの料理は全体的に味が濃い。食材が腐りやすい環境にあるせいかスパイス漬けと言ってもいい。スパイス自体が高価ではないせいか、これ以上ないほどふんだんに使われ、正直胃に優しくない。
 ファミナさんの料理は身体のことを考えて作られているような気がする。効果的なスパイス使いも、濃い味に慣れた人には物足りないのかもしれない。

「きっとポルクス隊のみんなもファミナさんの料理は好きだと思うけどなぁ」
「そうだな、ネラの宿で食べた料理は確かに旨かった」
「でしょ」
 ファルネラさんが嬉しそうだ。いい夫婦だなと思う。

 ファミナさんはオアシスを持たない部族出身だ。次期族長であるファルネラさんの結婚相手は、部族内か、別のオアシスを持つ部族の娘から選ぶべきだ、という周りの意見を抑えての結婚だったらしい。
「それだけファルネラさんがファミナさんのこと好きだったってこと?」
 シリウスに訳されたファルネラさんが照れ笑いする。

 奥さんへのストレートな愛情を周りにも見せることができるのはすごいと思う。こういうとき、照れて素っ気ない素振りになる男の人もいるけれど、私としては断然ファルネラさんみたいに照れながらも誇らしげに笑ってほしい。鼻息荒く主張する。

「そのせいで苦労をかけているらしい」
 そこは想像できる。きっとどこの世界にも似たような確執はあるだろう。

 そもそも、スパイス過多の料理はオアシスに住む部族の料理らしい。いつでも水が飲める状況にない限り、スパイスまみれの料理は食べられない。それがここでのステイタスらしく、スパイスをふんだんに使う料理が高級となる。
 ガバの乳を発酵させたお酒も、まったりと喉に絡みつくせいか水と交互に飲むものらしく、オアシスでしか飲まれない。

「私は……何もしない方がいいよね」
 何かできるならしたい。

 聖女という肩書きは、私が思うよりもずっと重く価値がある。思い付きであれこれしてしまうのは危険だということはわかっている。
 本当は、こうして聖女と同席することがファルネラさんを危険にさらすことになるかもしれないことも、ちゃんとわかっているつもりだ。

 シリウスとファルネラさんの話題は多岐にわたり、シリウスの言葉を聞いているだけでもなんとなく内容の把握はできた。
 勘のいいファルネラさんはノワが霊獣だということを知ってしまった。それによって、こちらの事情に巻き込まれることになり、それを躊躇なく了承してくれたそうだ。
 今のファルボナには能力持ちがいない。いつしか生まれなくなったらしい。おそらくその境目がアトラスとの取引にあり、聖女が何かをした結果、能力が現れなくなったのではないかと、シリウスとノワは考えている。

 聖女に関する記録はほとんど残されていない。私に関する記録も、聖女に関する共通事項以外はおそらく残らない。残るのは口伝のみ。どれだけ書き記したところで、必ず失われてしまうらしい。



「サヤは物わかりがよすぎて困るな」
 ファルネラさんが自分のテントに戻った後、シリウスがそばにいるならと、デネボラさんたちも飛行船から出て行った。
 てきぱきとソファーを組み替えベッドを作り、互いにシャワーを浴び、いつまで経っても帰ってこないノワを心配しながら横になった後、ぽつりと呟いたシリウスは、本当に困ったように笑った。
 その言葉がどこに繋がってきたのかがわからなくて、少し記憶を遡り、何もしない方がいい、と結論付けた呟きに結びついた。
 物わかりがよければ、もっとスマートに色々できるはずだ。こんなふうにぐだぐだ悩んだりはしない。

「聖女は贅沢で優雅な日々を送ることができる。望むことは全て叶えられる。この世界の全てを意のままにすることができる。聖女とはそういう存在だ」
 何が言いたいのか。意図がわからず黙り込む。
「サヤはそれをよしとしない」
 その言い方だと、私がすごく立派な人のように聞こえる。単に、傍若無人に振る舞うには庶民感覚が邪魔をしているだけだ。

 確かに、贅沢で優雅な暮らしも、何もかも自由にできる権力も、一度は体験してみたいと思わなくもない。だがしかし、その先にあるものが想像できてしまうのが小心者のサガだ。
 そもそも、私にとって贅沢で優雅な生活とは、煌びやかな生活ではなく、まったりした自堕落な生活だ。

「ご飯作ってもらえて、だらだら寝坊できて、まったり毎日が流れていくような刺激のない生活を第一に希望したい」
「欲がないな」
 何を言うか、思いっきり贅沢じゃないか。働かずともご飯が食べられ、ふっかふかの布団で眠れ、誰に咎められることなくだらだら生きていけるなんて、日本中の誰もが一度は夢見る生活だ。

 うちの両親なんか仕事好きはさておき、きりきり働いてちょっと贅沢ができる程度だった。大人二人が子供三人を大学まで通わせるのは並大抵のことじゃない。私たちだって高校に入ってからは自分のお小遣いは自分で稼いでいた。

 つい、そんなことを熱弁してしまった。
「今私はものすごく贅沢な暮らしをしているんだよ。おまけにシリウスといつも一緒にいられるなんて、これ以上望んだら罰が当たる」
 わからないだろうなぁ。

 今の日本でこんな生活できる人なんて一握りどころか、もしかしたらいないかもしれない。学校に行かずとも、バイトせずとも、家の手伝いすらせずとも、衣食住どころかおやつまで用意してもらえる。おまけに好きな人とずっと一緒にいられるなんて、はっきり言って有り得ない。どんなセレブだよ、って話だ。
 そもそも、セレブにだって仕事はある。セレブを維持するにはそれ相応の仕事になるはずだ。それなのに私ときたら、ちょっと治癒するだけでざっくざくの大金持ちだ。なんの努力もいらない。
「わかる? このぶっちぎりの恵まれっぷり。これ以上望んだら絶対に罰が当たる」
 なぜ思いっきり笑われる?

 飛行船の窓から入り込む月明かりが、シリウスの輪郭を浮かび上がらせる。

「そんなサヤだから──」
 続いた笑い混じりの無垢な言葉に、耳元にそっと囁かれたひと言に、心が溢れた。

 目を見開いたシリウスが戸惑ったように、どうした、と言いながらそっと頬に手を伸ばしてきた。
「初めて、言われた」
 たったひと言が体中に響いた。
 想いは十分に伝わっていた。疑うこともできないほど、想われている。
 それでも、言葉にしてほしい。意味がわからずとも、声に出して伝えてほしい。
「私も──」
 同じ言葉を返したい。同じように耳元でそっと囁く。

 シリウスの傍にずっと居るのは、私であってほしい。
 私の傍にずっと居てほしい人がシリウスであるように。

「不誠実だと言われるな」
「言いたい人には言わせておけばいいよ」
 互いの輪郭を確かめ合う。その内側まで、奥底まで。

 淋しさが融け合った気がした。
 もう一人じゃない。
 私の中の一番深いところが小さくそう囁いた。