アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁42 ガルウ
「ビュンビュン丸、かもーん!」
そう呼べと言われたから、羞恥にマンホール並みの重い蓋をして必死の思いで叫んだのに、空中で仰け反りながら笑い転げているノワがむかつく。
で、しばらくするとビュンビュン丸が上空に現れるとはこれいかに。
三日間のお祭り騒ぎも終わり、それぞれがそれぞれの場所に戻り始める。
どうやらバザールで不穏な動きがあったらしく、それでノワは出掛けていたらしい。目が覚めるとノワが腕の中で丸まっていた。明け方近くに戻ったのだ、とシリウスが教えてくれた。
ゾル族のオアシスは国境から一番近いがゆえに標的となりやすい。それを防ぐためにポルクス隊長率いるポルクス隊の半数以上がバザールに潜り込んでいた。
その彼らも族長会議の終了とともにほんの一部を除いて撤収されてしまう。
独立した今、彼らの代わりにゾル族のオアシス、ひいてはファルボナを守るものが必要となる。まさか連合軍が常駐して変に刺激を与えるわけにもいかない。
「で、ガルウに守ってもらおうと思って」
「ガルウって?」
「ノワに似た砂岩地域特有の獣だ。ファルボナでは霊獣の御使いとされ、狩ることを禁じられている」
ノワに似た獣。豹のような生きものだろうか。
これまで砂岩の地にいて私が家畜以外の野生動物を見なかったのは、ノワが近付けないようにしてくれていたからだ。
「近年その牙を狙って大帝国が乱獲をしている」
「ちょっと待って。牙って、どのノワに似てるの?」
「一番大きなノワだな」
それはもう豹じゃなくてサーベルタイガーとか、別の生きものだ。似たような世界だから錯覚してしまう。
「ノワのあのでっかい牙ってなんのためにあるの? あれでぶすって刺すの?」
「刺したら抜けなくなるでしょ」
「えぇぇ……じゃあなんのため?」
「威嚇用の飾り」
身も蓋もない。確かにどう考えても邪魔そうな牙だ。邪魔なのよ、と真顔でノワが愚痴っている。
「抜けば?」
「間抜けになるでしょ」
思わず納得した。
私の黒い髪と瞳は聖女としての神秘性に一役買っているらしい。それと同じなのだろう。オレンジの髪と瞳は似合わない以前にどう考えても間抜けだった。
上空に現れたビュンビュン丸に乗って、一足先に族長と一緒にオアシスに戻ったファルネラさんの宿を目指す。
これでもかと得意顔で現れたブルグレ操縦士曰く、ビュンビュン丸は常に私たちと行動を共にしていたらしい。何気に羽リスたちの寝床になっているようで、入れ替わり立ち替わり換気孔から出入りし、隅で小さく丸まって休んでいるのが目に和む。
オアシスを持たない部族用に、大きな水のタンクが用意されることになった。設置用の巨大タンクに、運搬用のタンクを積んだ飛行船がレンタルされる。貧しいファルボナの人たちにとって、その浄化機能を備えたタンクの存在は知っていても、到底買うことなんてできなかったものだ。
本来は戦争時の補給用らしく、停戦時の今、「倉庫で眠っているものを有効活用する」のだとレグルス副長がガチり合いで言っていたらしい。だた保管しておくだけだと浄化機能が劣化するそうだ。
タンクの設置場所が今まで流浪していた部族の居住区域となるため、どこに設置するかでかなり揉めたらしい。
雨期に水に沈まず、お互いの居住区域に近すぎず遠すぎず、普段は干渉し合わずとも、いざというときは助け合える距離を保てる場所、というのが中々難しい。
それでもなんとか決まったのは、ブルグレネットワークのなせる業だったらしく、ブルグレはノワから霊果をふたつももらっていた。今回ばかりは協力してくれた羽リスたちみんなで分け合ったのだと、ちまいおっさんが威張っていた。威張ることじゃない。
「残念ね、今回は子供できてないわね」
あんぐりと口を開けたまま、膝に座るノワを穴が空くほど眺めた。
なんだその発言! ノワいなかったのに! なぜバレた?
「あのねぇ……これでも霊獣って呼ばれているのよ、私」
「霊獣はそんなこともわかるんですか」
「繋がってるしね」
「解除は」
「無理」
嫌すぎる。
前の席のシリウスは絶対に聞こえているはずなのに微動だにせず前を向いたままだ。裏切り者め。
「ん? あれ? 私って子供できるの?」
できないと思っていた。いくら同じ姿をしていても、髪の色からして遺伝子が違うはずだ。
「あなたは肉体を持っているでしょ」
いやいや、肉体があったとしても世界が違えば遺伝子も違うだろう。
「できるわよ」
妙にきっぱり言い切るノワは、孫を心待ちにするおばあちゃんのような雰囲気だ。あ、おじいちゃんかもしれない。
「ノワって子供好きなの?」
「あなたたちの子供は楽しみにしてるわ」
ふと思った。
「ねえ、歴代の聖女たちの子供っているの?」
「いるわけないじゃない」
その言い方が、なぜ有り得ないことを聞くのかと言わんばかりで怪訝に思う。
「なんで?」
「だって肉体持ってないもの、降臨するものも、呼ばれるものも」
振り返ったシリウスの驚いた顔。きっと私も同じ顔をしている。
「待って待って待って! え、意味わかんないんですけど」
「何が?」
「だって私は肉体持ってるんでしょ?」
「だから、あなたはイレギュラーだっていつも言ってるでしょ」
そのひと言で全てを片付けないでほしい。
「だが確かに、聖女の子孫については聞いたことがない」
「乙女は?」
そう訊いて、乙女が生け贄のような存在だったことを思い出した。厄災の乙女としての扱われ方を思い出せば、子供を残すなんてことはなかっただろう。私そのものが穢れのように扱われていた。
「本当ならノワと同じ存在だったの?」
「今だって肉体の有無以外は似たようなものでしょ。あなたに関しては私もよくわからないのよ」
知ってた? とシリウスに視線で訴えれば、知らなかった、との視線が返される。
ああ、もしかしたら──。
「そういうことかもしれないわね」
思考を読んだノワが膝の上で小さく丸まった。
飛行船を操縦するシリウスの背中をぼんやり眺める。
私の存在は、元の世界には一切残されていない。
身体ごとここにいる私は、向こうに死体として残るわけでもなく、存在自体が最初から無かったことになっているのだろう。
ここに呼ばれる人たちが肉体を持たず、元の世界では死を望んでいたというのは、きっとそういうことだ。死の瞬間、この世界に魂のようなものだけが呼ばれ、元の世界には肉体が残る。だから、存在自体が消えることはない。もしくは、死を強く願っていただけで死んですらいないのかもしれない。
ここに肉体ごと呼ばれた私が元の世界に戻れたところで、私のことを憶えている人はいない。それとも、肉体が戻れば記憶も戻るのだろうか。どっちにしても戻れない以上考えても仕方のないことだ。
「理不尽」
「そうだな」
溢れ出たやるせなさに、前を向いたままのシリウスが低い声でそう返した。
もし、輪廻が本当にあるならば、魂と肉体の結びつきが本当にあるならば、たとえ死後であったとしても、私以外のみんなは元の世界に戻れるのだろう。生まれ変わるのは元の世界で、だ。
「ほかには?」
膝の上の黒い毛玉を指先で突く。
「何が?」
「ほかに私に関する秘密はないの?」
「秘密なんてないわよ」
この腹黒め。
「なんでこのタイミングで言った?」
「別に意味なんてないわよ。そういう話の流れだっただけでしょ」
嘘くさい。黒い耳がひくひく動いている。ノワは猫じゃないから猫の生態は当てはまらないけれど、この耳の動きはあやしい。
「別にもうそこまでへこまないから、教えとかなきゃならないことはちゃんと事前に教えといてね」
「だから、たまたまだってば」
絶対に嘘だ。耳の動きがおかしい。もうひとつやふたつ大きな隠し事が間違いなくある。
「なんなの? 疑って」
「だってあやしいもん」
ノワがより一層小さく丸まった。やっぱり。
「言わないことを後悔しないようにね」
私の脅しにノワが、ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。かわいくない。
ゾル族のオアシスを遠巻きに徘徊する真っ黒なサーベルタイガーもどきが、ビュンビュン丸に遠吠えを届けてくる。ガオーとかワオーンとかじゃなく、ぱふぁーん、という間抜けな音なのがなんともいえない。
見た目をオレンジに変え、ノワにぐふぐふ笑われながらファルネラさんの宿に到着した。
変わらない外観を見上げ、ほんの少しの懐かしさに浸りながら受付から中を覗いて、目が点になった。殺風景だったはずの内装が激変していた。インテリアが連合本部並みに近代化している。床には豪華な絨毯、壁には抽象的な絵画まで飾られている。
「本当に申し訳ない」
しきりにシリウスが謝っているのは、連合国本部に私が滞在するせいで入れ替えられた家具などが全て、ファルネラさんのところに押しつけられていたせいだ。
中古とはいえかなりいい品だ。とはいえ、目に付く場所に連合本部のエンブレムが彫り込まれているせいで余所では使えず、売り払うこともできず、持て余した末、エンブレムの意味がわからないだろうと、ファルボナに送られたらしい。
ファルボナをバカにしている。
ファルネラさんたちはタダでもらえて喜んでいるものの、知らなかったとはいえ一方的に押しつけたことをシリウスが謝罪しているというわけだ。
さすがのシリウスも末端までは把握しきれないらしい。
「まあ、ほかのヤツに同じことされたらバカにすんなって怒るところじゃ」
肩に乗るブルグレによってファルネラさんの台詞が若干おっさん増しで再生される。
「次から次へと色んな物が送られてくるから、みんなでお祭り騒ぎみたいになってそりゃもう面白かったんじゃ」
ちょっと台詞が脚色されているような気がする。語尾は絶対に違う。無理矢理語尾に「じゃ」を付けなくていい。
「本当にそう言ってるの?」
「嘘はついとらん」
しれっと言い放つブルグレ。その素知らぬ素振りがわざとらしい。さては若干盛ったな。
「女の人たちがとにかく喜んだみたいね。もらえる物はもらっとけって」
女は逞しい。
ちなみに私は、タダより怖いものはない、とびびってしまう小心者だ。一応女ではある。図々しさは折り紙付きだ。
「あとあの建物全てのトイレが入れ替えられたらしくて、ここに中古品が運ばれてきたのよ。今やこのオアシスの全ての家が最新のトイレ完備よ」
トイレの中古って……微妙だ。ノワ解説員を見下ろすと、ノワまで微妙な顔をしていた。トイレなんて行かないくせにトイレ事情を察するとは……繋がっているからか。嫌な繋がりだ。
「なんで連合本部のトイレって入れ替わったの?」
「聖女に使用済みのトイレなんて使わせられないってことらしいわ。しかもトイレにまで本部のエンブレム入り」
「バカなの?」
「バカなんじゃない?」
聖女がいつどのトイレを使うかわからないから、あのビルで働く全ての人が一階にある来客用のトイレを使用していたとか。あのビルのトイレは男女別の公共トイレみたいな仕様ではなく、完全個室の洗面所が要所要所に二三室ずつ設けられている。シリウスだけは知らん顔して使いたいところのトイレを使いたいように使っていたとか。レグルス副長やポルクス隊のみんなも気にせず使おうとして、聖女付きの護衛たちにめちゃくちゃ怒られていたとか。
もういっそ、「聖女はトイレになんて入りません」とどこぞのアイドルみたいなことを言えばよかったのだろうか。
「バカなの?」
ノワの蔑んだ視線が泣ける。バカじゃバカじゃ、と耳元で騒ぐブルグレの小さなほっぺたを指でこれでもかと摘まんでやった。ブサかわいさに憎さ倍増。
「わお。ベッドまで新しくなってる。あ、ソファーもだ」
以前泊めてもらった一番いい部屋に案内されると、そこも全ての家具が入れ替わっていた。
「これ……全部俺の仮眠室にあったものだ」
「この分だと、あの宮殿みたいな聖女の館にあった家具、全部横流しされてそうだね」
「まさか、あそこにあるのは全て歴史ある逸品だぞ」
ヤツらならやりかねないですぜ、ダンナ、とにんまり笑えば、シリウスが力を使ってレグルス副長と連絡を取り始めた。どうやらそっちは無事らしい。
とりあえずシャワーを浴びよう。
そう思ってシャワーブースを覗けば、なんとそこに砦で使っていたのと同じ大きなたらいが設置されていた。砦のたらいまで新調されたのか、もしくはたらいが量産されたのか。確か試作品もここに送られていると聞いた。
細かいことはシリウスがなんとかするだろうと、うきうきしながらたらいにお湯を溜める。ここでお風呂に入れるとは思わなかった。
たらいにお湯が落ちる音を聞きつけたシリウスが洗面所に顔を出した。
「たらいも来てた」
「それは試作品だな。厚さ違いがいくつかと大きさ違いがいくつかあるはずだ」
シャワーブースに無理矢理たらいを入れたせいで、完全に欧米のお風呂みたいになっている。できれば日本のお風呂を参考にしてほしい。洗い場切望。ついでに蛇口の先に取り付け可能なじょうろの先みたいな部品を開発してくれ。シャワー必須。
シリウスに脳内で図解を展開して切望する。
「このくらい、まあいいか」
「このくらいいいよ!」
元々じょうろの先みたいなものはあるそうだ。きっとシャワーにしている人もいると思う。だからいいのだ。私が持ち込んだ技術じゃない。
夕食時にシリウスが族長にシャワーの先を作れないか相談していた。手先が器用らしい族長が興味深そうにシリウスが描く図を眺めている。
久しぶりに会ったボナルウさんはすっかり穏やかな顔付きになっていた。今も腕に抱く息子にデレている。ファルネラさんとボナルウさんの奥さん同士は仲がいいのか、厨房から楽しげな声が聞こえてくる。子供たちも仲良く一塊になって遊んでいる。
「ゾル族の特許とか専売にすればいいんじゃない?」
「すぐに真似される」
「聖女印つけて正規品ってことにすればいいじゃん」
肩に乗りながら芋を囓るブルグレに答えながら、同じくファミナさんの料理を堪能していると、ファルネラさんの長男、以前足を治した男の子の視線を感じた。
「ん? なんだろう」
「見えとるな」
「なにが?」
幽霊か? それは嫌すぎる。
「わしが」
「それって……」
「力持ちじゃ」
その言い方やめて。と思っていたら、シリウスが顔色を変えた。
「光を見ていたわけじゃないのか?」
「違うな。はっきりわしを認識しとる」
──ノワ、ちょっとこっちに来れるか?
部屋でうだうだしているはずのノワまで呼んだ。ファルネラさんに小声で何かを伝えたのか、ファルネラさんの目が見開かれていく。
「なんか、深刻なこと?」
「お前さんは何を聞いとったんじゃ。ファルボナでは力の発現がなくなって久しいだろうが」
「じゃあ、なんであの子は……」
「聖女の血ね。あなた今まで子供に血を与えたことあった?」
「なかったと思う。みんな大人っていうか、おっさんだった」
いつの間にかそばにいたノワに答えると、シリウスが唸った。
「まずいな」
「まずいわね。たまたまってことにしておくしかないわ。でも、いつか気付かれるわよ」
──すでにネラはそう考えている。
「賢いって罪ね。まあ、彼なら口止めできるわよ」
──完全に巻き込んだな。
「仕方ないわね。この宿は誰かに任せて、父親はともかく、あの子はポルクス隊に入れるしかないわね」
意味がわからない。
要するに、私の血が原因で能力持ちになったってこと?
気付いた途端、事の重大さが冷気となって全身を這い上がった。