アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁
37 確固たる証拠


「あ、そうだ!」

 さっきのノワとの会話を思い出した途端、思考が伝わったのか、シリウスを取り巻く気配がぴしっと固まったのがわかった。驚きというよりは、身が引き締まるような気配に首を傾げる。

「あれ? 驚かないの?」
「ずっとその可能性を考えてきたんだ。それを否定したくて別の理由を探していたような気がする」
 意味がわからなくてシリウスからローテーブルの先に視線を移せば、ノワまでもが一人掛けのソファーにきっちりお座りして難しい気配を漂わせながら考え込んでいた。

 ちょいちょいと指先で呼ぶのは、同じく難しい顔をしつつもノワの座るソファーの肘掛けにだらりと寝転がっているブルグレ解説員だ。小さな翼を広げ、ふわーっと滑るように飛んできた。
「どういうことかわかる?」
 このメンバーで内緒話なんてできないだろうに、つい声をひそめてしまう。
 膝の上に着地したブルグレまで二人に合わせてか人真似して腕を組んだ。
「アトラスに降臨する者がいたなら、わしらが気付かないわけないんじゃ」
「なんで?」
「わしらみたいなものは、力の強いものに惹かれる。当然降臨する者にも惹かれる」
 そうだ。私を最初に見付けてくれたのは羽リスたちだ。そして、ブルグレが来てくれた。
 ということは、たとえノワが引きこもりだったとしても、羽リスたちが気付いていればアトラスの崩壊理由は明白だったはずだ。
「なんで聖女の存在に気付かなかったんだろう」
「お前さんは『聖女ぢゃないかもー』とは思わんのか?」
 なにその下手くそなモノマネ。全然似てないし。
「だってノワの言うことだよ? 逆に羽リスたちに聖女が見付けられなかった理由を考えた方が早いじゃん」
 ノワがあえて「気付いちゃった」なんて言ったのは、確証がなかったからだ。確証があればそのものズバリを言うだろうし、疑わしければそもそも口にしない。つまり、間違いないはずなのに確証がないからそんな言い方をしたのだろう。

 なぜか、向かい合って座っているシリウスとノワが「すまん」「私こそ」とお互いに謝り合っていた。
「お互いにその可能性を否定し合っていたんじゃ」
 シリウスのことだからとことん調べ尽くした結果だろう。だとしたら、疑うよりその先を考えた方が早い気がする。
「だから、お前さんにちょこーっと話してみたんじゃ。お前さんならどう考えるか、とな」
「ってかさ、二人の意見が一致してるなら疑う余地ないじゃん」
「そこに『いた』という痕跡が何一つないんだ」
 シリウスの声には、それさえあれば、という悔しさみたいなものが滲んでいた。
 アトラスが跡形もなく消えていることを考えると、それも当然な気がする。

「シリウスは子供の頃何も見てないの?」
 訊いた瞬間自分の迂闊さを呪った。見ていなかったから、知らなかったから、だからこそ生き残り、その理由を探っているというのに。
 隣にいるシリウスがわかっているとばかりに優しく目を細めた。優しいと淋しいはどこか似ている。そんな顔をさせたいわけじゃない。
「じゃあさ、ブルグレたちが見付けられない場所ってある?」
 気まずさを誤魔化すように慌てて口を開き、またしても自分の馬鹿さ加減に舌打ちしたくなった。ブルグレがそれを考えないわけないのに。

 もう少し考えてから喋るようにしよう。
 もっともだとばかりに頷くブルグレを見て、本当にもっともだと反省する。

 箱檻の中にいた私ですら羽リスたちは見付けてくれたのだ、聖女がどこにいようと見付けられなかったとは思えない。まさか最初から最後まであの箱檻のような空間に密閉されていたわけじゃあるまいし。
 聖女がアトラスにいたとして、侵しがたい何かが聖女の力だったとするならば、王子だったシリウスも気付かず、羽リスたちにも見付けられない場所にいた……とは考えにくい。
 そもそも、ファルボナからアトラスまでの移動中も見付からなかったというのはさすがにおかしい。
 あれ? もしかして……見付けられない状態だった?
「やっぱり……」
「そうだろうな」
 ノワとシリウスがわかり合っている。ブルグレも同意するように頷いている。完全に私一人だけがわかっていない。ブルグレ解説員!
「力が人並みだった可能性がある」
「聖女なのに?」
「そうじゃ。それ以外考えられん」
 聖女の降臨自体は知られていた。確か二百年前に姿を消しただったか、降臨して六十年しか姿を見なかったとか、そんな話だったような。
 ということは、降臨から六十年は間違いなく力があったはずだ。それが無くなった? 聖女の力は無くなるものなの? いつ? なんで? 勝手に? 何かあって? それとも、奪われた?
 たくさんの疑問符が頭に浮かぶ。
 シリウスを見ても、ノワを見ても、ブルグレを見ても、それぞれが小さく首を横に振った。
 アトラスに聖女がいたにしても、わからないことだらけだ。だからシリウスもノワも確信が持てなかったのだろう。



 答えが出ないまま、ファルボナの族長会議が近付いてきた。

 族長会議にはシリウスのほかに、レグルス副長とポルクス隊を中心に数名が同行予定だ。中型の飛行船で大陸をぐるっと南下しながら数日かけて移動する。
 ちなみにレグルス副長はポルクス隊の副隊長ではなく連合本部の副総長だった。紛らわしい。もう一人いる副長は、肉体派かつ外勤であり元ポルクス隊に所属していたレグルス副長とは違い、頭脳派かつ内勤のアリオトさんだ。笑顔で怒る、おじ様と言いたくなるような紳士だ。

「サヤは、どうする?」
 人払いされた執務室で訊かれた。この「どうする?」はいつもなら単なる確認だ。私がシリウスと離れないことを彼は知っている。その上で私の意思を確認してくれる。
 ノワとブルグレは不在だ。たぶんブルグレはネットワークの構築、ノワは部屋でうだうだしている。
 きれいに整理された机の上、それでもいくつか広がっている書類を手にするシリウスの仕事してる感がちょっとかっこいい。どう考えても今の仕事はシリウスにとって雑用レベルなのに、それを見てかっこいいと思う私の腐れ脳ったらない。

「行ってもいいの?」
 どうした? って顔をされた。ここ最近の気持ちの浮き沈みが自分でもよくわからない。だから、いつもの「どうする?」とは少し違う響きで訊かれたのだろう。

 私は「聖女」なので、私が望むことは叶えられる。たとえ、人殺しを命じたとしても、当然のごとく叶えられてしまう。「聖女」とはそれほど影響力のある絶対的存在だ。
 自分の立ち位置を再確認した今、考えすぎてがんじがらめになっている。

 私がファルボナの独立を望めば、それも叶えられてしまう。それが正しいことなのかがわからない。わからないくせいに、何かの拍子にぽろっとそれを口にしかねない。私の言葉はシリウスにしか伝わらないからどうとでも誤魔化せるにしても、目線や表情、仕草などから相手がどう取るかはわからない。
 現に、ここに来てから護衛に付いた人たちは自分の都合のいいように私の意思をねつ造した。おかげで何度も護衛が入れ替わる羽目になっている。

 シリウスの能力を本当の意味で知る人は少ない。ノワや私と繋がり、力をコントロールできるようになったシリウスは、必要となれば表層に浮かぶ思考よりさらに深い、無意識の域まで読み取れるようになっている。

「それなら、聖女としてではなく、俺の同伴者として行くか? レグルス副長のほかにデネボラとエニフも同行する。エニフはこれ以降サヤの専属護衛になる」
「エニフさんが?」
 エニフさんは数少ない女性諜報員だ。それが私の護衛なんて、どう考えても勿体ない。
「名目上は親善訪問だからサヤの同行はむしろ歓迎される。それに、サヤの護衛は名誉なんだぞ」
 そういえば、大統領や総理大臣もファーストレディと一緒に各国訪問していたっけ。
「名誉って……それって実は仕事できない人にとってでしょ。仕事できる人に私の護衛は勿体ないよ」
 本来であれば名誉なのだろうけれど、自分の身は自分で守れてしまう私に本来護衛は必要ない。ただの体裁だ。
「エニフからの志願だ」
 思わず目を見開く。驚いて言葉が出ない。シリウスが柔らかに笑う。
「俺も彼女ならと許可を出した」
「いいの、かな?」
「ちゃんと嬉しいと伝えてやれ。エニフなら、ノワやブルグレを通訳になんとか会話できるだろう?」
 それに、とシリウスが意味深に笑った。
「エニフはポルクス隊から外れる」
「なんで?」
 驚きから大きな声が出た。

 ポルクス隊は精鋭部隊だ。入りたいと思ったところで、どれだけ努力してもそう易々と入れる部隊ではない。これまで私の護衛に付いていた人たちも、実はこっそり、これを機にポルクス隊に、と考えていたことをノワがしれっと教えてくれた。
 それなのに、ポルクス隊からエニフさんが外れる?

「それって、私の護衛に──」
 違う、と慌てたように遮られた。
「それとは別の話だ。正式に結婚するんだ」
「え? 誰が?」
「エニフが」
「誰と?」
「デネボラと」
 は? いつの間に? 豆鉄砲を食らった鳩というのはこんな気持ちなのか。
「あの二人が婚約してもう五年、いや、六年か。ようやくだ」
 そんな気配は微塵も感じなかった……あ、違う、一度だけエニフさんが取り乱したことがあった。デネボラさんが亡命者を保護する際に怪我をしたときだ。本来は聖女である私を頼ってはいけないという暗黙の了解があったはずなのに、私を頼って治癒させた。そのあとエニフさんには半月の謹慎処分が下されたのだ。

 シリウスの少しだけ淋しそうで、それでいてどこかほっとしたような顔。生き残り仲間だったデネボラさんとエニフさんの結婚──。
「そうだ。あの二人は前を向いている」
 いつか私も前を向けるだろうか。いつかシリウスも──……。

 テレビか映画で見た大統領の執務室にも似たこの部屋で、大きなデスクに座るシリウスは一人だった。きっと、その前に置かれた応接セットに座る私も同じように一人に見えているのだろう。シリウスの表情から、それがなんとなくわかった。
 私がこの人のそばで安心するのは、同じ孤独を抱えているからなのか。それとも、単純にシリウスそのものに惹かれているからなのか。

 シリウスの背後、窓の先に広がる空が青い。メキナの空は日本の空と似ているような気がする。

 漠然と、十八歳になったら大人というカテゴリに片足が入るような気がしていた。大学生は大人予備軍で、社会人になれば自動的に大人になり、二十五も過ぎれば立派な大人で、三十にもなればもう親と同じくらいの感覚だった。
 十八歳の私は、十七歳の頃と何も変わらない。
「二十六になっても、十七の頃とさして変わらない」
「そうなの?」
「ああ。能力がなければ、きっと一介の軍人のまま、俺は未だに大人になりきれずに足掻いていただろう」
「じゃあ、能力があったシリウスは?」
「無理に大人にならざるを得なかった無様な子供だ」
 じっと見つめられて目が逸らせない。

 ここでの人間関係は、それまでとは違って気軽じゃない。聖女という枠を外したとしても、人との繋がりが濃く、それでいて脆い。必死になってしがみつかないと、あっという間に疎遠になりかねない。どこもかしこも繋がっていない。

「じゃあ、私と一緒に大人になってください」
 言った瞬間、胸の奥がかーっと熱くなった。恥ずかしさに仰け反りそうだ。

 こんなこと言うなんてどうかしている。この世界に来なければもしかしたら一生口にしないような類のことだ。そんな一生懸命で必死な言葉を口にするのは、もっとずっと先で、一生に一度の瀬戸際くらいのことだと思っていた。
 どう考えても、こんな気持ちよく晴れた昼下がりに、崖っぷちでもなんでもない快適な部屋で、ソファーに座ったまま言うことなんかじゃない。

 私はまだ、高校生という大人の庇護下にいる子供だった。今はもう、高校生なんて枠の中にはいない。今は聖女という枠の中にいる。
 そして、この人の妻という枠も持つことになる。
 私は変わっていく。否が応でもこの世界に順応していく。どれだけ足掻いたところでここでしか生きられないのであれば、どれほどの熱を胸に抱えることになったとしても、可能な限りこの人の傍に在りたい。

 ふわっとシリウスが綻ぶように笑った。好きな顔。かーっと燃え上がった炎が、柔らかに揺らめく灯火へと姿を変える。
 一緒に、前を向いて、大人になる。
 シリウスの方がずっと先を進んでいる。きっと私は必死に追いかけなければならない。それでも、いつかほんの少し後まで追い着いて一緒に歩けたらいいと思う。