アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁
36 ノワの真実


 ノワも別の世界から来た──。

 私の単純な脳はびっくりしすぎて、無意識のうちにそれをそのまま力を使ってシリウスに伝えてしまった。快晴の上空五百メートル(憶測おまけに適当)から。

──今すぐ戻って来い!

 次の瞬間、いつになく苛立ったような強い言葉が頭に響いた。

「ごめんノワ、やらかした」
「なんで謝るの?」
「だって、勝手にシリウスに伝えちゃったし」
「あんたバカなの? 今伝えなくても間違いなく伝わるわよ。あなた隠し事できないでしょうが」
 心底馬鹿にしたような言い方にかちんとくる。思考を隠すことができる人はいないと思う。……いるのかな。
「いないと思うわよ。考えないようにすることはできるだろうけど、知っていることを知らなかったことにはできないわ。機能を壊さない限り、思考を読んでいけば必ず見付かる」
 なんか怖いことさらっと言いましたね、ノワさん。私の機能は壊さないでください。
 くるっと振り返るノワのドアップ。にたりと笑う巨大ノワは本気で怖いからやめて。

「ってかさ、なんで真後ろとか向けるわけ? 首の骨とかどうなってんの?」
「は? 擬態しているだけで実際にこの身体を持っているわけじゃないんだから、首なんていくらでも回転できるわよ」
 ほら、と言いながら、首をぐるぐる回転させないでほしい。完全にホラーだから。回しながら牙をむひっと剥いてうひゃうひゃ笑うのもやめて。悪夢だから。
「あなたはもっと物事を柔軟に考えなさいよ。時々年寄りくさいわよ」
 ノワの首が柔軟すぎるだけだ。言うに事欠いて大年寄りのノワに、年寄りくさいなんて言われたくない。
「ちょっと首疲れたから治癒して」
 何やってんの? バカなの?
 とりあえず左手でさっきまでオカルティックな動きをしていた首に触れる。前のぎっくり腰もオカルティックに腰を回したせいじゃないかと疑いたくなる。一人遊びか。暇か。
「とりあえず治癒してくれたお礼に不問に処すわ」
 なぜ威張る。なぜ思考を処断されねばならぬ。ノワが法か? あ、ここではノワが最高神だった。

「シリウスが今すぐ戻って来いって」
「知ってるわよ。私にも聞こえたから」
 ノワの呆れた声に、あーあ、と口にしながらこの快適空間を惜しむ。
「もうちょっとサボってたかったなぁ」
 伸びをしながらノワの背中にころんと寝転がる。ノワに触れるのは背中に乗っているときだけなのに。極上の毛並みに頬ずりする。至福。
「仕方ないわね。自業自得」
「あー……やっぱごめん。ノワものんびりしてたのに」
 起き上がりながら言えば、ノワの大きな耳がふるっと動いた。
「また逃げてくればいいじゃない。付き合うわよ」
 ノワが優しい。後頭部に抱きついたら、ふふ、と小さくノワが笑った。



 シリウスの執務室に窓からこっそり忍び込む。
 ビルの最上階にあるシリウスの執務室の窓は、シリウスの在室中に限りノワやブルグレが忍び込めるよういつもほんの少しだけ開いている。ただし、加護によって他の人には閉まって見える。シリウス在室中に窓が少し開くという、総長在室情報を知られないための用心だ。
 姿を隠して窓に近付くと、窓を背に座っていたシリウスは振り向くことなく席を立ち、ドアに鍵をかけ、振り向いた顔が珍しく表情を出していた。むすっとしている。

 窓際で羽ヒョウサイズに縮んだノワが、前足で器用に窓を押し開き、執務室に着地し、姿を現す。空中で巨大サイズから羽ヒョウサイズに変わっていくのが怖すぎて、思いっきりノワの頭にしがみついたせいでノワが不機嫌だ。

 ノワから降りる際、よろっと無様によろければ、すかさずシリウスが手を貸してくれる。むすっとしていてもそういうところは紳士だな、と思いつつ、ここまであからさまに不機嫌なシリウスは初めてで、ついつい気になってまじまじと眺めてしまう。
 支えられていた手がぺいっと離された。ん? そういえば、さっきの声も苛立っていた。

「もしかして、拗ねてる?」
 思考より先に口を衝いて出た言葉。途端、ノワが声を上げて笑い出した。
「あなた、それ、言っちゃう?」
 一層むっとするシリウスに、思いっきり楽しそうなノワ。さっきの不機嫌さはどこにいった?
「別にシリウスに隠そうだなんて思ってないわよ?」
 豪華な絨毯の床に伏せたノワがそう言いながら、前足をたしたししながらひーひー笑い転げている。むっとした顔のシリウスがノワから目をついと逸らした。それがなんとなく気まずそうで、ノワの言っていることが図星みたいで……。
「もしかして、仲間外れだと思った?」
 ノワのたしたしとひーひーが激しくなった。
 目を逸らしたままのシリウスが無表情を作ろうとして失敗している。レアだ。さっきからレアシリウスがどんどん出てくる。無性に撮りたい。なぜここにカメラがない! レアシリウス貴重なのに!
「俺一人で馬鹿みたいだ」
「シリウスはね、ずーっと悩んでいるのよ──」
 慌てたシリウスがノワの言葉を遮ろうとしたところで霊獣様に敵うわけがない。素早いシリウスを避けるノワはさらに素早い。ひらっと空中に白い翼が舞い上がる。
「自分一人だけ、ただの人だって」
 大きな身体のシリウスが、その場に膝をつき項垂れた。その頭の上に黒猫サイズに縮んだノワが意地悪顔でふわっと留まる。
 一見、手懐けられた猛禽のようでいて、其の実、絶対に手懐けられない聖獣様だ。
「ごめん、意味わかんない。私もただの人だけど」
 ちょっと傷付く。
「シリウスもそれはわかってるのよ。でもね、サヤの相手がただの人である俺でいいのかって、ずーとずーと悩んでるのよ」
「なんで? 私はシリウスじゃなきゃ嫌だよ?」
「だから、前にも言ったでしょ? そういうことはちゃんと声に出して伝えなさいって」
 大きな身体を屈め、跪いているシリウスがちらっとこっちを見た。目が合った途端ついと逸らされる。こんなに情けないシリウスは初めてだ。
 なんだかいつもより心が近い。シリウスはいつだって大人で、いつだって私が追いかけなければならなかった。追い着ける気がしなかった。

 なんとなく横に並んでしゃがみ込む。視線を逸らしたままのシリウスを見上げれば、その頭上にいるノワがほれほれと顎をしゃくった。ほれほれじゃないし。
「えっと、私、シリウスじゃなきゃ嫌だよ。シリウスじゃなきゃ結婚しないし、シリウスじゃなきゃ一緒に寝ないし、シリウスじゃなきゃダメだよ」
 ぱっとこっちを見たシリウスが一瞬言い淀んだ。
「でもサヤは、俺のこと、……」
「俺のこと男としての好きじゃないだろう? って乙女なこと考えてるのよ」
 それを言うなら、シリウスだって同じじゃないか。
「ノワが言うな!」
「言うわよ、いい加減鬱陶しいのよ!」
 シリウスの怒声とノワの笑声が執務室に広がる。いつの間に戻って来たのか、ブルグレが「なんたる破廉恥」と唸っている。

 急にシリウスが立ち上がり、それにびっくりした反動で尻餅をついた。慌てたシリウスに助け起こされる。ノワはなんてことなく宙返りしながらシリウスの机の上に軽やかに着地した。
 間近で見上げると見下ろされる。
 顔しか見えないのに、なんの不安もない。そういうの、わかってほしい。私にとってそれがどれほどのことか、わかってほしい。
「えっと、好き、なのは、男としてで……。なんてゆーか、がーっと燃え上がるような激しい気持ちとかじゃないかもだけど、でもシリウスじゃなきゃ嫌だし、シリウスといると幸せだし、シリウスを他の人にとられたくないし、シリウス以外と、その……」
 あ、ダメだ。外れる──……。
 考えないようにしていた妄想が一気にぶわっと頭を埋め尽くした。
 キスとかキスとかキスとか……。その先の大人のあれこれが、そりゃもう盛大に溢れてしまった。
「エロ妄想やめて」
 ノワのげんなりした声に我に返る。さっきからブルグレの「破廉恥」コールがうるさい。
「だって考えたら伝わると思って、ずーっと我慢してたんだもん!」
 いきなり引き寄せられたシリウスの腕の中、溢れ出した妄想が止まらない。

 一緒に寝てるのに一緒に寝てるのに一緒に寝てるのに! 未だ私たちは清いお付き合いなのだ。
 ブルグレに散々言われたから、破廉恥なことは慎んできたのに、一度溢れ出した妄想は止まらない。過去に見た半裸のシリウスまで鮮明に思い出してしまい、肌の色とか、筋肉とか、感触とか、温度とか、匂いとか、諸々、諸々。のぼせる。鼻血出るかも。

 心も身体もどこもかしこも熱くて苦しい。想いを解放すると頭の中がめちゃくちゃになる。自分が自分でいられなくなる。
 穏やかな気持ちなんかじゃない。本当はがーっと燃えている。燃えすぎて、余計なものにまで延焼しそうで、ふざけた妄想の下に隠してきた読まれたくない感情まで溢れ出す。
 押さえつけたまま澱んでしまった負の感情の全てを想いに変えて、何もかも受け取ってほしくて、あるがままを認めてほしくて、一方的すぎる想いが凶器みたいで、怖くて怖くて仕方がない。
 何もかもをぶつけて壊して、それでも傍にいられるほどの想いがほしい。どれほど醜くても、それでも必要だと言ってほしい。決して外れることのない枷で繋ぎたい。
 こんな醜い想いなんて伝わってほしくない。それなのに、抱きしめる腕の力が微塵も揺るがないから、だから、想いを閉じ込める。

「あなたって、普段のどうでもいい思考はダダ漏れなのに、シリウスに関する執着だけは封印しているって、バカなの?」
「なんとでも言って。恥ずかしいでしょーが。好きよりも強い執着なんて気持ち悪いでしょーが。重すぎるでしょーが!」
「あら、ちゃんと自分のことわかってるのね」
 くそぅ、バカにして。恥ずかしすぎて泣きそうだ。

 折角抱きついているのに、鼻の奥がつんとしてシリウスの匂いがうまく嗅げない。
 ただでさえ私を守るために結婚までしてくれるような優しい人だ。そばにいられる間はできるだけ負担になりたくない。面倒だと思われたくない。
「別にいいんじゃないの? 見たことないくらい嬉しそうよ、シリウス」
 顔を上げようとした瞬間、後頭部を押さえつけられた。
 いつも以上にぎゅっと抱きしめられて、今までよりもずっと苦しいくらい胸が騒ぐのに、今までよりずっと心地よくて、かつてないほどどこもかしこも落ち着く。
 何も見えないのにこの腕の中には安心しかない。ぎゅっと抱きつけば、さらにぎゅっと抱きしめられる。幸せすぎておかしくなりそうなのに、心がしっくり落ち着いて満たされていく。

 フルチャージしたところで、ふと自分がしでかしたことを思い出した。具体的すぎるエロ妄想……。引かれた。間違いなく引かれた。
「大丈夫だ。俺も似たようなことを考えた」
 それってつまり……あーして、こーして、あーんなことまでしちゃったり?
「やめろ。そこまで詳細なことは考えてない」
 うっかり頭にこびりつくだろう、と小さく呟かれ、思わず笑った。
 なんだかもう、色々なことがどうでもよくなる。この腕に中にいる。今はそれでいい。汚い想いの中にある、きれいな想いだけでも十分だ。

「知っとるか? 接吻は性行為じゃ! 不純じゃ! 破廉恥なんじゃ!」
 で、その溢れる想いを堰き止めたのは、毎度おなじみちっこいおっさんのセクハラ発言でした。

 触れるだけのキスも性行為でしょうか。
 見上げたシリウスの顔が思ったよりも赤くて、つい、キスしてみたいなー、そしてそのままあーしてこーして……なーんて考えてしまい、思いっきり身体が離された。思考が伝わる弊害だ。ダメ妄想のせいで雰囲気に流されてくれない。
 ちっこいおっさんの邪魔も入る。にたにた笑うノワの傍観者っぷりもひどい。妄想の実現化はなかなか厳しい。
 やっぱり強すぎる想いは封印しよう。シリウスを好きなのは人としての好き。自分に呪文を唱える。



 さて。
 ちっこいおっさんも交えて、題して「ノワの真実に迫る」だ。

 シリウスの執務室のソファーは、ノワの住処ほどではないけれど大きくてふかふかだ。ひそかにノワが気に入って、時々ここで微睡んでいる。
 ノワが一人掛けに陣取り、ブルグレはその肘掛けのうえにちょこんと座り、私とシリアスは三人掛けに腰をおろす。

「もしかしてブルグレも別の世界から来たの?」
「違うわよ。この子たちは霊果から生まれたの」
 なにそれ。霊果って卵なわけ? 微妙な事実にちょっと心が尻込みする。うわぁ、食べちゃったよ。えー……ブルグレも食べていたはず。うわぁ、共食い? カニバ的な? うわぁ……。
「卵じゃないわよ。でも、命の塊ではあるわね」
「だから命力が回復するのか」
 そういうこと、とノワが答えると、シリウスが納得顔で頷いた。
「あの一個から精霊は千体生まれるの」
 ぎょっとしているうちに続いたノワの説明に、なんだかせつなくなった。

 生まれたばかりの精霊は本当に弱く儚い存在で、風が吹いただけで消えてしまうこともあるらしい。だから、様様なものに宿る。主には木々や草花などの意思を持たない生命に宿り、時とともに少しずつ存在を強めていく。自由に動き回れるようになるまで百年以上かかり、そこまで生き延びられるものは千体中ほんの数体で、そのほとんどは途中で存在を保てなくなってしまう。

「あの子たちはがんばったんだね」
「そう、がんばった存在だけが精霊になれるの」
 ブルグレもがんばって、今のブルグレになった。
 そして、私が出会った羽リスたちはたくさんいた。決して少ない数じゃない。それだけ長い間、ノワは精霊たちを見守ってきた。
「ノワも、がんばったんだね」
「私はなにもしれないわ。ただ、見ていただけよ」
 ブルグレが「そんなことはない」といつになく真面目な顔で小さく首を振った。
「我らはみな、大いなる存在に近付こうと必死になれた。目指すものがあるからこそ、生き延びることもできる」
 ノワは羽リスたちに好かれている。ブルグレもそうだけれど、羽リスたちはノワのために動く。それはすごいことだと思う。何もしてないなら尚更、すごいことだと思う。
 本来なら、聖女もそうあるべきなのだろう。

「ノワは、どこから来たの?」
「サヤは、どこから来たかわかる?」
 聞き返されて答えられなかった。日本、地球、銀河系……、思い浮かべた単語はあれど、それがどこにある世界かなんてわからない。私の知る世界はひとつしかなかった。
「私もね、わからないの。ただ、とても美しい場所だった。もしかしたら勝手に記憶を美化しているだけかもしれないけど、すべてのはじまりがそこにあるような、尊い場所だったわ」
 悲しそうに笑うノワを見て思い出した。聖女についてを語るとき、いつもこんなふうに悲しそうだったのは、自分と重ねていたからかもしれない。
「私たちはみんな、自分の故郷をなくしているのね」
 もしかして、だから惹かれ合ったのかもしれない。だとしたらそれは、少し悲しい惹かれ合いだ。
「いいじゃない、それでも」
 少し淋しそうでいて全てを包み込むようなノワの声に気付かされる。悲しくて淋しいのはきっと消えない。消えないけれど、その上にたくさんの楽しさや喜びを重ねていけばいい。きっとそれでいい。

「私ね、最初にブルグレに出会えて、次にシリウスに出会えて、そしてノワに出会えたこと、すっごく幸運だって思ってる。この世界に来てしまったことは不運だけど、みんなに出会えたことは幸運だったと思う。特別なことだと思う」
 恥ずかしいことを言っている自覚はある。それでも、ちゃんと声に出して言いたかった。この先もまたうじうじすることもあるだろうけれど、きっとみんながいれば少し沈むだけできっとまたすぐに浮上できる。