アンダーカバー / Undercover
第二章 縁
24 もらい受けた何か


 アトラスの生き残りはひとつの家族だった。

 アトラスは孤立していたわけではない。大帝国と連合国には争いが絶えなかったものの、アトラスは至って平和だった。どちらとも適度に付き合い、国民も適度に両国を行き来していた。
 あらゆる面で技術力の高かったアトラスは、むしろ他国を牽引してきた、いわば先進国だった。

 その一家は中央広場から少し離れた大通り沿いにお店を構え、商人らしい笑顔でシリウスの質問によどみなく答えてくれた。口からも、思考からも。
 赤みがかった青はアトラスの象徴だ。今や珍しがられて商売に一役買っているらしい。大帝国で唯一排除されない青は、アトラス人しか持ち得ない群青や紺色だけだ。

 その家族は元々アトラスに代々続く商家の娘一家で、その兄が一旗揚げるとアトラスの外に出てこの街で新たに店を開けば、とんとん拍子で商売が軌道に乗り、さらに帝都への出店を考え、アトラス崩壊の直前、この街の店を妹一家に任せるために呼び寄せ、兄一家は帝都に移り住んだらしい。
 商家とはいってもアトラス王家との直接的な繋がりはなく、扱う商品も日用品などの小間物が中心で、さり気なく話を聞いても「侵しがたい何か」については何も知らないようだった。
 最後に、両親をアトラスに残したことが今でも悔やまれる、と懺悔のように告げられた。

『王家の秘密ってやっぱりお城の中で働いていた人じゃないと知らないものなのかな』
──そうだろうな。そうじゃなければ秘密にはならないだろう。
『お城の中でも限られた人かぁ。デネボラさんたちも知らないんだよね』
──デネボラやエニフは俺とも年が近かったせいか、どちらかといえば話し相手や遊び相手みたいなもので、まだ二人とも見習いだったんだ。
『二人の家族も消えたんだよね』

 それに頷きが返される。たった一人残される辛さは、痛いほどわかる。
 デネボラさんとエニフさんは、それぞれ能力持ちだったからこそ幼い頃から年も近いシリウスに就いていたらしい。シリウスは当時の国王の末息子だ。長男、長女、次女、次男、三男であるシリウスの五人兄姉の末っ子。長男はすでに結婚しており、長女と次女も国内の有力者に嫁いでいた。次男は成人を迎え、そろそろお嫁さんを探そうとしていた矢先だったらしい。

『デネボラさんは身体能力だよね、エニフさんは?』
──感情が読めるんだ。
『思考じゃなくて?』
 シリウスが頷いた。

 確かに私のことを一番理解してくれていたのはエニフさんだ。快不快の判別だけでも対応は変わる。

 ただ、今回の聞き込みでひとつだけわかったことがある。それは商家だからこそ知り得た情報なのかもしれない。
 アトラスはかつて、砂岩の地から何かをもらい受けたらしい。それ以来アトラスは砂岩の地を援助してきた。主に食料や日用品などの生活物資だ。
 この街に移り住んだあの一家はそれまでアトラスの端で小さな小間物屋を営んでおり、王都の商売仲間が定期的に国にそのための商品を納めていると聞いていたらしい。

『砂岩の地って?』
──大帝国の外れにある不毛地帯だ。遊牧民が暮らしている。

 なんとなく中東っぽいイメージが頭に浮かぶ。以前ノワが言っていた荒野とはその砂岩地帯のことらしい。

──アトラスが支援していたことは知っていたんだ。おそらく多くの者が知っていたはずだ。代わりに向こうの品がアトラスでは当たり前に手に入った。あそこは質のいい光石が採れる。

 とはいっても、光石は比較的どこの山でも採れるらしく、質を求めれば砂岩地域産に限られるけれど、そこまで質を求めなければわりと簡単に手に入る。貧困層や子供の小遣い稼ぎにもなるほどで、高価なのはそれを光らせる薬品の方らしい。

──城などに使われる光石は砂岩地帯の物が多い。単純に光度が高いんだ。アトラスではどの家でも砂岩地帯の光石が使われていた。夜に飛行船から見下ろすと、アトラスは一際明るく見えたんだ。

 シリウスの口調には懐かしさが滲んでいた。

 ゆっくりと歩きながら中央広場に戻ってきた。いつの間にか自然と手を繋いでいた。気が付けば歩調が合っていた。シリウスはカタブツのくせに女心をよく知っている。あ、当たり前か。
 確かにノワが言った通り、シリウスを男の基準にするのは危険だ。

「俺以外の男はいらないんじゃないのか?」
「いらなくても」
 なんとなく面白くなくて、つい繋がる手に力がこもる。慌てて力を抜けば、お返しのように力が込められた。
「サヤは今のままでいいんだよ」
 見透かされていることが悔しい。シリウスばかりが私に合わせてくれる。それが悔しい。

 ふっ、と息を吐くようにシリウスが笑う。ここ最近そんな風に笑うことが増えてきた。気を抜くような笑い方。
「確かにここ最近だな。気が抜けるようになったのは」
「ノワの加護のおかげ?」
 素直な笑顔が返される。含むものが何もない、ただ純粋な笑顔もここ最近増えたように思う。
 ノワの加護は絶対だ。だから、変な人に攫われそうになっても平気な顔でいられる。ノワと繋がる意味をゆっくりと理解しつつある。シリウスと繋がる意味も。シリウスが真名を告げたあの瞬間、彼が何かを決意したことも。
 誰に教わらずともなんとなくわかりかけている。

「シリウスはいいの?」
「いいから教えたんだ」
 私と繋がる意味をシリウスは本当に知っているのだろうか。私自身も知らない意味。
「サヤは俺と繋がる意味なんて知らなかっただろう?」
「そうだけど」
「俺にとっては知らないことに意味があったんだ」

 喧噪の中、石造りの街並みをゆっくり歩く。言葉を少しずつ解いていく。いつか、知ることができるだろうか。

 目に映る人々の営み。これまでと多少の違いはあれど、その根本は何ら変わりない。
 雑踏の中、すれ違う人に注目されることもなく、私たちを追い抜いていく人、似たような速度で前を歩く人、お店から出てくる人、入っていく人、ドアチャイムの音、呼び込む声、話し声、笑い声──。
 交わらないはずだったこの世界にいつの間にか溶け込んでいる。それが悔しくて仕方がない。

「私がここにいる意味ってあるのかな」
 目に映る景色が少しだけ遠退いて見えた。
「俺が生き残った意味ってあるのかな」
 自嘲の呟きに、同じトーンで返された。
 見上げたシリウスの表情は逆光でよく見えない。シリウスの輪郭が光にぶれて、少し遠く見えた。
「意味がなくても一緒にいて」
 ずるいな私。
「意味がなくても一緒にいるよ」
 繋がる手に少しだけ力が込められた。
「わしが一緒にいると言っただろうが。何度言わせるんじゃ」
 このちっこいおっさんはどうしてこうも空気が読めないのだろう。ちらっと足元を見れば、いつの間にか並んで歩く黒猫がつんとそっぽを向いた。保護者的にどうなの、これ。
「保護者じゃないから」
「でもノワの子分だよね、手下っていうか、パシリっていうか」
「それはあなたの子分でしょ」
「子分いらんし」
「私だっていらないわよ」
 シリウスいる? と思いながら見上げれば、逆光の中に笑顔があった。一緒になって笑った。目の前を飛ぶブルグレがぎゃいぎゃいうるさいのはもはや仕様だ。仕様変更してほしい。



 アトラスは砂岩の地から何かをもらい受けた。それは今までにない情報らしい。シリウスは経済支援とだけ聞いていたらしい。
 王家に繋がる生き残りはいない。アトラスの外にいて消失を免れた人のほとんどが王家とは関係のない一般人、いわば何も知らない庶民だ。逆に何も知らなかったであろう当時偶然アトラスにいた滞在者たちも、アトラスと一緒に姿を消した。
 消失の条件は、アトラス国内に存在したあらゆるものと、おそらく何かを知っていたであろう王家に連なる者たち。

「荒野に行ってみる?」
 珍しくノワが誘ってきた。
「そうだな、ノワがいるならわざわざ大陸を迂回する必要もないしな」
「じゃあ、一気に海越えて行っちゃう?」
「霊獣の塔には寄らなくていいのか?」
「まだしばらくはいいわ」

 急天──なんて言葉はあっただろうか。さっきまでの晴天から一転、いきなりの土砂降りに足止めを食らい、同じ宿屋にもう一泊することになった。
 雨が降ると低空飛行船での長距離移動ができなくなる。短距離なら支障はないものの、雨のせいで風船部分が空気に触れにくくなるため、長時間の飛行ができなくなる。大きな飛行船でも高度や速度が落ちるらしい。雪が降ると完全にお手上げだ。
 ここではまだ、雪を見たことがない。南下という言葉が合っているのかはわからないけれど、Ω型の大陸の上部が北、下部が南だとすれば、私たちは東に移動し、今度は南下しようとしている。
 あのまま砦にいれば見られたのだろうか、この世界の雪を。きっとそれまでと変わらないだろう雪を。

「サヤ、それでいいか?」
 シリウスの声に我に返る。ノワとシリウスの打ち合わせを、ブルグレをいじり倒しながら何とはなしに聞いていた。しっぽを持って振り回し、手を離した直後に上手く宙返りして戻ってくるのがブルグレのお気に入りの遊びだ。失敗すると壁に激突する。間違いなくこのちっこいおっさんは何かを拗らせている。
「ん、いいよ。あ、でもビュンビュン丸どうするの?」
「駐船場に預かってもらう」
 とはいっても、砂岩の地でもビュンビュン丸は必要だ。シリウスの抱き枕になりながら、うーん、と一晩考えた。うそ。途中で寝た。



 いつの間にか腕の中に潜り込んでいたノワ。手のひらの中でもぞもぞした挙げ句、朝の奇声を上げたブルグレ。昨日と変わらない朝の安らぎ。シリウスの腕を抱え、その腕に抱えられ、目覚めが繋がりを覚えていく。

 出発直前、シリウスがビュンビュン丸の風船部分に丁寧に薬品を塗った。私は思い付く限りの加護を唱え、低空飛行船なのに中空飛行船並みの性能アップに成功した。私の力も性能アップしている。

「私たちのあと、ゆっくりでいいから姿隠して付いて来れる? 目的地は砂岩の地だからね。それとも、ここでいい子で待ってる? ビュンビュン丸の好きな方でいいからね」
 ノワの白けきった目が痛い。シリウスが口元を引きつらせ薄く笑っている。
 が、ブルグレはドヤ顔だ。よし! こういうときのブルグレは当てになる。つまり、ブルグレの仲間たちがビュンビュン丸の面倒を見てくれるということだ。
 手袋を外し、胸の前に手のひらを広げる。すると、どこからともなく羽リスたちが集まってきた。ほらね。

「ビュンビュン丸のこと、よろしくね」
 きゅわきゅわ、と返事をしながら、順番に血の珠に触れていく。ブルグレと違って羽リスたちは遠慮深い。ほんの一瞬タッチするだけで嬉しそうに、きゅきゅ、と声を上げた。



 人目に付かないところでさっくり姿を隠す。

「一番楽な大きさでもいい?」
 そういった直後、黒猫がぶわっと巨大化した。
「でかっ!」
 四畳半一間のベッドを思い出す。あれに丸くなって寝て丁度いい大きさだった。とにかくでかい。
「どうやって背中に乗れと」
 伏せてくれたにもかかわらず、よじ登るほど大きい。なぜか楽しそうな顔で、シリウスがひょひょいと背中を軽々と駆け上がっていく。上から手を伸ばされ、つま先立ち、手を目一杯伸ばしても、ぎりぎり届かない高さだ。

 舌打ちしながらブルグレが両手で私の手を引っ張り上げてくれた。なにこの馬鹿力。小さな両手に掴まれている手首が心許なくて怖い。掴んでいるというよりは貼り付いているだけだ。羽が高速で動いている。つい反対の手で目の前のノワの毛をむぎゅっと掴んで、ノワに重低音で唸られた。ほんの二十センチほど浮き上がっただけなのに、シリウスの手に届いたときには心底ほっとした。

 大きさってすごく重要だ。

 このノワは大きすぎるし、ブルグレは小さすぎる。
 シリウスと繋がった手がぐいっと勢いよく引っ張り上げられ、その勢いのままノワの背に乗せられた。足元の不安定さが怖い。しがみついたシリウスの大きさにほっとする。絶対に丁度いい大きさってある。

 ノワが背を起こし、足元が揺れるにもかかわらずシリウスは動じない。しがみつけば安心と安定感にほっとする。
 ついうっかり見下ろしたその高さに息を呑んだ。
「どんだけでかいのさ!」
 二階の窓から見下ろす景色とほぼ同じって。マンモスか。
「これが一番楽なのよ。一番飛行も安定するし、速いし。あなたたち寝転んでていいわよ」
 ただし、翼にちょっとでも触ったら落とす! とノワが脅しをかけてきた。この大きさでくわーっと牙を剥いて威嚇するのはやめてほしい。腰が抜けるほど怖いわ。