アンダーカバー / Undercover
第二章 縁21 ノワの住処
漠然とではありますが、あの箱檻から救い出してくれた人のために生きよう、なーんて拗くれた思いを未だに抱えていたりするのであります。
シリウスがここまでモテるとは。
停戦条約が結ばれたとはいえ、青系の色を持つ人が大帝国を大手を振って歩けるようになるのはまだまだ先の話だ。
インターネットどころかテレビやラジオが一般的に普及していないこの世界、情報の伝達が恐ろしく遅い。
おまけに、黒や茶を持つ人はこの世界にいないわけではない。ただし、極限られた地域に住んでいる少数民族らしく、これまた大帝国を闊歩している人、ましてや女性は皆無だ。
というわけで、私もシリウスも変装必須となる。
かといって、私が知るような出来のいいウィッグやカラコンなどあるわけもなく、「周りに馴染んで見えるようになーあーれー」という曖昧すぎる呪文を唱えてみたら、これが結構イケた。ノワとブルグレが大笑いしていることを除けば、その土地に馴染む色に変わっている。
それがたとえ、ど派手なオレンジであっても。
「サヤってば、絶望的に似合わないわねぇ」
ほっといてくれ。民族的問題だ。
オレンジという色は彫りが深くないと微妙すぎるということを身を以て知った。しかも透き通るようなオレンジだ。眉毛が光に透けるオレンジとかもう……鏡を見るたびに泣きたくなる。
「シリウスは似合うよねー」
ちょっと言い方が嫌味っぽくなってしまった。
日本人には馴染みのない彫りの深い小顔、背が高く、手足も当然長く、一見して鍛えられた身体を持つシリウスは、ポルクス隊の中では平均的だった。
が、一般庶民の中にぽいっと放り込むと明らかに浮いている。かなーり目立っている。行く先々できれいなお姉さんたちに声をかけられては軽くあしらうほどに、その優雅な物腰は人目を引いた。なぜ逆ナンしてくるのは自信満々の美人ばかりなのか。あ、自信があるからか。
ポルクス隊がいかに洗練されていたかを外に出てつくづく思い知った。
ちなみに、私は明らかに紛れている。誰にも声をかけられないので軽くあしらう必要もない。
「あれは店に誘うために声をかけているだけだ。サヤはかわいい」
笑いを堪えながらのお世辞はいいから。しかも棒読みだし。ノワとブルグレは笑いすぎだから。
つまり、あのきれいなお姉さんたちは看板娘か。道理で美人なわけだ。
シリウスは学者を名乗っている。こんな軍人っぽい学者がいてたまるかと思いきや、学者は基本的に国か軍、神殿のどれかに所属しており、軍人並みにアグレッシブらしい。学者とは学校に所属しているものじゃないのかと思えば、そもそも学校自体が国か軍、神殿のどれかに属している。
シリウスが「学者だ」と名乗ると、なぜか途端に相手は友好的になる。何が知りたいのかと相手からぺらぺら話してくれる。彼はただひと言、「アトラスの調査」と言えばいいだけだ。「知っているから寄っていけ」的な客引きは当然思考を読まれてあしらわれる。
人は口では知らないと言いつつ、知っていることを頭の中に思い浮かべてしまう生きものだ。シリウスには筒抜けである。おまけに、どういうわけか知っていそうな人を教えたがる。もしくは頭に思い浮かべる。それを辿って辿って、一日が終わる。まさにドラマで見たことがある聞き込みの刑事だ。足が棒になる。
──サヤ、本当にかわいいよ。
くそう、慰めとわかっていても嬉しい。
ポルクス隊を離れて初めて知った、シリウスの人たらし。こうやって相手の欲しい言葉をさらっと言ったりするものだから、老若男女問わずモテることモテること。
真夜中にこっそり砦を抜け出した私たちがまず最初にどこに向かったかといえば、Ω型大陸の内海ど真ん中にあるノワの住処だった。
ノワが、霊果の残りが少ない、と言うので、人の目には見えないようになっているあの遺跡のような建物を最初に目指すことにした。
ただし、飛行船で行けるのはその手前までだ。
なにせノワの住処は磁場の狂った巨大な雲の中にひっそり存在している。
海上から行けば濃霧にのみ込まれて進路を失う。上空から行けばどこまでも立ち上る積乱雲にのみ込まれて墜落する。
ノワとその背に乗ったものだけが通過できるミラクル仕様だ。ということを今更ながら知った。
「飛行船にノワが乗ってても?」
「無理」
「じゃあ、飛行船がノワに乗ってれば?」
蔑みの視線を頂戴した。
かといって、この先飛行船なしでの移動は厳しい。さすがにノワの背に乗っての移動ばかりだと不自然すぎる。
ここではあらゆる乗り物に代わって飛行船が飛んでいる。街道は飛行船用に光を放つ石が一定間隔で埋め込まれている専用航路で、駐船場もある。
ただし、個人用の飛行船を所持しているのは一定階級以上の軍人かその軍人上がりを雇えるお金持ちに限られる。庶民はそうそう遠出はせずに用があるときは定期便の飛行船などを使うらしい。飛行船の運転技術はほぼ軍が独占し、飛行船は一般に販売されていない。お金持ちは金に物を言わせて造船所を買収するのだ。
で、どこからどう見ても軍人にしか見えないシリウスが定期便の飛行船に乗ると目立ちすぎ、任務の時であっても学者と名乗っている以上、自家用飛行船での移動の方が目立たないらしい。
「あのさ、あのデカ雲から一番近い小島かなんかに駐めておけないの?」
「鳥の糞だらけにされるけど」
飛行船は風船部分が空気中の物質と結合して飛ぶようできているので、鳥の糞などで汚れると飛行能力が落ちる。萎んだ風船部分は小さく折り畳まれるとはいえ格納されているわけではなく、ゆえに駐船場には屋根と洗浄スペースが必須である。
「カバーかけておくとかは?」
「嘴か角で突かれて穴が空くわね」
なんて凶暴な。
とはいえ、私が呪文を唱えておけば大丈夫だろうということで、ノワの住処から一番近い小島に飛行船を隠し、ノワの指導の下、バリアで覆うようイメージしながら呪文を唱えることになった。
「名前を付けると呪文の効果も高まるんじゃない?」
「ノワ、顔が胡散臭いよ」
「人を介さない無機物への加護はまだあなたには難しいわよ。名前つければちょっとは違うでしょ」
嘘くさい。そう思っている私を尻目に、張り切ったブルグレが「ビュンビュン丸」と名付けた。もっとかっこいい名前がいい! と猛反対したものの、ちっこいおっさんは頑として譲らなかった。おっさんは頑固で困る。
シリウスは心底どうでもいいという顔で静観していた。
ノワの足なら砦から数時間でも、速度の遅い低空飛行船ではノワの住処まで丸一日かかる。ノワが先行して飛んでくれれば早いのに「今日はそんな気分じゃない」と面倒がられた。
おかげで、途中無人島でのトイレ休憩がサバイバルだった。
しつこく一緒に行くと言うブルグレを振り切って、みんながギリギリ見えないところで用を足し終えた直後、お尻をツチノコみたいな謎生物に突かれた。ぎゃー! と叫んだがためにお尻丸出し姿をシリウスに見られ、ブルグレにはほれみたことかと怒られ、ノワにはひーひー笑われた。せつない。
そんなこんなで、ようやくたどり着いたノワの住処は、久しぶりなのに一切の変化がなかった。
飛沫ひとつ立てない子守歌のような水音の中にぽつりと静かに浮かんでいた。
ミラクル雲の中には、巨大なカクテルグラスのような岩が海の中から生えている。「霊獣の塔」と呼ばれる所以はそこからきているとはいえ、一体誰が目撃して伝えたのか。謎だ。
そのカクテルグラスの中央にぷかりと浮かぶのが、白い遺跡のようなノワの住処だ。そこから海に溢れ落ちる水が飛沫を上げ渦を巻き、立ち上る水しぶきが雲を作り、ノワの住処を隠している。
ここにノワはずっと一人でいた。それはどれほど淋しいことだろう。それとも、この静けさに癒やされていたのだろうか。
不意にノワの存在が遠退いたように感じて、思わずその端をしっかり掴んでおきたくなった。
「ノワ、これからも一緒にいていい?」
「なによ、いきなり」
「私って基本うるさいし、頭の中でも変なことばっか考えてるし」
「一人になりたいときは一人になってるでしょ」
そう言って、羽ヒョウのおでこが頭の天辺にぐりぐり擦り付けられた。地味に痛い。
「あなたの面倒をシリウス一人にさせるのは忍びないもの」
悪口か。頭突きしたら頭突き仕返された。派手に痛い。
「あなたって本当に寂しがりね」
「だからわしがずっといてやると言っておろうに」
ノワのつんとした言い方も、なぜか偉そうなブルグレも、心配そうな顔で私の頭にコブができていないか確かめているシリウスも、私にとってはすでになくてはならない存在だ。
ノワのどでかいふっかふかベッドは、改めて見るとでかすぎて笑える。
丸一日眠らずにただひたすら飛んで来たのだ。シリウスはさぞや疲れたことだろう。運転していない後部座席の私でさえ疲れた。
ビュンビュン丸は前後に座席がある二人乗りだ。他に四人乗りや八人乗りもあるらしい。それ以上は国か軍の所有になるらしく、定期便の飛行船は軍の払い下げで、自治体などが運営している。
ノワのベッドで惰眠を貪り、目覚めると、お風呂代わりに建物外の水に飛び込んだ。海水ではなく真水。建物周辺は一番深くなっているそうで、あまり遠くまで行くなと注意された。
ちなみに、お風呂代わりなので素っ裸だ。シリウスに「絶対に見ないで」と何度もクギを刺した。シリウスも別の開口部から飛び込んだようで、水音がかすかに聞こえてくる。
「ノワは水浴びしないの?」
「するわけないでしょ」
私が溺れないよう監視しているノワに水を飛ばしたら、しゃーっと威嚇された。羽ヒョウサイズの威嚇はかなり怖い。
「ってかさ、なんでこんなぬるま湯なの? 噴水は氷水なのに。そういえば、砦の水もコルア城の水もぬるま湯だったよね」
「ここは元々地下水がぬるいのよ」
あのカクテルグラスの足みたいな柱がストローみたいに海の底の地下水を吸い上げているってことなのか。霊獣の塔の構造が不思議すぎる。
「地下水がぬるいって、温泉ってこと?」
「地域にもよるわね。砦の付近は基本的に冷たいのよ。熱を発する合金でできた管を使って地下水を供給しているからぬるま湯になるの。この世界の人間はぬるま湯が好きなんじゃない? ほら、そろそろ上がりなさいよ」
この世界の人間はぬるま湯好き。なんとも雑な回答だ。タオル代わりの布を咥えて待っているノワの元に泳ぎ戻る。
「なんかさ、合金技術とか、色んなことができる鉱石とか薬品とか、そういうのすごいよね、ここって」
「そうね、何を主軸に発展したかの違いじゃないかしら」
それでも、同じ人類の住む世界だからなのか、文明の発展も似ている。あまりに似すぎていて怖くなる。
思ったよりも体力が奪われていたようで、建物に上半身を上げたところで腕がぷるぷる震え、耐えきれず上半身が床に倒れ、無様にもお尻を突き出したまま身動き取れなくなった。
「あんた女でしょ!」と文句を言いながら、ノワの咥えた布を掴むと引っ張り上げてくれた。床に肌が擦れて痛い。
「ってことはさ、いつまでたってもここでゲームができる日は来ない感じ?」
「そうね、エネルギー源が鉱石だから、そこから似たようなものが生まれるかもしれないけど……あんな殺戮するようなものは生まれないかもね」
しつこい。確かに殺戮だけど、相手はいわゆるモンスターだ。人じゃない。
「どっちもどっち」
でた、ノワのどっちもどっち。
擦り剥いたところを「痛いの痛いの飛んでいけー」と呪文を唱えて治す。自分を治すときにはこれを唱えないと治せなくなってしまった。このうえなく情けない。
シリウスの着古したTシャツをパジャマ代わりに着ている。
新品は布がごわついて、着古した方が柔らかくて着心地がいい。あまりのごわつきに、新品にしろ、としつこく言うシリウスを拝み倒して譲ってもらった貴重なTシャツだ。
それをすぽんと着て、ぺたぺた裸足で歩きながら髪を拭く。ノワの住処は驚くほど清潔だ。
「あなたね、シリウスだって男なのよ」
「知ってるよ」
「だったらちゃんと服着なさい」
「大丈夫だよ。シリウスまだ水浴びしてるし。ベッドの部屋までだし」
なぜ翼を広げて私を囲おうとする。目隠しか。
袖は肘まであるし、裾は膝上まである。そこそこ生地は厚い。遠目に見る限りは何の問題もない。
そのままベッドの部屋まで移動して、シリウスが用意してくれた服に着替える。これまたしっかり私好みで何度見てもにやけてしまう。
上下に男兄弟がいたせいか、どちらかといえばシンプルでかっこいいデザインを好んだ。そこにちょっとだけかわいいが入っているのが好きで、シリウスチョイスはそのちょっとだけ加減が絶妙なのだ。
基本はどれもシンプルなブルー系のノースリーブのロングワンピで、首回りに目立たないけれど細かな刺繍が入っていたり、胸や腰の下の切り替えがさり気なくかわいかったり、よくわかってるなぁと感心する。その下に着るブラウスはどれも生成り色で、襟に目立ちすぎない刺繍が入っていたり、袖がふわっとしていたり、首元に小振りなリボンがあしらわれていたりと、これまた絶妙だ。
「シリウスってセンスいいよね」
「そりゃあ、あなたの好みで買ってきたんだから、あなたにとってはセンスいいでしょうね」
「なに? なんで怒ってんの?」
「あなた、男に服を贈られる意味わかってる?」
「エロい系の?」
くわっ、と牙を剥かれた。エロじゃないらしい。
三つあるワンピのうち、ロイヤルブルーを選んだ。他はスカイブルーと少し緑がかったマリンブルーだ。
「婚約者的な意味?」
口を閉じたから正解らしい。だったら別に問題ない。そもそも私はお金を持っていないうえに、自分で買いに行けなかったのだから仕方がないというものだ。
──サヤ、支度できたか?
『うん。あ、シリウスもベッドの部屋で着替える?』
──いや、もう着替えた。
ベッドの部屋に顔を出したシリウスは、ブラックジーンズみたいなボトムスにごついワークブーツ、生成り色のプルオーバーシャツを着ていた。スタイルがいいからか、なんでもない服がめちゃくちゃかっこよく見える。これ、うちのひょろい兄弟が着たら一気にダサくなるヤツだ。
「お、かわいいな。その色にしてよかった」
「ありがと。好きな色なんだよね、青」
「みたいだな」
嬉しそうに笑うシリウスを見ていると、青が好きでよかったと思う。シリウスが持つ濃い青も素直にきれいだと思う。
それまで着ていた軍シャツなどはノワの住処に置いていく。万が一荷物をあさられたときに連合軍の支給服が出てきたら大騒ぎになる。
またしても雲がノワを避けるミラクルを体験し、飛行船を隠した小島に向かった。
なんとまあ、ビュンビュン丸の周りにはこれでもかと鳥の糞が落ちていた。強烈に臭い。見慣れないものが突如現れたせいか、鳥たちが興味を持ったようだ。
「加護しといてよかった」
「この分だとノワの言った通り、カバーをかけたとしても無事じゃなかったな」
一通り飛行船の周りを点検しながらシリウスがしみじみ言った。
「大陸の鳥は人に慣れているからそこまでじゃないけど、この辺の鳥は人に慣れていないせいもあって容赦ないのよ。時々私まで突かれそうになるから」
「なにその怖いもの知らず」
だから、羽ヒョウサイズで猫パンチはやめて。背中に肉球型の痣ができるじゃないか。