アンダーカバー / Undercover
第一章 始まり20 始まり
目覚めると、ベッドの上にはシリウスの豪華なマント、ノワのげっそりした顔、ブルグレの妙に爽快な顔があった。
「あなた、殺し方がえげつなさ過ぎるわ」
「そう? ゲームとかだとわりと普通だけど」
「わし、最後のあのナイフはもっとこう、抉るように使った方がいいと思うんじゃ」
軽くステップを踏みながらくいっと手首のひねりを実演しているブルグレの方がえげつない。見た目かわいい分余計にえげつない。
「お前が言うな」と、ノワとブルグレの声が見事にハモった。
「ごめんね、変な夢見て」
「まあ、私たちも楽しませてもらったから」
まさか夢まで伝わるとは思わなかった。ノワがぼそっと「えげつなさ過ぎだけど」ともう一度呟いたほどえげつなかったらしい。わらわら湧いて出るドヤ顔アンデットをそりゃもう殺(や)りまくった。目覚めは思い掛けず爽快だった。
「あーあ。折角のワンピースがシワだらけになってる」
「シリウスが最後まで悶々としてたわよ。それも脱がした方がいいのかって」
「脱がしてくれてもよかったのに。下にブラワンピみたいなの着てるし」
「あんたね、それここじゃ下着だから」
「お前さんは破廉恥大国出身なんじゃ、自覚しろ!」
自覚しろと言われてもねぇ。だいたい破廉恥大国じゃないし。日本が破廉恥大国なら、ヨーロッパのヌーディストたちやアフリカの少数民族は破廉恥族か。絶対違う。
「とりあえずシャワー浴びてくる」
吹き曝しの中にいたからか、なんとなく全身が埃っぽい。シリウスのマントもだ。後でワンピースと一緒にブラッシングしようと思いながら、椅子の背にかけられていた自分のマントと一緒にとりあえず畳んでおく。
着替えを持ってお風呂に向かいかけたところで、ノワに呼び止められた。
「サヤ、平気?」
「ん、平気。夢の中でえげつないこと散々したからスッキリした。ごめんね、心配かけて」
ノワもブルグレも見たことがないほどその目に気遣いを浮かべていた。なんだか申し訳なくてもう一度「ごめんね」を伝える。
「あなたは何も悪くないでしょ」
「それでもさ。心配してくれて嬉しかったから。ありがと」
珍しくノワが照れたように目を細めた。ブルグレは相変わらず偉そうにふんぞり返っている。シリウスだけじゃなくこの二人がいてくれて本当によかったと心から思う。
ふと時間が気になり時計に目をやる。
ここの時計は砂時計だ。二十四の目盛があり、砂が全部落ち切ると自動的に上下がひっくり返る。この世界も一日二十四時間。一年は三百六十五日。ひと月は三十日。年末に五日間の霊日という祝日がある。この霊日だけは戦争も一時休戦となるらしい。
時計は十六の目盛を過ぎたところだった。調印式は朝の十時に始まり、十一時前には終わっているはずだ。昼寝にしては寝過ぎた。道理でお腹がすいているわけだ。
お風呂上がり、ソファーに座って髪を乾かしながら、ノワに調印式の確認をする。
「私ってさ、シリウスと婚約でもしてる感じ?」
「してる感じね。やっぱり気付いてたの?」
「ん、なんとなく。この花飾りってそれ系のアイテムなんでしょ?」
「まあね。耳に着けると結婚了承、髪に着けると婚約了承、それ以外はとりあえずお友達から始めましょうって感じ?」
「断る場合は?」
「身に着けない」
まあそうだろうな。その気のない人から貰ったものを身に着けようとは思わない。そもそも貰わない。
あーもう、タオルドライがまどろっこしい。ドライヤーがほしい。そうじゃなきゃ髪を切りたい。
見た感じここの女性のほとんどは髪が長い。短くしている女性もいるらしいけれど、今のところ見かけない。女の子はロングヘアーという父と兄弟の無意味なこだわりのおかげで胸まである髪がドライヤーなしだと鬱陶しい。
「あとさ、シリウスって偉い人? 連合国総長って王様みたいな感じだよね」
「まあ、立場的にはそうなんじゃない? 連合加盟国の代表者だから。本人は仲介役くらいにしか思ってないみたいだけど」
ふーん、と声を上げ、夕食には少し早いけれど食堂にでも行こうかと立ち上がる。すでにブルグレは食堂に行ったらしい。私に付き合って彼らもお昼を抜いている。
「ふーんって、それだけ?」
「他になんかあった?」
ノワのなんともいえない顔を見て、再びソファーに腰を落とす。
「いいの? 婚約」
「別にいいんじゃない?」
シリウスがどう思っているかは知らないけれど、彼以外に言葉が通じない以上、聖女として結婚する必要があるなら他の人とは有り得ない。言葉が通じなくても愛があれば、なんてふわっとした考えは私の中にない。意思疎通ができないのは間違いなくトラブルの元だ。離婚なんてできないだろうし。
「あなたって、変なところで冷めてるわね」
「そう? まあ、シリウスだからっていうのもあるよ。私ね、漠然となんだけど、あの箱檻から救い出してくれた人のために生きようって思ってたんだよね」
「それって拗れた思いじゃなかったの?」
「だってすでに十分拗れてるじゃん、私って」
そんなせつない目をしないでほしい。さすがに助け出されたのが赤の男やコルアの陰険王子だったら、感謝はしても、婚約は全力でお断りする。人柄重要。
「それが策略でも?」
「策略でも。シリウスの助けになるならそれでいいんじゃない?」
嫌われているわけじゃないと思う。聖女という立場と私の存在をちゃんと切り離して考えてくれているような気もする。
「それ、ちゃんと伝えた方がいいわよ」
「伝わってるんじゃない?」
「私にははっきり伝わってなかったから、伝わってないと思うわよ」
「そっか、薄らぼんやりした考えって伝わりにくいんだっけ」
なんとなく無意識レベルまで伝わっているような気になっていた。余計な妄想は伝わるくせに。……ということは、そんなにはっきり妄想しているのか。それはそれでちょっと凹む。
「無意識レベルまでは力を使わないと読めないと思うわよ。元々読みたくて読んでいるわけじゃないんだから、彼なら親しい人ほどそういうことしないんじゃない?」
そうかも。少なくとも私が知るシリウスはそういう人だと思う。
「とりあえずあなたの頭の中の殺戮にどん引きしてたけどね」
「うそ! それ困る」
「実際に人なんて殺せないくせに、その殺(や)り方をとことん知り尽くしているあたり、かなり引いてたわよ」
「ゲームだから! ゲームの受け売りだから!」
「シリウスにゲームって言ってもわからないわよ。言葉の知識を得ているわけじゃないんだから。過去にそんな訓練を受けたことがあるのかって、かなり心配してたわよ」
うそでしょ……人っ子一人殺したことないから。体育の授業しか受けたことないから。
「シリウスは?」
「賢いおっさんが戻ってきたって呼ばれていった」
シリウスの方が偉いはずなのに、呼び出されるとはこれいかに。
「ここにいる限りは諜報隊員のリーダーだからでしょ」
なるほど。今回のことでポルクス隊にシリウスの隠された地位がバレたらしい。その説明に呼ばれたのだとか。
──サヤ、部屋にいるか?
『いるよ』
──食い物持って行くからそこにいろ。
不意に聞こえてきたシリウスの声に少しだけ不安になった。わざわざ砦から力を使って話しかけてきた。繋がっているからか、力を使うとどこにいるかがなんとなくわかる。それとも、それすら言外に伝えてきたのか。
「ノワ、ブルグレ呼んで」
「大丈夫よ、シリウスと一緒にいる」
ノワからも緊張が伝わってくる。何かが起きたのか、それとも、これから何かが起きるのか。
そわそわしながら待つこと暫し。シリウスが食べ物と一緒に現れた。ノワの言う通りブルグレも一緒だ。
とりあえず食べる。ソファーをサイドテーブルに寄せて、無言で素早く食べる。腹が減っては戦もできない。休日の朝、ゲームを始める前に兄弟揃ってひたすら腹ごしらえするのは途中で飯落ちするのが嫌だからだ。
「今を逃す手はない」
唐突にシリウスがそう切り出した瞬間、どくん、と心臓が大きく音を立てた。
シリウスから語られたのは──彼が大帝国と連合国の間に挟まれた小さな国の生き残りであること。一夜にして祖国が滅びたこと。当時まだ十二歳だったこと。たまたま隣国であるコルアに七歳から留学していたおかげで難を逃れたこと。亡国の最後の王族として連合国側にも利用価値があると判断され、象徴的に連合国総長の地位が与えられたこと。国が崩壊した原因を調べていること。そのために連合国総長を引き受けたこと──だった。
「どうしても原因がわからないんだ」
「思考を読んでも?」
「途中までは遡れるんだが、肝心なところで思考が曖昧になっている。関係していた誰もがだ」
それは、何かしらの強い力が働いているということなのか。
「今日、大帝国側の思考を読んでもやはり同じだった」
つまり暗礁に乗り上げたと。もしかしたら国が相手ではないのかもしれない。
「俺は大帝国に潜る。サヤ、いいか?」
その瞬間、あの夜のようにわくわくした。心臓がうるさいくらいに騒ぎ立てる。周りの空気が一気に澄み渡っていく。
「当たり前。わかってるくせに」
「ここでのように楽じゃないぞ?」
「大丈夫。一人じゃないもん」
シリウスが声を上げて笑った。初めてのことに驚きと嬉しさが同時に湧き起こる。ノワもブルグレも楽しそうだ。
「知ってるのは?」
「隊長だけ。元々そういう約束で総長をやっていたんだ」
「私もシリウスもポルクス隊長の後見になってるのに、いいの?」
「総長として表に出ることは滅多にない。三月に一度は報告に戻る」
「建前上は単独潜入ってことね。聖女はまた姿をくらましたと」
「そういうことだ」
どうしようもなくわくわくする。思わず叫び出したいほどに。息を吸って吐く。ただそれだけがこんなに楽しい。
「奇声上げるのやめなさいよ!」
頭の中で思いっきり「冒険の始まりだー!」と叫んでいたら、みんなに嫌な顔をされた。いいじゃん、少しくらい。
うるさい、と怒り出すノワ。一緒に奇声を上げるブルグレ。声を上げて笑っているシリウス。
なんだかちょっと幸せかも。
「あ、お金どうするの?」
「あー……以前聖女に献上された貴石をサヤのためという名目でとっておいた」
でかした! 結構な数の宝石だったから、そこそこの額になるはずだ。
「怒らないのか?」
「なんで?」
「この子ね、平和ボケしているから気を付けた方がいいわよ」
ノワの辛らつな言葉にシリウスが神妙な顔で頷いている。私もブルグレも首を傾げた。
「あなたと潜入することをずっと前から考えていたってことでしょ」
「別にいいじゃん。むしろちゃんと準備してて、でかしたって思うけど」
「ね、こっちがしっかりしないとダメなのよ」
「お互いにな」
なぜノワとシリウスがわかり合っているのか。思わずブルグレと顔を見合わせる。ブルグレもイマイチわかっていないのか、しきりに首を傾げている。ちょっとかわいい。
「それってさ、初めから私を連れて行くつもりだったってことでしょ」
喜びこそすれ、怒ることじゃない。ブルグレも頷いている。
「婚約者を一人残していくような不甲斐ない男にはなりたくない」
ふっ、と気を抜くように軽く笑いながら言われた。なにそれ、照れる。
きっと私のためでもある。
両国が停戦協定を結んだ今、これまでなかった交流がそれなりに起きるだろう。調印式にまでやって来たドヤ顔のことだ、何かにつけてしゃしゃり出てくるに決まっている。そのたびに聖女の同席を強要され、見たくもない顔を見る羽目になる。
「もう二度と会いたくない」
「二度と会わせない」
やだもう照れるってば。
きりっとそう言い切ったシリウスはいつも以上にかっこいい。
「サヤ、あなたちょっと落ち着きなさいよ、興奮しすぎ」
「これが落ち着いていられるかってのよ。この世界に来て今初めて生きてる気がする」
思わずそう言った瞬間、シリウスもノワも、ブルグレまでもがせつなげに目を細めた。
「もう、いちいち気にしなくていいから」
「あんな殺戮繰り広げといて、気にしなくていいが聞いて呆れるわ」
ノワの溜め息交じりの声にへらへら笑って誤魔化す。
「一応言っておくけど、人を殺したことなんてないからね。訓練も受けてないから」
そう言った途端シリウスの眉間に皺が寄った。まさか信じてもらえない?
「いや違う。大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫。ごめんね、殺戮繰り広げて」
シリウスの目が優しい。なんだか本当に幸せかも。生きていてよかった。
「サヤ、あなた興奮しすぎだから」
なんだか今は妙に感動体質になっている。たくさんの幸福物質が分泌されているような気がする。アドレナリン大放出だ。血が滾る! ノワの心底呆れた顔すらかわいく見える。
「浮かれたおバカは放っておいて、出発は?」
「今夜」
「じゃあ、荷造りしなくちゃね。サヤ、あなた鞄持ってないでしょ?」
「俺のを貸す。着替えは三日分、必要最低限の荷物で頼む」
そこまで言われて気付いた。
「あのさ、私って訓練用の軍服と面会用のおしゃれワンピしか持ってない」
「ああ、買っておいた」
「シリウスが?」
「俺が。だから下着類だけでいい。靴も買ってある。ああ、あとサヤ、夕食も持ってくるから部屋にいろ」
「なんで?」
「あんた自分の顔鏡で見てきなさいよ。誰が見ても、これからやらかしますって顔してるから」
ノワがさっきから意地悪だ。人のこと指差して笑っているブルグレだってやらかします顔だ。
「あんたは浮かれすぎ」
「今浮かれずしていつ浮かれる!」
「わかったから。荷物まとめなさいよ」
シリウスが部屋を出て行った途端、たまりかねて頭の中でもう一度「冒険の始まりだー!」と叫んだ。
「うるさい!」
ノワの猫パンチを食らった。
ここで待つよう言われなくて本当によかった。
もう二度と一人にはなりたくない。