隣にいる人
第十一話


 クリスマス直前の週末、朝からよく晴れたその日に引っ越しが行われた。

 その日の朝、階下の方にご挨拶に行き、戻ってきたところで基さんの家のインターホンが鳴った。モニタに映っているのは山本さんと渡辺さんの他に河野さんと水内さん。驚きながらも迎え入れた四人は初めて見るカジュアルな服装だ。河野さんと水内さんは二人ともカジュアルなデニム姿なのにどこか女らしい。雑誌に載っているかのような姿はすごく素敵で、とても同い年だとは思えない。
「ごめん。逃げる口実に使っちゃった。この時期パーティーに引っ張り回されて疲れちゃうんだよね」
 河野さんのセレブ発言にうっかり呆けてしまう。住む世界が違う。パーティーって、お誕生会とかじゃないよね。クリスマス会でもないだろうな……。頭の中に折り紙で作ったカラフルな輪つなぎやフラッグガーランドが浮かんだ。絶対に違う。
 隣で水内さんが「私も」と頷いていて、思わずこれが普通なのかと思ってしまう。多分違う。
「急にキャンセルして大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。代わりは頼んできたから」
 河野さんと水内さんが顔を見合わせて笑っている。どうやら従姉妹に代わって貰ったらしい。喜んで代わってくれたとか。そんなパーティーの代役を急に頼まれて喜べるなんてすごい。私なら着ていくものすらない。
「それにしても、別人とまでは言わないけど、やっぱりあれは変装だよねぇ」
「本当。せめてあの眼鏡やめれば? あれが全てを台無しにしてるよ」
「そんなに変ですか?」
「変!」
 二人の声が揃った。今仕事中にかけている眼鏡は、以前香ちゃんに選んで貰ったのをこっちに来てすぐに踏ん付けてしまって、新たに自分で選んだものだ。お店の人は似合うって言ってくれたのに……。
 二人にそう言えば「在庫処分品だったんじゃないの?」と素気ない答えが返ってきた。そうかも。確かに他より少し安かった。ボーナスも出たし、基さんに選んで貰って新しいの買おう。

 私たちが話している間にもどんどん家具が運び出されていく。いつの間にか蓮さんも加わり、基さんの部屋にある解体したベッド、脚を外したテーブル、たくさんの椅子、洗濯機が順に運び出され、シングル用の冷蔵庫がひとつだけ残された。
 私たちはあまり役に立っていない。私が運べるものは既に運んであるので、大きなものしか残っていないため、私たちはせっせと部屋の掃除をしている。河野さんも水内さんも掃除なんてしないのかと思ったら、むしろすごく丁寧に手を動かしていてびっくりした。

 次に私の部屋の荷物が運び出される。
「どうして一人暮らしなのにこんな大容量の冷蔵庫使ってるの?」
 心底不思議そうな山本さんの言葉に、基さんと蓮さんが苦笑いを浮かべている。とりあえず笑って誤魔化した。
 私の部屋に残されたのは洗濯機とシングルベッドだ。それを見た蓮さんが基さんに声をかけた。
「モト、まだソファー買ってないよな?」
「年末にゆっくり選ぶつもり」
「このシングルベッド、あれにする?」
「ああ! そうだな。思い付かなかったよ」
 何を言っているのかと首を傾げていると、前に蓮さんが作ったソファーベッドがあるそうで、それは長く使って貰えるようマットレスを入れ替えられるものらしい。
「確か試作したヤツがここの倉庫にあるはず。あれ使いなよ」
「そうする」
 シングルベッドのマットレスだけが運ばれると、ベースだけが残されたベッド本体と相まって、部屋全体ががらんとして見えた。今までここで暮らしていたとは思えない程に余所余所しく感じる。
「なんだか寂しいね」
 水内さんの声に振り返ると、彼女もどこか心許ない顔をしている。
「子供の頃よく引っ越ししてたの。何となくあの時の寂しい感じを思い出しちゃった」
 河野さんのお父さんは外交官だそうだ。彼女の引っ越しは国内じゃなく海外だったらしい。いきなり訳の分からない場所に連れて行かれるのはすごく嫌だったそうだ。

 部屋の掃除をざっと終え、向こうで一休みしている男性陣に合流する。冷蔵庫を動かしたあとはしばらく電源を入れてはいけないらしく、中身は基さんの家に残された2ドアの冷蔵庫にぎっしりと詰め込まれている。そこからお昼の材料と調味料などを持ち出し、河野さんたちに聞けば今日は一日空けてあり、むしろ早く家に帰れないと言うので、ならば夕食も一緒に食べようと三人で盛り上がる。

「ちょっ、エレベーターなしはキツイ。大丈夫なの? 毎日ここまで上るの?」
 河野さんと水内さんが三階で一旦立ち止まった。やっぱり三階までは平気なのかと、どうでもいい共通点に少し嬉しくなる。
「今までも三階だったのでここまでは何とか。ここまで来ればあともう少しですから」
「そのもう少しがキツイわ。やっぱり運動不足だよねぇ。何か始めようかな」
 軽く上がった息を整えながら答える河野さんに水内さんも頷き、一緒に通う? と顔をしかめながら話している。



 新居には、へばりきった四人がリビングで伸びていた。重い荷物を持って四階を何往復もしてくれたのだから、へばって当然だ。
 お昼の材料と一緒に持って来たビールを渡すと、すごくいい笑顔を貰えた。渡辺さんまでが嬉しそうに頬を緩めている。
 今日のお昼用にと買っておいた鶏肉で水炊きの用意を始める。人数が多いし、好き嫌いの好みが分からなかったからお鍋にしようと基さんと話して、大きめの土鍋を買っておいた。ついでだからとお揃いの茶碗やお箸、マグカップも買った。選ぶときのどうしようもないほどに高揚した気持ちを思い出すと、自然と口元が弧を描く。

「みなさん、鶏肉平気ですか? お昼は水炊きにしようと思っているんですけど」
 聞けばみんな大丈夫らしい。河野さんと水内さんも準備を手伝ってくれる。やっぱり二人とも手際がよくて、今時のお嬢様は何でも出来るのだなと感心した。お嬢様と言えば、全部お手伝いさんにやって貰っているのかと思っていた。
「ねえ、何でこんなに野菜が山のようにあるの?」
 水内さんの不思議そうな声に、山本さんと渡辺さんからも「俺も気になってた」と声が上がる。
「何でそんなに嫌そうな顔? 触れちゃいけないことだった?」
 心配そうな顔の河野さんに、実はと理由を話せば、大笑いされた。山本さんと渡辺さんには「だから大容量」と冷蔵庫を見て納得される。基さんと蓮さんが笑いを堪えているのを見て、遠慮なく笑えばいいと言ったら、本当に遠慮なく笑われた。
 みんな何がそんなに面白いのやら。
「冷蔵庫は自分で選んだわけじゃないんです」
「わかる。お母さんでしょ?」
「違います。妹です。絶対に必要になるからって。母にへそくり出させて買ってくれました」
 河野さんが更にお腹を押さえ、ひいひいと声を上げて笑う。美人が色々台無しだ。隣で水内さんも「笑いすぎ」と河野さんに言いながら、自分も笑いを堪え切れていない。
 本当に何がそんなに楽しいのやら。私は全く面白くない。
「さすがにもう今年は要らないって言ってあるので、送ってきてないと思うんですけど……」
 ふと不安になって基さんを見れば、基さんも、まさかなって顔をしている。
「香ちゃんからは何も言われてないんですけど……ちょっと見てきます」
「いや、俺が行くよ。ついでに向こうの冷蔵庫からビール持ってくる。ゆっくりしていけるんだろう?」
 基さんが山本さんたちを見れば、既に一本飲み切ったのか嬉しそうに頷いている。

 戻ってきた基さんの腕にあるビールが詰まった袋と細長いダンボール箱を見て、河野さんと水内さんが目を合わせ一気に笑い出した。
「柚、見ても分かると思うけど長ネギって書いてある」
「長ネギひと箱!」
 河野さんが壊れた。私も壊れたい。とりあえず開けて見れば紛うことなき長ネギがみっちり。独特の香りに顔をしかめてしまう。ネギ、あんまり好きじゃないのに。
 こうなったら水炊きにたくさん入れよう。
「蓮さん」
「半分は無理だよ」
「せめて三分の一」
「四分の一」
 笑いを堪える蓮さんに、とりあえず四分の一、蓮さんち用のネギを紙袋に入れておく。それを見た蓮さんが「多い……」とちょっと切ない顔をした。申し訳ない。でもネギは日持ちするから。
 ネギが多めの水炊きは、どうしてか大好評だった。

 食後に蓮さんがコーヒーを淹れてくれる。いつも基さんが淹れてくれていたからか、食後にまったりしている基さんを見ているのがなんだか不思議な感じがする。
「加藤さん、加藤さんと佐々木の部屋ってもう借り手が見付かっているんですか?」
「まだ。管理会社には言ってあるんだけどね」
「俺、借りてもいいですか?」
「あっ、俺も。引っ越してきていいですか?」
 渡辺さんと山本さんの言葉にびっくりして二人を見ると、「いや、なんか食いっぱぐれないだろうと思って」と笑っている。野菜のお裾分け先が増えるのはかなり嬉しい。でもそんなに簡単に引っ越しを決めていいのかと思えば、二人とも今の家は学生の時から住んでいるらしく、そろそろ引っ越したいとお互いに話していたところだったらしい。
「駅からちょっと遠いぞ?」
「ああ、俺バイク持ってるんで。会社にもバイクで行ってるし」
 渡辺さんの言葉に河野さんたちも驚いた顔をしている。意外だ。どこかクールでスタイリッシュに見える渡辺さんとバイクが結びつかない。最寄り駅側の駐輪場は一杯で予約も受け付けていないと言えば、山本さんが「駅まで乗せてけよ」と渡辺さんに強請り、「嫌だ」と思いっきり嫌そうな顔をされている。
 蓮さんが興味深げな目を渡辺さんに向けている。
「向こうで取ったの? 免許」
「車は。バイクはこっちですね。向こうだとバイクの保険料が高いんで乗ってる人少ないですよ。まあこっちでは取得費用が高くて参りましたけど」
 もしかして蓮さん、車やバイクが好きなのだろうか? 基さんを見れば言いたいことを分かってくれたのか頷いている。
「入居してくれるのは嬉しいんだけど、彼女とかいいの?」
「大丈夫です。俺の彼女、実はこの沿線なんで。今日もそこから来ました」
 照れもせず真顔で答える渡辺さんに対し、山本さんは「俺そんな心配ないし」と少し寂しそうだ。ふと見れば河野さんが水内さんを小さく小突いている。水内さんの顔が心なしか嬉しそうだ。もしかして、水内さんは山本さんが好きなの? 河野さんを見れば片目を瞑った。美人のウィンクはなんだか幸せな気分になる。都会の人は普通にウインクするみたいだ。さすが都会。地元でそんなことしたら指をさされて大笑いされる。
 そうだと思い立ち、ここぞとばかりに河野さんにも聞く。
「河野さん、お付き合いしている方は?」
「いなーい。大抵付き合う前に性格が無理ってフェイドアウトされるか友達に降格される。向こうが勝手に誤解してるのに。このままだと親の勧める見合い結婚確定だよ」
 基さんと蓮さんを見れば二人ともにやりと笑う。どうやら雅さんは河野さんみたいな人が好きらしい。私もすました美人より気さくな美人の方が好きだ。



 お昼からは解体した家具の組み立てだ。お昼は組み立て前のテーブルの天板の下に基さんの本や資料の入ったダンボールを置いて座卓の高さにし、みんなで床に座って食べていた。
「このテーブル、野々宮さんのデザインですか?」
「そう。いいだろう? これ」
「ええ。俺も買おうかな。ウォルナットですよねこれ」
「他にもメープルとチークが選べる」
「メープルか。いいな」
 渡辺さんと基さんがテーブルを組み立てている。山本さんと蓮さんはベッドを組み立てに行っている。河野さんと水内さんも一緒だ。何となくベッドを誰かに見られるのは恥ずかしい。でも恥ずかしいと思っているのは私だけのようで、みんなは至って普通だ。

 お昼ご飯の後片付けをしながら、ついでに夕食分のご飯を研ごうとして、夕食は何にするのかを二人に聞いてみる。
「夕食は何にしますか?」
「俺また別の鍋がいいな。一人だと鍋って食べないんだよね。佐々木の実家の野菜、かなり美味かったし」
「だよな。あの野菜食べてると外で飯食う気しなくなるんだよ」
 嬉しくなって顔がにやける。やっぱり母の野菜を褒められると嬉しい。
 寝室となった八畳の洋室にも聞きに行き、渡辺さんの意見を伝えるとそれでいいと言われる。
「あっ、夕食遙香も参加すると思う。ただ、多分食べてすぐ帰ると思うけど。あと雅も来ると思うんだけど、かき入れ時だからなぁ。遅くなるかなぁ」
 遙香さんとは既に顔を合わせている。私より少し背の低いすごく可愛らしい人。とても年上には見えない。ただ、やっぱりクリスマス前で忙しいのかすごく疲れていた。
 北海道出身だと聞いていたので石狩鍋でいいかを聞けば、河野さんが「鮭好き」と嬉しそうに笑う。蓮さんも頷いているのでそれに決定だ。
「じゃあ、もう少ししたら鮭買いに行ってきます。他に欲しいものあったらその時に教えて下さい」
「夜は日本酒がいいなぁ」
 山本さんがぼそっと言えば、すかさず水内さんが「いいですね、日本酒」と答えている。なんだか水内さんが可愛い。
「何時頃行く? 私も一緒に行こうかな」
「夕方だと少し混むので、その前には行きたいです。四時頃でしょうか」
 わかった、と答える河野さんの声を聞いてリビングに戻れば、基さんと渡辺さんがいない。どこに行ったのかと思っていると、玄関の扉が開く音が聞こえ、二人が大きな荷物を抱えて戻ってきた。
「蓮! これ重い!」
 基さんの蓮さんを呼ぶ声に、蓮さんが「だろうなぁ」と言いながら顔を出した。

 リビングに運び込まれたそれは、一見ベッドフレームのように見える。基さんに言われて濡れ雑巾を用意し、綺麗に拭き上げると、うっすらと埃を被っていたのが拭われて、艶々で綺麗な木目が出てきた。
「少し厚手のボックスシーツを掛けてあげて。一応専用のカバーもあるんだけど」
 マットレスを乗せると、蓮さんが「ここを持ち上げると」と言いながら、サイドに手を掛け持ち上げると一枚の板がマットレスの上に持ち上がり、その板が背もたれのようになる。
「背もたれの板の位置は三段階に動かせるから、小柄な人なら一番前、モトなら一番後ろでこのサイドバーを止めると固定される」
 そう言いながら持ち上がった背もたれの板の両サイドについている支柱に付随するサイドバーを三つある凹みのうちのひとつに固定する。反対側は基さんが同じように固定している。
「現行品のだけど、背もたれ用の専用クッションがあるから、あとで用意するよ」
 モトと色決めてね、と言いながら、蓮さんが早速座っている。すっきりとしたデザインの濃い茶のフレームがどこか男性的に見えるのに暖かみも感じる。基さんのテーブルと同じ材のウォルナットだ。テーブルと雰囲気が似ていてあつらえたようにも見える。
「これもいいな」
 渡辺さんが蓮さんに色々聞いている。すっかり蓮さんのファンだ。

 インターホンが鳴り、基さんが注文していたテレビ台代わりのシェルフと基さんの仕事部屋用のテーブルが届いた。基さん、デスクじゃなくテーブルが好きなのだそうだ。ステーショナリーなどはボビーワゴンに詰まっている。
 同じデザインの一千八百のテーブルを渡辺さんが組み立てながら唸っている。サイズを決めかねるらしい。テレビ台も同じデザインで、こっちは山本さんと水内さんが仲良く組み立てていて、それを河野さんがにまにまと見ている。

 蓮さんと基さんが話しながらスクリーンの取り付け位置を決めている。基さんの部屋にはテレビはなかった。元々あまり見ないのでタブレットで十分だったらしい。代わりにプロジェクターを使っている。
「このスクリーン、もしかして紙ですか?」
「そう。安いんだよ。しかもこれで十分」
 へーぇ、と感心している山本さんを水内さんが熱心に見つめている。それを見た渡辺さんが河野さんに目線を投げ、河野さんがそれに頷くと、渡辺さんはほんの少し口角を上げた。みんなより一歩下がった位置にいたからか、一部始終を見てしまった。

「そろそろ買い物に行ってきます。河野さんいいですか?」
「荷物持ちに俺も行くよ」
 頷く河野さんに、渡辺さんも名乗りを上げる。基さんを見れば既に出掛ける準備をしていた。
「俺一旦自分ちに戻ってる。ちょっと確認したいことがあるから」
 蓮さんがちらりと山本さんと水内さんに目を向けながらそう言うから、思わず笑いそうになってしまう。
「えっと、じゃあ、山本さんと水内さん、お留守番お願いしてもいいですか?」
「俺たちも行こうか?」
「いや、そんなに人数いても仕方ないだろう? 酒が足りなくなったときの買い出し頼むよ」
 渡辺さんの言葉に山本さんが頷く。少しだけ水内さんが心細そうな顔をしているけれど、頑張れ! って心の中で応援しておく。



 基さんが車を出してくれた。ビールを飲んだのかと思っていたら、足りなくなりそうだからと飲まずに我慢していたらしい。帰ったら飲む! と宣言している。
「マニュアルか!」
 みんなで乗り込み、基さんがギアを入れた直後、渡辺さんが珍しく驚いたような声を出した。
「もしかしてオートマ?」
「アメリカじゃマニュアル車乗れる人なんて殆どいませんよ」
「大げさな」
「大げさじゃなく」
 基さんがびっくりしている。河野さんと渡辺さんが後部座席から身を乗り出すようにギアを確認している。
「そうなの? ヨーロッパだとオートマ乗ってる方が馬鹿にされる率高いよ?」
「アメリカじゃマニュアル運転出来たら尊敬されますよ」
「じゃあ、私尊敬されちゃう」
「河野さん、マニュアル運転出来るんですか?」
「出来るよ。最初オートマで取ったんだけど、イタリアで馬鹿にされたから限定解除した」
 どうやら河野さんも負けず嫌いらしい。
「柚も限定解除しなよ」
「坂道発進が無理です。実家のあたり坂道だらけですから」
「ちゃんと教えてあげるから」
「本当ですか?」
「本当本当」
 基さんがシフトから手を離して頭の上に手の平をぽんと乗せる。
「楽しいよ、マニュアル。自分がちゃんと操ってるって分かるから」
 頭に乗っていた手が再びシフトを握った。
 こういう時に私が運転出来れば、基さんがお酒を我慢することもない。どうしようかと悩んでいたら、後ろがやけに静かだ。思わず振り返ると運転席の後ろに座るにやにやした河野さんが目に入った。今のやりとりをしっかり見られていたらしい。恥ずかしさに体中が一気に熱を帯びる。

 スーパーの裏にある駐車場に車を止め、鮭を買いに来ただけなのにカートの上下にカゴを乗せた基さんと渡辺さんが真っ先に向かったのはお酒コーナーだ。山本さんからの日本酒の要望を伝えると、それもいいなと男二人が言い合っている。
 河野さんと一緒に自分たちが飲みたいものを探していると、河野さんが小声で身を寄せるように聞いてきた。
「あのさ、鈴木雅って彼女いるか知ってる?」
 ほんのりと顔を赤くして、照れ臭そうな顔をしながらも口調は素っ気なさを装っている。ほんの少し前までの河野さんの印象とはまるで違って、すごく可愛い。すごく綺麗な人だけれど、今はすごく可愛い。
「えっと、いないって聞いてます。実は私、河野さんをオススメするつもりでした」
「本当?」
「いいですか?」
「嬉しいんだけど、もう少し女らしい感じにした方がいいかな?」
「どうでしょう。でもこの間河野さん、雅さんの前でも素でしたよね」
「そうなんだよね。あとで失敗したって思ったんだけど。なんだか話しやすいからつい素が出ちゃって」
「私は素の河野さんが好きです」
 河野さんが照れ隠しのように私の頭をわしわしと撫でる。私より背の高い河野さんは、ヒールの分更に高い。背の高い基さんと並ぶとすごくバランスがよかった。
「いいなぁ。背が高くて」
「高いって言ってもモデルほどじゃないでしょ? こういう中途半端な高さはあんまりいいことないよ。可愛いくないし。私はむしろ佐々木さんくらいがよかった。こうすっぽり男の人の腕の中に収まるような」
「でも頭に顎乗せられちゃいますよ?」
「それがいいんじゃない。いいなぁ、そう言うの」
 基さんがときどき立っている私の後ろから抱きしめてくれるとき、頭の上に顎を乗せる。丁度いい高さらしい。何となく小さいことを面白がられているのかと思っていたけれど、河野さんの反応を見ていると違うようだ。自分で言っておきながら言葉にしたことが恥ずかしくなる。

「柚、柚も少しだけ何か飲む?」
 河野さんと一緒に基さんと渡辺さんのところに戻れば、カートのカゴ一杯にお酒を入れている。
「こんなに? 飲めるんですか?」
「余ったら俺が休みの間に飲むから。柚はアルコールの低いのにする? 河野さんは?」
 基さんと河野さんがお酒の話をしている。なんだかやっぱり二人が並ぶとバランスがいい。大人の基さんに大人っぽい河野さんがすごくお似合いに見えて、少しだけ寂しくなる。
「佐々木もそんな顔するんだな」
 渡辺さんの声に目を向けると、目を柔らかく細めていた。
「そんな顔って、どんな顔でしたか?」
「ん。そうだな、可愛い顔、かな」
 渡辺さんの言葉にびっくりして、まじまじと見つめてしまう。
「渡辺さんがそんなこと言うとは思いませんでした」
「そう? 日本人は言わなすぎなんだよ」
 あまりに意外な一面に驚いていると、基さんが「人の彼女くどいてんじゃないよ」と笑う。
「柚、言われてドキドキした?」
「いえ。むしろ渡辺さんと可愛いって言葉がまるで結びつかなくて、びっくりしてます」
「一応彼女には毎日言ってるけど」
「嘘でしょ! 事務所でのキャラとまるで違うよ」
 真顔の渡辺さんに河野さんが思わずと言った感じで声を上げる。本当にその通りだ。こういうのをギャップと言うのだろう。

 基さんは私の言葉に満足気だ。どうしてか「柚は可愛いな」と言われ、恥ずかしさで顔が熱い。人前でそういうことをさらっと言うのは本当にどうかと思う。基さん以外に言われてもなんとも思わないのに、基さんに言われると嬉しくて恥ずかしくて照れる。
 基さんはちゃんと言葉にしてくれるから、基さんと釣り合わないんじゃないかって気持ちが膨らみきる前に萎んでしまう。私でもいいのかなって思わせてくれる。

 基さんが頭の上に手を乗せてぽんぽんと二度撫でた。
「もーぅ! かなり羨ましいんですけど。私も彼氏欲しい! 可愛いって言われたい!」
 河野さんのお腹の底から絞り出すような声に、渡辺さんが見たこともないほどの笑顔を見せた。本当に今日の渡辺さんは事務所にいるときとまるで違う。河野さんもだ。話してみないと分からないものだと思う。

 ふと、思い浮かんだ。山木さんも話してみれば違うのだろうか。でも、あんな風に一方的に言われて、話してみようとは思えない。ああいう言い方の人ではあるのだろうけれど。
 どうかした? と少しだけ首を傾げる基さんを見たら、浮かんだ思いはどこかに消えた。