隣にいる人
第十話「ただいまぁ」
「ちょっとお姉ちゃん! 暢気に『ただいまぁ』じゃないでしょ!」
「お邪魔しまぁす」
「ちょっとお姉ちゃんの彼氏? 暢気に『お邪魔しまぁす』じゃない!」
「香ちゃん、今日お休みなの?」
「そんなことどうでもいいでしょ! 何でそんな暢気なの! また粘着男に好かれて!」
基さんと一緒に実家に帰ったら、まだ誰もいないだろうと思っていたのに妹が怒りながら出てきた。
「香ちゃんこれお土産。基さんが買ってくれたの。すごく美味しいんだよここのお菓子。で、これはそのお店のケーキ。お土産にって持たせてくれたの」
黙った。彼女は甘い物が大好きなので、怒っているときはそれを与えると静かになる。
「お姉ちゃん。誤魔化そうとしてもダメだから」
「基さん、妹の香です。香ちゃん、お付き合いさせて頂いている加藤基さん」
互いに初めましてをしている二人を見ていたら、奥から妹の彼が出てきた。
「陽平君? お店お休みにしたの?」
「香が一人じゃ不安だって言うから」
香ちゃんが「そんな事言ってない」って文句を言っている。陽平君と香ちゃんは二人で小さな洋食屋さんを開いている。
「初めまして、高坂陽平です。加藤基さんって、まさかセルトレの加藤基さん?」
「あぁ、そうです。よくご存じですね」
「マジか! 俺スゲー嵌まったんですよ、あれ」
「陽平、お姉ちゃんの彼氏知ってるの?」
「知ってるも何も、超有名人だぞ。学生時代に趣味で作ったソシャゲが大当たりしたんだよ」
陽平君がこんなに興奮するところなんて見たことないかも。そんなにすごいゲームだったの? 思わず見上げれば、基さんは苦笑いしている。
「大当たりって程でもないよ。中当たりくらいだよ。あの頃はまだそれほど数も多くなかったし」
「そんな訳ないじゃないですか! 俺の周りみんなやってましたよ」
「あんたたち、お客さんを玄関で立ち話させてないで頂戴」
「あっ、お母さんおかえり」
「おかえりは柚でしょうが」
呆れた顔した作業着姿の母に、基さんが丁寧に挨拶をしている。香ちゃんから聞いていたのか、母は落ち着いたものだ。
「とりあえず、上がって頂戴。お父さんもあと一時間もすれば帰ってくるから」
「お父さん、定時ダッシュ?」
「そう。丁度役場に用事があったから、周りにも柚が結婚相手連れてくるから定時で帰らせるようにって念を押してきたわ。大急ぎで帰ってくると思う」
やめて欲しい。そんなことされたら町中の人に知れ渡る。
文句を言おうと口を開きかけたその時、パンパンと手を叩き、自ら先に長靴を脱いだ。
「おしゃべりはあと。全員リビングに集合。私は着替えてくるわ」
そう言って、母はさっさと奥に消えていった。
呆れた顔の香ちゃんが、基さんにスリッパを勧めている横で、自分で取り出したスリッパを履いて、揃ってリビングのソファーに落ち着く。
実家はリビングとダイニングの間がオープンキッチンになっていて、そこで陽平君がお茶を用意してくれる。手伝おうとしたら「いいから」と断られた。香ちゃんは当たり前のように陽平君に任せている。
「ねえねえ、ついに陽平君も一緒に住んでるの?」
「まだ。でも入り浸ってはいるから勝手知ったる、だよ」
陽平君はクラスが同じになったことはないけれど私の同級生で、色々事情があって高校生の時から一人暮らしをしている。どういう出会いがあったのかは教えてくれないけれど、香ちゃんがうちにご飯を食べさせるためによく連れて来ていた。時々そのまま泊まっていくこともあって、父の書斎が陽平君の部屋化している。二人の交際はその頃から両親も認めていて、いずれ結婚する予定だ。
「ユズ、ケーキ食べてもいい?」
「いいよ」
嬉しそうな顔でケーキの箱を開けた陽平君が、目を輝かせた。陽平君も甘い物は大好きだ。
「ホールじゃん! ちょっ、なにこのメッセージ! おばさーん、ちょっと見てー」
陽平君の様子に、何だろうかと基さんと顔を合わせ、キッチンにケーキを見に行くと、チョコレートのプレートに「あなたのやさいのファンより」と書かれていた。隣から吹き出す音が聞こえる。
「基さん、知ってました?」
「まさか。でも受け取る時に蓮がやけににやにやしてたから、何かあるなとは思ってたんだよ」
作業着から着替えてきた母がそれを見て喜んだ。基さんの友達の奥さんが作ったケーキだと教えたら、その目がきらりと光る。嫌な予感。
「表の車、基さんのでしょ? 帰りにお友達の分も野菜も持ってって」
やっぱり。こうなると何を言っても無駄なので、香ちゃんと顔を見合わせて口を噤んだ。
みんなでケーキを食べているうちに、日がとっぷりと暮れて父が帰ってきた。ご飯の準備は陽平君がしてくれると言うので、陽平君が食事を作っている傍ら、ダイニングに集まって基さんの話を聞く。
まずは二人がお付き合いしていること、結婚を認めて貰いたいことを話すと、あっさりと了承された。香ちゃんまでニコニコ笑っている。
「よかったわぁ。香には早くから陽平君がいてくれたから安心してたけど、柚は奥手な上に変な人にばっかり好かれるから不安だったのよ」
両親揃って肩の荷が下りたみたいな顔をされる。娘としては色々複雑だ。基さんを見れば顔に疑問を浮かべていた。
「変な人、ですか? そう言えばさっきも粘着男って」
「お姉ちゃん、何って言うか、粘着系に好かれるんですよ」
「だからあの通勤服? あれ選ぶの大変でしょう?」
「分かります?」
「似合わないと逆に目に付くからね。柚の魅力を上手く隠しているのに似合わない訳じゃないってのがポイント高い」
うんうんと頷く香ちゃんが満足そうににたりと笑う。
「休日のお姉ちゃんは可愛いでしょ?」
「あれも香さんが選んでいるんでしょう?」
「お姉ちゃんって自分の事まるで分かってないから、選ぶ服がダッサいのなんのって。田舎者ですらダサいと思うようなおばさんくっさい服とか平気で選ぶんだから。今日のその組み合わせだって選んだのお姉ちゃんじゃなくて基さんでしょ? お姉ちゃんはそんな可愛い組み合わせは出来ないもん。可愛い服をダサく着る天才だから」
人の悪口を楽しそうに話すのはやめて欲しい。隣で両親まで頷いている。
「でも、そういう格好しているとお姉ちゃん、変な人に目を付けられるんですよ。ほらここ、すぐそこが有名な観光地だから」
「田舎娘の物珍しさから声をかけられるだけだと思うけど」
「ほらね、自覚ないし。どんだけ陽平が追い払ったことか」
それを聞いた基さんが、改めて山木さんのことを話し出す。話が進むうちにみんなの眉間に皺が寄り、腕を掴まれたところで母と香ちゃんが怒りだし、防犯カメラのところで父とキッチンで聞き耳を立てていた陽平君が唸った。
会社の人に事情説明をする際、お付き合いしていると言うだけでは立場が弱いからと、婚約者として話をしていることも付け加えた。
思わず、なるほどと思っていたら、香ちゃんに呆れた目で見られてしまった。
「ですので順序が逆になるのですが、一足先に柚さんと一緒に暮らすことをお許し頂きたく──」
「さっさと結婚しちゃいなさいよ。そのつもりなんでしょ、二人とも」
基さんの言葉を遮る母は、まるで追い払うかのようにほれほれと両手をひらひらさせている。
「私はむしろその方が安心なのですが……、よろしいのですか?」
「よろしいも何も、そう言うことは二人で決めることだからなぁ。私たちは君に何の不満もない」
父が母や香ちゃん、すっかりうちの家族の一員になっている陽平君を見渡しながらそう言えば、みんなも笑顔で父の言葉に頷く。それに僅かに目を瞠った基さんが、少しだけ上擦ったような声を出す。
「お目にかかったばかりなのに?」
「柚が連れて来た人だからね。柚は君を心から信用しているようだし、私も君自身を信じられる。何よりマニュアルに乗っているだろう?」
父の言葉に、一瞬きょとんとした基さんがすごく嬉しそうに笑った。釣られるように私まで笑顔になる。
知らなかった。自分の好きな人が家族にも認められるって、こんなにも嬉しいことだなんて。基さんのいいところをもっともっと知って欲しい。
……ただ、マニュアルに乗ってるかどうかは正直どうでもいい。父はマニュアルにものすごくこだわる。母や妹、私も相手にしないからか、陽平君が犠牲になってしまっている。
「これから末永くよろしくお願いします」
頭を下げる基さんに、慌てて同じように頭を下げた。
陽平君が用意してくれたお鍋をみんなで囲みながら、春まで今の事務所に勤め、その後は基さんの会社で働くことを伝える。
「基君、会社起こしているのかい?」
「ええ。小さな会社ですが、ReMontoと──」
「ReMonto! うちの店の家具そこでオーダーしたよ!」
陽平君の叫びにびっくりした。見れば基さんも驚いた顔をしている。
「そうなの? なんだ。知ってたらお友達価格にしたのに」
「今からでも……」
「只今からのご注文はお友達価格となります」
棒読みの基さんの声に、陽平君ががっくりと項垂れた。香ちゃんがぽんぽんと陽平君の肩を叩き「せこい事言わない」と笑っている。
そこで基さんが、自分の事を話し出した。
両親が海外に移住していること。一人っ子なこと。お母さんがスウェーデンとのハーフで自分はクォーターであること。国籍は日本で、言わなきゃ気付かれないこと。学生の時に面白半分で作ったソーシャルゲームがそこそこヒットしたこと。就職してすぐにお祖父さんの遺産を相続したこと。色々周りと相談してその半分を売却し、マンションを二棟建てたこと。そのことで勤めていた会社の人から色々やっかまれ、それがあまりに酷くて会社を辞めたこと。辞めるときに入社前に開発したゲームの権利で揉め、結局その権利を売却したこと。春には負債がなくなること。フリーでSEの仕事もしていること。
聞いていたことと聞いていなかったこと。その背が高い理由が分かった。ブラウンの髪も地毛だそうだ。言われてみれば肌も白っぽいような気がする。フリーになった理由や、基さんがあれほどまでに高橋さんを褒めていたのは、過去に色々あったからなのかもしれない。
「ですので、柚さんに贅沢はさせてあげられないのですが……」
「都会の人の金銭感覚は私たちとは違うから」
思わず声を上げると、どういう訳か香ちゃんも母も、分かっているわと言いたげに頷いている。
「だってお姉ちゃんがしてるアクセサリー、どう見ても高価だもん」
「香ちゃん分かるの?」
「お姉ちゃん分からなかったの? だってそれダイヤでしょ? 輝きが違うもん。どうやって色付けてるのかは分からないけど」
「いやね、ピンクダイヤよ。普通のダイヤより高価だから」
「お母さん知ってるの?」
「お母さんだってテレビに出るときは綺麗な格好をしています。いつも作業着なわけじゃないんだから」
何故か胸を張る母は、一応地元では美人料理研究家で通っている。あくまでも地元では、だ。田舎の美人と都会の美人は明らかにレベルが違う。確かに娘から見ても綺麗だとは思う。母に似た香ちゃんもすっとした美人だ。愛嬌ある顔の父に似た私は、時々は母や香ちゃんと似ていると言われることもあるので人並みだと思いたい。
タヌキ顔の父がぼそっと呟いた。
「結婚二十五周年だからダイヤ買えって煩かったんだよ。そん時に知ったんだろう」
「それ去年だよね、買ってあげたの? お父さん」
「買わないわけにいかんだろう? 買わなかったら何言われるか」
「奮発したねぇ」
「おかげでしばらく貧乏だったんだよ、俺一人」
「柚も二十五周年にダイヤいる?」
「いりません。ひとつで十分です」
「母さんも結婚したときはそう言ってたんだよ」
父と基さんの三人でぼそぼそ話していたら、いつの間にか席を外していた母が「じゃじゃーん!」と言いながら手の甲を突き出す。その指にはダイヤらしき物が輝いている。
「これ買って貰ったの!」
「うわぁ。可愛い! 可愛いけど……ハートのダイヤってどうなの? お母さんには可愛すぎる」
「いいでしょ。可愛いんだから」
「ってか、銀婚式って去年でしょ? 去年買って貰ったんじゃないの?」
「去年買って貰ったの。一年間一人でにやにや見て十分堪能したから、本日ついに御披露目することにしたの。じゃじゃーん!」
母と妹のやりとりに、父が重い溜息を吐いた。
「基君も陽平君も、二十五年後を見据えてこつこつ貯めておいた方がいいぞ。銀婚式だから銀でいいだろうって言ったら盛大にむくれたからな」
基さんと陽平君が顔を見合わせ、神妙な顔で頷いていた。
だから、これ以上はいらないからね。目にその意味を込めて基さんを見ていたら、分かったと言わんばかりに頭の上にぽんと手の平を置かれた。あれ? ちゃんと伝わってる?
翌日、蓮さんのところに実家から持たされたダンボール三箱分の野菜を持って行ったら、喜びながらも大笑いされた。
「多すぎ。嬉しいけど、多すぎる。うち二人なんだけど」
思いっきり笑いながらそう言う蓮さんに、基さんが「うちだって三箱だよ。ただでさえ柚の部屋にまだ野菜あるのに」と渋い顔をしている。
昨日の帰り際、張り切った母が勝手に基さんの車に野菜を積んでいた。そんなにいらないと言う言葉は見事に聞こえないふりで。有難いけれど、ちょっと迷惑。誰と物々交換したのか、その内の小ぶりなひと箱に詰まっているのはレンコンだ。基さんが「蓮、レンコンだよ、レンコン」と蓮さんをからかい、子供みたいに笑っている。
「蓮はポッケに持って行けるだろう? 実家に持っていくって手もあるな。俺は雅んとこ持って行くかなぁ」
「男の一人暮らしに野菜持ってってもなぁ。雅のお姉さんのとこは?」
「雅さん一人なんですか?」
雅さん、モテそうなのに。思わず口を挟んでしまった。
「一人なんだよ。誰かいい子いない?」
「えっと、河野さん?」
「ああ、あの綺麗な子。確かに雅の好みだったね」
蓮さんが思い出すかの様にそう言えば、基さんもそれに頷いている。今度会ったときに河野さんに聞いてみよう。そもそも河野さんが今フリーかどうかも分からない。
基さんが家で仕事しているときは、基さんの家の荷造りを、打ち合わせで出掛けているときは自分の部屋の荷造りをしている。荷造りと言ってもダンボールに詰めたりしているわけではなく、使わない物から隣のマンションに運んでは片付けている。
隣のマンションは2LDKと聞いてはいたものの、それは賃貸とは思えないゆったりとした間取りで、公園が見渡せるLDKは二十畳ほどもあり、八畳の部屋と六畳の部屋にはそれぞれ一間分のクローゼットがついている。お風呂は今までよりも広くなり、洗面スペースはトイレと洗濯機置き場を兼ねた賃貸とは思えないほどのお洒落な空間だった。家賃が気になる。
ただ、エレベーターなしの四階はキツイ。二階までは難なく上れる。三階まではちょっとだけ頑張りが必要。四階は本気の頑張りが必要だった。一日何往復もしながら階段を上り下りしていると、これはもう何かの訓練だとすら思える。
金曜日、うっかり夕食の仕度もせずにうたた寝どころか本気で寝入ってしてしまい、帰ってきた基さんに随分と心配されてしまった。
「やっぱり四階はキツイ?」
「今日は多分十回以上往復したんです。さすがにふくらはぎが痛くなりました」
不意にふくらはぎに触られた基さんの指に、心臓がどくりと音を立て、体がひくりと震えた。基さんとエッチをして以来、不意に触れられると体が過敏に反応する。それがすごく恥ずかしい。
「別の場所にする? 今隣は他に空いてる部屋ないんだよ」
「大丈夫です。お隣が蓮さんのお宅なので安心ですし。普段は十往復もしませんから」
恥ずかしさを誤魔化すように少し早口になってしまう。お隣の家賃は基さんの場合、管理費だけを払えばいいそうだ。
「来週末に大物を運び出す予定になってるから。蓮が手伝ってくれる。雅はクリスマス前だから忙しいらしい。代わりに山本と渡辺が手伝いに来てくれるって」
「それって、あの山本さんと渡辺さん?」
「そう。引っ越しの話をしたら手伝いに来てくれるって言うから、丁度いいと思って頼んだんだ。嫌だった?」
「いえ。嫌じゃないんですけど、いつの間に仲良くなったのかなって」
「あいつら、うちの会社に興味があるみたいで、色々聞いてくるんだよ。普段はスカイプでやりとりしてる」
知らなかった。男の人同士っていつの間にか仲良くなっている気がする。そう言えばうちの父と陽平君もいつの間にか仲良くなっていてびっくりしたっけ。
「もしかして起業したいのかな、あの二人」
「あの二人、同期の中でも別格なんです。すごく優秀みたいで、それぞれ在学中にいくつか賞を取ったりしてますし」
「渡辺って、あのアメリカの有名な工科大をスキップで入学してちゃんと卒業してからこっちの大学に入り直してるんだろう? しかも編入じゃなくて」
「そうみたいですよ。山本さんは日本一の芸術大学の院生だったみたいですし」
二人とも賢いのにそれをひけらかさないのがすごいと思う。ちょっと変わったところもあるし、話について行けないことも多いけれど、それは私が色々残念だからだと思う。基さんは二人との会話は楽しいらしい。つまり基さんも賢い人なのだろう。