大地の記憶
07 Tertius et Octāvus アクアリウム—Aquarium無人島に何を持って行くか。
それを参考にした。
「なんですか、この大荷物は」
「見ればわかるでしょ。お土産」
朝早くから完璧な遮蔽で姿を隠しながら訪ねてきた代理教師は、指示された通り庭の手入れをしていた父にこっそり声をかけ、何食わぬ顔の父と一緒に玄関から入ってきた。
初めて見た私服はこれまた黒尽くめで、微妙な気持ちになる。黒が好きだとは思えない。私なら白尽くめになろうとは思わない。むしろ避ける。実際に私の部屋も服もカラフルだ。なぜにそこまで黒にこだわるのか。
そして、玄関で派手に存在を主張している山積みの段ボール箱を見て、ほんのわずかに眉をひくりと動かした。なんとなく勝った気になって気分がいい。
「いいですか、身に着けているものくらいしか持ってはいけません。ポケットに入れるか、せめて身体にぴったりと沿うような鞄に入れてください。あれはまだ覚醒したばかりだと言いましたよね」
どうして呆れだけはこうもはっきり伝わってくるのか。一緒に用意してくれた母にまで「ほらみなさい」と呆れられた。
彼が訪ねてくるのはこれが三回目。数日前、両親に私を第八世界に連れて行くことの許可を取りに来ている。
二人とも最初は渋ったものの、私が「行ってみたい」と口にしたその一言で、最終的には折れてくれた。
両親の心配と信頼を感じ、この世界で生たいという思いは強まるばかりだ。
勝手に連れ出して勝手に戻って来たとしても、タイムラグは生まれない。きっと両親は気付かないだろうに、わざわざ許可を取るのはどうしてなのか。霧島と名乗る男の考えていることがわからない。
両親に、彼が信用できるかを問えば、「あれほどの存在なら、優羽を一方的に別の世界に連れて行くこともできるだろう?」と、逆に訊き返されてしまった。確かに、私の意思など関係ないだろう。
信用できるかどうかはわからないものの、少なくとも私の意思を尊重してくれているのは間違いない。
「どうしても無理?」
「どうしても持っていきたいのですか」
頷けば、小さくため息をつかれた。
それは、呆れているというよりも、仕方がないと言いたげなため息。
「中身はなんですか」
答えた中身のうち、半分どころかほとんどは必要ないことがわかった。ティッシュにトイレットペーパー、生理用品は第八世界では必要ないらしい。
「なんでそんなこと知ってるの?」
「知っているからです」
はぐらかされたことにむっとしながらも、それ以上を聞いてしまえば逃れられなくなるという本能に従い口を噤む。
第八世界は、元第一世界の影響を色濃く残している。元々、今の第一世界と第二世界は、世界としての括りには入っていなかった。
元第一世界は第八世界へと移り、第三、第四、第五、第六、第七世界は、かつて繋がり合っていたそれぞれの世界の影響を適度に受けながら、独自の進化を遂げている。新たに生まれた第九世界は第三世界とほぼ同じだと聞いている。
そういえば、第二世界については聞いたことがないような。第二が遍在することしか知らない。
リビングに場所を移し、これはいる? いらない? をしばらく繰り返し、荷物を最小限に減らした。荷物の大半を占めていたペーパー類がなくなったおかげで、父に借りた大きめの黒いバックパックになんとか入った。
「霧島さん、これも大丈夫かしら?」
母におせちのような三段重を渡され、一瞬動きを止めた彼は、やはり小さくため息をついた。
「それが入る鞄はありますか。できればあれと同じような」
指さされた父のバックパックを目にし、急いで自室に取りに行く。
持ってきたパステルグリーンのバックパックに横にならないよう慎重に三段重を入れ、ついでに冷蔵庫の中から醤油と味噌とマヨネーズを持ってきて入れると、眠そうな顔の眉間に縦皺がはっきりと刻まれた。
「調味料は無駄です。あそこでは食べ物が限定されていますから」
しょぼくれて冷蔵庫に戻している後ろで、母が笑いを堪えながら口を挟む。
「お塩やお砂糖の方がいいんじゃない?」
「ええ。まだその方が喜ぶでしょう」
まだ、を強調された。感じ悪い。
母が塩と砂糖の買い置きを用意してくれ、父が「結構重いぞ」と零しながら鞄に詰めてくれた。
「結晶を外してください」
胸元を指さされながら言われた言葉に、咄嗟に拒否すべく首を振った。第八はともかく、その半身は日本人だ。私の本来の姿はきっと嫌悪される。
「大丈夫です。そのままの姿を私が保ちます」
「本当?」
「ええ。あなたの本来の姿をあれらに見せる必要はない」
抑揚のない声にこれほど安堵したことはない。温度のない平坦な声だからこそ、信用できるような気がした。
「お願いします」
そう言葉にすると、眠そうな目がわずかに細められる。
外した血の結晶をリビングのテーブルの上に置く。
外しても視界に入る髪が黒い。ほっとして眠そうな顔に感謝の眼差しを向けると、ひとつ頷き返された。
「行った瞬間には戻って来ますから、ご心配なく」
そう両親に声をかけ、大きい方のバックパックを担いでくれる。三段重の入ったバックパックを母が揺らさないよう静かに背中に担がせてくれた。重い。
玄関に移動し、コートを羽織ろうとして、必要ない、と止められる。実際に彼も真っ黒なトレンチコートをうちのコートハンガーに預けたままだ。
「触れます」
互いに靴を履くとそう前置きし、まるでエスコートするかのように手を差し出した。
いざとなると気後れする。
よくわからない強い不安に襲われる。けれどその根拠は自分の中のどこを探してもなくて、単に初めてのことだからだと自分に言い聞かせた。
一度両親を振り返り、二人にも見えるほんの少しの不安を見て、同じ不安を感じているのだと少しだけ肩の力が抜けた。
意を決して、差し出されていた手のひらにかすかに指先が触れた瞬間、景色が変わった。
「本当に来た」
聞こえてきた声と同時に、指先だけが触れていた手が離れる。
すぐ目の前に、色素の薄い、白を纏う男女が驚いた顔で立っていた。背後の緑に白っぽい二人がくっきりと映える。
「久しぶり」
一瞬、誰に言ったのかがわからず、第八だと思われる男性と、自分の隣に立つ男の間で視線を彷徨わせていると、第八の横に立つ半身だと思われる女性も、同じように「久しぶり?」と、こっちは語尾を上げながらも、間違いなく隣に立つ男に声をかけた。
私と同じくらいか、少し年上に見える二人。並び立っていることが自然で、二人でひとつという印象すら受ける。雰囲気が同じだからだろうか。
「知り合い、なの?」
思わず呟けば、答えてくれたのは第八だった。
「ああ、うん。彼とは同級生なんだ。えっと、はじめましてだよね。俺はひかり、彼女はのぞみ」
人懐こくにこやかに挨拶され、戸惑いながらも反射的に「はじめまして、優羽です」と、口が勝手に答える。
聞いていた名前とは違うことに首を傾げるも、今聞かされたばかりの呼び名と目の前にいる二人に違和感はない。きっとそれが彼らの本当の名前なのだろう。
隣の男を見上げると、やけに普通の表情をしていた。寝ぼけてもいない、人間らしい表情。
なんだか色々わけがわからない。
「説明して?」
訝しみながら口にすれば、にっこりと笑顔を返される。今までのぼんやりした表情とのギャップに思わず顔が引きつった。
「説明も何も、彼の言った通りです。私は彼らと同じ高校に通っていました」
おまけに、しれっと返された言葉に頭を抱えそうになった。
どうして当時組織の監視下にあったはずの第八と、それに敵対している霧の一門である霧島本家の三男だと名乗ったこの男が同じ高校に通えるのか。色々前提がおかしい。
そもそも──と、頭の中で計算する。
二十代後半の穂住ちゃんの後輩のこの男は、見た目通り二十代後半から半ばだとして、第八がこの世界に還ったのは確か十年ほど前だから、同級生なのは頷ける。けれど、義理の姉が射殺されたのは私が生まれる前だ。彼女を射殺した男を隠していたとして、この男はまだ子供だったはず。
ゼノたちのように第三世界の時空に逆らって存在しているのかと思っていた、その考えが覆される。ちゃんと第三世界で成長している。それなら逆におかしい。どうして覚醒前の子供が、組織の監視すら誤魔化せるほどの、第九すら誤魔化せるほどの高度なコマンドが使えるのか。
「ねえ、覚醒したのいつ?」
「私は覚醒しません」
あ、聞かなきゃよかった。
「それ以上はいい」
もうやだ。この男の存在が怖い。まだ知らなくていい。私はまだ覚醒したくない。
目の前で第八とその半身も小声でやりとりしている。聞こえてきた半身の声は、透き通るようなきれいな音。
「誰だっけ? 見覚えあるけど、名前が思い出せない」
彼らの背後には緑の木々。まるで多方向からいくつもの淡い照明が当てられているような、不思議な世界。
足元を見れば影がない。踏みしめている草は柔らかく、わずかにそよぐ風に匂いはない。見上げた空は淡い光のベールに霞んでいた。それになんとなく安堵する。
初めて来た別の世界。
直前まであったよくわからない不安はきれいさっぱり消え、残ったのはとてつもない感動だけ。
すごい。別の世界だ……。
静かにじわじわと興奮してくる。自分が別の世界の生きものだと聞いていたとはいえ、実際に別の世界の存在を認識したことなどない。
その別の世界に、今、立っている感動といったら……。興奮からか、体中がむずむずしてじっとしていられない。ついきょろきょろと辺りを見渡してしまう。
「のぞみどんだけ興味なかったの? 霧島だよ、ほら、前に話しただろう? 閉所恐怖症って俺のこと庇ってくれたヤツ」
「ああ、カラオケの?」
小さな泉のほとりに立つ小さな木の家が、彼らの住処なのだろう。ぐるっと周りを木々に囲まれた森の中の小さな一軒家。まるで童話の中の世界だ。素朴な造りが妙にかわいい。
「そうそう」
「でも、どっから見ても閉所恐怖症って感じじゃないよ?」
ゼノたちから聞いていたパラディススは、砂漠のオアシスのようなものを想像していた。近いといえば近いけれど、遠いといえば遠い。なんだろう、瑞々しく明るいのに鮮やかさが一方的だ。まるでアクアリウムのような不自然さ。
ああ、不自然だと感じるのは第三世界を基準としているからか。
「だよなぁ。なんか高校の時と印象が違う。あの頃いっつも眠たそうにしてたじゃん」
「じゃん、って言われても……憶えてないよ」
隣の男を見上げると、なに? とでも言いたげな表情で見下ろされる。いきなり表情がわかりやすく現れたことに、全ての感覚がついていかない。違和感が半端ない。
目の前の二人に視線を移すと、それに気付いた彼らは慌てて口を噤み、取り繕うかのようにひかりと名乗った第八が笑った。のぞみと紹介された半身は、訝しむような目で同級生であろう男を見上げている。
思わず、わかる! と声をかけたくなった。隣に立つ男はどうにも胡散臭い。
「そもそも、なんで霧島はここに来れんの? なんで俺にコンタクトできんの?」
それに隣の男が自分を指さし「第五」と、次に私を指さし「第七」と、単語ふたつで答えた。
久しぶりに会った同級生ならもっと言い方ってものがあるだろうと思いながらも、この男らしくて呆れより腑に落ちてしまった。それに衝撃を受ける。いつの間にかこの男の存在に慣れてしまっている。思いっきり舌打ちしたくなった。
「え? 仲間?」
驚いたように目を見開いている第八のお気楽な感想に、軽く目眩を覚えた。
私はともかく、隣に立つこの男は「仲間」などというお気楽な存在じゃない。