大地の記憶
41 Septimus 継承—Inheritance全ての浮遊する大地の最も高い位置に統治の大地は在る。
中央にそびえ立つ世界樹の周りには、浮遊する大地に生える巨木と同じ色と数の若木が適度な間隔で生えていた。それは、この世界の全ての色のスペア。
天気雨のように降りしきる煌めく雫は、統治の大地に生える世界樹が生み出す露だ。その透明な露が光り、まるで星のように辺りを照らしている。離れた場所から見れば、世界樹そのものが光っているように見える。この世界の光そのものにも見えた。
大樹から滴り落ちた瞬間、その光度をゆっくりと落としながら腐敗の大地に堕ちていく。それとも還っていくのだろうか。
この統治の大地が世界を巡ることで、昼と夜がつくられている。
第三世界の昼と夜という概念がここに当てはまるのかすらわからない。ここは第七世界だ。
ちなみに、統治の大地には誰もいなかった。それはそうだろう。生まれた直後まで巻き戻された私がそのまま第三世界に連れて行かれていたなら、代わりに統治する者はいなかったはずだ。
何かしらの思いが過ぎるかと覚悟していたものの、特に何も浮かばなかった。初めて見た景色に対する思いしかない。記憶がないとはある意味爽快だ。
見渡す限り生きものの気配はないのに、統治の大地を取り戻すとはどういう意味か、そう思いながらその大地に降り立てば、その瞬間、世界との繋がりが一層強まった。同時に世界が歓喜に震える。
主の降臨。
そんな意思のような波動が世界を震わせた。
世界の号哭。
世界に繋がりしものがようやく正しき継承を取り戻した。
世界中から安堵のため息のようなささやかな音が、大きなうねりとなって大気を揺らす。
ここに棲むものたちの無意識下の吐息は、世界に繋がった私に浅くも深く、小さくも大きな、決して忘れ得ぬだろうあらゆる情動を一度にもたらした。
嬲られ命を落としていった全ての第七たちの想いが、心ともなく涙となって溢れていく。
吸い込んだこの世界の大気が肺を満たす。
広げた純白には漆黒の縁取り。そこから零れる微細な煌めきが、風にのって世界中に降り注いだ。
「どうなのこれ!」
それは、第八世界のパラディススと同じだった。同じと言うには語弊がある。淵源の位置に世界樹が生え、二人の家と同じ、かつ、あれよりもっともっともーっと老朽化した家がぽつんとあった。素朴を通り越してもう廃屋と言ってもいいほどの、ほんの少しでも力を加えたらあっけなくぱたんと倒れそうな、それはもう頼りなさ過ぎる小屋。
統治の大地というからには、お城か神殿、それに近い立派な建物があるのかと思っていた。パラディススがあれほど豪華なのだからひそかに期待していた。それなのに、そこにあったのは今にも崩れそうなボロ屋。
統治者ってなんだろう。第三世界的な王様とか大統領とか、それ系ではないのか。統治者は権力者ではないのか。権威と権力の違いなのか。
もうなんだかよくわからなくなった。とにかくこのボロ屋に住むのは無理だ。
「天哉さん。この家の時を巻き戻すことはできますか。できればせめてひかりさんたちの家くらいまでお願いしたいのですが」
私の横でくつくつと声を殺して笑っている彼に嫌みたらしくそう言えば、「お安いご用で」と返された。
久しぶりの全解放の漆黒。
あの時のような畏れを感じることも、抗えないほどの何かを感じることもない。ただ、愛おしさと憧れのような想いがこみ上げる。
「ちょっとだけ、先に抱きついてもいい?」
そう言いながら手を伸ばせば、その手を取られ、引き寄せられ、ぎゅっといつもの強さで抱きしめられた。
言い知れない感動がこみ上げる。
この存在に触れることは叶わないと思っていた。
「優羽は、当たり前に私を受け入れるな」
抱きしめる腕に力が込められる。
「なんで?」
「強くないのか?」
「前は強かったし畏れみたいなものも感じてたけど……今は激しく感動中。全部の天哉に触れられるって思えなかったの。触れたら壊されるんじゃないかって思ってた」
「壊されるんだよ。普通の存在は」
「ん。でも、私は壊れない。ずっとこうしていたいくらい。なんだか、しみじみ感動する。覚醒してよかったぁ」
すごい。自分の存在がすごい。こうして触れることができるようになった自分がすごい。
「この全部の天哉の精をもらったら、私って壊れる?」
「いや。壊れないだろう。だが、おそらく第三世界でいう百年単位の眠りが必要になる」
それほど強いのか。取り込むだけで百年って。
「もうちょっと後でもいい?」
腕の中から見上げながら言えば、くつくつと漆黒が笑った。
人のときよりも瞳が大きく黒目がちだ。それでも白目があることにちょっとした感動を覚える。ちなみに歯も白い。きっと骨も白いのだろう。漆黒の中にある白を見付けるたびに、どうしてか自分の存在がそこにあるような気がして嬉しくなる。
「百年の眠りを一日に変えることもできるが、そういうことではないのだろう?」
「うん。今は百年も寝ちゃうの勿体ないもん。いい加減天哉の存在に慣れた頃なら、いいかなって思うかもしれないけど、その頃ならきっと百年もかからないでしょ?」
「そうだな」
「だったら、そこまで我慢する」
「我慢なのか?」
「我慢だよ。だって全部欲しいもん。欲張りだからね、私」
いつか全部欲しい。それは取り込まれるのではなく、私は私のまま、全部の彼を手に入れたい。
頬をすり寄せるその胸が、当たり前に呼吸を繰り返し、共鳴する鼓動を響かせる。
この世界で全解放できるのは、半身である私がいるから。私の繋がる世界だから。それが誇らしくて仕方がない。きっと誰にもわかってもらえないだろう感動を一人しみじみ噛み締めた。
彼に時を巻き戻され、ほぼ新築とっていいい状態になったそこは、本当に何もかもが同じだった。
小さなテーブルひとつにスツールふたつ。似たようなラグに納戸のような寝室。
うちの実家も天哉のマンションと比べたらそれなりに狭小と言われるような家だったけれど、ここまで狭くはない。あの二人は本当によくこんな狭い家で四六時中寄り添っていられるものだ。改めて尊敬する。喧嘩したらどうしよう。
「ここに大きなソファー置いたら、それだけで三分の一は空間が潰れるよね」
「寝室にある小振りな方にするか?」
「でもあれだと天哉は足伸ばして寝っ転がれないでしょ?」
「私はそもそも寝っ転がらない」
確かに。彼はいつも何気にきちんとしている気がする。だらだらしているのは私だけだ。少しだけ反省した。
「なんだか、パラディススより寒いね」
「そうだな。核の大地から離れるほど気温が低くなる」
ここでも気温でいいのか。そんなどうでもいいことが浮かんだ。確かにあの清浄な空間は裸でも快適だった。
第三世界では梅雨前の夏かと思うほどの陽気だったので、今日はふわっと膨らんだ七分袖に膝丈のひらっとしたスカートだ。彼と一緒に居るようになって、スカートをよく履くようになった。少しでも女の子だと思われたい。ちなみにこのスカートは初めてのデートのときに彼が買ってくれたものだ。嬉しくてこればかり履いている。
おかげでここまで飛ぶときに下着が見えてしまいそうで、スカートの裾をしっかり膝の間に挟んで飛んだ。かなり情けない姿に自分でもがっかりした。だからここに棲むものはみんなタイトなマキシ丈だったのかと、その合理性に納得した。
肌寒さを感じて無意識に腕をさすっていたらしく、いきなりシャツのボタンを外し始めた彼が脱いだシャツを羽織らせてくれた。ぬくもりの残るシャツがなんだか恥ずかしい。
下に着ていたVネックのTシャツ一枚になると、筋肉がはっきりと浮かんで妙に色っぽい。
彼に出逢うまで男の人の身体にも筋肉にも興味がなかった。けれど、こうしてしっかりついている筋肉が妙に色っぽいと思うのは、そういう関係だからだろうか。裸になっているわけでもないのに、なんだか妙に照れくさい。それなのに触りたくなって困る。筋肉のでこぼこを指先で確かめたい。
「そっちの小さな空間を仕切る壁をなくすか? そうすれば少しは広くなるだろう」
「できるの?」
「普通に板を外していく」
なるほど、DIYか。さすがにコマンドでどうこうはできないのか。
なんとなく、彼なら魔法や超能力のようなこともできるのではないかと思ってしまう。完全に第三世界に感化されている自分に呆れる。まあ、時を巻き戻すなんて超常現象以外のないものでもないのだけれど。
と思っていたら、その部分の時を巻き戻しながら板を簡単に外していく。なんて器用な。
ついでに寝室の左右にあった造り付けのシングルサイズのベッドフレームみたいなものも板に戻し、間にあった木の箱のようなものも解体して、今度はそれをひとつになるよう組合わせながら時を進めていく。あっという間に大きなベッドフレームの完成だ。あとは地下のパラディススからマットレスを持ってくればいい。
ここは、かつての第一とゼノが暮らした家に似せて作られているそうだ。作業の合間にそう教えられた。ゼノの想いの欠片なのだろう。ボロ屋とさんざん罵ったことを猛烈に反省した。
八畳ほどのリビングと三畳ほどの寝室がひとつの空間になった。それでも彼のマンションの寝室より狭い。できれば増築したい。
「コマンドって、使い方なんだね」
「あまり何度もやると脆くなる」
へー。面白いというか、なんというか。板が勝手に動き出して組み合わさっていく様は魔法みたいだった。もしかして、魔法の概念はこれから生まれたのだろうか。どう考えても超能力や魔法はコマンドの影響を受けているような気がする。
「私も脆くなった?」
「羽と触角が再生できなくなっただろう」
何気なく言ったひと言なのに、痛みを堪えるかのように顔を歪められたのを見て、慌てて否定する。
「ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないの。私、巻き戻されてよかったって思ってるから」
彼と逢えたことの方が私には余程重要だ。そのせいで歪んだとしても、その歪みを嬲られることで与えられたとしても、憶えていないから別にいい。終わりにされていた方が恨む。
「だから天哉も、巻き戻しは必然だったって思ってね」
「優羽は本当にそれでいいのか?」
「いいよ。またそのこと思い出しそうになったら、それは消していいから。なるべく思い出しても大丈夫なくらい強くなるから」
そう言いながら、自分が歪みきっていることに気付いた。
記憶を消してもいいと思えるなんて、少しおかしい。きっと、この先も私の知らないことは知らないまま、私は彼の隣にいることだけを望むのだろう。それは依存とは違うのだろうか。
祐夏に頼んでおこう。私が取り込まれる前に気付かせて欲しいと。面倒くさいと言いながらも、きっと彼女は頼まれてくれる。
「私は醜いな」
「私だって醜いよ、全部天哉に背負わせて、私だけ心置きなく幸せになろうとしているんだから」
「怖くないか?」
「怖くないよ。それよりも大好きって思うから」
だから、泣きそうな顔で笑わないで。心置きなく笑って。