大地の記憶
40 Tertius et Septimus 想い—Heart「ねえ、祐夏って本当はどこにいるの?」
「どこにでもいるの。それが私の存在ってヤツだから」
「面倒くさくない?」
「面倒くさい。誰にでもできるってわけじゃない」
ごもっとも。私にはきっと無理だ。祐夏が天才なのも頷ける。
両親がいなくなって以降、ずっと第七世界に入り浸っていた。私を優しく縛り付ける存在が消えた途端、あれほどしがみつきたかった第三世界と距離を置きたくなった。
学校をやめてしまおうかと思い天哉に相談したら、強く反対された。きっと両親も反対するだろうとの言葉に、突然、両親がいなくなったことが現実として襲ってきた。
もうどこにもいない、それが心の底を掴んだ。
どれほど泣き喚いても、もう二度と会えない。記憶以外の全てが消えた。その信じがたいほどの喪失感は、気が狂いそうなほど心を抉った。
第三世界が記憶しているはずの両親の夢を、第三世界の生きものではない私が見ることはできない。どうして私は、第三世界の生きものじゃないのだろう。
こんなことなら第七世界にも来てもらえばよかった。そうすれば、ほんの一縷でもこの世界の記憶に刻まれただろうに。
泣きじゃくる私の背を、彼はただ黙って撫でてくれた。そのやるせなさを思えば、いつまでもこんなふうに泣き続けていいはずなんてないのに、涙を止めることはどうしてもできなかった。
ふと気付く。泣き喚けば喚くほど、気持ちがすっきりしていく。そう思ったときには遅かった。
そこがたまたま第七世界のパラディススだったせいか、どうしようもないほどの深い悲しみまでもが美しい想い出へと変えられてしまった。
本来なら時間をかけてゆっくりと癒やされていくはずの感情なのに、それすら醜いものだとでもいうように、清浄なものへと変えられる。
大きすぎる深い悲しみは、時に澱み濁って悪臭を放つかもしれない。けれど、決して醜悪なものではないはずだ。どれほど心に傷みを抱えても、それすらかけがえのないものであり、時間をかけて己の意思で片を付けるべき感情だ。
世界の影響を受けない彼はそれに気付かない。
勝手にすっきりさせられた心とは裏腹に、いつまで経っても流し足りない涙だけがぽとりぽとりと頬を濡らし、それすら清浄なものへと変えられていく。
統合が進んだ第七世界は、第五世界の生きものを受け入れ始めたせいで、世界中に不安と戸惑いが満ちている。
私がそれを当然として第七世界に存在していれば、そこに棲むものの不安や戸惑いが薄れるらしい。いまいち実感は湧かないけれど、何かでのぞみさんにその話をしたら妙に納得されたので、そんなものらしい。
統合に入った第七世界は時の進みが揺らぎ、第三世界に比べて格段に早くなっている。これもそのうち調整しないといけない。第七世界にいるときに一切それを感じないのは、天哉が私の時を調節してくれているからだ。
「祐夏にも半身って現れるの?」
「現れるんじゃない? でもまあ、しばらくはいい。できるだけ全部の世界を楽しんでから、自分の身の振り方を決めたいかなぁ。できれば自分で世界を生み出してみたいし。そしたらさ、優羽の子供にあげる。その世界」
「子供? 私の?」
「そうだよ。何びっくりした顔してんの。もう八割方覚醒したでしょ」
あまりに当たり前に言われたせいで、驚きすぎて言葉もないまま頷く。
購買のパンがこんなにも味気ないとは思わなかった。隣で当たり前のようにパクついている祐夏は強い。正直毎日こんな味気ない食事は嫌だ。だからか、最近食が細くなってきた。元々食べなくてもいい体だ、不自由はない。
両親の存在が消えたのに、私は変わらずこの高校に在籍している。ただし、孤児として。霧島天哉の婚約者としての存在はそのままに。保護者は天哉になっていた。
「だったら、子供もできるんじゃない? すぐには無理だけど」
「天哉もそう言ってた」
「でしょ」
「だって、完全に覚醒するって、食べられるってことじゃないの?」
「完全覚醒はまあ、あれの場合食べられるっていうのとは違うかな。存在がひとつになるんだよ。完全に何もかもが繋がるってことなんだけど、優羽が自分を保つ限り取り込まれることはないから。そうやってちゃんと自分で考えられるうちはあれに任せておけばいいんだよ」
それまでへらへらと笑っていた祐夏が急に真顔になって声を潜めた。
「でも、自分で考えられなくなって、その上であれに全てを任せるようになったら取り込まれるから気を付けて」
それ以上は言えない、そう祐夏の目が物語っていた。
取り込まれることが想いの最終地点だと思っていたけれど、祐夏の真顔を見ているとどうやら違うらしい。気を付けろと言われるようなことなのだろう。
どうやら現状が最高地点のようだ。あとはどれほど互いの力が馴染むかなのだろう。
ふと思い出した言葉。
「コラプサー?」
「そう、それがわかっているうちは大丈夫。あれは、始まりの存在って認識の方が強いけど、終わりの存在でもあるから」
いつだったか彼の本質をそれだと思った。あの黒は全てを吸い込む、光すら吸い込んでしまうベンタブラック。
「私ね、優羽はあれじゃない、もっと優しい存在を半身にしてほしかったんだよね。私の勝手な思いなんだけど」
「私も最初はそう思ってた」
「あれは全てを併せ持つ存在だから……強いよね」
「そうだね。でも、私にはすごく優しいよ」
「半身だからね。でも、それは優羽があれを想っているからこそだってこと、絶対に忘れないで」
彼も言っていた、私の想いだけで保たれているとは、あらゆることを含むのだろう。
どれほど彼が私を希おうが、私がそれに応えなければ私たちの関係は成立しない。当たり前のことだけれど、当たり前じゃないのが私たちの存在の違いだ。
一度重なり合ってしまった想いは、私の想いが薄れた途端、彼の想いも己の意思とは関係なく薄れてしまう。彼はそんな存在だ。それはどれほどの恐怖だろう。自分勝手に想い続けることすらできない。
「それなのに、第二の手は拒んだんだね」
「第二が求めたのは対等な関係じゃないから。それこそ取り込まれたくて仕方がなかったんじゃないかな。それって、応える必要がないものでしょ。そんなものと繋がりたくはないし、自分の一部にだってしたくないよ」
だから、いつだったか取り込んでいいと言ったときに鼓動を跳ねさせ、「ずっと先のことだ」と言葉を濁されたのか。
知らなかったとはいえ、余計なことを言ってしまった。
第二の手は取らず私の手は取ってくれた。それに優越感を抱くより、やるせなさを感じる。それはかつての第二にではなく、彼に。
自分が生み出した存在を拒まねばならず、なおかつその果てに食いつ喰われつし、存在そのものを失った。自分への想いを拒むことはできるのに、自分の想いはままならないなんて、不安で仕方ないだろう。
いっそ重なり合わなければよかったのか。重なり合わなければ独り善がりに想い続けられる。私の手を取ることにどれほどの葛藤があったのだろう。
私が私で在る限り取り込まれることはない。取り込まれるのは私が私ではなくなったとき。ままならない想いを抱え、手放すくらいなら取り込もうと思うのだろうか。ゼノがかつての第一を食らったのはそういうことなのだろうか。
「歪んでるなぁ」
「私たちは程よく歪んでないといけない存在だから」
祐夏が自嘲気味に笑った。それも仕方ないと簡単に受け入れられる私は、「程よく」で済んでいるのかがわからない。
「それに、私たちは自分さえよければそれでいいっていう、傲慢で残酷な一面も持つ。そうじゃないと全てに応えようとして、結局喰われてしまったかつての第一の二の舞になるからね」
その通りだ。世界より、半身より、天哉を選んだ私は傲慢で残酷だ。
何度かのぞみさんの様子を見に、第八世界に足を運んでいる。段々と大きくなっていくお腹を二人揃って愛おしそうに撫でているのが、それはもう「ごちそうさま」と言いたくなるほど甘ったるい。この二人を見ているだけで幸せになれる。
最近では、私の存在を第八世界に受け入れることがひかりさんの負担になりつつあるようで、天哉からのスパルタ指導が淵源を使って行われ、ひかりさんの存在が一層大きくなった。
それはのぞみさんの存在にも繋がることなので、ひかりさんは歯を食いしばって耐えていた。そういうところがひかりさんの偉いところだと思う。
「優羽も子供欲しいか?」
「ん、まだいい。もうちょっと天哉を独り占めしたい」
あの二人を見ていると子供が欲しくなる。けれど、一番見せたかった人たちはもういない。必要となれば否が応でも子供は生み出されるだろう。それまでは、このままならない想いを抱えた人を安心させたい。
第七世界のパラディススに戻れば、そこは変わらず清浄で、そして変わらず何もない空間だ。床に直接置かれているマットレスだけが妙な淫靡さを際立たせている。
ペアで買ったはずのパジャマは一度も袖を通さないまま、お揃いのスリッパも一度も足を入れないまま、ベッドの脇に置いた鞄の中に収まり続けている。
ここでは裸のまま過ごすことが多すぎて、ここに来るとそれだけでお腹の底がざわめき疼く。
「私ね、自分では全く思わないんだけど、でも、いつか天哉から気持ちが離れることもあるのかな」
「どうだろうな。喧嘩はするかもな」
「するかなぁ。私がわーって文句言っても、天哉に笑われて終わりそう」
それに思わずといったふうに笑う彼を見ていると、大丈夫な気がした。
「ここにもソファー欲しいな。寝転がれるくらい大きなソファー」
「うちから持ってくるか?」
「ほかにも、ちゃんと生活できるようにしないと。せめてこの大きな空間と生活空間は仕切りたいよ。広すぎて落ち着かない」
そうか? と首を傾げられた。もしかしてこれも第三世界的感覚だろうか。適度に狭い方が落ち着く。
「あ、でも、ここに居すぎると清浄すぎる存在になっちゃう。ここって心まで勝手に清浄になるんだよ」
「そうかもな。取り戻すか? 統治の大地を」
「その方がいいかな? その方がいいならそうしようかな。簡単に取り戻せるかな?」
「簡単だろう。優羽の存在はかつての第七たちよりも絶大だ。あいつが言ってただろう、第八世界でひれ伏されたと」
からかうような顔は、ひかりさんとの仲の良さを思わせてちょっとほっとする。彼にもちゃんと気が置けない友人がいることが嬉しい。私に祐夏やのぞみさん、穂住ちゃんがいるように。
「そうだけど。ひれ伏して欲しいわけじゃないんだけどなぁ」
「そのくらいがちょうどいいんだよ。関わらなければ関わらない方がいい。適当に使徒が選ばれるだろうから、それらに任せて、時々締めておけばいい」
「そっか、本来は神様みたいな、よりどころみたいな存在なんだっけ、世界に繋がるものって」
この世界ではつい忘れそうになる。
「第七の存在の意味も取り戻さないといけないんだね」
よくできたとでも言うように、頬をすっと指先で撫でられた。それに身体の奥が潤む。
「優羽は、優羽のままであれ」
「うん。天哉も天哉のままでいいからね。ちょっとくらい格好悪くても、ちょっとくらい意地悪でも、ちょっとくらい情けなくても、一緒にいるときは気を抜いていいからね。ちょっとくらい変な天哉でもずっとずっと大好きだから」
それにエロい顔で笑われながら、服に手をかけられた。
「意地悪か。いいなそれ」
墓穴を掘るとはこのことだ。