大地の記憶
42 Sacrifices—Even if I'll be fallen down


 私が第七世界の統治の大地を取り戻したことにより、第五世界と第七世界の統合が一気に進み、程なくして二つの世界はひとつになった。
 時の加速が凄まじく、学校から帰る度に一足飛びに世界が変わらないようでいて変わっていく様は、同じ景色が二度と見られないカレイドスコープのような美しさだった。

 未だ第七世界は混沌としており、安定するまでには時間がかかりそうだ。

 そこに棲む人以外の生きものたちは、元の世界に準じて時間をかけて変化していく。これまで同じ種であっても別々の世界で独自に進化していったものたちが交わることにより、新たな種が誕生するだろう。これは、遷移期の第八世界の影響を多少なりとも受けているからこそ、可能となったことだ。
 世界は互いに影響し合う。第七世界の影響が、第八、第六世界へも広がっていくはずだ。



 それを受けて、ゼノとウェスはあっさり第九世界を経由して第一世界へと戻った。感動もへったくれもなく、第九世界のパラディススの頭上に開いた扉から、勝手に戻って行ったらしい。

 それをお昼休みの雑談に紛れて祐夏から聞かされ、声にならない「は?」の口のまましばし呆けた。

「なんかもっとスペクタクルな何かを期待してたんだけど」
「じゃあ、優羽が第七世界に初めて行ったとき、スペクタクルだった?」
「いえ、あっさりしたものでした」
 ほれみたことかと笑う祐夏にむっとする。

 挨拶もなく戻るとは、余程ゼノを元に戻してやりたいのか、ウェスを成長させてやりたいのか。なんだかんだいって、あの二人も二人で完結している。
 そもそも彼らに挨拶を求める方が間違っているのかもしれない。

「でも統治の大地を取り戻したときは、ちょっとしたスペクタクルだったよ」
「あぁ、それならね、第九世界は一瞬にして色付いたよ」

 第九世界は、第一の内なる扉が開いた瞬間、世界に色が溢れたらしい。

「なにそれ! すっごく見たかった! 凄まじく見たかった!」
「なんか、すっごくきれいだったー」
 うっとりする祐夏が羨ましい。

 世界が色を掴む瞬間なんて、目に見えるわけでもない扉が開くよりも百倍スペクタクルだ。想像するだけで感動する。見たかった!

「しばらくは自分の内に籠もると思うよ」
「第一世界って本当に光そものもなの?」
「世界って言うからわかりにくいけどね。あれも自分の内なる世界を持ってるでしょ?」
「あの闇の中みたいな?」
「たぶん? 私は行ったことないからわかんないけど」
「祐夏の世界は?」
「私はない。かつての第二が第二世界を腐らせちゃったせいで内なる世界もなくなってる。だから遍在しちゃうんだよ。遍在をやめたくて取り込まれたかったんじゃないかって思ってる」

 あの第七世界のパラディススはその名残だ。あんなふうに、本来であればゆっくりと愛しさに変わっていくはずの傷みや悲しみが、ただ美しいだけの想い出に変えられてしまうなんて、ちょっとどころかかなり狂っている。
 何もかもが美しさで彩られた世界は狂気だと思う。

 遍在するという意味はわかってもその感覚は理解できない。常にあらゆる世界に存在しているなんて、どんな感覚なのだろう。
 やめたくて取り込まれたいと思うくらい遍在は大変なのだろう。だから祐夏は、世界を生み出して自分の存在を固定させたいのかもしれない。できるだけ協力しよう。

 それぞれの存在の意味や在り方はそれぞれで違う。私とひかりさんたちは似ているようでいて、やはりどこか違う。それが世界の在り方によるものなのか、世界に繋がるものの個性なのかはわからない。



 保健室に顔を出せば、久しぶりに顔を合わせた穂住ちゃんは驚くほどげっそりしていた。

「穂住ちゃん、どうかしたの?」
「この一年で色々と頭に詰め込んで予習しておかないと、一生第九研究所から出られないって脅されてる」
 情けない顔で中央の大きなテーブルで頬杖つきながら、なんだかカビ臭そうな古い本を睨みつけるように見ている。

「えっと、たぶん大丈夫だよ」
「なんで?」
「私の存在が組織に公表されるから。第三世界での使徒は穂住ちゃんにお願いしようと思ってるんだけど、いい?」
 しと? なにそれ? そう力なく呟きながら、ゼリー飲料を口をすぼめて吸い上げた。

「ご飯食べる時間もないの?」
「だって! この世界の思想や宗教全部、それこそ古代から現代まで全部憶えなきゃなんないんだよ? もう若くないから頭に入んないよ……全部憶える頃には寿命だよ」
「あー……私も学校で習った程度しか知らないんだよね。こないだグノーシスって言われても咄嗟にわかんなくって、結局二元論しか思い浮かばなくって、なんかすごーく微妙な気持ちになった」
「わかる。私もそんな感じ。そんなん知るか! って叫びたい」
 やさぐれたようにだらしなく手足の力を抜いて椅子にだらりと座り込んだ穂住ちゃんは、本気で追い詰められているようだ。

 神喰い人の末裔なんて、宗教から一番遠い存在だ。なにせ自分たちがその中心にいたのだから、宗教観を持つどころか、神という概念を理解できない。
 彼らが間違って組織に取り込まれないよう、宗教観を持たないものは組織に加われないよう規約に書かれているくらいだ。ちなみに無神論もひとつの宗教的概念と見なされる。

「とりあえず、私の使徒は穂住ちゃんって早めに言っておく。そしたらたぶん憶えなくてもいいと思うし、そのまま第七研究所勤務になると思う。私が今のままの穂住ちゃんがいいって言っとく」
「頼むよ、もう頭爆発しそう。で? しとって何?」
 背もたれにもたれていた身体が、今度はテーブルの上にあったカビ臭そうな本を押しのけて、くったりと俯せた。そして、「ヤバイこのまま寝そう」と、ぽろっと呟いた。寝る間も惜しんでいるのか、よく見れば肌も荒れ気味でファンデーションが浮いている。

「えっと、代理人みたいなもの、かな。伝言係かも。あ、護衛だったかも」
「なんだっけ、キリスト教かその辺の言葉だよね。こないだ原書の写本渡されたんだけど、これって世界遺産なんじゃないの? 普通に渡されて怖いんだけど。おまけに古語なんか知らんっての」
 目の前にあるカビ臭そうな本がその写本なのだろう。言われてみれば、相当古そうだ。よく現存している。と思ってよくよく見れば、ただのコピーだった。本物そっくりに作るなんて、組織は暇なのだろうか。

「そういえば、別の世界に迷い込むと、全ての言語が理解できるようになるんじゃなかったっけ?」
 言った途端ものすごい勢いで顔を上げ腕を掴まれた。
「第七世界に迷い込ませて!」
 穂住ちゃんが必死すぎて怖い。第七世界なんて言葉を大声で叫ばないでほしい。誰かに聞かれたら間違いなく何かを拗らせた人だと思われる。

 穂住ちゃんのあの状態は間違いなく私のせいだ。天哉に相談したら、仕方なさそうに解決策を教えてくれた。
 後日、私の涙が結晶化され、水晶のような透明な石が穂住ちゃんの胸元に留まることになった。その程度のことであれば血は強すぎるらしい。
 世界中の言語が理解できると、穂住ちゃんは一気にご機嫌だ。ただ、理解できても憶えられないと嘆いてもいた。



 そして、のぞみさんは無事、赤ちゃんを産んだ。

 ひかりさんがどうしても二人で産むと言い張り、それに天哉が特に反対もしなかったものだから、妙な安心感をもって予定日を迎えた。
 やきもきしながら待つのが辛く、思わず「産んだ後に飛んで」と天哉に頼めば、「本当にそれでいいのか?」と真顔で念を押され、諦めてやきもきすることにした。

 予定日を一週間も過ぎて、さすがにおかしいとひかりさんにコンタクトすれば、なんと三日も前に産まれていると返ってきて、盛大にむくれた。

「のぞみが疲れてたから休ませることを優先したんだ。ごめん、連絡すればよかったんだけど……」
「私も連絡しなきゃって思いながら、うつらうつらしちゃってて」

 二人の赤ちゃんを見ることができたのは、産まれてから一週間も経っていた。まあ、一週間くらいゆっくりさせてやるべきだとは思うけれど、お祝いにちらっと顔を見せることくらい許してほしかった。ひかりさんの頑なな拒否にあって、本気で嫌われているのかと泣きそうになった。

 のぞみさんの腕に抱かれた新たな生命は、二人に似て色素の薄い子だ。プラチナブロンドの髪がちょろっと生えている。小さな口を開けてあくびしている様はめちゃくちゃかわいい。

 彼らの出産と同時に、以前淵源に放った彼らの卵も無事に孵化した。第八世界の使徒が知らせに来たそうだ。第一都市を除く各都市に一体ずつ、ネイティブから生まれている。どうやらひかりさんはネイティブから生み出されたらしい。
 女神の子が誕生したと、世界中が歓喜に沸いたらしい。

「どうして両性っていうか、性別のない世界なのに女神って考えがあるの?」
「かつての第七が持ち込んだ概念だ。あそこには女という概念はあっても男という概念はまだない」
「だからか! 俺は男だって何度も言ったのに、何言ってんだこいつって顔されてたのは」
 ひかりさんの引きつった顔を見たのぞみさんが声に出して笑っている。俺は男だ、なんて恥ずかしい主張をどんな場面でしたのか、それがすごく気になったものの、何度聞いても教えてくれなかった。

 のぞみさんから淵源に浸かりながら出産したと聞いてかなり驚いた。そんな驚く私に、「あそこで毎日水浴びしている」と、二人は当たり前のように言い放ち、気が遠くなりそうだった。
 始まりの海でもある淵源だ。全ての叡智でもある始まりの雫で水浴び……。淵源をお風呂代わりにするなんて信じられない。
 あまりに呆然としてしまった私に、二人は不思議そうに首を傾げている。

「優羽も第七世界のパラディススを洗濯機代わりにしているだろう」
 ぼそっと呟いた天哉の脇腹をこっそり突いた。
 あそこに置いておくといつの間にかきれいになっている。だからまあ、ちょっと便利に使っている。……私も同じか。

 それにしても。ひかりさんのデレっぷりが色々終わっている。一見、甘い感じのイケメンなのに、ゲスい顔に続いてデレた顔まで知りたくなかった。だから会いに行くのを頑なに拒否されたのかと勝手に納得したり。そりゃあこんなにかわいいのだから、独り占めならぬ二人占めしたくなるのもわかる。
 二人に憧れのようなものを抱いていたのに、天哉にはひかりさんのようにゲスい顔もデレた顔もしてほしくない。それとも、端から見れば天哉もこうなのだろうか。

 思わず二人を見比べていたら顔に出てしまったのか、さっきの仕返しとばかりに脇腹を突かれた。



 高校を卒業し、第三世界から第七世界へと完全に移り住んだ。

 けれど、ゼノたちが第三世界から去ったせいで、今第三世界を停滞させるわけにはいかないと、天哉が第三世界の肩代わりをしている。ゼノのように暗幕のようなものですっぽり全身を隠し、ゼノのフリをして組織の指揮を執っている。
 時々狭霧さんに代役の代役をやらせていて、狭霧さんが不憫で仕方がない。彼らの息子の長期休みの度に頼んでいるらしく、彼の家族は世界中を旅行できると純粋に喜んでいる。本当に奇特な人たちだ。奇特すぎて時々気の毒になる。ちなみに天哉の第三世界での財産は全て狭霧さん名義に変更してあるらしい。

 穂住ちゃんは第九研究所を飛び越えて、始めから第七研究所に配属された。いきなり大西洋の地図にも載っていない群島勤務はさぞかし窮屈だろうと思えば、家族から解放されて清々していると、これまたご機嫌だ。例の彼とも上手くいっているらしい。涙の結晶を通して、時々のろけを伝えてくる。
 おそらく、穂住ちゃんは母体だ。穂住ちゃんの能力(コマンド)をゼノは回収しなかった。穂住ちゃんの先に繋がる存在が、おそらく次の第三を生み出すのだろう。



「きっと、私が願ったからなんだろうなぁ」
「何がだ?」
「私が、第五にもただ一人が現れますようにって、強く願ったから、第五は堕ちたんだろうなぁって」
 怪訝そうな顔をする彼の胸に頬を寄せる。

 朝、目覚めると彼がいる。
 夜、ともに眠りにつく彼がいる。
 夜と朝の間、未だ夢に飛び起きると、彼が「今」に引き戻してくれる。
 今、こうして眠りに落ちる前に繋がり合い、快楽に堕とされ満たされる。

「一方的な強い懇願って、願われた方がそれを望んでなければただの恐怖でしかないでしょ?」
「まあな」
「第五にとって、私が保身のために願ったことは、恐怖でしかなかったんだろうなって。私の幸せが第五の幸せだって決めつけてた」
 腕の中から見上げれば、そんなことどうでもいいとばかりに唇を塞がれた。

 彼らは、何をどこまで知ることができるのだろう。何をどこまで知っているのだろう。何をして、何をしないのだろう。
 祐夏は私が知る全てを知っていた。知らないことも知っていた。
 彼らは「今」を生きているのだろうか。
 もっとずっと先を生きているのではないかと思えてならない。
 だとしたら、私は本当に最後の私なのだろうか。
 私は、どこまで赦されているのだろう。

 重なる唇はどこまでも優しい。

「もう考えるな。どのみちあれはそう長くはなかったはずだ」
「だろうね。私と同じで何度も巻き戻されていたなら、脆くなっていただろうし」
 だから、第三世界に迷い込んだくらいのことで羽を()くしたのだろう。

 私の存在は本当に残酷だ。
 両親を第三世界から消し、第五を堕とし、ふたつの世界をひとつにし、何食わぬ顔ですべてのはじまりに手を伸ばし続けている。

 私の最善は、別の誰かの最悪。
 それがわかってもなお、自分にとっての最善を(こいねが)う。

 全てを引き替えにして手にした存在は、けれど、私だけの存在(もの)にはならない。
 いつかその全てを私のものにしたいという貪欲さだけが、彼の腕に抱かれてもなお私の中にしこりのように残っている。

 本当に、生半可な覚悟で手を伸ばしてはいけない存在だった。
 それでも、手を伸ばしたことを後悔しない。

 いつかきっと、私は私のまま、この存在の全てを手に入れてみせる。
 たとえそれが、身の破滅だとしても。
 この身が核の大地に堕ちたとしても。










 かつての第二を内包する世界。
 腐爛に覆われた清浄。

 私に繋がる第七世界(天上の大地)よ、私の「今」を記憶せよ。
 それはいつしか大地の記憶となるだろう。


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