大地の記憶
39 Tertius 表裏—Gnosis


 人は一人では生きていけない。それを嫌というほど思い知った。

 二人で完結しているひかりさんとのぞみさんですら、結局は私たちとの繋がりを絶てずにいる。それは心を許す許さない以前に、繋がらずにはいられない事情ができてしまう。
 かつて隠れた神喰い人たちも、結局は人との繋がりを絶てずに、人と関わり続けてしまった。
 ゼノもそうだ。世界規模の組織のトップに君臨し続けている。

 そして私の世界がいかに狭かったかも知った。
 たくさんの感謝と少しの窮屈さに安堵する。
 大きすぎるものを負う私の世界は狭くていい。そこに囚われていないと簡単に散らされてしまいそうで怖い。



「で?」
「で、ってなに?」
「いつまですっとぼけるつもりだった?」
「えー、優羽が気付くまで? いつまで経っても気付かないからもう気付くまで黙ってようって思ってた」
 うわぁ、本当に兄妹だ。同じことを言っている。顔が引きつっているのが自分でもわかる。けたけたお腹を抱えて笑う、その苛つく行動までそっくりだ。

 始業式の朝、開口一番の応酬がこれだ。

「あれ? でも弟って言ってなかった?」
「弟だよ。私にとってあれは弟。あれは私を妹にしたいらしい」
「本当はどっちなの?」
「どっちでもないよ。同じような存在の表と裏みたいなもんだから」
 若干嫌そうに顔をしかめているあたり、妹と言われるのは不本意なのだろう。

「ってか、なんで祐夏? 凜じゃないの?」
「祐夏は第三世界での名前。芸名みたいなもんかな。なんとなく何かで見ていいなって思って」
 そうだ、祐夏はそういう大雑把なところがある。名前って思い入れがあるんじゃないのかと思うけれど、祐夏はそういうところがいい加減だ。どうせ苗字の小坂もいい加減に付けたのだろう。元の名前にかすりもしていない。

「穂住ちゃんのことも知ってた?」
「知ってた」

 移動した体育館での始業式。この後入学式が続く予定だ。

「じゃあさ、第五のことも知ってる?」
「知ってる。優羽も終わりを見たでしょ?」

 なんのことかと首を傾げかけ、ふと思い出した第七世界での絶命の音。あの瞬間に第七世界との繋がりが強まった。
 第三世界に迷い込んだ第五を祐夏が戻していたらしい。
 ただ、第五世界は第七世界との統合が進んでいたせいか、戻されたそこは第七世界。迷い込んだ瞬間、男という生きものを完全に受け入れるまでには至っていなかった第七世界から弾かれるように浮遊する大地から落とされた。

「だって羽は?」
「迷い込んだ瞬間に只人になったせいで、第三世界に迷い込んだときに()くしてる」

 祐夏はそれがわかっていて戻したのだろう。
 申し訳ない思いで祐夏を見れば、なんてことない顔で、さも当然とばかりに口角を引き上げた。
 私も祐夏の立場であれば同じことをする。だとしたら申し訳ないと思うことはきっと間違っている。

「天哉は……」
「知らないんじゃない? あれは存在が大きすぎて細かなことまでは感知できないんだよ。煉たちもそう。細かいこと気にしなきゃならないのは私だけ。もう世界とも繋がっていない只人なんて放っておいても害はないって思ってたんじゃない? 実際そうだし。それでも念のためって自発的に動く私っていっつも貧乏クジだよ」
 むっとした顔を向けて、祐夏はわざとらしくため息をついた。

 あまりにあっけない第五の最後に何も思うことはなかった。自分でも驚くほどその事実を認識しているだけに過ぎない。これほど無関心だったとは自分でも思わなかった上に、彼について願っていたのはただの自己弁護だったことが浮き彫りになり、そっちの方がショックだった。
 自分が最低過ぎて思考がネガティブに傾いていく。

「優羽が考えてることは違うからね。私が好きで優羽と友達になったの」
 見透かされた思考に驚く。もしかして、私を守るために、私の周りの細かな調整のためにそばにいたのかと一瞬疑った。
「ごめん」
「仕方ないよ。疑いたくもなる。あれのやり方はちょっとどうかって思ってたし」
「やり方?」
「そ。やり方。聞く? かつての第二の話」

 始業式が終わり、教室に戻る最中の言葉。一瞬迷って頷いた。

 今日から最後の一年間通うことになる教室。その隣に併設されている、今日はまだ誰もいない美術室が祐夏の支配下へと変わる。天哉と同じような結界。意図的に平行世界を創り出した。

「祐夏って本当に第二なんだねぇ」
「まーねー。すごい?」
「すごい」
 しみじみすごい。

「優羽もコマンドの使い方いい加減覚えなよ。あれはわざと優羽に教えてないんだから」
「なんで?」
「決まってるじゃん。自分に縛り付けるためだよ。自分が手取り足取り面倒見たいんでしょ」
 呆れ顔の祐夏に、それでもいいと思っていることが見透かされたのか、「やってらんない」と思いっきり呆れられた。彼の甲斐甲斐しさは色々楽だ。

「祐夏は誰に教わったの?」
「お父さん。第九の方の」
 父親が二人いるのは母親の再婚ではなく、はじめから二人いた。なんとなく気を遣って祐夏の家庭事情には触れないようにしてきたのが馬鹿馬鹿しくなる。うちに遊びに来ていたのは、言い換えれば祖父母の家に遊びに来ていたようなものだ。祐夏がお弁当つまんでいた理由もわかった。

 美術室に整然と並ぶスツールは、年度初めと年度末にしか見られない光景だ。あっという間に腰をおろす者たちの思い思いの場所に散らばり、その場所を定位置とする。
 そのうちのひとつが、すでに新たに位置を定めた。祐夏はいつも教室の中央を自分の位置にする。その廊下側の隣が私の定位置。いつだって祐夏越しの空を眺めていた。

「第二についてってほとんど聞いたことないでしょ?」
 頷けば、祐夏は「だよね」と薄く笑った。

「私も煉も、かつての第一と第二の記録を受け継いでるの」
「記録? 記憶じゃなくて?」
「そう、記録。だから私たちも、かつての彼らが何を考えていたか、本当のところはわからない」

 すべてのはじまりから生み出された、一対の存在。それがかつての第一と第二。
 そのふたつの存在から生み出されたふたつの世界。それが始まりの海と始まりの大地。
 ふたつの存在はふたつでひとつ。けれどあるとき、そのうちのひとつが己の生み出した世界でかけがえのない存在を見付けてしまう。

「で、それに第二がキレたわけ」
「第一と第二って半身だったの?」
「半身は半身だけど、それって家族みたいなものなんだよ。感情のベクトルが違う」

 けれど、第二にはそれがわからなかったのか、第一を一途に求め続け、いずれそれが無駄だと悟った第二は、己を生み出したものへとその矛先を変えた。

「初めて生み出されたふたつの存在は真っ直ぐだったんだよ。歪みのない存在だったせいで互いを認め合うことがなかった」

 ふと天哉の言葉を思い出す。宗教戦争に置き換えられたその言葉は、己の内から零れ出たものだったのかもしれない。

「だから世界と繋がるものは歪みを持つよう、過酷な試練が与えられる」
「私のあれも?」
「そう。ここのところの第五や第七たちはその試練に打ち勝てたものはいない。だから、次々と世界が生み出さなければならなかったってわけ」

 だとしたら、第三だった姉たちにも試練はあったのだろうか。両親の話を聞いた限り、歪みとは無縁だったように思える。そもそも、生きたまま喰われてしまうと聞く第九世界に迷い込む時点で試練だ。射殺されるなんて試練で済まされることじゃないし……。
 そう思うと私の試練は生温いような気がする。嬲られたうえで生きたまま臓腑を啜られたというけれど、記憶がない時点で試練じゃないような……。

「私は、打ち勝てたのかな」
「だから今私が説明しているんでしょ。どうでもいい存在に面倒くさい説明なんてしないよ、私」
 さっきから呆れられてばかりだ。

 かつての第二は、精神的に自立していなかったのかもしれない、とは祐夏の見解だ。
 だから、依存する存在を求める。本来ならば自分がつくりだした世界に傾倒していくものなのに、それすらできなかった。
 結局、第二世界は放置され、始まりの大地は腐敗していった。

「ねえ、第七世界の核になってる大地って……」
「そう。第二世界の残骸。どうしても消せなかったみたい。ほら、この世界のグノーシスとかあのへんって、そこから生まれた考え方なんだよ」
 グノーシスがわからなくてちょっと首を傾げたら、またもや呆れられた。聞いたことはある。ちょっと思い出せないだけだ。

「優羽は少し組織で勉強した方がいいかも。あー、でも、だからなのかなぁ」
「なにが?」
「素直にあれの存在を受け入れられたでしょ」
 意味がわからなくて今度こそはっきり首を傾げる。

「普通ね、あれと恋愛しようとは思わない」
「それは私だって思ったよ」
 ついムキになって言い返した。
「でも、実際にはあれの半身になってるでしょ。ある意味優羽ってすごいよね」
「馬鹿にしてる?」
「褒めてる」
 まるで褒められている気がしない。面白いものを見付けたような顔が母のそれと重なって見えた。

「なんか、祐夏ってお母さんに似てる」
「隔世遺伝かも」
 淋しそうに笑う祐夏の表情から、両親の最後を知っていることもわかった。

「最後、笑って逝った」
「そっか」
 第九世界でどんなやりとりがあったのだろう。きっと、その時点で覚悟していたはずだ。知りたいと思う気持ちと同じくらい、それは彼らの思い出であって簡単に話せることではないだろうこともわかっていた。

 曖昧な笑顔を返せば、祐夏も同じように曖昧な笑顔を返し、気を取り直したかのように再び話を続けた。

 かつての第二が手を伸ばしたすべてのはじまりは、その手を拒んだ。

「そりゃそうだよね。自分が生み出した世界すら放置するようなヤツ」
「でも、私も放置してたかも」
「してないでしょ。ちゃんと繋がってるから世界が動いてるんだよ。優羽は第七世界のこと忘れたことないでしょ。どれほど繋がりが細くなったとしても、繋がってさえいれば世界は動き続ける。世界が停滞すると世界に繋がるものが生み出されなくなるのはそういうことだから。世界は進歩と停滞、進化と退化を繰り返すんだよ。振り子みたいに」

 伸ばした手を拒まれた第二は再び第一に手を伸ばし、その切っ先を第一の大切な存在であるゼノに突き付けた。
 第一は己の大切な存在を守るために第二の取り込みを決意し、第二世界に降り立ち、そこで第二を食らった。第二を食らった第一は、そのせいで己の世界に戻ることが叶わず、始まりの存在がつくりだした第三世界に迷い込み、そこで新たな命を生み出し、自らが生み出した命に喰われてしまった。

「どうしてゼノが第九世界を生み出せたと思う?」

 ゼノは、残されていた第一の臓腑を食らった。
 肉を喰らうことができた神喰い人たちも、さすがに臓腑までは手を出せなかったらしい。

「臓腑はね、肉より力が強いの」
 その瞬間、祐夏が第二だとはっきりわかった。まるで当たり前のようにそう口にする。そこに嫌悪感などない。

 ゼノはどんな思いで己の半身を食らったのか。
 人がただ一人を求めるのは、かつての第一の希求なのだろうか。この第三世界に迷い込み、ただ半身だけを想い、最後にその半身に食われた、最後の希求。

「取り込まれるってそういうこと?」
「まあ、そういうことかな」

 私はいずれ天哉に食われる。その事実は静かに私の中に収まった。恐くもなければ歓びもない。単なる事実として居座った。私も第七なのだと実感した。

「きっとね、その時のことがあれに残ってるんだろうね。だから優羽の手を取るのを最後まで戸惑ったんだと思う」
「祐夏も、私が終わっていればよかったって思う?」
「思わない」
 間髪入れずに返された言葉がどれほど嬉しいか、祐夏はわかってくれるだろうか。

「優羽は優羽として存在する意味がある。誰だってそうだよ。その人がその人として存在する意味がある」

 かつての第二も第二として存在した意味があった。
 この第三世界の人間が一番天哉たちに似ているのは、天哉が二人に歪みを与えるために生み出した世界だから。そして、第一が生み出した人間だから。
 だから、私をここに避難させた。第三世界は一番安全でどこよりも守られた世界だ。
 第六世界でかつての私の臓腑を食らったのは第六。だからこそ、巻き戻される度にほんの少しずつ力を蓄えていった第六世界は過渡期に入った。

「第六世界は結構身分っていうか、階級制度がはっきりしてるんだよ。第五や第七世界に棲むものを口にできるのは一部の特権階級で、それ以下はその食べ残しや自世界の生きものを食べて生きているんだから、ふたつの世界に棲むものは完全に嗜好品扱いだよね」
「そうなの?」
「そうなの。果物とか花の蜜ばっかり食べてるから甘くてジューシーらしいよ」
 それはあまり知りたくない情報だ。

「第五や第七世界に棲むものが交配するのって、第六世界の高い木のてっぺんとかなんだよ。で、第六世界に棲むものって彼らと比べて動きが鈍いから、木登りとかできないわけ。で、力任せに木を揺すって落とすんだけど、ふたつの世界に生きるものって逆に俊敏だからなかなか落ちなくて、落ちても飛んで逃げちゃうし、まあ、ギャグみたいな攻防が続いてたんだよね」
 命を賭けた攻防がギャグ扱い。微妙な思いで祐夏を見れば、彼女も自分の言葉に微妙な気持ちになったのか、なんともいえない顔をしていた。

「ねえ、第七世界のパラディススって、すごく清浄なんだけど」
「あそこが全ての世界を清めているんだよ。第二の最後に残された希求が、あのパラディススをつくった」

 かつての第二が最後に強く(こいねが)ったのは清浄さ。
 それを哀しく思う。
 第二からは、第一や始まりの存在が不浄に見えたのだろうか。あの腐爛した大地を生み出した第二が最後に願った清浄──。
 ああ、だから第二を取り込んだかつての第一は、第三世界の人間に言葉を教えたのか。

「思い出した。グノーシスって二元論の?」
「そう」
 頷く祐夏も同じことを思ったのか、「表と裏って色々面倒なんだよ」と自分の存在を嘆いた。