大地の記憶
38 Octāvus 信頼—Faith突然の両親の喪失を現実として受け止められなかった。居なくなったことが信じられない。まるで嫌な夢のようだった。
二人はゼノによって命が延ばされ、なおかつ天哉の血の結晶を胸に留めていたがために、目の前で願われたそれに彼が無意識のうちに応えてしまった。
私以上に呆然としていたのは天哉の方だ。
時を巻き戻そうとする彼を止めたのは私だ。二人はちゃんと覚悟していた。おそらくゼノもそれを知って、第九世界を見せたのだろう。
命を延ばされたものは、存在そのものが消滅する。
春の夢のようだった。
両親の家があった場所は、一瞬にして住宅街の隙間にある小さな児童公園へと変わっていた。おそらく両親が家を建てる前からここに存在していたのだろう梅の木だけが変わらずそこに粛然と佇む。梅の木は憶えていてくれるだろうか。その枝を手入れしていた父のことを。その花を見上げほほえんでいた母のことを。
見上げた空に浮かぶ朧月。
その果てにある漆黒が、声もなく、涙も流さず、けれど、慟哭した。
思わず抱きしめれば、聞き取れないほど小さな声で謝られた。
「私に謝る必要なんてない」
自分の意図しないことを無意識に叶えてしまう悲しみは、私にはわからない。けれど、声もなく伝わってくる悲痛な叫びは、私の全てを揺さぶって仕方がない。
「私がずっとそばにいるから」
だから、私のそばにもいて。抱きしめる腕の力が強まった。
一緒に行くという天哉を押し留め、のぞみさんの様子を見に一人で第八世界に来た。なんとなく一人になりたかった。心を落ち着かせたかったのかもしれない。
淵源のそばに飛んだ瞬間ひかりさんに捕まり、二人の家から離れた森の中に連れてこられた。のぞみさんに会わせたくないらしいことがその刺々しい気配から伝わってくる。
「なにかあった?」
刺々しさの中に心配を滲ませたひかりさんに、力なく笑いを返す。
「両親が亡くなりました。まだ、実感できなくて……」
刺々しい気配が一気に心配そうなそれへと変わる。
「うちの父も母もゼノに命を延ばされていたんです。だからか、存在そのものが消えました」
「ずいぶんと身勝手なことをしたんだね」
ひかりさんのその言葉が胸に突き刺さる。けれど、意地悪で言っているわけじゃないこともわかる。本当に身勝手なことだったと思う。
「でも、ちょっと羨ましいかな。それだけ親のことが大切だったんだろう? のぞみがいつも言うんだ、優羽ちゃん見てると愛されて育つってそれだけで強い子になるって。俺たちは愛された覚えがないから、実際にどんなふうに子供に愛情を注げばいいかわからないところもあるし。ただ可愛がるだけじゃダメだろう?」
大地に座り込んだひかりさんの斜め横に、同じように膝を抱えて座る。真正面に座れるほど図々しくもなれず、かといって横は違うだろうと、少し悩んで斜め横。
「ひかりさんとのぞみさんの子供なら、何をしなくても愛情いっぱい注がれて真っ直ぐ育ちそうだけど」
「躾ってそう簡単じゃないだろう? 優羽ちゃんさ、親に怒られたことある?」
「怒られたことはないかも。なんっていうか、ちゃんと言葉で説明されたかな。善いこととか悪いこととか。最後に必ず、お父さんはそう思うとか、お母さんはそう思うとか、それだけが正解じゃないから自分でも考えてごらんって言われてました」
子供の頃を思い出しながらそう言えば、ぐっとこみ上げてくる想いに、涙が滲みそうになる。
私に染み込んでいる二人がまだ確かに存在しすぎていて、いなくなったとは思えない。いなくなったことはわかっている。二人を思うと涙が滲む。けれど、どこかがわかっていない。認められない。
「会ってみたかったな。優羽ちゃんのご両親に」
ひかりさんがどこか羨ましそうに目を細めた。
「本当?」
「あの弁当、旨かったし」
隣であぐらをかいて座っているひかりさんが、複雑な表情を見せた。
本当にそう思ってくれているけれど、それだけではないことが伝わってくる。
「ひかりさんこそ、何かありました?」
「のぞみのつわりがひどい」
ひかりさんの張り詰めるようなぴりぴりとした刺々しさの原因はそれだ。
「優羽ちゃんの血を与えた方がいいってわかってるんだ。でも、それすら与えたくないって思う俺は……心が狭いんだろうな。のぞみは俺が全てであってほしい。誰であっても俺たちの間に入って欲しくない」
「わかるような気がします。逆に天哉はどうあっても私だけのものにはならないから」
彼の半身として七割の覚醒を遂げている私は、八割覚醒した時点でそれ以上覚醒しないよう止められる。完全なる覚醒は、彼に取り込まれてしまうからだ。
彼を私のものにすることはできない。私が彼のものになるしかない。
私たちの関係は彼が言ったように、私の想いの強さだけがその要として存在している。
このうえなく愛されている。けれどその一方で、永遠にどこかが片思いのまま、あの透明な黒に手を伸ばし続けなければならない。
「なにそれ。そうなの?」
「そうらしいんです。私たちは存在が違いすぎて。のぞみさんが羨ましいかも。私の血を取り込むだけで、ひかりさんの完全なる半身になれるんだから」
それにひかりさんが大きく反応した。掴まれた肩が少し痛い。
「どういうこと?」
「のぞみさんは、私の血を取り込むと只人じゃなくなると思います。第八世界の一部ではなく、完全体となったひかりさんの半身としても覚醒するはず。私が、第七世界そのものだけじゃなく、天哉の半身として覚醒したように」
なぜなら、私がそう願い、のぞみさんが強くそう願っているから。私の血に天哉が強く応えるはずだから。
私の血は、今や天哉に次いで強いものとなっている。
簡単に血を流してはいけないからか、生理が止まった。それが地味にショックだったけれど、それは第三世界の人間特有の現象だと聞いて、ほっとした。ついでとばかりに、男の人が定期的に排出しなければならないのも同じだと教わり、なるほどと思ったものだ。どうやら以前のゲスい妄想がバレていたらしい。あまりの気まずさにへらっと笑って誤魔化した。
「たぶん、このタイミングじゃなきゃ、子供が生まれる前じゃなきゃ、無理なんじゃないかな。私の血を取り込んで、淵源の力を借りれば、二人でも出産できるって天哉が言ってたから」
私の覚醒がこのタイミングなのは、第七世界の後押しだけじゃない。きっとこの世界に迷い込んだかつての第七たちの後押しもある。彼女たちがのぞみさんを見守っている。彼女たちの残された意思がのぞみさんの願いに応えようとしている。
その意味でものぞみさんは特別だ。本当に奇蹟のような存在だと思う。
あの痣の意味は、そういうことだと思う。強すぎる一方的な懇願は相手に恐怖を与える。天哉はいつもこんな思いをしているのかとやるせなくなった。
「たぶん、ですけど、のぞみさんは完全体となる前のひかりさんの半身になっているけど、完全体となったひかりさんの半身にはなりきれてないんだと思います」
ひかりさんが、はっとしたように息をのんだ。どこかで気付いていたのかもしれない。
「半身って、たぶん同一世界に生まれたもの同士じゃないとなれないか、世界に繋がるもの同士じゃないとなれないんじゃないかな。第九の半身は、第三世界そのものですし、第三世界で生まれた肉体を捨てる必要があったって聞いてますし、第九世界で覚醒してるし、子供生んでるし……」
姉が第三世界そのものだとは、私と同じでひかりさんも知らなかったらしく、そこで目を丸くしていた。
「ちょ、待って。俺が完全体になったのって、男になっただけじゃなくて、完全に第八世界の生きものになったってこと?」
「たぶん。そうじゃなきゃ世界とは完全に繋がりませんよね」
「ってことは、のぞみも第八世界の生きものになる必要があるってこと? 身体を捨てる必要が?」
「本来ならそういうことになるんじゃないかな。ひかりさんは、淵源と天哉の力で第三世界に繋がっていた肉体を捨てることなく第八世界の生きものとして再構築されているはずです」
その時のことを思い出したのか、それはもう嫌そうな顔をした。どんな体験だったのか。すごく興味がある。
「あれをのぞみにさせるのはちょっと……俺吐きまくりだったし……、え、だったらなんでのぞみって妊娠できたの?」
「忘れてます? 私たちってあらゆるものと交配可能ですよ。完全体になったからっていうのと、単性になったからじゃないですか?」
「交配って言うなよ」
呆れた顔で文句を言ったあとで、「そういえばそうだったっけ?」と呟き、腕を組んで考え込んだ。頭を整理しているのかもしれない。
私も確証はない。けれど、今まで聞いてきたことを考え合わせると、そういうことだろうと思う。
私たちの存在はある意味縛られていない。生きものとしてのルールが存在しない。何がどうなるかがわからない。ひかりさんの半身にのぞみさんがなれたことがいい例だ。ゼノたちですら予測できなかった。
「のぞみは、何か変わる?」
「変わらないと思います。私も天哉の血を取り込んでも何も変わりませんでしたから。あ、コマンドは使いやすくなったはずなんですけど……私って元々コマンド使えなかったからなんとも……単独で第八世界に飛べるようになったくらい? 今でも戻り方はいまいち自信がないので、どうなのって自分でも思うんですけど……」
あまりに情けなくてへらへら笑って誤魔化してしまう。ひかりさんがすごく微妙な顔をしている。かける言葉もないとはこのことか。
「優羽ちゃんって、組織の訓練とか受けてないの?」
「組織から隠されて生きてきましたから」
「なるほどねぇ。霧島なら隠すだろうなぁ。あいつ何気に容赦ないからなぁ」
「あ、そういえば、第三世界に残されていたひかりさんのサンプル、全て処分されたそうです」
それにひかりさんがほっとしたように、「よかった」と呟いた。
「俺の知らないところで俺の子供つくられてたらたまらないって思ってたんだ」
「でも、ひかりさんってゼノが望んだから生み出されたんですよね。本来なら難しかったんじゃないですか? ただ迷い込んだだけのものとは簡単に繁殖できないだろうし」
「でも、第七世界から迷い込んだものとこの世界に棲むものは繁殖できてるだろう? できるんじゃないの?」
「第七世界から迷い込んだもので、この世界の都市の礎となったのは、第七世界そのものなんですよ。私と同じ存在です」
へー、そうなんだ、と他人事のように納得したひかりさんは、組織から教え込まれた知識が色々邪魔をしているようだ。
おそらくゼノが欲したのは、第八世界の生きものではなく、第三世界の考えを持つ第八世界そのものだ。
第三世界の人間は、かつての第一からつくられている通り、どの世界の人よりも天哉たちに近い。
不意にひかりさんが立ち上がった。
「ごめん、のぞみが呼んでる」
そう言って家へと駆け戻る彼の後を追った。
のぞみさんの声なんて聞こえなかった。それなのに、呼んでいることがわかるなんてどんな繋がりなのかと思う。本当にこの二人は特別だ。
のぞみさんは、驚くほど顔色が悪かった。ここまでひどいとは思わなかった。
吐き気がおさまらないのかベッドに横になり、ぐったりしたままそれでも私を見て笑おうとする彼女はは本当に健気だ。
こんなひどい状態なのに、私の血を拒むひかりさんに怒りが湧いた。
「ひかりさん、こんな状態ののぞみさん見て、それでも私の血を拒みますか」
自分でも驚くほど声が低くなった。自分の声が呻って聞こえた。まるで威嚇しているようだ。それくらい、腹が立った。
「私も決められないでいるの。ひかりだけが悪いわけじゃないの」
か細い声で、必死にひかりさんを庇うのぞみさんがせつない。どれほど苦しいのだろう。たったそれだけを言うのに、息を上げ、嘔吐くのを必死に我慢している。
ひかりさんが彼女を抱きかかえ、心配そうに顔を歪めながらその背をさすっている。
「つわりは一時的なものでしょ、もう少し我慢すればおさまると思うから」
そう言って、のぞみさんは無理に笑った。
どう見てもそんなわけない。ただのつわりだとは思えない。
今ののぞみさんには無理だ。新しい命を生み出すことは、命を削ることと同じだ。
「無理です。私のことを嫌ってもいい。無理矢理血を与えます」
「いや、俺からもお願いする。のぞみ、優羽ちゃんの血をもらおう。俺たちは人を信じて頼ることを覚えないといけないんだ。優羽ちゃんも霧島も信頼できる。そうだろう?」
余程辛いのか、目に涙を浮かべたのぞみさんは、ひかりさんを見て、小さくもはっきりと頷いた。
「天哉を呼ぶ。私一人じゃ自信ないから」
そう言った途端姿を現した彼は、用意していたかのように鈍い銀色の小さなナイフを取り出した。以前、彼の血を与えられたときも、同じナイフだった。おそらくこのナイフでしか、私たちを傷付けることはできないのだろう。
美しく優美な曲線で作られている、一見ペーパーナイフにも見える手のひらサイズの小さな刃先が、ほんの少し左手の薬指の腹を傷付ける。ちくっとした痛みの後に、指先にぷくっと膨らんだ血のひと粒。
「体内に取り込んだ方がいい? 胸に留めた方がいい?」
「まずは胸に留めて、優羽の力を馴染ませた方がいい。産み月になったら、口から取り込め」
最後はひかりさんとのぞみさんに向けての言葉だ。それに二人が頷いた。
血を出した瞬間から、のぞみさんの様子が変わった。明らかに楽になっているのがわかる。半身でもないのに、血のそばにいるだけでその影響を受けている。
それは、私の血がそれだけ強いということでもある。いつの間にか私の存在もそれまでとは変わっている。
のぞみさんに胸元のボタンを外してもらおうとしたら、ひかりさんが当たり前のように外した。それになんともいえない気持ちになりながら、彼女の胸の間に血を落とす。ぽたっと落ちた血は肌に着く直前で結晶化し胸元に留まった。
途端にのぞみさんの顔色が格段によくなる。いつもの彼女に戻る。
大きく息をつき、強張りを解いたのぞみさんにほっとする。肩の力が抜けて自然と笑顔になる。見上げた天哉も笑顔を見せた。
「もっと早くこうすればよかったんだ。のぞみ、辛い思いさせてごめん」
「私もどうすればいいかわからなかったから。つわりはキツイって聞いていたからってこんなものだと思ってたし」
大丈夫になった途端イチャつくのはどうかと思う。
後ろから気遣うようにそっと抱きかかえていたひかりさんは、やっぱり当たり前のように彼女の胸元のボタンを留め直し、俺のものと言わんばかりにがっしりと力強く抱え直した。のぞみさんはのぞみさんで完全に身体の力を抜いてひかりさんにその身を預けている。
咳払いしたくなるのを必死に堪えた。嫌になるほどあてられる。隣に立つ彼の手のひらに、こそっと指先を滑り込ませた。