大地の記憶
34 Septimus et Octāvus 静寂—Silence


 自分の存在が、どれほど彼に守られ育まれてきたのか。

「どうして、最初からそばにいなかったの?」
 そうすれば、最初から彼の存在が刷り込まれていたはずだ。きっともっと簡単に心を開いただろうに。
「それだと精神が自立しない。自立しない以上覚醒できない」
 それも試したことを言外に知らされる。

 私はどれほど巻き戻され、どれほど救われてきたのか。

「今だって、天哉に頼ってばっかりなのに」
「そんなことはない。優羽は自分で考えて、自分で答えを出している。肉体的に頼らざるを得ないのと、精神的に頼り切るのとは違う」
 そうだろうか。肉体的に頼り切っているのはもちろんのこと、精神的にも頼っているような気がする。だって、彼さえいればいいとすら思い始めている。それは頼るというよりも依存に近い。

「あとは、優羽の両親が任せろと言ったんだ。立派な子に育ててみせると。だから、託してみようと思えた。第三の精神の強さは、あの両親によって育まれたものだ」
 あの日学校で出逢うまで、一切の接触をしなかったらしい。ほんの僅かな接触ですら、何らかの影響を与えてしまうことを彼は恐れた。

「お姉ちゃんも綱渡りだったの?」
「そうだ。二人の半身を得ることも、二人の子を得ることも、少しでも違えばなかっただろう」
「半身は、二人じゃなきゃダメだったの?」
「ダメだっただろうな。そうでなければ第二は生み出せても、第一は生み出されなかった」

 無駄に広い空間の端寄り。
 どうせならと天窓から落ちてくる光の真ん中にベッドを運んでみたものの、どうしても屍が落ちてくるイメージが拭いきれず、床に広がる光の輪から少し外れた場所にベッドを移した。
 そこに寝転がって斜め真上にある丸い天窓から零れ落ちる光を見上げている。はっきりと見えるわけではないけれど、その上を通り過ぎる大地の色が透け落ちてきているようで、光が色付き、それが時間とともに変化していく。

 静かだった。
 光が堕ちてくる音まで聞こえそうな静寂(しじま)

「私、ずっと一緒にいたい」
 抱きしめられるように重なる身体から、ああ、と直接声が聞こえた。
「終わりまで一緒にいたい」
 それには、静けさが返された。
「私のこと、取り込んでもいいからね」
 耳が触れている身体から、どくんと心臓が跳ねる音が聞こえた。

「ずっと一緒にいて、それでも一緒にいようと思ったら、取り込んでね」
 たぶん、そういうことだと思う。
 いつしか私は形を()くし、彼に取り込まれる。それでもいい。それでも一緒にいたい。ずっと寄り添っていたい。

「ずっと先の話だ」
「うん。ずっと先の話だけど、ずっと一緒にいたいの」
 そのために私は、今ここにいるのだと思う。それが私の願いで祈り。
 きっと本気にされない。本気にするには私はまだ若すぎる。自分でもそう思うのだから、彼はもっとそう思っているだろう。

 彼と出会って、私はつくづくまだ十七歳なのだと思い知らされる。どれほど巻き戻され、どこほど救われようと、今の私は十七歳でしかない。どれほど背伸びしても、たった十七年分の私しかいない。

 あまりの静けさに、耳鳴りがする。
「暇だね」
「暇だな」
「のぞみさんのとこに遊びに行く?」
「そうだな」



 ということで第八世界に飛んだら、ひかりさんが至極迷惑そうに顔を歪め、刺々しい声を出した。
「なんでいつもそんな気軽に世界を越えて来るんだよ。なんなの?」
「お前に用はない。用があるのは彼女だ」
「そんなの俺が許すわけないだろう!」
 どうしてこんなに気が立っているのだろう。いつものひかりさんらしくない。

「大丈夫だ。生まれるのは卵の方だ。それは彼女でも耐えられる。問題は、その後生まれる胎児の方だ」
 それを聞いた途端、いからせていた肩を下ろしたひかりさんは、「ごめん」と素直に謝った。

「のぞみさん、もしかしてもうすぐ産卵するの?」
 男二人が揃って頷いた。いやいや、暢気に頷いている場合じゃない。
「産卵の方法は?」
「自然と生み出される。生み出された卵を淵源に還すと、この世界の生きものの(はら)に宿り、孵る」
 天哉の説明にひかりさんも頷いているあたり、淵源から知識を得たのだろう。

「のぞみさんは?」
「うちで寝てる。なんとなくだるいらしい」
「ひかりさん、私がのぞみさんのそばにいてもいい?」
 それに渋々といった態の頷きが返された。

 のぞみさんは卵を産む瞬間をひかりさんに見られたくないらしい。その気持ちはよくわかる。私もその瞬間は見られたくないと思う。それはきっと私も第三世界で育った女だからだ。

 いつもは開け放たれていた扉をノックする。「のそみさん、優羽です」と声をかけ、ほんの少しだけ扉を開け、その隙間から顔を出す。

「優羽ちゃん? わざわざ来てくれたの?」
 暇つぶしに来たとは言えず、黙って頷いた。
 間違いなく天哉は知っていてこの瞬間に飛んだのだろうけれど、私は知らなかった。聡い彼女に嘘をつきたくない。

「そばにいてもいい?」
 そう訊けば、ベッドに横になっていたのぞみさんがいつもとは違って頼りない笑顔を見せた。

「本当は心細かったの。でも、やっぱり卵を産むところはひかりに見られたくなくて」
「わかります。私もきっと無理。立ち会い出産とか、みんなやってることだって思うんですけど……なんか卵は無理」
 靴を脱いで家に上がり、なるべく音を立てないよう、そっと扉を閉めた。

「優羽ちゃんも?」
「なんか恥ずかしい」
 軽く起こしていた身体をベッドに沈め、のぞみさんは気怠そうに笑った。

 ベッドの端に許可をもらって腰掛ける。以前あったもうひとつのベッドの台は取り払われ、ちいさなオープン棚に変わっていた。そこにきれいに畳まれた洋服が重ねられている。

「私も。産卵は小さな卵産むだけって言われてたから一人でも大丈夫かなって。これが赤ちゃんだったらそんなこと言ってられないんだろうけど」

 不意に思い付いた。今の私ならきっと大丈夫だ。

「のぞみさん、私、覚醒したの」
「ああ、だからかな、優羽ちゃんきれいになった。前からきれいな子だなって思ってたけど、ずっときれいになった」
 のぞみさんに言われると素直に喜べる。きっと彼女は、そのままの白い私も受け入れてくれるような気がした。

「第七としてだけじゃなくて彼の半身としても覚醒したんです。だから、私の血を取り込めば、のぞみさんも赤ちゃんも無事に産まれてくる気がする……。本当は天哉の血の方が確実だけど、きっとひかりさんは嫌がるだろうし、のぞみさんもひかりさんが嫌がることは嫌だと思うから……。私の血なら、妥協してくれるんじゃないかなって」
 話ながら確信のようなものを得ていく。

「霧島くんって、たかやって名前なんだ」 
 彼女はそう言ってはぐらかした。一人では決められないのだろう。
「ひかりさんと相談してみてください」
「そうさせてもらう」
 そう言った瞬間、のぞみさんがお腹を押さえた。いつものワンピースのお腹の上には以前持ってきたバスタオルが掛けられている。

「大丈夫?」
 痛がってはいない。けれど、顔をしかめている。
「大丈夫。たぶん産まれた。ちょっとびっくり。なんか、不思議な感じ。ちょっと向こう向いててもらっていい?」
「待って、ひかりさん呼んでくる。もう大丈夫だよね」
 慌てて立ち上がり、後ろを向いて焦ってそう言えば、お願い、と聞こえてきた。産まれたばかりの卵を最初に見ていいのは私じゃない。

 急いで扉に駆け寄り、扉を開け放してひかりさんを呼ぶ。
「ひかりさん! 産まれた!」
 扉の前に待機していたひかりさんが、一目散にのぞみさんのそばに駆け寄った。続けて入ってこようとする天哉を止める。

「さすがにダメでしょ」
「ダメか?」
「ダメ」
 そのまま扉を閉めた。情けない顔をしてもダメ。

 のぞみさんのそばに戻れば、のぞみさんに寄り添うひかりさんの手のひらに、真珠のような小さくてきれいな粒がこんもりとのっていた。すごくきれいな粒。

 おめでとうを言おうとして、その言葉をのみ込んだ。さっきの天哉の説明を思い出す。この卵を孵すことができるのはこの世界の生きもの、そういう意味に聞こえた。それは、産まれたばかりの卵を手放さなければならないということだ。二人の子供なのに。

「手放したくないな」
「そうだね」
 静かすぎる二人の声に胸がつまる。

 そっと音を立てないよう気配を殺し後退る。私はここにいていい存在じゃない。私が泣いていいわけがない。

 音を立てないよう、空気も揺らさないよう、静かに扉を開けて、静かに閉める。

「最初から決まっていたの? 遷移とは関係なく」
 鼻の奥がつきんと痛い。気を抜くと声が震えそうだ。

「決まっていた。あいつが望んだことだ。彼女もそれを承知している」
 私たちの子供は──訊こうとして、やめた。
 その時になって知ればいい。今はまだ知らなくていい。

 彼が私を今この瞬間にここに連れてきたのは、きっとこの現実を見せるためだ。だとしたら、私たちの子供も普通に生まれてはこないのだろう。
 真実を知る覚悟が今の私にはない。ただ、子供を両親に見せることも抱かせることができる、それだけを知っていればいい。

 抱きつけば、抱きしめかえしてくれる。今はそれだけでいい。彼の存在だけで充分だ。

「私の血、のぞみさんにあげれば無事に赤ちゃん産める?」
「そうだな。優羽が私の半身として覚醒したのは大きい。優羽の血と淵源があれば、二人だけでも出産することが可能だろう」
「そうなの?」
 腕の中から見上げれば、見下ろす視線が柔らかだった。

 キスがほしくて目を瞑れば、すぐに唇が落ちてくる。少しかがんで落とされるキス。背伸びして受け取るキス。

 そのまま手を繋いで歩き出す。二人がお別れを終えるまではそばにいない方がいい。
 産卵が終わっても戻らないということは、淵源に還すときに彼は立ち会わなければならないのだろう。

「時の流れって世界によって違うんだなって、なんか改めて実感した」
「どうした急に?」
「この瞬間にわざわざ来たんでしょ? それって、時を定めて飛べるからできることだよね」
「そうだ。私と第一、第二だけができることだ。そのうち優羽もできるようになるだろう」
「だから、私たちの子供をお父さんやお母さんに抱かせることができるんだね」
 それに頷きが返される。その目が優しくて、けれど哀しくて、やっぱり私の予想は間違っていないことがわかる。

「いい。それ以上は訊かない」
「そうか」
 そう言って笑った目は、ただ優しかった。

「優羽は強いな」
「強くないよ。弱いから訊かないんだもん」
「強いから、訊かずにいられるんだ」
「そうかなぁ。違う気がする」
「まあ、その判断は人それぞれだ」
 繋いだ手に力が込められた。同じだけ力を入れ返す。それよりも強い力で握り返され、ちょっとムキになって思いっきり力を込めて握り返したら、吹き出すように笑われた。

 この存在の隣に立つにはもっと強くならないと。