大地の記憶
29 Tertius 祈り—Supplication


「私の前にいた第七たちは、どんなふうに生きたの?」
 それを訊いた瞬間、彼ははっきりと顔を歪め、その漆黒の瞳に影を落とした。

 天哉が再びこの家に滞在することになり、父があんかけ焼きそばの作り方を彼に教えながら、二人がお昼の用意をしているのを特に何を話すともなく母と一緒に眺め、出来上がったあんかけ焼きそばを揃って食べた。
 そういえば今日は父がお昼をつくると言っていたなと、焼きそばの麺が冷蔵庫にあった理由に気付き、家に戻されてから両親の話をちゃんと聞いていなかったことにも気付かされた。

 そして、母の「二人もちゃんと話し合いなさい」の言葉に、揃って自室へと移動した。

「もしかして、私と同じ?」
「全てではないが、そうなったものが多い」

 その声を聞いた瞬間、どういうわけか吐きそうなほどの強い衝動を身体の奥から感じた。
 私は今の第七世界に行かなければならない。

「教えて。みんなは最後、どうなったの?」
 咄嗟にしがみつくように彼の腕に縋れば、当たり前のように肩を抱き込んでくれる。それにほっと息をつくも、こみ上げた衝動が薄れることはなかった。

 ひとつ大きく息をついた彼がゆっくりと話し始める。
 両親がいるときには決して腰をおろすことがなかった私のベッドに腰掛け、引き寄せた私にその体温を伝えながら。

「いつからなんだろうな。第七が贄のような存在に変わったのは」

 最初は半身と一人か二人、その程度の人数だったそうだ。それでも、ゆっくりと歪んでいく。
 本来世界に繋がるものはそうでないものと比べてその寿命はずっと長い。それが、私が生まれる頃にはそこに棲むものと比べて三分の一以下まで短くなっていた。

 彼女たちのうち何人かは、歪んでいく自分に耐えきれず、第八世界に逃げ込んだ。
 そこで生まれたものが、以前のぞみさんに聞いたサンちゃんと呼ばれた生きものたちの祖先。
 最初に迷い込んだ場所は、第一都市と名付けられ、彼女が生み出した子が支配する国へと発展していく。次に迷い込んだ第七が降り立ったのが第二都市。次々と逃げるように迷い込んでは、第八世界でその寿命を終えた。
 彼女たちは、第八世界で幸せだったのだろうか。

「両性を生み出すのは、単性である存在にはとてつもない負担だ」
「もしかして、のぞみさんが耐えられないのもそのせい?」
「そうだ。どうあっても第一形態は両性でしか生まれない。たった一人だけ生まれる二人の子供すら、第一形態はあいつと同じで両性になる」

 のぞみさんは十三の卵と、一人の子供を産む。それは、世界に定められているらしい。おそらくその根底にはひかりさんの願いが隠されている。そうでなければ、定められたりはしない。

「のぞみさんの寿命も短くなる?」
「いや。あれらはすでに繋がった存在だ。二人の命は等しく同じになっている」
 あの二人が羨ましかった。きっと私は天哉と同じにはなれない。

 第八世界に逃げ込んだ第七たちは十四。あの世界の都市と同じ数らしい。
 それ以外は私と同じく歪んで狂って終わっていった。

 ふと疑問が頭をもたげた。私を呼んでいるのは、本当に第七世界だろうか。

「ねえ、あの時手首にあった痣、色がいくつあったか覚えてる?」
「再現できるが……大丈夫か?」
「大丈夫。見たい」
 心配そうな彼を真っ直ぐに見つめ、ひとつ頷く。怖さよりも確かめたかった。

 再び手首に現れた極彩色の痣。その先に絡む指が、怖さも気持ち悪さも消してくれる。
 数えた色は十四。

「私を呼んでいるのは、第七世界じゃなくて、第八世界に消えた彼女たちだ」
「それはない。あの空間に接触できるのも、私が無意識下で応えるのも世界だけだ」
 だとしたら、どういうことだろう。見つめる痣は何も答えてはくれない。しばらくすると、すっと霞むように消えてしまった。
 思わず彼に目を向ければ、そこにあったのは心配そうな顔。大丈夫の意味を込めて笑顔を作れば、キスがひとつ落ちてきた。伝わる体温に想いが溢れる。

 このまま、何も知らないまま、この家で両親と一緒にただ彼と寄り添って生きていけたらいいのに。

「彼女たちの願いが積もり積もって、世界が動いたのかもしれないな」

 彼は、ずっと奇妙に思っていたらしい。
 かつての私は、最初に嬲られたときに彼を目覚めさせている。ただ、その時点での私に彼を目覚めさせるほどの力はなかったらしい。彼を目覚めさせるほどのコマンドが覚醒すらしていない存在に使えたはずもない。

「第八世界に逃げ込んだものたちは、全員覚醒していた。覚醒までは半身だけが相手だったものたちだけが、第八世界に飛べたんだ」

 そうだ。そもそも覚醒もしていないのに隣り合う世界に自分の意思で飛べるはずがない。今の私が単身で飛べたのは、ひとえに彼の血を取り込んでいたからだ。

「どれほどの第七が、嬲られて消えていったの?」
「数え切れないほどだ」
 確認したくて訊いたのに、訊いたことを後悔した。

 たった十四人だけが覚醒でき、なんとか逃れた。
 目を潰されたのも、触角を折られたのも、羽を留められたのも、きっと私だけじゃない。

「どうして、親や姉妹は……」
 口にして後悔した。今の私にあの両親が存在しているのは、それまでとは真逆だからだ。
「聞くか?」
 それでも聞かなければならない。頷けば、つかの間、慰めるかのように抱きしめられた。

「世界と繋がるものを生み出したものは、それを差し出す代わりに第七世界の統治者となる」
「統治者として育てられているわけでもない人が? そんな人が統治なんてできるの?」
「できないから、因習が連綿と続いているのだろう」
「でも、自分が産んだ……」
 自分の子供でしょ、と言いかけて口を噤んだ。この世界にだって自分が産んだ子供ですら粗雑に扱う人がいる。のぞみさんだって、そんなふうに扱われた子供だ。

「卵の状態ですでに世界と繋がるものだとわかる。そこには最初から情などないのかもしれないな。それほど多くの卵を生み出さねば、第七世界は崩壊しかねなかった」

 たくさんのうちのひとつ。そこに価値などないのだろう。
 そんな世界は生まれ変わるべきだ。そう思うのは、ただの綺麗事だろうか。
 機械的に量産される命。
 それでも命は尊いものだと心が嘆くのは、存分に愛され、何不自由なく育った甘えからだろうか。

「第七たちは、成体となるまで閉じ込められたまま、外の世界を知らずに育つ」

 囚われたまま贄とされ、その命を歪ませ、捨てられる。
 それはもう同じ命に対する扱いじゃない。

「第七世界は、大地が浮遊する世界だ。第八世界のパラディススほどの大きさの大地がいくつも浮遊している。その最上にあるのが統治の大地。そこまで飛べるものがその世界を治める。本来、第七は統治者であったはずなんだ」
 そこまで言って、彼は一度口を閉ざした。そして、息を整えるかのようにひと呼吸したあと、再び口を開いた。

「孵化した直後に、母親に純血を散らされる。その時に流れた血を口にした母親が、第七に代わり統治者になる」
 意味がわからず、首を傾げる。
 どうして同じ女なのに純血を散らせるのか。それが顔に出ていたのか、ただ一言、「指だ」と抑揚のない声で返された。
 指? そう思いながら想像した自分を呪った。そのおぞましさは嬲られる以上のショックを叩き付けてきた。

 孵化したばかりの我が子の膣に母親が指を入れ、その純潔を奪い、その破瓜の血を口にする。
「どうして……」
 そんなことができるのか。
 かつて感じたことがないほどのおぞましさに身の毛がよだつ。

「その血を得ることによって、母親は最上まで飛べるほどの力を得る。純潔を奪われた第七は、破瓜の傷みを与えたものに寄り添ってしまう。本来であれば、覚醒の第一手段はコマンドで無意識下で守られている。だが、自らを生み出した存在にだけは、そのコマンドが働かない」

 己の欲のために我が子の大切なものを奪う。本来であれば守ってくれるはずの存在だから、コマンドが作用しない。その守ってくれるはずの存在が、守ってくれなかったときの絶望。生まれた直後に堕とされる。

 それは、第五世界に存在する半身をも狂わせるのではないか。覚醒の第一手段がすでに破られたことを知った半身は、何を思うだろう。ただ一人であるはずの己の半身の純潔が奪われている事実を目の前にして、何を思うのか。

「第五は、半身は、それが母親によるものだって知らされるの?」
「知らされると思うか?」

 だから。
 見捨てられ、贄にされる。

 破瓜の血で力をつけた統治者がその事実を隠し、自らの子を贄として差し出し、第七世界に棲むものたちにつかの間の平和を与える。それは、何も知らない第三者から見れば哀しき美談にも映るだろう。
 そんな話はこの世界にも山ほどある。

「どうして、破瓜の血を得るなんてこと考えつくの?」
「先代の統治者が吹き込むんだ。代わりに死ぬまで自分の身を保証してもらうことと引き替えに。おそらく初めは偶発的に起こったことだったのだろう」
「逆らった母親はいないの?」
「それが、第八世界に逃げ込んだ第七の親だ。だから、彼女たちは覚醒し、その半身たちも最後まで彼女たちを守ろうとした」
「でも、それまでの因習で、どうにもできなかった?」

 見上げた彼の目には何も浮かんでいなかった。表情を隠したまま、ただひとつだけ頷き返される。

「第五も第七も、絶え間なく生み出され続けている。そのせいで世界も力を蓄えることができない。ほかの世界のものと比べて、そのふたつの存在はコマンドの力も弱い」

 きっと、半身を守ろうとした第五は、第七よりも先に第六世界への贄とされたのだろう。

 そこで、階下から母の「ご飯よー」の声が聞こえた。その声にたとえようもないほど安堵する。いつの間にか握りしめていた拳からゆっくりと力を抜いた。

 重い空気を纏ったまま食事をする私に、両親は何も言わず、何も訊かず、ただ見守ってくれる。そこに笑顔さえ浮かべて。
 二人に育てられた私は、親は無条件で我が子を守る存在だとどこかで信じている。だから、その声ひとつで、柔らかな表情ひとつで、心の底から安堵できる。血の繋がりなど関係なく。
 けれど、やはり違うのだろうか。
 日常に紛れ込んでいるニュースも、血を分けた我が子への虐待を連日のように伝えている。



 あたたかく愛情が込められたおいしい食事を終え、心を許せるものと安らかな時を過ごし、順にお風呂に入って身を清め、何ものにも奪われることのない一日を終えようとしている。
 それがどれほど得がたい幸せなのかを改めて感じた。
 だから私は、この幸せを手放したくなかった。

 ベッドに横になり、月明かりすらない暗闇の中、なかなか寝付くことができなかった。

「第三世界は、進化を放棄した世界だ。だが、それによって他の世界に生きるものより、深く思考するようになった」
 暗闇を解くかのように聞こえてきた声。

 ゼノとその半身の存在は、神にも、天使にも、悪魔にも、宇宙にも、複雑にたとえられるようになった。たったふたつの存在が、いくつもの宗教を、存在を、世界を生み、さらにそこから枝分かれ、途方もない数の存在へと細分化していった。複雑に細分化された存在は、時に大胆に単純化され、大雑把に一括りにされ、その真実を歪めていった。
 それだけじゃない。あらゆる思想の根底には、必ずといっていいほどゼノとその半身の存在がある。

 私が今こんなふうに考えられるのは、その第三世界で育ったからだ。第七世界で育っていれば、こんなふうには考えられなかっただろう。

「第七世界は、なんとか生まれ変わりたかった。それは、第五世界より強い祈りだ。その根底には、贄となった数多の第七の存在が在ったのだろう。私が第五世界との統合を決めたのは、その願いに応えるためでもある」
「でも、第七世界は第五世界との統合を望んでないんじゃないの? だって、その願いの根底に第七たちの想いがあるなら、私なら第五世界と統合されたいとは思わない」

 ふと、父の言葉を思い出した。

「もしかして、第五世界にはいたのかな。ただ一人とだけ番いたいって願ったものも」
「いただろうな。なぜ、第八世界に存在する彼女たちの子孫がただ一人とだけ番うのか、そこに答えがあるんじゃないか?」

 第八世界の翼を持つものたちは、生涯ただ一人とだけ番う。翼を持たないネイティブたちは、相手を変えて番うこともあるらしい。

「どの世界の生きものも、お父さんが言うように、ただ一人と番いたいって願望があるのかな」
「どうだろうな。少なくとも私は、優羽とだけ生きたいと願う」

 彼がそう思うようになったからなのか、それとも最初からそうだったのか。
 この世界にだって、一人とだけ生涯寄り添う人もいれば、そうじゃない人もいる。それは、たった一人と出逢えたか否かの違いでしかなかったとしたら……。

 わからない。
 だとしたら、私はどうして半身を求めなかったのだろう。半身も、私だけを求めてくれなかったのだろう。たとえその間にどうしようもないほどの隔たりがあったとしても、互いをただ一人と求めなかったのだろう。
 それは、第七の寿命が短くなるにつれ、第五の半身が複数存在するようになったからだろうか。もしかしたら、世界そのものが歪んでしまったのだろうか。
 けれどそれすら、本来であれば進化ということになる。

 進化と退化の違いはなんだろう。退化は必ずしも進化と対極にあるわけではないと教わったのは、なんの授業だったか。


「一緒に寝てもいい?」
 どうしても一人で眠るのが嫌だった。口にしたものの断られるだろうと思っていたその予想は、あっさり覆った。
 彼の「おいで」の声に、ベッドから降り、招き入れるかのように片手で持ち上げられている布団の中に潜り込む。
 抱きしめるように彼の腕に囲われ、耳に彼の鼓動を感じ、肌に彼の体温が染み込んでいく。

 真っ新な身体──ウェスの言葉が蘇る。
 初めての痛みを思い出す。
 寄り添いたいと思うのは、破瓜の傷みを与えたものだからじゃない。それだけじゃない。

 私の初めてを奪っておきながら、それでも私を再び巻き戻さなければならないと考える彼の在り方がやるせない。
 欲しい欲しいと手を伸ばし、やっとの思いで手に入れたのに、どれほど大切にしていても世界が望めば否応なく手放さなければならない、そんな彼の性質をぶち壊したい。
 何よりも強く望まないと手に入らない遙かな存在。

 渦巻く感情を持て余しながら、悠久の黒に守られるように眠りに落ちた。