大地の記憶
27 semi-Septimus et Tertius 友—Confidant


「もうさ、優羽を段階的に覚醒させようなんて回りくどいことはやめて、さっさと覚醒させた方がいいよ。そうすれば世界に優羽を横取りされることもないし、そのうち第五は消える」
「どういうこと?」
「優羽は、どれだけこれに守られているか考えたことある? どうして第七の優羽が当たり前のように第三世界の人間と同じように生きていられると思う?」
「余計なことを言うな」
 ウェスの責めるような声に、天哉の重い声が重なる。

「言うよ。もう黙ってるわけにはいかないでしょ。段階を踏みながら覚醒させようなんて、どんだけ過保護なの。どんだけ優羽を優遇すれば気が済むの! あんたはそのたびに自分を削って、もうその姿を保つことだって難しいだろうが!」

 怒りと苛つきを真っ直ぐにぶつけてきたウェスの吠えるような声に気圧される。

「優羽はね、ちゃんと覚悟してるよ。あんたの闇も歪みも醜さすら優羽は受け入れてる。目覚めさせたのは優羽だ。けど、それに応えたのはあんただろう? 応える必要のないことに、応えたのはあんただろうが!」

 ゆっくりとウェスから天哉へと視線を移す。そこにあった苦悶の表情に、ウェスの言葉が間違っていないことを知る。お腹の底がしんと冷えていく。
 今、私が思い浮かべてしまったことも、きっと間違っていない。

「私の時を何度も巻き戻したのは……」
「もちろん、世界のためだよ。できるだけこっちの介入なしでその世界がなんとかする方がいいに決まってる。けど、それだけだとは言い切れない。そのせいで優羽は絶望の最深に堕とされた。それほど強く望まれなければ、これは優羽の半身にはなれなかったからね」

 その記憶が自分の中にはない。彼に語られた話を知っているだけだ。かつて感じていたおぞましさすら、もう私の中にはない。

 それなのに、わからなくなった。
 それだから、わからなくなる。

 きっと、彼が目覚めなければ私はここにいない。時を巻き戻されなければ、彼の隣に私はいない。
 目覚めさせたのは私。応えたのは彼。
 そのために絶望の最深に堕とされた。そのたびに何度も救われてきた。

 わからない。

「必要な、こと、だった?」
「ひとつの方法ではあった。でも、優羽はあのまま終わってもよかったんだ」

 終わってもよかった。
 それが胸に突き刺さった。途端に心が傷んでいく。

「終わった、方が、よかった、の?」
 溺れそうだ。息ができなくなりそうだ。心がだらだらと垂れ流しているのはなんだろう。
「違う!」
 天哉だけが声を上げた。ウェスもゼノも目を伏せた。

 そう、私たちはいくらでも代わりが生み出される存在だ。第五と第七は特に。
 特別な存在なんかじゃない。使い捨てられる存在だ。そこに棲むものたちにすら使い捨てられるような、羽根のように軽く塵のように価値のない存在。

「どうして世界は、美しくも醜く、優しくも残酷だと思う? 善と悪が紙一重だと思う? これがそうだからだよ。これから作られた全てが、これと同じ側面を持つ」

 彼が、人に似ているのではない、人が、彼に似せてつくられている。
 ずっとわかっていたことなのに、彼を目の前にするとそれを忘れる。

「優羽、もう動き出してるんだ。後戻りはできない。反省するのも後悔するのもこれを責めるのも好きにすればいい。でも、これが姿を保てるうちに覚醒して」

 それだけを言い捨てて、ウェスとゼノは姿を消した。
 部屋が暗闇を取り戻す。すぐ隣に座っていた天哉の姿すら、明るさに慣れた目には映らない。

 私は、どれほど思い上がっていたのだろう。どれほど浮かれていたのだろう。

「それでも、欲しいの。ずっと、欲しかったの。生まれた瞬間から欲しかったの! どうしてダメなの? どうして! どうしてたった一人を望んじゃいけないの! 半身より強い結びつきを望んじゃいけなかったの! どうして! どうして使い捨てられたくないって思っちゃいけないの!」

 力任せに抱き寄せられた腕の中は、それまでと同じで安堵しか与えてくれない。
 溺れそうだったのに、苦しかったのに、この腕の中では呼吸すら楽になる。

 いっそ憎めばいいのか。嫌いになればいいのか。自分の存在を呪えばいいのか。
 心はだらだらと何かを垂れ流したまま。

「優羽、このまま第三世界の人間のように一生を終えることもできる。そのくらいなら、私はこの私を保てる」
「それじゃあ天哉は一人になっちゃう!」
「私は、はじめから一人だ。ほんの一時でも優羽と一緒にいられたなら、もうそれでいい」

 いやだ。絶対に嫌だ。
 もう一人は嫌だから、今の私がつくられたのに。
 一人にしたくないから、だから、今の私がいるのに。

 ふと思い出した祐夏の言葉──狂愛。
 いい。この身が滅んでもいい。

「覚醒する。あなたと一緒に生きていけるように」

 再び絶望の最深に堕ちたとしても、私はあなたを希求する。何度でも繰り返す。どれほど嬲られても、その先にあなたがいるなら、私はこの身を滅ぼしてもいい。何を失っても、あなたさえいればいい。

 結局私ものぞみさんと同じだ。
 全部欲しいなんて、そんな都合よくはいかない。
 たったひとつさえ望めない。
 どうしても欲しければ、たったひとつだけを選び、必死にならなければ手に入らない。

 のぞみさんに出逢えてよかった。
 彼が出逢わせてくれた姉のような人。
 愛することを教えてくれた、両親に出逢わせてくれたのも彼だ。
 この世界で生きていたからこそ、祐夏や穂住ちゃんにも出逢えた。

 もう充分だ。十分すぎるほど与えてもらった。
 この先は、ただひとつだけを望めばいい。どうしても欲しいものだけを望む覚悟を持てばいい。

 それなのに、涙が止まらない。
 悲しくて哀しくて、この腕の中に安堵しながらも、彼以外を心に映してしまうのはどうしてだろう。

「優羽、優羽はまだ十七歳なんだ。何もかも諦められるわけなんてないんだ」
「でも、のぞみさんは!」
「あれは特別だと言っただろう。あの二人は特別なんだ」
「私は──」

 私は、あなたの特別にはなれないの?
 出掛かった言葉をのみ込んだ。
 その覚悟もないくせに、どうして特別になれると思うのだろう。どこまで私は思い上がっているのだろう。

 母の言っていた親離れの意味が、ここにきてようやくわかった。
 姉が持っていたという、幸せになるための覚悟は、それ以外を選ばない覚悟だ。捨てるとか捨てないとか、そんなことじゃない。それ以外を目に入れることすらしない、そんな狂おしいほどの覚悟。

 今の私には──できない覚悟だ。
 心が何かを垂れ流す。

 先のことはわからない。
 これまでのこともわからない。
 ずっと一緒にいたい。離れたくない。
 どうしてそれだけじゃダメなの……。



 私は家に戻された。
 私が第三世界にいるせいで姉はここに来ることができない。ゼノたちも第一世界に還れない。

 天哉とはあれ以来会っていない。会いたくても会えない。

 全ての感覚が麻痺したようで、何もかもが鈍く重い。
 考えても考えても答えは出なくて、少しでも逸れてしまえば何かを恨みそうで、傷んだ心が腐敗しそうで、そんな自分が嫌で、けれどどうしようもなくて……。結局何もできないまま時間だけが過ぎていく。

 両親に心配をかけたくなくて、二人の前ではいつも通り振る舞っていても、一人になると途端に心が彷徨う。

 ノックの音に軽く頭が上がる。両親は予定よりずっと早く家に戻ってきた私に何も言わない。いつもと変わらず接してくれる。姉に会うことが先延ばしになったのに、それについても何も言わない。

 ドアノブがかちゃっと軽い音を立てる。
「優羽?」
 聞こえてきたのは、予想していた父や母ではなく、祐夏の声だった。

「どうしてる、って送っても返信ないし。おばさんに電話したら優羽が死にかけてるって言うから、仕方なくプリン買ってきてやった」
 ずいっと見せつけるように差し出されたコンビニの袋。

「これはおじさんが持ってけって」
 ふわっとかすかに香る梅の花。
 小さな花瓶に活けられたそれは、うちの庭に咲く白梅だ。父は、桜の華やかさも好きだけれど、梅のかわいらしさが好きだ、と常々口にしていた。丸い花びらがかわいらしいと。

 ことりと小さく音を立てて机の上に置かれたかすかな薄紅をさす梅は、引き籠もる私を責めることなく、そこを自分の居場所と定めたように、父に似た静けさと母に似た清らかさで部屋の中に溶け込んだ。

 ベッドを背にラグに座り、手足を投げ出していたその横に、祐夏も同じように座ってベッドに背を預けた。
 かさかさと音を立ててコンビニの小さな袋の中から出したのは、ただのプリンではなく、透明なプラスチックのパフェ容器に入ったプリンパフェだった。

「奮発したね」
「でしょ。仕方ないよね、死にかけてるって言われたら」
 眉をひそめる祐夏を見ていたら、色んなものが一気にこみ上げてきた。

「祐夏、わからなくなった」
「そっか」
「どうすればいいかわからない」

 プラスチックのスプーンが入った透明の袋を破きながら、んー、と呻る祐夏は、透明なカップの蓋を外し、スプーンの入っていた袋と一緒にコンビニの袋にかさかさ音を立てながら入れた。

 プリンを口にした祐夏が、へにゃっと顔をほころばせる。
「あ、おいしい。さすが三百八十円。優羽もまずは味わえ」

 のろのろと同じようにスプーンの透明な袋を破き、透明なカップの蓋を外し、同じようにコンビニの袋に入れる。プリンをすくって口に入れた。苦手な生クリームがいつもよりおいしく感じた。口の中に広がる甘さに慰められる。
 それを祐夏は黙って見ていた。

「おいし」
「でしょ」
 満足そうに笑う祐夏が、急に真面目な顔になる。

「どうすればいいかの前に、今一番何がしたい? 余計なこと考えないで、今一番したいのは何?」
「会いたい」
 妙な迫力の祐夏に咄嗟に答えた言葉がそれだった。
「じゃ、会いに行こう」
「でも……」
「でもじゃない!」
 目をつり上げ、声を荒げた祐夏の迫力に、びくっと身体が震えた。

「そうやってうだうだ悩んでたって解決しない。だいたい優羽はいつも考えすぎ。考えたところで答えなんて出ないこと、もうわかってるんでしょ」
 小さく頷けば、つり上がっていた目が緩む。
「だったら、まずはやらなきゃいけないことより、やりたいことをしよう」
 そう言って、プリンをもうひと口ぱくっと食べた。

「優羽、黙っていてもわかってもらえるって思うのは、図々しいことなんだよ」
 その声に、プリンに落としていた視線が跳ね上がる。

「私もそうだったんだけどね、優羽もどこかで、黙っていてもわかってもらえるって思ってない? それね、図々しいことなんだなって最近思うようになった」
「図々しい?」
 きつくも聞こえる言葉なのに、嫌な感じは一切しない。だから、素直に訊き返せた。

「そう。だって、何も言わない相手のことをわざわざ察しなきゃいけないんだよ。それには相手を観察しなきゃいけないし、観察するためには相手と一緒にいなきゃいけない。相手が何を考えているか想像しなきゃいけないし、たくさんの未来予測をして、観察しながらその未来予測の中から最も適したものを選んで、慎重に様子を見ながら動かなきゃいけない。はっきり言ってそんな手間暇かけて付き合いたいって思う? 馬鹿馬鹿しいほど面倒だよ」
 一気に話されて、その勢いにのまれる。

「そういう面倒なことを相手にさせてるって自覚ある? どんだけ相手の時間も労力も奪ってるかわかる?」
 ずいっと隣から身を乗り出されて、思わず首を左右に振りながら身体を逸らす。

「でも、祐夏は、何も訊かないよね?」
「訊かないね。聞かなきゃ知らないでいられるもん。知らなきゃ自分には関係ないって知らん顔できるでしょ。私ね、結構冷たいんだよ。自分の時間を割いてまで、どうでもいい他人と関わろうと思ってない」
「でも……」
 思わすプリンに視線を落とす。わざわざ時間を割いてまで会いに来てくれた。ふと気が付けば、今はまだお昼前だ。しかもたしか今日は平日。今更ながら祐夏が制服だと気付いた。

「祐夏、学校は?」
「は? 今更それ? そんなのサボったに決まってるでしょ」
 学業最優先が祐夏の信条だったはず。
 それが顔に出ていたのか、呆れたため息を返された。

「あのね、これ仕事じゃないから。普通の暑苦しい友情でしょうが」
 呆れ顔を見せながら、「あ、スポンジでかさ上げされてる」と、プリンに対する不満をもらした。

「祐夏、お昼食べていく?」
「当たり前でしょ。だから昼前に来たんだもん。おばさんのご飯久しぶりだし」

 祐夏は、中学までは時々ふらっと遊びに来ては、何をするでもなく同じ空間で同じ時を過ごし、一緒にご飯を食べて、結局何も言わないまま帰っていくような、そんな子だった。
 高校に入ってからは、放課後は事務所に顔を出したりと、祐夏が忙しくなったせいでそれもなくなった。

 さっきの言葉は、もしかしたら祐夏自身にも向けた言葉なのかもしれない。私も訊かないことの方多かった。なんとなく、祐夏とはそれでいいと思っていた。ただ一緒にいるだけで充分だった。

「ありがと」
「それも当たり前。優羽は意識なんかしてないだろうけど、私ね、何度も優羽に助けられてるの。だから、今度は私が助けてやるって、無駄に滾った正義感をふりかざしながらプリン買ってきたってわけ。わかる?」
「全然わかんない」
「いいの。私がわかってれば」
 顔を見合わせて吹き出すように笑った。ここで笑えるのは、きっとこれまでの付き合いがあるからだ。

「優羽はさ、ちゃんと自分の思ってること相手に伝えてた? 相手がわかってくれるって思ってなかった? 相手だってわかんないよ。本当の優羽の気持ちは、優羽が言わない限りわからないんだよ。そこはね、手を抜いちゃダメなんだよ。もう最近つくづくそう思う。特に取材されてるときとか。ちゃんとはっきり言わないと全然違うこと書かれるんだよ! なんだよ、神懸かり的作詞って。居もしない神が教えてくれるわけないっつーの!」
 最後は愚痴になった。

 その通りだと思った。
 私はいつもわかってくれると思っていた。実際に彼はいつも言葉の意味を正しく理解してくれた。
 彼はそこに自分が関わると、途端にわからなくなると気付いていたのに、それでもわかってくれるはずだと勝手に手を抜いていた。

 天哉に会いに行こう。
 そう決意して祐夏を見れば、どうだとばかりに偉そうに笑っていた。

 階下から、「二人ともお昼よー」と、全てを包み込むような母のまろやかな声が聞こえた。