大地の記憶
24 Tertius 噂—Gossip


「立花さん?」
 祐夏に付き合って購買に昼食を買いに来た帰り、いきなり知らない人に呼び止められた。
 誰? と祐夏に目で問うと、小さく首を振っている。

「霧島先生と婚約してるって本当?」
 存在を確かめるかのように目を細めながら訊かれたセリフ。またか。隣でうんざりした顔を隠そうともしない祐夏が思いっきりため息をついた。周りからはさりげなくもあからさまな野次馬的視線を感じる。

 付属の保育施設に子供を預けながら佐藤ちゃんが産休から復帰し、あと数日で彼の契約が切れるというこの時期になって、どういうわけかその噂が一気に広まった。
 まずはクラスのみんなに問い詰められ、今度は別のクラスの人にまで問い詰められている。

 祐夏に釣られて思わず出そうになったため息をなんとかのみ込んだ。
「本当」
 そう答えた途端、上から下まで不躾で馬鹿にしたような視線があからさまに往復した。わざとらしい。はっきりしない、曖昧な印象しか持てないはずなのによくやる。もしかしたらそれすら蔑めるのかもしれない。

 この一貫校は比較的裕福な家の子供が通っている。だからなのか、馬鹿馬鹿しいほど家の格による身分差と内部と外部進学の差別がある。ただし、普通科限定。芸術科は実力主義で青田買い的な外部奨学生が多いからか、それとは無縁で平和だ。
 こういう態度に出るのは確実に普通科の生徒だ。芸術科は音楽室や美術室もある特別教室棟に教室があるため、普通科の生徒と顔を合わせることはほとんどない。

 つい忘れてしまいがちだが、彼は霧島本家の三男だ。つまりそういうことだろう。
 よく私との婚約が許されたと思う。まあ、少し調べれば、彼が家とは距離を置いてることはすぐにわかるだろうし、組織の監視対象は両親であって養女の私ではない。いざとなれば簡単に切り捨てられるだろう。
 霧の方がどうなっているのかは知らない。

「立花さんって、外部奨学生なんですってね」
 組織が年金暮らしの両親を気を遣って奨学生にしてくれた。どちらかといえば、組織と仲良くしたい政府側からの配慮らしい。ちなみにこの学校は組織とも霧とも関係はない。もしかしたら神喰い人の末裔とは関係があるのかもしれない。

「それがなに。なんか関係あるの?」
 ひやりとした祐夏の声に、わざとらしいほど大げさなため息と蔑みの視線を返してきた。祐夏相手によくやる。どこからどう見ても美少女だと断言できる祐夏も奨学生だ。ただし、こっちは正真正銘青田買いの方。

「小坂さんの連日のプロモーション、下品なくらいしつこいって事務所に苦情でも入れようかしら」
「お好きにどうぞ」

 年明けにメジャーデビューした祐夏の事務所は業界最大手だ。その最大手の一押し新人。しかも売れに売れているらしい。何かのチャートで連日一位だとクラスの子たちが騒いでいた。
 この普通科女子の家がどの程度なのかはわからないけれど、どっちが痛い目を見るかわからないのだろうか。そもそも上品ぶった話し方がわざとらしい。会ったばかりなのに嫌いの感情がこれでもかと膨らんでいく。

 顔色も変えない祐夏にわかりやすくむっとした普通科女子は、ふん、と鼻を鳴らし、短いスカートを翻して早足に去った。ふわっと漂った甘ったるい人工的な匂いに鼻をむずむずさせながら、翻ったスカートの下着が見えそうで見えないあざといラインに感心する。思わず見たのは、自分の規定通りのジャスト膝下ライン。もう少し短くしてもいいかもしれない。
 彼女が立ち去った途端、集中していたいくつもの視線も散り散りに逸れていった。

「一人でぐだぐだ考えないで、ちゃんと霧島センセーに言いなよ。あれ、たぶん普通科の三年だから」
「この時期によくそんなことに気が回せるね」
 ある意味感心する。さすがエスカレータ式一貫校。鼻のむずむずに耐えきれずくしゃみが出た。

 ふと見た祐夏のラインはきっちり膝小僧の上。確かにこのくらいの方がかわいいかもしれない。さすがに太ももまで晒そうとは思わない。
「私ももうちょっとスカート短くしようかな」
「それも、霧島センセーに相談しなよ」
 呆れたような祐夏の声に顔を上げると、声と同じで呆れた顔をしていた。

 婚約の話は、三学期早々話してある。「たまげた!」と昔話に出てくるような言葉でわざとらしく驚かれた。ときどき祐夏の言葉のチョイスが理解できない。

「これ何回目? 各クラスから確認に来てる感じだよね。普通科ってクラス同士の繋がりないの?」
「ないのかもね。芸術科が特別なんだよ」

 芸術クラスは学年にひとクラスしかないうえ、普通科とは教室が離れているせいか、学年を越えてそこそこ交流がある。うちのクラスの子たちに説明しただけで、芸術科の三年にも一年にも話は流れた。

「まあ、来月から少し休学するから、その間に落ち着くでしょ」
「え? そうなの? いつまで?」
「たぶんひと月くらいじゃないかな」
「そっかぁ」

 祐夏はいつもこうだ。こっちが言わないことをしつこく訊いたりしない。だから付き合っていける。
 教室に戻りながら「ひと月おかずがないのかぁ」という祐夏の心底残念そうな声に、お腹の底から笑った。



 放課後、保健室に立ち寄ると、穂住ちゃんが待ち構えていた。
 ここ最近は顔を出す度に誰かしらいて二人きりになることがなかったせいか、久しぶりに誰もいない保健室にほっと息をつく。

「ごめん、噂広まったの私のせい」
 両手を顔の前で合わせて、申し訳なさそうに片目を瞑っている。

「そうなの? なんで?」
 彼女がわけもなくそんな不用意なことをするとは思えず、思わず首を傾げた。

「あー……ほら、ここって一応お嬢様学校だから、早い子だと高校入学くらいから婚活が始まるんだよ」
「は? 婚活? そうなの?」
 驚きすぎて声が裏返った。せいぜいお付き合い程度に考えていたら、婚活。シビアだ。

 だから、彼の相手が私であることを確認するだけで、婚約自体を驚いたりしないのか。うちのクラスでは相手より婚約そのものを驚かれた。あとは年の差。十歳年上だけれど、その年齢差以上に存在差の方が私にとっては大きく、年の差を意識することはあまりない。本当の年の差はおそらく数えることなどできないだろうし。

 詳しく聞こうと白い大きなテーブルに着く。穂住ちゃんが当たり前にお茶を用意してくれ、揃ってひと息ついた。ここでお茶をいただくのも久しぶりだ。

「特進クラスの子たちはそうでもないんだけどねぇ」
「いまどき?」
「いまどき。家同士や会社同士の繋がりとか、いまだに色々あるんだよ」
 思わず、へー、と感心する。未知の世界。お金持ちも大変だ。

「ほら、一応霧島本家の三男だからね。しかもぼーっとしてそうに見えるから、いいカモだったんじゃないの? 彼はまるで相手にしてなかったんだけど、ちょっと行きすぎた感があって、ついね、婚約者がいるってぽろっと」
 行きすぎた感ってなに? と訊けば、ボディータッチの激しい感じ? と言葉を濁された。なんとなくむっとする。

「あれをカモって……なにその怖いもの知らず」
 ちょっと馬鹿にした感じになったのは、仕方ないと思う。穂住ちゃんがにやにや笑うから余計にむっとする。

「まあね。でも、あの男の本性を知らなければそうなんじゃないの? 実際ぼーっとして見えるし。金持ちでぼーっとしてる男なんて完全にいいカモだよ」
「そういえば、穂住ちゃんは最初から本性も見えてたの?」
「全く。あの日初めて知った」
 声を潜めた彼女は、何を思い出したのか、まるで見なきゃよかったとでも言いたげに情けなく眉尻を下げた。

「世の中には、知らない方が平和だってことの方が多いよね」
「そうかも。私なんてそれを体現しちゃってるから、つくづく真実なんてクソ食らえって思って生きてきた」
「だよね、立花どっから見ても普通の女子高生だもんね」
「でしょ? 自分でもそう思う。穂住ちゃんだって普通の保健の先生なのに」
 だよねー、と言いながら、うんうんと同意するように頷く穂住ちゃんは、上品にお茶を一口飲んだ。彼とは上手くいっているみたいだ。爪がきれいに整っている。後ろできっちりまとめられている髪も以前より艶めいている。

「穂住ちゃんは彼と上手くいってるみたいだね」
「やだ、聞く? 聞いてくれる?」
 待っていましたとばかりに話し始めた。上手くいっているらしい。それなりにデートを重ね、それなりのお付き合いをしているらしい。はにかむようにほんわか笑う穂住ちゃんは、大人だけれど女の子だった。

「趣味とかは全く合わないのに、なんとなく感覚が合うんだよね」
「穂住ちゃん、あのね、……」
 思わず口ごもれば、ああ、と頷きが返された。
「知ってる。組織の人なんでしょ?」
 驚いて思わずむせた。鼻からお茶が出るかと思った。

「ちょっと大丈夫?」
「だいじょ、ぶ。なんで?」
 慌てたように腰を浮かせた穂住ちゃんを咳き込みながら手で制す。
「知ってるかって? 本人が教えてくれたの。私を守るためにもこっちに来ないかって。私、結構危ういんでしょ?」
 再び椅子に腰を落ち着けた彼女の言葉に思わず頷く。

「家からも色々言われてたんだよね。最悪軟禁状態になるくらいならそれもいいかなって。自由は保障してくれるって言うし。そうすれば立花との繋がりも切れることないだろうし。私、結構立花のこと気に入ってるんだよね。妹欲しかったし」
 にやっと笑われた。彼女には一生頭が上がらないかもしれない。

「いいの?」
「いいも何も、私もその方が助かる。もう実家とは縁切りたいくらいだし」

 穂住ちゃんはその力が強いために、自由がほとんどないまま生きてきたらしい。

「最後のわがままでここの保健の先生になったの。実家に戻されたらまた自由はなくなるから。血を薄めるためだけに結婚して子供生んでって、そんな人生嫌でしょ?」
「絶対に嫌だ」
「立花ならわかってくれると思った。うちも一応旧家だから羨ましがられることの方が多いんだよね」

 同じだった。かつての自分と同じだと思った。世界が家に変わっただけだ。

「その彼とはね、恋愛以前に人として上手くやっていけそうだと思ったの。この先のことはわからないけど、本当に信用できる人ってそうはいないでしょ?」
 苦笑いから一転、その彼のことを思い出したのか、ふわっと優しい表情に変わった穂住ちゃんは、目映いくらいにきれいだった。

「組織にはいつから?」
「立花がいなくなると同時。立花がここにいる限り私もここにいる。そういう条件で受けた」
 まるで誇らしげにきっぱりと言い切る彼女の存在に感謝したくなる。

「どこの研究所?」
「とりあえずは日本にある第九研究所に配属されて、色々教育されるみたい。世界の真実ってヤツを」
 そっか、と泣きそうになりながら呟いたら、にんまり笑い返された。

「最終的には、第七研究所を目指すから」
 ぐっと親指を立てて片目を瞑った穂住ちゃんは、すごく間抜けですごくかっこよかった。