大地の記憶
20 Tertius 尽くす系—Devoted


 目が覚めれば、天哉の布団に寝かされていた。いつもとは少しだけ違う景色。ラグの上に敷かれた布団から見上げる自室は、いつもより少しだけ広く見えた。

 体中が痛い。特に股関節が痛い。お腹の奥も鈍く痛い。腕やふくらはぎが痛いのはたぶん筋肉痛だ。腰もひどく重い。あれだけ強い精を何度も受けたのに、修復が間に合っていない。というか、強すぎる精を受け入れることに、受け入れたばかりの力が使われている。

 見ればベッドの上に、カバーを外された布団が無造作に丸まっていた。昨日あれだけべとべとになっていた身体は、それなりにさっぱりしている。
 あの絶世絶対の存在が、修復が間に合わないほど抱きつぶした半身の体を清め、きっと今はシーツ類を洗濯している。
 いてて、と呟きながらぎしぎしと音を立てそうなほど軋む身体をなんとか起こせば、ベッドパットまで洗っているのか見当たらない。転がっている枕はカバーが外されている。
 一体どんな顔で……。カバーを外すのに四苦八苦しただろうと想像したら面白くて、洗濯機の使い方を教えておいてよかったと、ほくそ笑んだ。

「優羽、そろそろ……起きたか。風呂の用意ができたところだ」
 部屋の扉が開くと同時に聞こえた声と心配そうな顔。お風呂掃除までしてくれたらしい。
 重い腕をなんとか伸ばせば、嬉しそうな顔で近寄ってきて抱き上げてくれる。

「こっちのシーツも洗わないとな」
 まるでお母さんだ。なんだろう、いきなり態度が変わっている。

 身体に巻きついていたシーツごとお風呂に運ばれる。彼はアッパーシーツを使う。ホテルみたいだ、と言ったら、実家がホテルみたいな家だった、と薄く笑っていた。
 自分のマンションから持ってきたフラットシーツまでもが黒かったのは、もうそういうものだと思っている。

「なんで天哉まで入るの!」
 明るい場所で見た彫像のような裸体。日焼けによるものではなく、色黒なのだとわかってしまった。サイドにえくぼができるおしりも黒い。
 あまりに完璧な裸体に感心する。本当にきれいな身体。筋肉がつくる溝をひとつひとつなぞってみたい。美術モデルにしたい。月に一度、授業で見る美術モデルたちよりもいい体躯。美しく完璧な筋肉を初めて見た。

「身体動くのか?」
 そこからの攻防で僅かに回復していた体力が底をついた。諦めて力を抜けば、きれいさっぱり髪も身体も洗われた。それはもう嬉しそうに、楽しそうに、いやらしい手つきで。

 仕返しだと、遠慮なく身体をじろじろ眺めていたら、なぜかはにかまれた。こっちまではにかんだ。なにこのバカップル。遠い目になった。
 絶世絶対の存在、その実態は尽くす系彼氏。
 アホなことを考えながら、くったりと力が抜けきった身体を支えられ、二人で入るには少し狭い湯船に無理矢理浸かる。

「本当にいいのか? 姉に会わなくて」
 背後から聞こえた真面目な声。詳しくは何も言ってないのに、ちゃんとわかってくれる。委ねれば委ねただけ、きっと私自身を理解してくれる。

「いい」
「もう一度両親に会わなくても?」
「うん。きっとその方がいいと思う」
 私がいなくなった喪失感は、姉に会うことで誤魔化される。姉を失う喪失感だけが二人に残ればそれでいい。心に抱える虚ろは、少ない方がいい。

「勝手な娘だな」
 声が優しかった。後ろから抱きしめてくれる腕も優しかった。
「そう思う」
 ウェスと同じだ。どうあったって選ぶのは半身。それでも、親を想う気持ちが消えることはない。

「第七世界に戻るなら、もう少し私の精を得て、存在を強めておけ」
 それはもう楽しそうな声が聞こえたと同時に、腰が持ち上げられ、ぬかるんだままの場所が、ずぬっと音がしそうな勢いで埋められた。
 
「もぉ、やぁ」
 抗議の声が自分でも情けないほど艶めいて、もはや悦んでいるようにしか聞こえない。狭い浴室にこだまする声が、一層艶めかしく響く。
 腰を掴まれ揺さぶられ、後ろから耳の縁を舌でなぞられ食まれると、たまらず身体がびくびくと震えた。

「力抜いてろ」
 どうやったら力が入るのか、どうやったら力が抜けるのか、もうそれすらわからない。ただ揺さぶられるまま喘ぐだけ。



「天哉、なんか嬉しそうだね」
「優羽の世話をするのはとてつもなく楽しい」
 目覚めてからずっと世話を焼かれている。甲斐甲斐しいとはまさにこのこと。

 本当に、何もかもを委ねてしまえば、こんなにも楽だった。
 思い悩んでいたのが嘘みたいだ。

 お風呂から出れば、せっせと身体を拭かれ、髪を乾かされ、なぜか素肌に彼の真っ黒なシャツを着せられた。いわゆる彼シャツ……。
 そのままリビングのソファーにお姫様抱っこで運ばれ、むき出しの素足にブランケットが掛けられたかと思ったら、テレビをつけた後でリモコンを渡される。

 誰これ。

 こんなことをする人だとは思わなかった。彼のマンションにはテレビもなかったのに。
 シーツを洗ったり、お風呂の掃除をしたり、彼シャツに満足そうに笑ったり、いつの間にかついていたリビングの暖房は少し暑いくらいだ。今朝からの彼は何もかもが意外すぎる。

 おまけに、ウェブサイトのレシピを見ながら遅いお昼を作ってくれ、それをソファーに座ったままひな鳥のように口元まで運ばれている。照れくささや恥ずかしさは、目の前でにこにこ笑いながらスプーンを差し出される度に、諦め混じりの嬉しさに変わっていった。
 こんなに喜んでくれるなら、思いっきり甘えてしまえばいい。

 なにより、チーズリゾットがすっごくおいしい。間違いなく私が作るよりもおいしい。そもそも使われているチーズが専門店でしか手に入らない高級チーズの時点でおいしさは保証されているようなものだ。勿論彼の差し入れ。レシピ通りに作れば作れるものだと、作った本人も驚いていた。

 不意に携帯電話が鳴った。
 うちではなぜか全員リビングのサイドボードの上で充電する。今や天哉の携帯電話もそこで充電されている。
 すかさず取りに行ってくれた小さなディスプレイに表示されているのは母。何かあったかと慌てて出れば、一方的に捲し立てられた。

『優羽! いい! お母さんたちが帰るまでちゃんとそこにいなさいよ! せっかくの九州旅行なんだから! 最後まで楽しませてちょうだい!』
 それだけを一方的に言って切れた。わけがわからず、携帯電話のディスプレイをほけっと眺めていたら、くつくつとくぐもった笑い声が次第に大きくなっていく。

「なんで笑ってるの? 聞こえた?」
「優羽がこっそり第七世界に戻ろうとしていること、母親にバレてるぞ」
「なんで?」
 わけがわからず、けれど彼の笑いはおさまらず、段々とむっとしながら笑いがおさまるのを辛抱強く待った。笑いながらも口元にスプーンを運んでくれる。むかつきながらパクついた。

「彼女も神喰いの末裔だ」
「え、だって、お父さんが末裔なんじゃないの?」
「両親とも、だ」
 信じられなくて、言葉が出ない。目を見開いてすぐ横に座っている彼の顔を見上げる。

「口閉じろ」
 笑いながら言われ、いつの間にか開いていた口を慌てて閉じる。

「なんで? だって、え? なんで?」
「考えればわかるだろう。なぜ第三が生まれたか。第三は、ただ世界と繋がるだけの存在じゃない。そんなものを普通の人間が生み出せるわけないだろう」
 言われて初めてその可能性に気付いた。そうだ、第三であり、第九の半身であり、第九世界の一部となった上で、姉は第一や第二まで生み出している。それは、そういうことだから?

「でも、力と力は反発し合うって……神喰い人の末裔同士は結ばれないって……」
「あの二人は特殊体なんだ。だから、私の存在すらあっさり認めただろう? 普通の人間は、まず認めない。信じない。彼らは詳しいことなど知らされていなかっただろう? それなのに疑うことなくあっさり認めた。人よりも感覚が優れているせいだ。だからこそ、優羽を託せた」

 頭が混乱する。わかる、言われていることはわかる。けれど、いまいちのみ込めない。
 最後のひと口だ、と言いながら運ばれてきたスプーン。混乱したまま口を開けた。

「あの二人は、互いの能力を子に譲り渡すことができた。つまり能力の重複ができたんだ」
「もしかして、お姉ちゃんは神喰い人そのもの?」
「そうだ。かつてのゼノの半身に近い存在だ」
「だから、ゼノの半身を生み出せたの? 第二を生み出せたの? しかも同時に?」
 よくできましたとばかりに頭の上に手のひらがぽんっと乗った。
 能力の重複ができる両親から生まれたからこそ、その力を受け継ぎ、その力を使って第一や第二を生み出した。

「だから、ゼノがあそこまで大切にするんだ。あのゼノが、だ」
 己の半身にしか興味がないゼノが……。
 確かにそうだ。私の存在はウェスが気にかけてくれているから、仕方なくゼノもそれに倣っているようなものだ。
 あの第八世界のパラディススの不便さは、本当に同情する。向こうに戻る前にもう一度必要なもの持っていってあげよう。のぞみさん用の着ぐるみパジャマも買わないと。

「さすがに第九世界にあのいかれた研究者まで送ってくれと言われた時には呆れたがな」
「え、だって、勝手に第九の一部を取り込んで神喰いしたんじゃないの?」
「それだけだと、第九世界自体には受け入れられないんだ。時が進まない。一時パラディススを第三世界と繋いだりもしたな」
「全部天哉が調整したの? わざわざ?」
 驚けば、苦笑いが返される。
「ああ。子が生まれるようにまでしておいた。あの世界の始祖は、あの研究者夫婦から生まれる」
 そこまでゼノがこの存在に願ったのか。自分の半身を生み出す姉のために。

「お姉ちゃんって、すごい人だったんだねぇ」
 私とはレベルが違う。ああ、格が違うとはこういうことか。姉は代わりがきかない存在だ。

「何言ってるんだ、優羽はそれ以上だ」
「は?」
 まあ、この存在の半身なのだから、彼の精を得る度にそれなりになっていくのだろう。

 きっと姉もそんな自覚はないのだろう。そもそも彼女たちは何も知らされていない。今となってみれば、何も知らせない方がいいのかもしれない。知らないからこそ、自由でいられる。
 ああ、だからゼノは知らせないのか。彼らに自由を与えるために。本当に大切にされている。羨ましくも残酷なほどに。