大地の記憶
02 Tertius 幻影—Phantom「ねえ、もしかして穂住ちゃんって実は男……のわけないよねぇ」
まさか彼女が半身かと一瞬訝しみ、即座にそんなわけがないだろうと思いながらも、つい口にしてしまう。自分でも途中から馬鹿馬鹿しくなって苦笑いが混じった。
「残念ながら女」
だよね。呆れ顔で胸を強調するように背を逸らさなくていいから。
彼女が半身なら高校に入学した時点でこの世界からいなくなっていただろう。
「なんで見えるの?」
「血筋? 代々そういうものが見える家系?」
自嘲するように顔を歪ませながらの穂住ちゃんの言葉に、今度こそ本気の、まさか、と思う。
今更ながら気付いた。穂住ちゃんは私をはっきり認識している。だから一瞬でも半身じゃないかと疑ったのか。直前の自分の馬鹿馬鹿しい思考の意味がわかったところで、やはり間違いないと確信する。
「穂住ちゃんの実家って、神社とかお寺とか?」
「違う。どっちかっていうとそういうのも避けてきたような……」
やっぱり。彼女の祖先は──。
「カミクイ」
普段飄々としている穂住ちゃんの目が見開かれた。強張る表情に間違ってはいないことを悟る。
ということは、あえてわかり難く言った四文字なのに、はっきりとその意味を理解している彼女がここにいるのも、きっとあのクソ天使たちの手の内ってことだ。
一瞬父に視線を送れば、今の言葉の意味も知らないはずなのに、難しい顔で考え込んでいる。
「さすがにこれ以上は穂住先生を巻き込むことになる」
「だよね。潮時だね。手続きしてもらっていい?」
そうだな、と頷いた父が労るように頭に手を置く。子供の頃からしてもらっている仕草。父の手の温度と重みが好きだ。
「穂住先生、差し支えない範囲でかまいません、先ほどの男性のことを教えていただけませんか」
父の声に、彼女は一瞬目を伏せ、次の瞬間には父を真っ直ぐ見据えた。
「逆に私も知りたい。巻き込んでいただいてかまいません。私も真実が知りた──」
「穂住ちゃん! 知れば普通に生きられなくなる」
意を決したような彼女の言葉を慌てて遮る。まるで脅すかのように声が低くなった。
「今までも普通に生きられてないんだよ、私たちは」
低めた声に怯むことなく、顔を歪めた彼女からは、悲痛さが滲み出ている。
「その普通ではない日常すら、壊れてしまうかもしれません」
落ち着いた父の声に、穂住ちゃんはわかっているとでも言いたげに深く頷いた。
「場所を移しましょう。優羽、病人のふりして。穂住先生に家まで付き添ってもらうことにしよう。なんだかんだ言って、うちが一番安全だ。さっきの言葉を知っていたなら話は早い方がいいんだろう? 穂住先生、このあとお時間は?」
確かに。あの天使のような存在が守っている我が家は、おそらく世界中で一番安全だ。なにせ両親は、あのクソ天使の祖父母なのだから。
それに、我が家に穂住ちゃんを入れることで彼らも穂住ちゃんを認識する。それは彼女の保護にも繋がるはずだ。仕事を中抜けしてもらってでも、まずは保護した方がいい。
父の声に頷けば、お昼までならなんとかなるという穂住ちゃんが、内線で連絡を取り始めた。
「もう! いい加減にしてよ!」
家に着き、扉が閉まった途端叫んだ。両親が何事かと驚いている。穂住ちゃんは言わずもがな。
ふわっと幻影のように現れた天使のような存在。その腕に抱かれるクソ天使は、面白そうに腹を抱えてけたけた笑っていた。見た目だけはフレスコ画の子供の天使のようにかわいらしい。
『いつ気付くかと思っていたんだけど、いつまでたっても気付かないから、もう気付くまで黙ってようと思ってただけじゃん』
「べらべらべらべら! 余計なことはしゃべるくせに!」
『自分のことなのに認識できない方がおかしいんだよ』
馬鹿にしたように鼻で笑うクソ天使の腕を思いっきり叩けば、すかっと勢いよく空を切ってたたらを踏む。腹立つ!
天使のような存在が咎めるように睨みつけ、たたらを踏んだ私を指さして笑っているクソ天使を、全てから守るように抱え直した。
「お父さんお母さん、この小さいのが二人の孫だから。お姉ちゃんの子供」
血の繋がりがある二人には見えているだろう。穂住ちゃんには見えているのかと思えば、しっかり見えているのかクソ天使に目が釘付けだ。
「美羽の、子供? 美羽は子供を生んだの?」
驚いたような母の声に逆に驚く。
「そう、お姉ちゃんの子供。お姉ちゃんが生んだ、第一世界そのものであり、二人の孫」
息をのむ両親には、彼らがこれまで知らせてきたことを大まかに伝えている。まさか、そんな根本的なことを知らされていなかったとは……。当たり前のことだと思っていたせいで、わざわざ言わなかったことが裏目に出た。
「自分のおじいちゃんたちに今までちゃんと挨拶してなかったの?」
しつけのなってないクソガキめ。
思考を読んだのか、天使のような存在──通称ゼノと呼ばれる存在がむっとしている。
「あんたがちゃんとしつけないから、こんな傍若無人な性格になっちゃってるんでしょうが!」
『優羽、勝手に暴露しないでよ。第一世界そのものだって知ってるの、優羽だけなんだから』
「あんたこそ、よく私にそんなことが言えるよね。だいたい、ゼノを隠れ蓑にするのいい加減やめなよ! まったく。ゼノが甘やかすから」
このふたつの存在が、定期的に寝ている間に接触してきては、知りたくもない腹立たしい真実を暴露していく。訊いてもいないのに、一方的にだ。本当に腹が立つ。
何か都合が悪くなったのか、不意に幻影が掻き消えた。
いきなり強烈な光が掻き消えたせいで、家の中が薄暗く感じる。
「あー……立花、説明してもらってもいい?」
顔を引きつらせた穂住ちゃんに、ため息混じりに頷く。
結局私が説明するのか。ゼノたちに説明してもらおうと思ったのに……。もう少し大人の対応をとるべきだった。ついイラッとして大人げなかった。
「何から説明していいかわからないんだけど、聞いたら最後、穂住ちゃん、もう逃げられないよ」
「あの光そのものみたいなもの見た時点でもう逃れられないでしょ?」
それもそうだ。
そもそも、神喰い人の末裔だと認識している穂住ちゃんがあの学校にいた時点で、きっと逃れられない。穂住ちゃんの赴任は私の入学と同時だ。こうなると偶然のわけがない。
万が一偶然だったらと考えてゼノたちを呼んだ。彼女をしっかり認識していたから、確実に彼女の守りが強化される。
「っていうか、ただの光に見えたの?」
「立花には何に見えたの?」
訝しげな顔をしているのは穂住ちゃんだけじゃなく両親もだ。
「優羽が神々しい光に一方的に話し掛けているようにしか見えなかったけど……」
知らなかった。あのふたつの存在は人には認識されないのか。しかも声も聞こえない? そんなわけない。やられた。ゼノの仕業だ。そんなにあのクソ天使が大事か。
我が家のリビングで、母が条件反射のように煎れてくれたお茶を飲みながら、私の正面に両親が、隣には穂住ちゃんが腰をおろした。くつろぐどころではない三人は、それぞれソファーに浅く腰掛け、私を注視したままだ。いつもとは違う位置にいる父は、それほど動揺しているのかもしれない。
うっかり深々と腰掛け、ふーっと息を吐きながら身体の力を抜いてだらっと背もたれに寄りかかっていた身体を慌てて起こす。それに、引きつっていた穂住ちゃんの頬がほんの少しだけ緩んだ。
「何から聞きたい?」
開き直ったのか、穂住ちゃんの様子は落ち着いている。
「さっきのあれ、なに?」
両親は揃って口を噤んだままだ。実の娘のことが気がかりだろうに、ぐっと堪えている。
「それを説明するには、まず世界の在り方から説明しないといけないんだけど……」
途方もないそれに、話す前に挫折した。私は説明が下手だ。結論からいこう。
「んーっと、一言で言うと、こことは別の世界の生きものたち。でかい方がその世界の一部、なんだろう、外延? で、小さい方が世界そのもの、それを内包する存在、かな? 私もよくわかってないんだけど、世界の一部とか、世界そのものっていわれるような、世界と繋がっている存在」
なんとなくふたつの存在がいたことはわかったのだろう、穂住ちゃんが眉間に皺を寄せながら頷いている。両親に至っては身じろぎすらしない。
「で? あの腰が抜けそうなくらい強烈な畏れを感じる光と対等にやり合える、私の隣に座っている存在は?」
ともすれば嫌味にも聞こえる言葉とは裏腹に、穂住ちゃんからは私を案じている様子がありありと伝わってくる。
生徒と養護教諭の枠からはみ出るほど親しかったわけじゃないのに、気遣ってもらえるのは純粋に嬉しい。
「私もこの世界の生きものじゃない。便宜上第七世界と呼ばれる世界の生きものであり、第七世界そのものでもある存在。今私たちがいるこの世界は便宜上第三世界と呼ばれている」
眉間の皺をもみほぐすような仕草は、穂住ちゃんが考え込んでいる時によく見られる。小さな声で「宇宙人?」と呟いているけれど、それは違うと思う。
そういえば、この世界の人たちはそれぞれの世界を惑星になぞらえていると聞いたような気がしなくもない。
「私の先祖のことは、何か知ってる?」
「神喰い人と呼ばれる人たちは、遙か昔、さっきのあの第一世界そのものである存在を文字通り食べた人間のことで、のちにそれを誉れとしたものが表に出て、恥としたものは隠れた。穂住ちゃんの先祖は恥と考えた方の人たち。だからゼノ、さっきのでかい方が別の世界について研究している世界規模の組織にすら隠して守ってきた」
そこまで話して、一息つく。
小首を傾げながら眉間の皺を揉んでいた穂住ちゃんが顔を上げた。
「んー、なんとなくわかったようなわからないような。けど、だとしたらちょっとまずいかも。さっきのあいつ、あの代理教師の一族ってうちの一族の異能を目の敵にしてるんだよね」
最悪。どうしてそんな人間が、私の半身なのか。
「もしかして、組織の敵ってこと?」
両親も今の会話で何かを察したのか、二人揃って険しい顔をしている。穂住ちゃんはよくわかっていないのか、小首を傾げたままだ。
「でも、確か彼自身は一族と距離を置いてるはず。こっちに取り込むなら早い方がいい」
「だったら、たぶんゼノたちが接触している。だからきっと佐藤ちゃんの代理で来たんだよ」
少しだけ肩の力が抜けた。根本的に合わない人間と一生付き合っていくのはごめんだ。
「穂住ちゃんの先祖たちは、この世界の至る所に散らばってる。この世界の自然信仰の元となっているのが、隠れた神喰い人たちなんだよ。で、遙か昔からゼノに守られてきた。いつかその力を返してもらうために」
穂住ちゃんの見える能力は、かつてのゼノの半身を口にした代償のうちのひとつ。それを祝福ととらえた者たちは力を得て傲った。
この第三世界に生きる人間という生きものは、ゼノの半身によって生み出されている。新人類は、ゼノの半身の精を受けて誕生した。神が自分の姿を真似て人間を作り出したと云われる宗教上の起源はそこにある。
そして、ゼノの半身によって生み出された彼らは、代を重ねるごとに自分たちがいかにして生まれたかを忘れ、ある意味生みの親であるはずのゼノの半身を己の欲のために貪った。
かつての第一を食らった者たち、のちに神喰い人と呼ばれるようになった者たちは、その力に傲り、互いをつぶし合い、力を強めるために最近親婚を繰り返し、この世界だけでは飽き足らず、ついにはかつて繋がり合っていた別の世界へと侵食しようとしていた。
その矢先、半身を探していたゼノがこの世界に降り立ち、半身を失ったと知ったゼノによってこの世界は荒れ、世界の扉は閉ざされた。
祝福ととらえて猛威をふるっていた者たちは、ゼノの怒りによって新たに生み出された第九世界へと飛ばされ、時をかけて退化されゆく定めを負う。
旧人類の大半がこの世界から姿を消したのは、戦い破れた彼らの死肉を口にしていたがために、同時に第九世界に飛ばされたからだ。
そのゼノの怒りから生み出された新たな世界の一部となり、ゼノの半身である第一世界そのものを生み出し、さらに第二世界そのものまでも生み出した義理の姉。
彼女もまた、神喰い人の末裔。
神喰い人の末裔たちは、己の血の業を忘れるとあの世界に飛ばされ、先祖の業を負わされる。
「穂住ちゃんの家は、たぶん神話の時代からそれを伝え守ってきた一族でしょ? お父さんの家は血が薄まって力が発現することもなくなったせいで、そこから逸れていった分家みたいなものじゃないかな。だから神喰い人の末裔としての自覚や認識がない」
自然信仰の神にお供えが必要だったり、神の花嫁と言われるように娘が捧げられてきたのは、単純に食糧支援と、嫁支援に尽きる。
かつての助け合いと男女の出会いは、いつの間にかその事実がねじ曲がり、生け贄と呼ばれるようになってしまった。
この世界に棲むものたちは、物事を複雑に捉える。いつの間にか真実がねじ曲がっていく。
ただ力を持ち、それを身近なもののために振るっていたはずの生きものが、神となり、天使となり、悪魔となった。その力は、幸いとなり、災いとなり、奇跡となって世の中に浸透し、伝えるものの都合によってさらに歪められ、世界中に拡散されていった。
ゼノたち然り。神喰い人然り。
「美羽は、業を負わされたのか」
父の呆然とした声に、慌てて首を振る。
「違うよ。お姉ちゃんはゼノに選ばれた存在。お姉ちゃんじゃなきゃゼノの半身は生まれなかったんだと思う」
「優羽、それが業を負うということじゃないの?」
母の震えた声に、そうかもしれないと気付かされる。我が子と引き離された彼女の悲痛な叫びまで、彼らは私に伝えてきた。
私は、この世界のことをどこか他人事のように捉えている。それはどうしたって埋まらない溝。存在の違いを思い知らされる。
「ごめんなさい。結局私はこの世界の生きものじゃないから、わからないのかもしれない」
泣きたくなる思いで謝れば、両親は一層顔を歪め、隣に座る穂住ちゃんが手を握ってくれた。