大地の記憶
16 Octāvus et Tertius 申入—Propose来たついでだ。
そう言われ、手を取られ、アクアリウムみたいな森の中を散歩する。
デートだ。
デートなのに、服装が残念すぎて泣ける。しかも寝起きで顔も洗っていなければ、歯も磨いていない。
以前いきなり夜中に会ったときは、寝るつもりがなかったから緩くともそれなりの格好をしていたのに、父曰く「ピョン吉パジャマ」はさすがにない。
「それ、かわいいな」
慰めなのか呆れなのかがわからなくて、とりあえず寝癖を隠すために深く被ったフードの影からちらっと盗み見る。
何を考えているかわからない表情をしていた。
あの二人に対しては多少の恥ずかしさで乗り切れたことが、ことこの存在には通用しない。恥ずかしいどころか情けなくて泣きそうだ。
のぞみさんのワンピースを借りればよかった。あまりにもかわいいと言ってくれるから、ちょっと調子にのってまあいいかとそのままでいた。あのシャツワンピ、フレアスカートの部分がたっぷりしていて、ちょっとアーリーアメリカンっぽくて、すごく着てみたかったのに。
寒くないかを聞かれ、俯きながら頷く。その拍子にフードのウサギ耳が揺れて、あまりの情けなさにぶるっと震えた。
「思い付いた瞬間に勝手に来ちゃってて……戻り方がわからなくて……」
尻窄まりになる声が情けない。もう本当に何もかもが情けなくて嫌になる。ちらちら盗み見ていると、時々目が合ってしまい慌てて逸らす。繋がれた手につい力が入る。
「優羽、今日はクリスマスイブだろう? どうする?」
クリスマスというイベントを知っていることに驚いた。いや、今は第三世界で生きているのだから知っていてもおかしくはないけれど、この存在からその単語が出たことに驚く。
思わず隣を見上げると、目を細めて「どうする?」と繰り返された。
「天哉、クリスマス知ってるの?」
「優羽は……私をなんだと思っているんだ」
「そうだけど……」
意外すぎて言葉が続かない。どうしても自分と同じ人だとは思えなくて、まるで神様みたいな存在に思えてしまう。それがよりによってクリスマス……。
そもそも、このところ色々なことが一度に起こりすぎて、クリスマスのことなんてすっかり忘れていた。
「お母さんが、天哉のところに行けって」
「優羽は嫌なのか?」
「嫌じゃない、けど、どうしていいかわからない」
「そうだな。年が明けたら、一緒に住むか?」
どうしてなんの疑問も抵抗もなくそうあっさり受け入れられるのか。しかも言葉の意味を正しく理解している。クリスマスを一緒に過ごすだけじゃない、その先も含む言葉。
今の姿と相まって、自分が子供に思えて仕方がない。項垂れた途端目に入るウサギ足。足元にびっしりと生えている草を踏みしめるもこもこスリッパが情けなさすぎる。歩く度にピコピコ鳴るタイプにしなくて本当によかった。次は絶対に大人っぽいパジャマとスリッパにする。
「うちなら、ここと同じで半分でいられる」
「そうなの?」
思わず顔を上げれば、柔らかな表情が目に飛び込んできた。うっかりかっこいいと思ってしまい、これはこれで直視できない。
「ああ。ちょっと特殊な場にしてある」
「もしかして、半分の半分でいることは疲れる?」
「まあな。ゼノらに負荷がかかるから仕方がない」
それはそうだろう。この大きすぎる存在を世界に抱え込むのはキツイだろう。しかも肩代わりしている世界だ、その負担は相当だろう。どんな負担なのはかまるでわからないけれど。
私がここにいる理由を訊かないのは、きっと知っているからだ。ゼノたちですら隠し事ができないなら、私なんて筒抜けだろう。言葉の意味を正確に把握しているのもきっとそう。
みんなが言う通り、ただ委ねればいいのかもしれない。
それには、もっと知らなければならない。この存在がなんなのか。私にとってどんな存在なのか。きっと、ただ好きなだけではいられない。
「行こうかな。天哉のところ」
「そうか。ご両親に挨拶に行かないとな」
嬉しそうな声に少し申し訳なくなる。
「だから、クリスマスもお正月も、家で過ごす。きっと最後だから」
「そうだな」
その声が少しだけ淋しそうで、なんだか心があたたかい。寂しがってもらえたことが、一緒に過ごそうと思ってもらえたことが、本当は嬉しい。握っていた手に力を込めた。
「一緒に過ごそうって思ってくれて、ありがとう」
握られていた手に力が込め返された。それを素直に嬉しいと思う自分のことまで、嬉しい。
一緒にいられなくてごめんね、ではなく、ありがとうを伝える。両親から教わったことが、きっとこの先も私を支えてくれる。ごめんなさいよりありがとうを。
あなたの想いに感謝する。
思わずあくびが出る。
寝起きに第八世界に飛んでしまい、戻って来たらまだ第三世界では早朝。あとでスリッパ洗わないと……。頭の隅が勝手に思考する。
「優羽、今日どうするの? 霧島さんのところ?」
朝食の席、母の暢気な声に父がむっとしている。
「うちにいる。お父さん、ケーキ買ってきてね」
「なんだ、いいのか?」
父の意外そうな顔に思わず笑う。むっとしつつも、認めてくれている。きっと母が説得したのだろう。普通に考えたら反対されても仕方のないことだ。
「だったら、霧島さんもお誘いすれば?」
「そうだな。どうせ一人なんだろう? 彼は」
「たぶん」
だったらいつもより大きなヤツにするか、と父が呟く横で、母がにんまり笑う。
「どうせなら、そのままうちでお正月まで過ごしてもらえばいいわ。芸術科以外はもう冬休みでしょう?」
芸術科だけは日々選択授業が幅を利かせる分、ほかの教科にしわ寄せがくるために、普通科の人たちよりも休みが短く、補習授業が設けられる。とはいっても、登校自体はフリーになるので、出席日数が足りなかったり、成績が危ぶまれていない限りきっちり行かなくてもいい。どちらもほどほどの私は行かない。
「いいの?」
「どうせ一人なんだろう?」
その父の渋々といった声に、思わず笑う。
「美羽の時はわけがわからないうちに掻っ攫われたんだ。その点、霧島君は私たちにちゃんと猶予を与えてくれる。それがきっと彼なりの誠意なんだろう。私たちが彼と関わることすら許してくれる」
「そうなの?」
「ああ。本来なら、優羽もいきなりいなくなってもおかしくないんだ。私たちが知ることすら許されているのは、きっと彼のおかげだよ」
そうかもしれない。組織の内部事情や、私の存在の意味、ゼノたちの存在、神喰い人のこと、なにより彼の存在。すべて普通の人が知っていいことじゃない。
実際に両親は義理の姉についてすら一切知らされておらず、私が二人に教えてきたほどだ。
「きっと私たちは、優羽がいなくなれば全てを忘れてしまう。だからこそ、許されているんだろう」
父が淋しそうに笑いながら、「ケーキはいつものレアチーズか? 今年はタルトにするか?」と訊いてきた。
切り上げられた話を母は黙って聞いていた。きっと、二人でずっと話し合っててきたのだろう。
「タルトにしようかな。フルーツ山盛りの」
真っ白な生クリームが苦手な私。チョコレートケーキが苦手な母。そもそも甘いものを好まない父。
「そうだと思って予約しておいたんだ。あれは予約限定だったからなぁ」
得意げに笑う父が、混雑する前に取りに行くか、と呟きながら準備を始めた。
心から、心の底から、死ぬまで二人の娘でいたい、そう思った。
最後まで、二人が生きたこの世界で生きていたい。
それでもきっと私は、いつか自分と繋がる世界に戻る。それは、決まっていること。
帰ってきた父はなぜか、後ろに完璧な遮蔽で姿を隠している黒い男を従えていた。
「学校は?」
「代理教師は授業がなければ出勤しない」
絶対にそんなわけない。どういう条件で契約しているのか。さすが私立だと納得してもいいことなのかがわからない。
そもそも、彼の本職はなんなのか。どうにも「人」というよりも「超越した存在」だと思ってしまうせいか、彼の人としての営みが想像できない。
「お招きにあずかり、図々しくもお邪魔させていただきます」
片手にはなぜかコンビニの袋に入った真っ黒な布の塊。まさか着替えだろうか。なぜコンビニの袋……。
思わず凝視していたら、父が笑い出した。
「出掛ける時に連絡したんだ。何を持っていけばいいかわからないと言うもんだから、お父さんが必要なものを口にする度に、がさがさ音が鳴っていると思っていたんだが……」
「鞄持ってないの?」
「出勤用のは薄い」
かすかにむすっとした表情に笑う。
「もしかして、お泊まり初めて?」
むすっとしたまま頷いた。
「もしかして、ちょっとはしゃいでる?」
明らかにむすっとした表情になった。面白すぎる。
「少し場の調整をしてもよろしいでしょうか」
リビングに場所を移し、そう両親に確認をとった彼は、私の胸に留まっていた血の結晶をふたつに分け、両親それぞれに渡した。
彼の血を取り込んで以来、その結晶は両親が外出するときのお守りになっていた。
どうしてその結晶を割ることができるのか。強い疑問に、ふと思い当たる。
「もしかして、それって……」
「ああ、私の血だ」
私は、生まれた時からこの男に守られてきた。
「共鳴したのは?」
「そこまで強い力を込めていなかったせいで、私に還ろうとしたんだ」
だから再度血を与えて強化した。
「この子を私たちに預けてくださったのは、霧島さんですね」
その母の確信に満ちた声に目が見開かれる。
「ゼノじゃないの?」
「違うわ、あんな光った存在じゃなかった。その結晶が霧島さんのものなら、あの時優羽の肌に血を落としたのも霧島さんってことになるもの」
ゼノに渡されたのだとばかり思っていた。なるで見えない糸が通されたかのように胸元にいつも在った。
もしかして、この家の中を守っているのも──。
「どうして自分の半身をあれに守らせなければならない」
コマンドの発動を感じた瞬間、彼の表情がはっきりし、声に温度が宿る。あからさまにむっとした声。
「それを常に身に着けていてください。お二人にとってこの場は少し強すぎる」
意識するだけで外すことができる血の結晶は、意識しなければその存在を忘れる。
頷く両親を見て、隣に座っていた彼がすっと立ち上がった。
「改めまして、霧島天哉です」
かすかに笑みを浮かべながら私と両親の間に立ち、どうしてか少し緊張したように深々と頭を下げた。
「お嬢さんを私にください」
そう、言葉が続いた。