大地の記憶
15 Octāvus 真っ新—Pristine


──ねえ、第五世界と第七世界、崩壊しそうだけどいいの?

 ようやくコンタクトできた、とぼやきながら現れたのは、久しぶりに見る天使のような煌々としたふたつの存在。闇に慣れていたせいでそれまで以上に眩しく感じる。

 どういうこと?
──優羽さ、すでに自分が第七世界から離れかけているのわかる?

 意味がわからず首を傾げる。そもそも、第七世界と繋がっていると感じたことなどない。

──第五世界と第七世界のこと、説明されたでしょ。あの存在から。

 頷けば、それはもう大きなため息が返された。

──それでわからない?

 正直あまり思い出したい話じゃない。それでもと、あの淡々と語られた声を思い出す。

 女の子が生まれなくなって、男の子の生殖機能が低下してる?
──そう。それってつまり?

 子供が生まれなくなる?
──そう。ってことは?

 絶滅……うそ。
──本当。それもかなりのスピードで。よっぽど許せないんだろうね、あなたにした仕打ちが。

 見かけだけは愛らしい天使のような存在が、珍しく真面目な顔をした。

──一応ね、優羽の半身だった存在はこっちでこっそり保護してるんだよ。それと交われば、絶滅は回避できる。
 だって、統合するって。

──統合はされる。もう動き始めてるからそれは止められない。このままだと今棲んでいるものたちは絶滅する。第五世界と第七世界は統合され、元始に戻される。第九世界と一緒。あそこもリセットされたでしょ?

 できないよ。もう他の人とは交われない。
──だろうね。すでに優羽の半身はあれだから、それ以外と交わる必要はない。一応ね、知らせておこうと思っただけ。

 いいの?
──それを訊くのは自分にでしょ。第七世界はあなたと繋がる世界なんだから。別にいいんじゃないの? どっちにしても統合されれば進化するしかないんだから、今いる存在は遅かれ早かれ絶滅する。それが早まるだけのことだよ。

 私の、半身だった男は……。
──それこそどうでもいいよね。半身を守らないなんて、正直信じられない。念のために保護していただけだから。こっそり動いたつもりだけど、絶対に知られていると思うし。あれの怒りを買うくらいなら、もう放り出してもいい。

 いいよね、と自分を抱える存在に確認している。ゼノに目を向けると、当然とばかりに頷きを返していた。

──優羽はあれに甘えていればいいんだよ。あれが全部なんとかするから。その権利はね、優羽にはあると思う。正直、もう少し早くこっちが気付いてれば、あの存在が気付く前に助けられたのにって思ってる。ごめんね。

 それは、どんな意味の「ごめんね」なのか。
 助けられなかったことへの謝罪なのか。それとも、あの存在に気付かれてしまったことへの謝罪なのか。
 どうにも後者であるように思えてならない。

 私は、どうなるの?
──どうもならないよ。統合された世界に改めて優羽が繋がるだけ。

 それって、可能なの?
──あれに不可能はないから。覚醒すると自動的に繋がるんじゃないの? そのために優羽の肉体は第九たちと同じで再構築されてるし。だからその身体、真っ新なんだよ。色んな意味で。

 色をなくしたのは、再構築されたから? 私が白いのは、真っ新になったからなの?
──違う。むしろその色にしてくれたんだよ、あれが。その色は、あれの精一杯の想いだよ。大切にしなよ。

 どういう意味?

 それに答えることなく、ふたつの光り輝く存在は消えた。



 目が覚めた直後、頭を抱えた。
 どうすればいいかがわからない。相談できる相手がいない。

 いや、いる。
 ひとりで行けるか。



 そう思った瞬間には、第八世界にいた。パジャマのまま。寝起きのまま。泣ける。

「優羽ちゃん? びっくりしたぁ。どうしたの? 霧島は?」
 どこかから帰ってきたのか、家の外にいたひかりさんに驚かれた。

 淵源と彼らの家の真ん中辺りで頭を抱えてしゃがみ込んでいた。一旦帰ろうと思っても、帰り方がわからず、どうやって来られたのかもわからない。
 おそらく彼の血を取り込んだせいで、能力が底上げされたのだろう。

「すいません、急にお邪魔して。しかも寝起きのまま……」
 慌てて立ち上がれば、ぷっと吹き出された。

「あ、やっぱり? ちょっとのぞみ呼んでくるよ」
 のぞみー、と大きな声で呼びながら、足早に家に向かい、その中に消え、ほんの一瞬ののち、のぞみさんが笑いながらワンピース片手に現れた。

「とりあえず羽織るだけでも。っていっても、そんな恥ずかしい感じじゃないよね。なんかかわいいね、その部屋着」
 ふわふわのパイル地のつなぎ型。フードにウサギの耳までついているパステルピンク。母が着ぐるみみたいでかわいいと勧めてくれた。

「いい歳してなんかすいません」
「え? 全然。ちょっと私も欲しいかも。かわいい」
 この美しくかわいらしい人にはパステルブルーが似合いそうだ。次に来る時のお土産にしよう。

 かわいいを連呼しながら、のぞみさんはフードをかぶせてみたり、後ろに回ってしっぽがついていることに喜んだりしている。「このしっぽ、寝る時に邪魔ですよ」と言えば、「確かにー」とはしゃいでいる。絶対にお土産にしよう。
 警戒心が強いはずの彼女は、私に対しては最初からそれを見せなかった。それが私の存在そのものを受け入れてくれたようで嬉しかった。

「で、どうしたの? 一人で来たんでしょ?」
「ちょっと、相談……聞いてほしいことがあって」
「それは彼に、だよね」
「いいですか? できれば、のぞみさんも一緒にいてほしい。すごく嫌な話なんですけど、聞いてもらってもいいですか?」
 安心させるかのような笑みを浮かべ、「もちろん」と頷いてくれる。なんだかここにも姉のような存在ができたようで、肩の力が抜けた。

 家に向かって歩き出すと、足元を見たのぞみさんがウサギ足のスリッパを見てこれまたかわいいかわいいとはしゃいだ。
 色々いたたまれない。確かにかわいいけれど、高校生にもなってどうなの、とは思っている。家族以外に見せるつもりは毛頭なく、母と二人で楽しんでいた。ウサギ足の自室用スリッパは母とお揃いだ。



 招き入れられた家には、それまでなかった丸太のようなスツールがふたつ用意されていた。木をただ切っただけに見えるけれど、座面になる切り口はつるつるに磨かれている。
 どう考えても二人の手作りで、不自由だとしか思えない生活の中でこれを作ってくれた意味を考えると、ぐっと胸に来た。

「あ、いやさ、ラグに四人座るの、ちょっと窮屈だろう?」
 じっと新しいスツールを見ていたら、ひかりさんが照れたように笑う。感動しすぎて言葉に詰まる。「まだ作りかけなんだ、もう少しマシになるから」と言い訳のような言葉が続き、そんなことないと必死に首を振った。
 歓迎されていなかもしれない──そう思っていたのに。

「ありがとうございます」
 並び立つ二人はなんてことないように、けれど嬉しそうにその言葉を受け取ってくれた。

 思っていた以上に座り心地がいいスツールに腰掛け、小さなテーブルを囲む。背筋を伸ばし、思いきって訊いた。

「ひかりさんは、この第八世界と繋がっているという実感はありますか?」
「ない」
 意を決して訊いた言葉に間髪入れず否定が返され、一瞬聞き間違えたかと思った。

「そんなのないよ。結果的に俺たちの存在が世界に影響を与えてるって思うことはあっても、世界と繋がってる実感なんてないよ。え? もしかして感じるもんなの? のぞみ感じたことある?」
 話している途中で不安になったのか、焦るような口調でのぞみさんに確認している。訊かれたのぞみさんも首を傾げた。

「優羽ちゃんは、繋がってるって思うの?」
「私も思わないんです」
 それにひかりさんが、「だよなぁ」とほっとしたように息をついた。

「俺は純粋に世界に生み出された存在じゃないから、正直あんま参考にならないと思うよ」
「でも、今は私と同じ存在ですよね。世界と完全に繋がっている」
「そうなの?」
「たぶん? そんな感じがしますけど……」
 驚いたように訊かれ、自信がなくなる。完全体になった途端、その存在が大きくなったのは間違いない。ゼノたちほどではないけれど、確実に私よりは大きな存在になっている。
 そう説明すると、「そうなんだぁ」とひかりさんはまるで他人事のように笑った。

「俺たちはこの世界とは極力関わらないって決めてるんだよ。だから、あんまそこは重視してないっていうか、どうでもいいっていうか」
 気まずそうなひかりさんの言葉を聞いて、やはり相談してみようと思った。この人たちはちゃんと自分の立ち位置を決めている。

「話、聞いてもらってもいいですか? 正直、あんまり楽しい話じゃないんですけど」
 頷く二人に、抑揚のない声で語られたことを、同じように感情を込めずに淡々と話した。

 話している途中でのぞみさんが口元を抑え、耐えきれず涙を流し、小さなテーブルの角を挟みながらも寄り添うように座ってたひかりさんにしがみついた。
 彼女は、話し終わった私を抱きしめてくれた。言葉もなく、ただ、抱きしめてくれた。それがすごくあたたかくて、もらい泣きしそうになった。

「私にその記憶はないんです。ただ、事実を知っているだけで」
「そうだろうな。俺ならそんな記憶残さない」
 これ以上ないほど顔をしかめたひかりさんの吐き捨てるような言葉は、そのままあの漆黒の存在を思い起こさせる。

 そして、ついさっき煌々しい存在から聞いた話をすると、二人とも当然とばかりにゼノたちの意見に賛成した。

「俺たちは、ただの人なんだよ。ただそこに世界がくっついてるだけ。その『だけ』が十分重い枷になるんだけど、でもそれは普段意識して感じることじゃない。心がけはするけど、それに縛られることじゃない」
 明らかに怒りを含んだひかりさんの声に、のぞみさんが同意するように小さく何度も頷いている。

「優羽ちゃんをそんなふうに追い込んだ世界が、同じように追い込まれるのは当然だよ。優羽ちゃんが新たに肉体を形成することになったんなら、世界も新たに生まれかわるのも当然。生まれ変わるべきだ」
「今棲むものたちが絶滅するとしても?」
「早かれ遅かれそうなるなら、ゆっくりじわじわいくより、ばっさりいったほうが俺はいいと思うけど。ゆっくりじわじわって絶望感半端ないだろう? むしろ一気に進める方が混乱するだろうけど、じわじわよりは思いやりがあるって思うけどな」
 そんなふうには考えられなかった。絶滅や崩壊という言葉に惑わされる。

「あのさ、根本的なこと訊いていい?」
 頷けば、ひかりさんが身を乗り出し声を潜めた。
「霧島って、なに? ゼノより上の存在、だよな。そんな存在、聞いたことなかったんだけど……」
 私もはっきりとした確証はない。けれど、それ以外は考えられない。

「ひかりさん、組織で神話って勉強させられました?」
「ひと通りは」
「天上の至高、と言えばわかりますか?」
 ひかりさんが目を剥いた。隣ののぞみさんが首を傾げる。

「全てを創り出した存在だよ」
 ひかりさんが一層声を潜めた。言葉にすることすら畏れを抱く大いなる存在。
「それって……」
 のぞみさんが、怖々と声を出した。
「すべてのはじまり」
 呟いたひかりさんの言葉に静かに頷く。
 それ以上は口にすることができない。

「なんでそんなのが普通に田舎の高校に通ってるんだよ」
 頭を抱えるひかりさんの気持ちはわかる。
「今は私の高校の産休代理教師です」
「ちなみに教科は?」
「現文」
 再び頭を抱えた。「せめて世界史にしろ」と意味のわからないことを呟きながら。「閉所恐怖症も納得」というのぞみさんのさらなる意味不明な言葉もおまけに。



 以前お土産に持ってきたぬるいパックジュースで一息つく。淵源に触れることを止められたと言えば、ここの食べ物を口にしない方がいいとひかりさんも言う。大切にとっておいたのがわかるパックジュースを飲んでしまう申し訳なさに、また持ってこようと誓った。

 一息つきながら、のぞみさんが「関わらないと言っても、一度だけ関わってしまったことがあるの」と言って教えてくれたのは、彼女たちが最初に出会ったこの世界に生きるものの話だった。

「最初はかわいかったの。懐いてくれて嬉しかったし。だから許せなくて」
 その生きものを唆していた大人たちに、ひそかに制裁を加えたらしい。

 彼女が「サンちゃん」と呼ぶその生きものは、一言でいえば勘違い野郎だった。自分が世界そのものだと思い込んでいたらしい。
 のぞみさんは、その勘違い野郎を唆していた者たちをいないものとして扱った。その勘違いサンちゃんはこの世界でそれなりの地位にいたらしく、それを都合よく操ろうとしていた彼らも主として二人が降り立つ第一都市の要人だったらしい。「シカトなんて陰険で子供じみた嫌がらせだけど」とのぞみさんは言うけれど、女神の怒りを買ったのでは、と疑心暗鬼になった彼らは勝手に自滅していったそうだ。

「私は清廉潔白な女神じゃない。感情を持つちっぽけで歪な人間なんだよね」
 そう自嘲気味に笑う彼女。

 最初はかわいかった。懐いてくれて嬉しかった。だから、うざいし、偉そうだし、上から目線だし、態度悪いリアクション芸人で、何があっても友達にはなりたくないけれど、どうしても嫌いにはなれなかった。
 そうさんざん罵りながらも、のぞみさんは最後に淋しそうに笑った。

「一番悪いのはサンちゃんだけど、サンちゃんだけが罰を受けるのは違うと思う」
 そうきっぱり言い切った彼女の隣で、ひかりさんは何も言わず無表情を貫いた。ただ、唆した者を彼女に教えたのはひかりさんらしく、きっと思うところは同じなのだろう。

「その一度だけ、関わっちゃったんだよね。第三世界のルールをここに持ち込むのは違うって思ったんだけど、でも、やっぱり許せなかった」
 テーブルの上でぐっと握りしめていたのぞみさんの両手の上に、ひかりさんの手が重なる。この二人は、私の前でも当たり前のようにイチャつく。それがまた絵になるから、思わずぼーっと眺めてしまう。まるで映画のワンシーンだ。

 ふと、無性に淋しくなった。

「優羽、帰るぞ」
 聞こえてきた声に振り返ると、腕を組みながら入り口の扉にもたれるむっとした顔。

「霧島、アイスとプリンは?」
「あるか、バーカ」
 どうやらひかりさんは、同級生として接することにしたらしい。彼も同じ。

 私も、それでいいのかもしれない。
 淋しいと感じた直後にこみ上げたのは恋しさで、聞こえた声が嬉しかったから。