大地の記憶
13 Tertius 第五、第六、第七世界—Quīntus, Sextus, and Septimus「第七は、全ての色を持って生まれる」
抑揚のない落ち着いた声。
「その半身である第五は一切の色を持たずに生まれる。それらは一対になることで世界に彩りを与える、そんな存在だったはずなんだ」
リビングのソファーに並んで座る、拳ふたつ分ほど空いた距離は、近いのか遠いのかがわからない。
彼は、今の私を消さなかった。おぞましい記憶と感覚だけを遠退けた。
第七世界は、第六世界を介在して第五世界と繋がっている。
第七世界と第五世界に棲むものはその起源を同じとし、けれどふたつに分かれていた。
第七世界に生きる人は女の性を持つものばかり。第五世界に生きる人は男の性を持つものばかり。それが第六世界を介して生存している。
第六世界に棲むものは、ふたつの世界に棲むものの三倍ほどの体躯を持ち、そのふたつの世界に生きる人を糧としている。
三つの世界は歪な共存関係にある。
「この世界で巨人とたとえられるものは、第六世界に棲むもののことだ」
ふたつの世界に棲むものたちは、かつて幾度となく扉を閉じようと試みた。けれどことごとく失敗に終わる。そのたびに、それを嘲笑うかのように第六世界に棲むものたちに蹂躙され、ふたつの世界は崩壊の危機を幾度となく迎えている。
ふたつの世界の崩壊は、それを糧にする第六世界の崩壊にも繋がる。
扉を閉じてしまうとふたつに分かれた第五世界、第七世界に棲むものたちは、子孫を残せず絶滅する。
どうあっても三つの世界は共存せざるを得なかった。
そこで、一方的な蹂躙をやめてもらう代わりに、双方から贄を定期的に差し出すことになった。ふたつの世界の犯罪者、死に逝くものが贄として差し出されることになる。
第五世界の男たちは第七世界の女に精を放ち、第七世界の女はその数日後に女であれば丸い、男であれば楕円の卵を産む。第五世界の男たちは、楕円の卵をもらい受け、己の世界に持ち帰り、孵化させる。
ふたつに分かれた世界に生きるものは、たとえ卵であっても、起源を同じとするはずのもう片方の世界に拒まれる。
危険を冒してまで第六世界で交配し産卵するのは、第六世界でしか交配も産卵もできないからだ。
「そこに優羽が知るような倫理感などない」
交配は互いに積極的だった。
精を放てるだけ放ち、産卵できるだけ産卵する。
蹂躙され続けたふたつの世界に棲むものたちは、その数を増やすことに必死だった。
けれど、いつしか贄の数が不足する。
食料が足りなくなった第六世界に棲むものたちは、手始めに己の世界で交配する男女に、生まれたばかりの存在に、再び手を伸ばし始める。
そこで特に蹂躙されやすかった第七世界に棲むものたちは、世界に繋がる存在を贄として差し出した。世界に繋がるものは、通常の倍以上のペースで子を孕み、産み落とす。
世界に繋がるものは、稀に希少種を、それまでなかった色を新たに生み出す。それは世界の一部となるもの。第五世界も第七世界も、色濃く鮮やかな世界だった。様々な色を持つものが存在する。
だからこそ、鈍い色しか持たない第六世界では、その存在が目につきやすい。
第七世界から差し出された全ての色を持つ女は、第七世界の男たちと交配し続けた。
闇のうちに受精し、光のうちに産卵する。昼夜それが繰り返され、生まれた存在が希少種ではなかった場合、第六世界に棲むものの糧とされた。
罪を犯したものより、死に逝くものより、世界そのものが生み出す生まれたばかりの存在は、第六世界に棲むものたちの舌を十分に満足させた。時に孵化を待たず色鮮やかな卵のままその口の中に消えていった。
世界に繋がる存在には、必ず半身が存在する。
その半身が現れないことに、第七世界そのものである女は自らの存在を諦め、己と繋がる世界のために贄となった。
そして、ゆっくりと狂っていった。半身が存在するはずのものがそれ以外の精を受け続けることは、その全てを狂わせる。
「私が気付いた時には、すでに全てをすり減らしていた」
産卵することができなくなると、双方の世界に棲むものたちはあっさりと贄を捨てた。
第六世界に棲むものに羽をむしられ、生きながら腹を割かれ、血と臓腑を啜られた。
世界に繋がるものは、そう簡単には死ねない。
抑揚のない声で淡々と語られるからこそ、どこか他人事のように冷静に聞くことができた。
それでも、血の気が引き、吐き気を抑えることに必死だった。鈍くともおぞましい感覚が蘇ろうとする。耳の後ろがぞわぞわと寒い。
隣に座る存在にそっと肩を抱き寄せられると、すっと、おぞましさと吐き気が消えてなくなる。肩から腕を伝い腰に落ちた手に引き寄せられ、拳ふたつ分の空間が埋まる。
手のひらから伝わる熱が、寄せられた身体から伝わる穏やかな体温が、震える身体に染み込んでいくにつれ、強張りが解けていく。
「第七は、自ら進んで贄になったわけではなかった。後になってわかったことだ」
贄となったのは、半身が見付かったと聞かされていたから。実際、最初に精を受けたのは半身だった。
けれど、ある日目を潰される。己の中に肉を打ち込む存在を半身であると偽るために。
在ったはずの触角が折られたのもこの時。全ての感覚を鈍らせるため。
逃げられないよう、暴れないよう、全ての色を持つ羽に杭が打ち込まれ、留められた。
そして、世界の一部となる希少種を欲した数多の男たちに精を放たれ、日ごと産卵を繰り返す。
それが半身だと思い続けた女は、ゆっくりと狂っていった。
同時に第七世界にも歪みが生じ、第七世界に棲むものが生まれなくなっていく。生まれた第五世界に棲むものは、生殖機能が低下していった。
「半身だった男は?」
ぼんやりとした表情が曇る。小さく横に首を振られた。
殺されたのか、喰われたのか、逃げたのか。いずれにしてもすでにその存在は第五世界には無かった。
「どうして、あなたが私の半身に……」
そのあとの言葉が続かなかった。なりたくてなったのか、それとも、仕方がなかったのか。
訊くのが怖かった。もし同情だけだったとしたら、芽生えてしまったこの気持ちをどうすればいいのかがわからない。
「あなたが欲しかったんだ。最後まで半身だと信じようとする、その強さに惹かれた」
違う。きっとそう信じ込もうとしただけだ。
だって私は知っている。手を伸ばしても届かないことを。私のところに星が来ないことを。
時すら操る存在は、哀れな私の時を戻した。
けれど、何度時を戻しても私は自らを諦め、男は己の半身を守るために立ち向かわず、贄とされ歪んでいく。
「私が第五世界を負うことにした」
「それは、ゼノが第三世界を肩代わりしているようなもの?」
「そうだ。そして、第五世界と第七世界の統合を決めた。統合すれば、第六世界へと繋がる扉はおのずと閉じる」
時を巻き戻され続けた私は、狂いすぎた末に全ての色を失っていた。羽と触角は再生しなかった。だから今の私には、本来生えていたはずの羽も触角もない。けれどその名残でコマンドが羽を作り出す。
「もう、思い出さなくていい。知りたいことは私が教える。必要なことだけ、少しずつ知っていけばいい」
私は、巻き戻される度に、この男に抱かれ、おぞましさを忘れるよう、代わりに快楽を与えられた。けれど、巻き戻されればそれすら忘れてしまう。
覚醒すらできず狂ってしまった私は、己の存在を保てない。だから、血の結晶に守られていた。
「私の血を取り込め。あなたは何も変わらない。私は、あなたが壊れなければそれでいい」
「第八世界で羽を隠すことができたのは?」
「おそらく本能だろう。第八世界へと移る瞬間、私が隠すまでもなくその羽を隠していた」
もう嬲られたくないという本能。
かつての私が、贄として世界の扉をくぐる瞬間の覚悟はどんなものだったのか。
最初はそこまで覚悟していなかっただろう。単に産卵のために皆と同じように交配を行う、その程度の考えだったのではないか。
けれど、世界と繋がり、本来であれば相手を変えて交配することができない存在だったがゆえに、その全てが歪んでいった。歪んでいく自分を、きっと自分でもどうしていいかわからなかった。
そんなふうに思えてならなかった。
「私には本来半身は存在しない。けれど、どうしても欲しくなったんだ。あなたが、優羽がどうしても欲しかった。私をただ一人と望んでほしかった」
その抑揚のない声に熱を感じた。見上げるその漆黒の瞳に恋しさを見いだした。
それは、私の一方的な願望だろうか。
触れるだけで離れていった唇。
初めてのキスは、どうしようもないほど心が満たされ、たとえようのない心地よさを私に教えた。
それは、今の私が感じたことなのか。かつての私の名残なのか。
いつの間にか、カーテンの隙間から光が滲んでいた。
一年で一番長い夜が明ける。
私はその血を取り込み、色と羽を隠された。